第191話 強欲は純白の光の中へと消える

「ふん。徹一め、まんまと私の策にはまりおって。黒宮家はもうダメだな」


 黒鳶家の執務室。秘蔵の高級ワインを開けた純昌は、愉快な気分のままグラスに注がれた赤い液体を飲み干していた。

 黒宮家が七色家の座から降り、黒鳶家が新たな七色家として君臨する。

 それは純昌が長年夢見てきた光景だ。


 黒鳶家は、黒宮家の分家の中で一番血の繋がりが強く、七色家創立時から代々仕える分家代表だ。

 当時の当主が博愛主義者で、『化け物』と蔑まれ捨てられた魔導士の子供達を保護したのをきっかけに、魔導士専用の児童養護施設を設立。

 その経緯で黒宮家は黒鳶家を分家代表としてそばに置き、黒鳶家も施設運営のために尽力してくれる黒宮家に忠誠を誓った。


 だが、時代の流れと共に人格がどんどん変化していった。

 黒宮家に対する忠誠心は表面上のものになり、黒鳶家も黒宮家以上の名声を欲しても分家代表として度が過ぎた行為と見做され、次第に鬱憤が溜まっていくのは自然だった。

 純昌は世間体しか考えない両親に嫌気が差し、学園在学中に血統主義の同級生達と関わるようになった。


 血統主義の考えは二つある。

 一つは、魔導士は誰よりも優れている存在であること。

 もう一つは、上より強い力を持つ者こそが強者であること。


 一つ目は当然だが、二つ目はそれこそ今後の魔導士界全土に渡るべき思想だ。

 上が弱ければ下は誰もついてこない。ならば、血筋も力も権力も何もかも優れた者が上に立つべきであると。

 現に今の黒宮家は、一年だけでも三件もの不祥事を起こしている。今までの功績を見ても彼らを切り捨てる時が来たと思っている。


 下を満足に従うこともできない上は不要。

 今の黒宮では、満足に役割を果たせずその名を地に堕とすだけ。

 ならば、黒宮の次に偉い黒鳶がその座を頂くことこそが道理だ。


 純昌が欲しいのは七色家の座であり、悠護の婚約者である豊崎日向はあくまで戦利品だ。

 息子の福政に負ければ、黒宮家の婚約者である彼女が新たな七色家になる自分達の物になるのは至極当然の流れ。

 普通より整った容姿をした婚約者を奪われる悠護の姿を思い浮かべながら、純昌は空になったグラスに新たなワインを注いだ。


 この時、日向の後ろ盾である実兄や元特一級魔導犯罪組織の長の存在を純昌は完全に頭の中で忘れていた。

 そしてそのさらに背後には、どんな頑丈なセキュリティでも突破するチートもいることすら、彼は知る由もなかった。



「うーん、黒鳶家もかなりヤバいことしてるね~。始まる前から完璧に勝者になると思ってる奴って、油断も隙もありまくりで扱いやすいねぇ」

「趣味が悪いな」

「同感」


 セキュリティルームの主である管理者が極悪人面かつ嬉々としてキーボードを叩く様を見て、陽は呆れ顔をしながらジークが漏らした呟きに答えた。

 彼の頭と背中に悪魔のツノと翼が生えているのは幻覚だが、今の管理者の状態を考えるとまさにピッタリだ。そもそもこの男は、純昌のような油断して絶望の淵に堕とされる人間の顔を見て愉悦を感じるヤバい奴だ。そう考えるとこれから同じ目に遭う純昌を含む黒鳶一家に同情はするも共感はしない。


 第一、陽の大事な妹を戦利品として奪おうとする連中なんぞに与えるものは死しかない。

 それはジークも同じで、頭の中で言語化できないほどの凄惨な光景を生み出している。

 背後で不穏な空気を出している二人を無視しながら、管理者は平然とキーボードを叩く。


「ま、これで黒鳶家……というか、彼が懇意にしている血統主義のバカ共を釣れたのはいい結果だね♪」

「ああ、まさかあの密造酒にも絡んでいたのは予想外だったがな」


 純昌が学生時代から懇意にしている血統主義の魔導士家系は、現在浮き彫りし始めた悪事の証拠隠滅に勤しんでいる。

 ジークがこの前担当した密造酒は、さらなる富を得ようとした血統主義の魔導士家系による犯行だった。魔法が関与した酒ならば普通に薬を売るよりも簡単で、裏ルートで売買すれば気づかれないと踏んだのだ。


 そこまでは順調だったが、ジークが作業員ごと工場を潰し、管理者とIMFの情報課のハッキング能力でこれまでの悪事が白日の下に晒されようとしている。

 しかも密造酒売買だけでなく、危険性の高い麻薬の大量栽培、未公表の最新の魔導具の流通――感心を通り越して呆れるほどの悪事が山ほど発見された。


 結果、主犯連中は証拠隠滅に熱心なのだが、残念なことにすでに証拠は取り押さえており、IMFからの通達で彼らの捕縛が決定された。

 明日の早朝、これまで得た権力も地位も彼らは全て失う。直接関りはなくとも親交があった黒鳶家は罪に問われることはなくても、これまで築き上げた後ろ盾を失う。

 たとえ勝っても、後ろ盾がなくなればすぐに瓦解する位置にいることにすら黒鳶家は気づいていない。


「でもさー、黒宮くんに勝てる見込みってあるの? データを調べた限りじゃ黒鳶福政は自然魔法系統が得意だし、腕も立つからちょっと手こずると思うけど」

「……いいや、あいつは絶対に勝つ」


 管理者の懸念を一蹴したジークに、本人は興味深そうに目を細める。

 管理者は自身の権限でジークが元『レベリス』の長であることは知っているが、日向達の前世との関りまでは知らない。どういう経緯で彼女らの手元に置いたのか不明だが、それでも管理者にとっては悠護の勝利を確信するジークに興味を抱くのは当然だった。


「へぇ……どうしてそう思うの?」


 意地悪く問いかける管理者に、ジークは口角を軽く吊り上げながら笑う。


「――教えるわけがないだろ、バカめ」


 返ってきた答えに口を引き結んで黙る管理者と呆れ顔に陽を見ながら、ジークは踵を返してセキュリティルームを後にした。



☆★☆★☆



 黒鳶家の地下には、自前のトレーニングルームがある。

 学園にある個別訓練場とは引けを取らず、戦闘訓練に必要な広さを十分に有している。ここまで揃えるのにかなり金がかかっているはずだが、いくら黒宮家に連なる分家とはいえ、本家よりも充実した設備を見るに一体どこから資金を調達しているのか疑問が生じる。

 こういった場合、九〇パーセントの確率で汚い金を使っている(前世の貴族社会の裏事情を参考)。


(相手の実力は知らないけど……少なくとも、あんな調子じゃ悠護の相手にはならないと思うなぁ)


 前世での実力、そして彼自身を信じているからこそ理解している日向は、目の前で見下しながら専用魔導具らしき短剣を構える福政を冷めた目で見つめる。

 黒鳶家側から用意された魔装も一流品だが、福政の魔装は明らかにオーダーメイドだ。しかも通常三つしか魔法を付与されないのに、彼の魔装はその三倍の魔法が付与されている。


 明らかに過剰かつ魔力消耗が激しい失敗作だと分かっているはずなのに、我が物顔で見せびらかす福政や勝利を確信している黒鳶夫妻の頭が信じられず頭が痛くなった。

 確かに魔導具や魔装においても付与している魔法が多ければ多いほどいいと考える者もいるが、日向からすれば不必要なものばっかり増えているという認識しかない。

 付与する魔法と魔力量を最小限に抑え、かつ高出力の魔法を発動させる魔導具と魔装こそが理想だ。


 現に前世の魔導具技術を知識でしか知らない樹でさえ、付与した魔法が多い魔導具と魔装を「無駄多い粗悪品」と断言したほどだ。

 とにかく、粗悪品同然の魔装や悠護の実力がある以上、この『決闘』は向こうが望む結果にはならないだろう。


「――それでは『決闘』を始める。両者、前へ」


 審判役を務めているのは、今回パーティーで招待された男性だ。

 第三者かつ公平な目を持つという理由から選ばれており、当然黒宮家とも黒鳶家ともあまり繋がりがない。そもそも『決闘』は魔導士にとって神聖なものだ、それを汚すような行為をした者は戦う前から敗者となり、しばらく後ろ指を指される羽目になる。

 さすがの黒鳶家もそんな真似はしないようで安心した。


 顎を上に向けて見下すポーズを出す福政とすでに《ノクティス》を展開し構える悠護。

 違う空気を纏う二人だが、それでもこの緊張感は慣れない。誰もが見守る中、審判役が腕を上げ、


「――始めっ!」


 降り下ろされた直後、短剣を構えた福政が攻めに入った。

 魔装に付与されている魔法効果で脚力が向上した走りは神速と言っても過言ではないが、リーチの短い短剣を大袈裟に振り上げる。

 敵が一気に詰め寄って武器を振るったら大半が怯えるが、悠護は平然としたまま《ノクティス》の片割れで弾いた。


 それほどの力を振るっていない、軽いジャブみたいな攻撃で短剣が放物線を描きながら後方へ弾け飛んだ。

 カラーン、と短剣が落ちる音を聴くも福政はすぐに右手を前へ突き出した。


「『イグニス』!」


 至近距離の攻撃魔法。ロクに防御魔法を展開する暇がなかった悠護は全身を赤い火に包まれる。

 鈴花が悲鳴を上げるも、朱美と徹一はじっと堪えるように見つめていた。もちろん日向も静かな目で光景を見据えていた。


「どうだ! これが僕の力だ! お前ら黒宮なんかもう用済みなんだよ!!」


 哄笑を上げる福政の声が響き渡り、黒鳶夫妻も勝利を確信した笑みを浮かべる。

 だが、その幻想も自分達の息子がことで幻想に向かっていた脳が現実に戻った。

 バキッ!! と音と共に殴り飛ばされた福政は「ぶべらぁ!?」と聞くに堪えない悲鳴を上げながら三回転しながら転げ回る。


 白目を向いて気絶した息子の姿に、絶句するも殴った犯人――悠護は無傷のまま拳を握った手を軽く振っていた。

 審判の方を一瞥すると、彼は福政の意識がないのを見て判断を下す。


「黒鳶福政、意識消失。勝者、黒宮悠護!」

「――ふざけるなっ!!」


 審判の宣言と共に純昌が怒声を上げる。

 顔を赤くしながら悠護へ近づく彼は、唾を飛ばす勢いで捲し立てる。


「こんなのは無効だ! 貴様が何かズルをしたのだろう!? じゃなきゃ息子が負けるはずがない!」

「そんなことはしてねぇよ。単純に魔法の威力が弱かっただけだ」

「弱いだと!? あの威力は間違いなく焼死してもおかしくはなかったッ!」


 純昌の言う通り、福政が放った魔法は焼死レベルの威力を持っていた。

 それなのに無傷でいる悠護を見て不審に思うも、ふと左手に持っている《ノクティス》の片割れの刃が変色していた。赤やオレンジが混じった色はグラデーションのように黒と混じりあっていて、美しい芸術品を思わせる。


「こいつは付与に特化した剣でな。?」


 あっけらかんと言い放つ悠護に、純昌だけでなく徹一でさえ絶句した。

 攻撃が当たる前に相手の魔法を自分の武器に付与させる? 理論上可能だが、そんな考えはあの一瞬で思いつくことは難しい。

 だけど、それは悠護だからこそできるのだと日向は知っている。


【創作の魔導士】クロウ・カランブルクは、一八年という短い生涯の中で作り上げた魔導具は一〇〇を超え、そのどれもが付与された武器ばかり。

『なんの変哲もない普通の武器に魔法を付与する』という彼の技術は現代にまで受け継ぎ、軍事としてではなく生活においても充分な働きをしている。

 そして、その彼の生まれ変わりである悠護が、


「とにかく、俺は勝った。『約束』はちゃんと果たせよ」

「こ……この卑怯者が……ッ!?」


《ノクティス》を腕輪に戻した悠護の姿に、目を吊り上げながら睨む純昌。

 だが、悠護は平然としながら薄ら笑いを浮かべる。


「『決闘』は俺が勝者、黒鳶福政は敗者となり俺達が要求した『約束』に従う。それが絶対ルール……だろ?」

「くっ……!」


 純昌の悔しさと忌々しさを半々にした呻き声を聞き流し、安堵の表情を浮かべる家族と婚約者の方へ歩く。

 徹一も朱美も鈴花も何も言わなかったが、彼らの双眸から『よくやった』と『頑張ったね』という気持ちが伝わってくる。そして、笑みを浮かべる日向が数歩前に出ると右手を軽くあげた。


「お疲れ様」

「おう」


 たったそれだけの労いの言葉。

 でもそれ以上の言葉は不要であると理解している二人は、笑顔でハイタッチを交わした。



「くそ! あと一歩のところで……!」


 執務室で乱暴に机を叩いた純昌の前には、沈痛な表情を浮かべる妻と息子が立っていた。

 福政は腫れた頬に湿布を貼った痛々しい姿だが、それすらも今の純昌の怒りを増幅させるものでしかない。

 勝てると確信していた『決闘』に無様に負け、黒宮家が提示した『約束』に従わなくてはいけなくなった。


 これで黒鳶家の七色家入りの夢は途絶えた。

 だが、それでもまだ手が残されている。


(こうなれば知り合いに頼み、黒宮家を亡き者にするしかない! あいつらの下で一生従うなど冗談じゃない!)


 幸い、純昌の知己である血統主義の連中は色んな支援をしてくれている。

 彼らを使えば、黒宮一家を皆殺しにするなど容易い。

 藁にも縋る気持ちで最後の希望に手を出すも、それは第三者によって阻まれる。


「あ……な……!?」


 体が動かない。いや、それどころか目の前にいる息子と妻も同じ目に遭っている。

 突然金縛りに遭い騒ぎ立てるも、暗闇から二人の男が現れた。

 一人は純白の髪とタンザナイト色の瞳をした男、もう一人はムーングレイ色の髪とスプリンググリーン色の瞳をした男。

 彼らは困惑する自分達を見て、呆れた表情を浮かべる。


「やれやれ……どうやら性懲りもなく悪事を働こうとしているな」

「そういう人種なのだろ。……それより、さっさとやれ。わざわざ休日に俺を駆り出したんだ、相応の仕事はしろ」

「ああ、分かってる」


 純白の男が足音を鳴らしながら近づいてきて、逃げる気持ちになるも体はピクリとも動かない。

 迫りくる男に、純昌は恐怖と怯えで支配された表情を浮かべながら叫ぶ。


「だ、誰だ!? 貴様、一体何をするつもりだ!?」

「安心しろ、治療だ。悪いことを考える人間の人格を変える治療を……な」


 人格を変える治療。

 言葉だけでは想像できない治療を施そうとする男に、泣き叫ぶ息子と妻の声を聞きながら純昌はさらに叫んだ。


「ここ、こんなことをしてタダで済むと思うな! 私に何があれば知り合いがお前達を始末すんだぞ!?」

「……ああ、お前の友人のことか? 残念だがあいつらはもうすぐ法に裁かれる。そうなったら、誰もお前を助けない」

「なあっ!?」


 最後の希望さえとっくの昔に奪われていたことをようやく知った純昌は、椅子に座った体を激しく動かす。金縛り状態でも上下左右なら動ける体は、椅子をギシギシとやかましい音を立てさせる。

 それでも純白の男――ジークはひどく冷めた目のまま、純昌の頭を鷲掴む。


「安心しろ。これからお前らは別人に生まれ変わる。……そう、初代当主のような一切の欲がない博愛主義者にな」

「や……やめ……やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 純昌の頭を鷲掴んだジークの手が、純白の魔力を帯びる。

 暗闇でも分かる魔力の輝きを感じながら、純昌の意識は絶叫と共に暗闇へと落ちていった。

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