第195話 そうして二人は歩み出す

 文恵との喧嘩から数日後、日付は一〇月一七日になっていた。

 あれ以降なんの連絡もなく、ただ時間が過ぎていくたびに心菜は文恵が裏で何をしているのではないかと不安に駆られる。

 そもそもあのメールのせいで曜日を忘れていたが、今日は土曜日だ。午前授業しかないとはいえ、日曜日のように出入りの制限が緩くない日にさすがの叔母も学園に無理矢理入ってくるような真似はしないだろう。


「そういえば今日樹が戻ってくるっけ?」

「ああ、インターンシップといってもセンターの滞在期間は一週間以内だって決まってるからな。日付を考えるとそろそろだと思うぞ」

「センターの連中も案外ケチなんだな。知識欲のある学生を中途半端のまま追い出すとは」

「あそこは未発表かつ情報制限が高い魔導具の開発もあるからな。変に長居させて情報漏洩されたら元の子もないだろ」


 最近忙しかったギルベルトと一緒に会話をする日向達を横目に、心菜はこっそりと教室を抜け出す。

 日向達には悪いが、早く樹に会いたいという気持ちが抑えきれない心菜は、なるべく早足で校舎を出た。

 校舎から校門までの道のりは長いが、魔導士である心菜にとっては軽いジョギングのようなもの。履き慣れたローファーで石畳を蹴りながら、校門と通り過ぎる。


 センターまでの道のりは最寄り駅から車で二〇分の場所にある。

 樹はイアンの車でその駅に行き、あとは普通にモノレールに乗って駅からここまで徒歩で帰ってくる。

 インターンシップの間は連絡の制限がされていたせいで、ロクに連絡は取れなかったけれど、ようやく戻ってくると思うと嬉しさが高揚してくる。


 校門を通り過ぎて駅まで続く道の近くまで行った直後、心菜の体は氷のように固まる。

 心菜の隣で止まった黒塗りのリムジン。身に覚えのある車から出てきたのは、控えめながら優雅さを感じられる着物姿の叔母。

 彼女は鋭い双眸で心菜を睨みつけると、問答無用で彼女の手首を掴んだ。


「お、叔母様、なんでここに……!?」

「心菜さん、あなたに来てもらうところがあります。拒否は許しませんから」

「ま、待って、お願い離して! 叔母様!!」

「――心菜!?」


 後ろから追いかけてきた日向達の声に振り返るも、文恵は舌打ちをするとそのまま心菜をリムジンの中へと引きずり込む。

 すぐに察した日向が手の平で水を生み出したのを最後に、リムジンは猛スピードでその場から離れていく。

 ドアにへばりつく心菜の姿が見苦しいものに見えたのか、文恵はやれやれと肩を竦める。


「いい加減にしなさい。あなたは神藤家の当主として、そして会社の社長として競争激しい魔導医療界に生きていくのよ。そのためには、やはりあなたの身に合ったいい人と結婚する方が一番なのよ」

「…………叔母様は本当に反省していないのですね。ここまでして、お祖父様達が黙っているはずがありません」

「そうかもね。けれど、ここまで来たからにはもう引き下がれないのよ」


 無味乾燥な返事を返す文恵に、心菜はもう言い返す気力がなくなった。

 文恵の思考回路は選民主義者達と似ているが、あくまで文恵が気にしているのは自分のキャリアと心菜の将来。普通の選民主義者より性質タチが悪い思考を持つ彼女が、心菜のことを本当の意味で理解することすら放棄している。

 好きな人と結婚して、家庭を築くというささやかな夢の素晴らしさすらも。


 家柄もよくて、会社として得のある男性との結婚が一番の幸せだと、文恵は本気で思っている。

 思考も生き方も違う相手と理解することなど、ほぼ不可能に等しい。

 だが、叔母の言う通りにするほど心菜は従順な少女ではない。


(ごめんなさい、叔母様。それでも私は――自分で自分の幸せを掴み取りたいの)


 沈黙で支配されたリムジンが、高級感のあるホテルへと向かう。

 車の頭上を飛んでいた透明な水鳥は、全身を空色に染めると迂回し主の元へと戻っていった。



「はあ!? 心菜が連れ去られただぁ!?」

「ああ、遠目だったが連れ去った相手は彼女の叔母だ。一度見た時から少しばかり印象があったからな、覚えていた」

「あー、確かに。選民主義者と似た雰囲気してたよな、そりゃ忘れられねぇわ」


 学園に帰って早々、心菜が誘拐されたと聞いた樹は驚きのあまり持っていた荷物をアスファルトの上に落とした。

 だがその実行犯が彼女の叔母だと知り、少しだけ頭が冷えたが悠長に帰りを待つという考えに至らないのは、自分の胸の中が変に騒ぎ立てるせいだ。

 悠護とギルベルトの横で黙り込んでいた日向が空を強く睨みつけると、すっと右腕を上に伸ばす。


 ぱたたっ、と軽い羽音と共に現れた空の色と同化した水鳥。もちろん普通の水鳥ではなく、鳥の形をした水だ。

追跡の水鳥トゥラクキング・フリクス』。追尾機能に特化したこの魔法は、目的の相手がいる場所まで飛び、相手がいる場所を見つけると全身が空色に色づく。

 この水鳥の前身はすでに空色に染まっている。心菜の居場所を突き止めたという証だ。


「はい樹」

「えっ?」

「えっ? じゃない。この子使って早く追いかけなよ」

「な、なんで俺に……?」

「目。心菜を探す気がすごく伝わってくるよ」


 日向の指摘に、樹は反射的に目が指先に触れた。

 態度ではなるべく隠していたが、目というのは人間の反応を判断するとしては一番目立つ場所だ。

 思わず黙り込む樹に、日向はため息を吐きながら言った。


「心菜さ、叔母さんからの見合い何度も断ってるんだけど、前に出かけた時に大喧嘩してそのまま泣いたんだよね」

「え……?」

「その時に言ってた。『私は好きな人と結婚して幸せになりたいのに、叔母様はそれすら許してくれない。普通の幸せを望むことって、そんなに悪いことなの?』……って」


 日向から語られる真実に、樹は絶句する。

 部屋は防音性が高いせいでちょっとした叫び声をあげても隣には聞こえない。その向こう側で、心菜が泣いていたことも悩みを零したことも今日まで知らなかった。


「今は自由恋愛は許されてるし、もし本人の意に沿わない結婚ならあたしは全力で止めるよ。……でも、今の心菜が待っている人はあたしじゃない」


 そっと、樹の左肩に水鳥が乗せられる。

 水でできた鳥なのに、液体特有の感触しか伝わらないそれがじゃれるように樹の首筋に擦り寄った。


「それで? 樹は心菜が家柄も人柄もいいどこぞの馬の骨と結婚しても後悔しないの? 何もしないままでいいの?」


 日向らしくない挑発が決定打になったのか、樹は無言のまま踵を返し叫ぶ。


「――いいわけあるかああああああああああああああああっ!!」


 校門にいた警備員すら驚かせた大声と共に、樹は地面を蹴って走る。

 肩にいた水鳥が空へ羽ばたき、その姿を見失わないように、精霊眼を使いながら目的地へと足を進めた。



☆★☆★☆



 白地に緑色を基調とした花や青海波が刺繍された振袖を身に纏い、長い髪を高く結い上げ花を模した髪飾りで飾られる。丁寧に化粧も施され、足袋の下から草履を履けば令嬢として相応しい姿になる。

 正月でも振袖を着ることはあるが、今まで着ていたものよりワンランク上なのは生地の肌触りで分かった。


「まあ、とても素敵よ。でも少し派手すぎたかしら?」

「いいえ、そんなことありませんよ。元がよろしいからどんな色の振袖でも似合います」

「そう? ……あら、ちょっと髪飾りがずれてるわね」


 ふとやや傾いている髪飾りを見て文恵が手を伸ばそうとするも、心菜はふっと首を軽く横に向ける。

 そのまま自分で位置を直す姪を見て、文恵は呆れたように息を吐く。


「……抵抗しても無駄よ。今日、あなたは私が用意した相手と婚約するの。これが終わってしまえば、あなたの自由は一切許されない。そのことをちゃんと自覚なさい」


 行きますよ、と異論を唱えられない強い口調で告げられ連れられた先は披露宴会場。

 着物やドレス、礼服姿の老若男女が大勢集まり、目の前の金屏風には心菜より少し年上の男性とその家族らしき男女が揃っている。

 無言のまま文恵の方を見ると、彼女は顎を軽く動かして男性の隣に行くよう急かす。今はまだ逆らう時ではないと踏んで、心菜はゆっくりと男性の隣に立つ。


 癖のない黒髪をした男性は大人しそうな顔立ちだが、同じ黒色の双眸からは知性的な光が見える。

 一目見たら恋に落ちてしまいそうな王子様のような男性ひと。だけど、心菜にとっての王子様は、この人ではない。


『えー、皆様。本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。この度はわが社神藤メディカルコーポレーションの神藤心菜さんと、大路財閥の大路秀樹さんとの婚約を正式に発表――』


 文恵が嬉々とした表情でスピーチをする。

 これで心菜は、彼女が望むエリートコースに進み、輝かしいキャリアを築き上げると信じているのだろう。

 だが、心菜は言うことを聞いて動くお人形ではない。意思を持った立派な人間だ。


 バッ、と振袖姿からは想像できない俊敏な動きで文恵からマイクを奪う。

 不意を突かれた文恵が目を丸くしているのを横目に、心菜は叫ぶ。


『私は彼とは婚約しません! だって、私には、心に決めた人がいるから――!』

「――その婚約ちょっと待ったああああああああああああっ!!」


 心菜が宣言しようとした直後、バンッ!! と披露宴会場の扉が乱暴に……いや蹴り飛ばしながら開けられる。

 開かれた扉の向こうでは、汗を流しながら荒い息を吐く好きな人――心菜が待っていた相手が立っていた。



「樹くん……!」


 嬉しさで駆け寄ろうとする心菜の手首を、文恵が細身からは想像できない力で掴み止めた。

 眉間に深いシワが刻まれており、鋭い双眸はさらに鋭さを増して樹を睨みつける。


「あなたは心菜のパートナーの子ね。なんの用なの? この子の大事なお披露目が台無しして」

「はっ、嫌がる姪を無理矢理婚約させといて何言ってんだよ。つか、さっき心菜も『婚約しない』って言ってた気がするけど? つか、アンタに心菜の将来を決める権利なんかねぇよ」


 樹の言葉が文恵の何かに触れたのか、ピクリと眉根が動くもすぐに平静さを取り戻す。


「……あなたが何言おうとも、この婚約はもう決定してるの。この子には拒否する権利はないし、あなたが邪魔をする権利もない。無関係な人間が出しゃばるんじゃないわよ!」


 樹の口調に若干の苛立ちを見せるも、文恵は済ました顔を貫く。

 この婚約は神藤家の、そして心菜の将来にとって佳きものになる。それをこんな素養のなっていない少年のせいで台無しにされたくないと文恵は考えている。

 だけど、樹ははっと鼻で笑いながら蹴破った扉の方へ親指を向けた。


「俺にも心菜にも権利はないなら……には口を挟む権利はあるよな?」


 訝しげな表情で文恵が扉を見た直後、ひゅっと息を呑む。

 樹の背後に立つのは、厳しい表情を浮かべる総介。その両隣には心菜の両親である和仁かずひと響子きょうこが立っている。

 この婚約は彼らには伝えないように情報を隠したはずだ。なのに何故、と文恵が自問自答するも総介が鋭く睨みつけた。


「文恵、まさかこのようなことをするとはな……お前には失望したぞ」

「っ、ですがお父様! 心菜は神藤家を継ぐ子です、彼女が悪い男に捕まって不幸になる前にいい人と結婚することこそが一番の幸せじゃない! 私は間違ったことはしていない!」


 文恵の言い分は世間一般で見たら正しいだろう。

 家庭内暴力や育児放棄などの問題もある中、子供が親を選べない限り予想より悲惨な未来が待ち受けている可能性はある。

 そうなる前に良い相手と結婚させるという考えは、女性としては間違いではない。だが、家族としては間違っている。


「文恵、それを選ぶのは心菜自身よ。心菜の人生は心菜のもの、私にもあなたにも口を出す権利はない」


 響子の鋭い一言に、文恵ががくりと項垂れる。

 目の前で起きている出来事についていけない招待客は騒ぎ立てるも、和仁が深く頭を下げたことで騒ぎが収まる。


「お騒がして大変申し訳ありません。この度は身内の勝手な行動によって、皆様にご迷惑をおかけしたこと深くお詫び申し上げます。……大路氏も多大なご迷惑をおかけしました」

「構いません。元々、私にも心に決めた方がいますので。もし数秒早かったら、私が騒ぎを起こしていました」


 どうやら大路にも結婚を考えている女性がいるらしいが、一般家庭ということもあって結婚を反対されていたらしい。この婚約も親から頼まれたものらしく、恋人との結婚を諦めていたところに心菜が婚約の取り消しを言った時はまさに天からの助けだったらしい。

 神藤家側から婚約を取り消され、せっかくの用意された料理がもったいないということで普通のパーティーとしてそのまま使うようになった。


 招待客もまさかの婚約取り消しに驚くも、両家からの謝罪とパーティーの再開をしたことでそれほど怒っていない様子だった。

 なんとか婚約を阻止できて安堵した心菜だったが、樹に手を取られて目を丸くする。


「俺達も帰ろうぜ。もう用はないだろ?」

「うん、そうだね」


 樹の言葉に同意した心菜は更衣室として部屋で振袖を脱ぎ、制服に着替えると外で待っていた樹の手を繋いでホテルを後にする。

 スマホで日向達に連絡を取って無言で歩く二人だったが、しばらくして学園に近い人気のない場所で立ち止まる。


「樹くん……?」

「……なあ、心菜。さっき心に決めた人がいるって言ってたけど……それって、誰なんだ?」


 さっきの宣言を聞かれていたのだと気づき、心菜の頬が紅色に染まる。

 だけどどこか悲しげで諦めた表情を見せる樹を見て、表情を緩ませながら告げる。


「…………樹くんだよ」

「え……?」

「私、樹くんのことが好き」


 心菜からの告白は、樹に大きな衝撃を与えた。

 今まで家柄の違いで諦めなければいけないと思っていた相手からの告白は、これまで魔導具や金のことで頭がいっぱいだった樹にとって威力が強かった。

 だけど。

 言葉にできない想いが、嬉しさが体の中で爆発を起こし、優しく微笑む心菜を抱きしめた。


「い、樹くん!?」

「…………も」

「え?」

「俺も……お前のこと、好き。できることならずっとそばにいて欲しい」


 耳朶を打ちながら囁かれる言葉に、心菜は息を呑む。

 だけど耳元を真っ赤にして、震えた声で告白してくれた少年の想いが真摯に伝わってくる。

 そっと背中に腕を回し、さらに互いの体を密着させる。


「……私でよければ、ずっとそばに置いてください」

「お前がいいんだ……お前しか、いないんだ。心菜」


 想いを告げ、結ばれた二人は自然と体を離す。

 色の違う双眸を見つめ合い、二人はゆっくりと互いの唇を触れ合わせた。

 優しいぬくもりと湿った感触はほんの数秒しか味わなかったが、それでも二人にとって幸せなものだ。


 照れ臭い顔を浮かべながら、心菜と樹は手を繋ぎ直し歩き始める。

 大事な友がいる、学び舎に帰るために。

 そして、今まで二人の恋路を応援してくれた者達に感謝を伝えるために。

 二人の足は、同じ歩幅で帰り道を歩んだ。

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