第194話 前に進む気持ち、忍び寄る悪意

『そうか……文恵がそんなことを……』

「はい……申し訳ありません、お祖父様。このようなことで電話してしまって……」

『構わん。文恵のやり方も少し度が過ぎている。これを機にお前への見合い話は卒業までなししよう』

「……ありがとうございます」


 一人しかいない学習棟の部屋で総介との通話を切った心菜は、深いため息を吐きながら机にうつ伏せる。

 見合いの件はすでに総介に伝えた以上、文恵の見合い攻撃は止むはずだ。だが彼女の言動の数々を思い出し、薬を飲んだばかりなのに痛み始めた頭痛に顔を顰めた。


「頭が痛いのか?」


 ノックもしないで部屋に入ってきたのはノエルだ。

 今日はノエルに生魔法を教わる日で、二学期からこうして時間を作り勉強を教えてくれる。本人も現代の魔導医療について知ることができるということで、快く引き受けてくれて本当にありがたい。

 だが、いつもと違い落ち込んでいる様子の心菜を見て眉根を動かすと、白衣のポケットから鶯色の錠剤が入った小瓶を目の前に置いた。


「これは……?」

「薬だ。たったの二錠飲めば頭痛だけでなく腰痛等の身体的苦痛を和らげる。市販のものよりは効く」


 水が入ったコップをも用意され、言外に『飲め』と言われた心菜は言われた通りに二錠を小瓶から出して水と一緒に飲む。

 ノエルの薬は薬特有の苦味がないが、子供用に調整された人工的な甘味もない。カラメルソースのような甘味と苦味のバランスが上手く取れている。


 しかも飲んでから数十秒ほどしか経っていないのに、さっきまでズキズキした頭痛が和らいでいく。

 魔導医療学科でも薬作りの授業は入っているが、薬品同士を調合し魔法で錠剤や粉末状にするだけの簡単なものだ。しかも味は苦い一択で、ノエルのような薬を作れる人間はいない。

 ふぅっと息を吐いて血色のいい顔色になった心菜を見て、ノエルは満足そうに頷く。


「悩み事か?」

「そう……ですね。叔母からのお見合いの件で少し疲れてたみたいで……」

「見合い? いくら法的に結婚できるとはいえ、昔のように適齢期を気にする時代じゃない。さすがに早くないか?」


 心菜の話を聞いていたノエルは、理解できないという表情で眉間にしわを寄せる。

 ノエルが生きた時代は一三歳から一八歳までの女性は結婚適齢期で、その時期の間に結婚できなかった女性は行き遅れと言われていた。

 しかし現代では女性の社会進出もあり、晩婚化があるも魔導士は早婚推奨だ。結婚するにも卒業してからというのが、今の時代の常識になっている。


「叔母様はとても厳格な人で……自分の子供だけでなく、神藤家の後継者である私にもエリートコースに進ませたがっているんです。結婚もキャリアと考えているせいもあり、中学から見合いを何度か……」

「随分と古風な女だな。いくら家族とはいえ、人の生き方を自分の思い通りにさせようなど愚かだ」


 文恵のことを聞いて、ノエルは鼻で笑いながら紅茶を淹れてくれる。

 当時は紅茶なんて贅沢品はなかったが、一七世紀頃にアジアからイギリスに輸入されたのを機に『イギリスは紅茶が好き』という認識が生まれた。

 紅茶のせいで戦争まで発展したこともあるのだから、当時のイギリス人の紅茶へ対する愛がそれほどまでに強かったというわけだ。


「ひとまず、これでも食べて心を落ち着かせておけ」


 いつもの癖でフルーツの砂糖漬けを出すと、心菜は嫌な顔をひとつもせずにオレンジの砂糖漬けを食べながら紅茶を飲む。

 フルーツの砂糖漬けは当時の貴族にとっては贅沢品の一つで、昔はお茶の代わりに水と一緒に出して魔法について口論をしたものだ。

 ノエルもブドウの砂糖漬けを食べていると、まだ暗い表情を浮かべる心菜を見て一度息を吐いて口を開いた。


「昔と違い、今の時代は自由恋愛が許されている。もしお前が本気で一生添い遂げたいと思う相手がいるならば、たとえ相手を傷つけても突き通さなければならない」

「…………」

「もし、お前自身が望まないことがあったら、必ず助けを呼べ。……ここには、そういうお人好しばかりいるからな」

「……そうですね」


 ほんの少しだが表情を和らいだ心菜を見て、ノエルは安堵の息を漏らしながら紅茶をもう一口飲んだ。



 東京魔導具開発センター。

 東京都内にあるこのセンターでは、日夜魔導具の開発・研究が行われ、魔導具技師を目指す者達ですら厳しい試験や検査を通過しなければこのセンターに就職するのは難しい。

 もちろんこのセンターで働く者達は国から認められた優秀なスタッフばかりで、そのスタッフの許可の元センターを歩ける――いわゆるインターンシップに参加できた学生は内定者よりも少ない。


 そんな数少ない学生の一人になった樹は、『GUEST』のネームカードを首に下げながらイアンの後ろを歩いていた。

 左頬にある悪魔の翼を模した刺青はそのままだが、黒のシャツとズボンの上に白衣を着ている姿は美形効果もありつい目を惹く。

 途中で通り過ぎるスタッフが会釈や挨拶をすると必ず返し、女性陣はイアンを見てきゃーきゃーと黄色い声を上げるも、左薬指にしてある指輪を見て肩を落としながらがっかりしている。


「つか、あんたってルキア……じゃなかった、ヘレンと結婚してんのか?」

「いや、結婚はまだだが婚約していることはすでに伝えてある。……というか、憧れのセンターに入った感想はないのか?」

「さっきまであったけど嬉しさと興奮が一周して逆になくなった」


 事実、樹は車でこのセンターに着くまでの間は遠足を待ちわびる子供ように興奮していたが、いざ着くと嬉しさなどの感情がごちゃ混ぜになって逆に落ち着いてしまった。

 いざ中に入ると白を基調とした広々とした室内は、見たこともない機械や魔導人形を見るに試作品段階なのだろう。それでも学園ではお目にかかれない技術の数々に感嘆の息を漏らした。


 やはり学生がここにいるのは珍しいのか、じろじろと見られているがなるべく無視して首にかけられているカードキーを扉の隣に設置してある電子錠にタッチすると、扉は自動的に横へスライドする。

 部屋の中は一人で使うには充分な広さで、パソコンを乗せた机の他に左壁には本棚、右側にはベッドソファーと小型冷蔵庫と電子レンジが置かれている。


「ここで寝泊まりしてるのか?」

「新作の魔導具開発や月締めの時だけだ。それ以外はちゃんと家に帰ってる」


 ばさっと裾を翻しながら白衣をポールハンガーにかけると、小型冷蔵庫からコーラ缶を二つ出すとその内の一つを樹に投げ渡す。

 一回でキャッチした樹はプルタブを捻ると、イアンも同じように缶を開ける。


「ここにしばらく通うということは学園には通達してあるし、業務もかなり多いぞ」

「上等。ここの技術を盗んでやる勢いで喰らいつくからよ」

「そうか」


 ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべる樹を見て、イアンも小さく笑う。

 正直なところ、樹の魔導具の腕はいい。精霊眼持ちもあるが、回路や工程も丁寧で黄倉おうくら家主催のオークションではかなり高値で売りに出されている上に高い評価も得ている。


 だが、腕がいい魔導具技師は必然と軍事に関わる魔導具を作ることもある。

 このセンターだって魔導士専用部隊から依頼された魔導具を作ることもあるし、もしかしたら自分が作った魔導具で人を殺すこともあるかもしれない。

 センターにいるスタッフはそこまで考えていないだろうが、それでも可能性としては捨てきれない。


 しかし、そんなのは杞憂だったと樹の笑みを見て理解した。

 この男は、あのお人好しのように誰かのためになる魔導具しか作らない。もし人を傷つける魔導具を作る時があるのならば、それは大事なものを守る時だ。

 獲物を狙う獰猛の獣のような目つきでやる気に満ち溢れている若者の姿に、イアンはすっと缶を持つ手を持ち上げる。


「――なら、センターここの技術を盗めるよう精々頑張れよ」

「ああ、もちろん」


 互いに挑発的な笑みを浮かべながら、二人は手の中にある安い缶を合わせた。



☆★☆★☆



「ふぅ……」


 学習棟からの帰り、心菜は無事に充実した一日を終えて息を漏らした。

 ノエルとの授業は学科とは違い、家でも教わったことのない内容ばかりでとても興味が引かれた。薬の調合もまだ触りだけだが、薬草の葉の取り方や木の実の中身を取り出すやり方も一つ一つに細心の注意が必要であることも今日知り、それなりに実のある授業だった。


 寮へと帰る途中、左脇に数冊の本を挟みながら右手に開いたままの本を持つ日向の後ろ姿を見つける。

 二年生になって読めるジャンルが増えたこともあり、最近本を貸出も増えた。前世で施した『錠』のせいで一五歳まで一般人として生きていた日向は、一般組よりも色んな苦労があった。日々の勉強についていくために図書館で本を貸出たり、自分達と一緒に勉強したりとそれなりに努力してきた。


 だがアリナだった頃の記憶を思い出した彼女は、今までの努力と合わせて周りの学生よりも膨大な知識量と魔力を手に入れた。

 おかげで無魔法だけでなく他の系統魔法も上達したが、精神魔法は前世でも苦手だったせいで初級レベルしか使えないと思い知らされた時はひどく肩を落としたものだ。


 よたよたと危なげな足取りで進む日向の背を、パートナーの悠護が追いかける。

 追いつくとこつんと頭を叩いて、脇に抱えていた本を取り上げる悠護。日向は目をぱちくりしながらも頬を赤く染めながらお礼を言う。

 甘酸っぱい雰囲気が二人の間に流れている様子は、片想いをしている心菜にとっては羨ましい光景だ。


(私も……いつか樹くんと……)


 あの二人のように、仲睦まじい姿を。

 もちろん樹にだって誰かを好きになる権利があるから、心菜を好きになってくれる可能性は高くもなければ低くもない。

 だけど、それでも――心菜がずっとそばにいたいと思える相手は樹しかいない。


「――あれ? 心菜、そんなところで何してるの?」

「おーい、そろそろ日が暮れるぞ」


 目の前で日向と悠護が名前を呼ぶ。

 ぼーっと立っていた自分を気遣う声はとても優しくて、少しだけ沈んだ気持ちを上げさせてくれる。

 暗い表情を消して、いつもの笑みを浮かべながら心菜は一歩を踏み出す。


「――うん、今行くね」



「はあ……全く、どいつもこいつも使えないな」


 IMF日本支部、上層階にある会議室を出たギルベルトは苛立っていた。

 日本全国で活発化している魔導犯罪の収束は未だ兆しが見えず、七面倒な外交に付き合わされた。

 しかもこの後はその延長であるパーティーにも参加しなければならない。

 いくら王族としての役目だと理解しても、このごご時勢に呑気なものだと憤りを隠せない。


 表に用意されたリムジンに乗ると、護衛として連れてきたヘレンが足を組んで後部座席に座っていた。

『レベリス』だった頃の同じ格好をしている彼女は、イアンが樹の面倒を見るためにしばらく帰れないと連絡をもらい、その間暇だからという理由でギルベルトの護衛として派遣要請した。


 ギルベルト自身は護衛がいてもいなくても問題ないのだが、やはり『王子』という肩書きがある以上、何もしないわけにはいかない。

 正直、ヘレンが申し出てくれたおかげで助かった。


「随分と気分が悪いわね」

「ああ、魔導犯罪は未だ収束しとらんし、しかも外交官の連中のゴマすりはウザいを通り越して気持ち悪い。これで気分が悪くならない奴などいるか?」

「いないわね」


 ギルベルトの発言にあっさりと肯定したヘレンは、備え付けの冷蔵庫から果汁一〇〇パーセントのリンゴジュースの瓶とテーブル下に置かれたグラスを二人分取り出し、蓋を外して黄白色の液体をグラスに注いだ。

 キンキンに冷えたそれを一気に飲み干したギルベルトは、もう一度深いため息を吐いた。


「しかも魔導犯罪の収束が遅れている理由を七色家のせいにしている連中も増えている。このままでは、七色家に変わる魔導士集団の設立さえ考えられるぞ」

「呆れた。自分達の不手際を他人のせいにするなんて」

「ああ同感だ。……それに……」


 ふと険しい顔つきをして黙り込んだギルベルトに、ヘレンが訝しげに顔を歪ませる。


「どうしたのよ?」

「その新魔導士集団の設立を目論んでいる連中なんだが……どういうわけが、始祖信仰――それも『新主派』の信者ばかりなんだ」


 始祖信仰。

 四大魔導士を『神』として信仰している新宗教で、非信仰派は先の事件で壊滅状態。残っているのは信仰派の中で二分された『伝統派』と『新主派』だ。

 『伝統派』は文字通り四大魔導士と〝神〟を信仰対象にしているに対し、『新主派』は四大魔導士と〝神〟の代わりとなる信仰対象を崇めている派閥。この二つの仲はまさしく水と油だ。


 その『新主派』が新魔導士集団の設立に賛同している。

 あまり考えたくない事態を引き起こす可能性も高いうえに、始祖信仰が根強いイギリスの王子であるギルベルトとしてはなるべく穏便に解決したい。


「……なら、そっちの件は私が探りを入れるわ」

「いいのか?」

「ええ、資金運用は上手くいっているし専業主婦業に専念しても時間が余っているの。……それに、そろそろ体を動かしたいしね」


 ヘレンはカロンの非人道的実験によって改造された魔導士だが、その実力は折り紙付き。

 彼女ならば捕まって尋問されるなどそう簡単に起きないだろう。


「分かった。頼むぞ」

「ええ、もちろん」


 にやりと少しだけ強気な笑みを浮かべるヘレンを見て安心したギルベルトは、今から参加する面倒かつ陰鬱なパーティー会場に向かうべく、自分の瞳と同じ色をしたネクタイをきっちりと結び直した。

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