第153話 取り戻す覚悟と歩み寄る決意

 イギリス・ロンドン。

 魔導大国として名を馳せる国の首都は今、大きな暴動が起きていた。

 魔導士の始祖・四大魔導士を唯一伸として崇める『始祖信仰』、その反勢力である非信仰派による暴動は、破壊と暴虐の限りを尽くしている。


 建物の壁が抉れ、車を燃やし、魔法による戦闘は日に日に過激さを増す。

 シェルターがあるとはいえ、地上での行動は音と振動で伝わって、避難する国民の不安を煽るばかり。昼夜問わないそれは、IMFの魔導士達でさえ手に負えなくなっていき、イギリス最強の魔導士集団『時計塔の聖翼』さえも導入する始末だ。


 首都の中で広大な敷地があるバッキンガム宮殿は、宮殿内に仕掛けてある魔導具による結界で守られているが、さすがの非信仰派も王族には手を出す気がないおかげで被害はない。

 だが近隣住民をこの宮殿にも匿わせている以上、警戒態勢は今も解いていなかった。



『継承の儀』から二週間も続く『レベリス』を黒幕とした非信仰派による暴動――後に『叛逆の礼拝』と呼ばれる事件が始まった。



☆★☆★☆



 暴動が起きる中、宮殿の応接間は重い沈黙が下りていた。

 室内にいるのは一〇人。

 日向を除く日本からの賓客である悠護、樹、心菜、陽、怜哉、それと王室関係者であるギルベルト、ヴィルヘルム、アレックス、ルナ、そしてティレーネだ。


 本当なら【起源の魔導士】の生まれ変わりと予言されたアイリス・ミールが入れるはずだったが、彼女が『継承の儀』の際に偽者だと通告されたショックで自室として与えられた部屋に閉じこもって寝込んでいる。

 ほんの数日前まで【起源の魔導士】の生まれ変わりとして信じて疑わず、周囲から過度な期待を背負いこんだにも関わらず、偽者だと言われたら誰だってショックを受けるだろう。


 それも、【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの従者であり『落陽の血戦』の首謀者、そして今の暴動を起こした犯人である特一級魔導犯罪組織『レベリス』の長であるジーク・ヴェスペルム本人から言われてしまえば。


 彼の言葉が全て真実なのは、すでに陽とティレーネの証言によって明かされ、その時のアイリスの顔色が青を通り越して白くなり、そのまま失神してしまった。

 もちろん最初は偽者であったアイリスに対して悪意ある言葉をかける者もいたが、ギルベルトが政府とIMFの上層部による軽はずみかつ確証のない断定を下したことが原因――要は自業自得だと告げると、彼らは一斉に黙り込んだ。


 その後は暴動の鎮圧と『レベリス』と日向の捜索のために宮殿内は騒がしくなったが、今の悠護達にはそれよりも優先すべきことがあるためこの応接間に集まったのだ。

 ジークが言った、あの『【創作の魔導士】クロウ・カランブルクの生まれ変わりは悠護』だという真実を知るために。


「……一つ聞いていいか? 先生とギルは……知ってたのか? 自分らが四大魔導士の生まれ変わりだって」

「せや」

「ああ」


 悠護の質問に、二人はあっさりと答えた。

 認めた二人の態度が平然とする反面、他の者達の反応は困惑しかない。

 だけど陽はいつもと変わらない顔で言った。


「ワイらの前世で死ぬ前、転生しても記憶と力を保持したまま生まれ変われるよう自分達に魔法をかけた。もしアリナとクロウが生まれ変わっても、それが分かるように」

「なんで、そんなことを……?」

「オレ達は『落陽の血戦』後、深い爪痕を残す国を立て直していた。だけどアリナの日記にある一通の手紙が挟まっていたんだ」


 思い出すかのように目を伏せるギルベルトは、ぎゅっと両手を握りしめながら言った。


「『私は再びこの世界に生まれ落ちる』……そんな手紙がな」

「……!」

「もちろん、最初は信じなかった。筆跡は完璧にアリナのものだったけど、転生なんてそんなものはないものだって思い込んでいた。けど……あいつの部屋の本棚から、転生に関わる魔法をまとめた資料を見つけた。……それが、オレ達が転生することを決めたきっかけだ」

「あの子は分かってたんや、自分が遠い未来に生まれ変わるって。確証はなかったけど、可能性だけは捨てきれていなかったんや」

「それで……二人はその資料を使って転生の魔法をかけたんですか?」


 心菜の言葉に二人は頷いた。

 転生――現代でもライトノベルの要素として使われているメジャーな要素。自分達にとっては縁遠いものだったけど、今の話を聞く限りではそうではないと思い知らされる。

 現に、こうして転生している人間が目の前にいるのだから。


「それから、ローゼン様は国を治めるために残り、ベネディクト様は巡礼の旅に出た後、しばらくしてお二人はお亡くなり、こうして転生を果たした……と、いうことですね?」

「ああ。ワイの力は六歳くらいに戻ったけど、記憶は日向が生まれる数ヶ月前や。あの時、おふくろのお腹の中の赤ん坊がアリナだって分かった時はひどく動揺したで」

「オレのそのくらいで力が戻ったな。記憶の方は……一四歳の冬だな、その時に思い出した」

「一四歳……それ、毒殺未遂事件があった年だよね? ギルが危うく三途の川を通りかけた時のでしょ」

「そうだ」


 あっさりと兄の過去を暴露した三男と、それにあっさり答えた長男の会話に誰もが苦笑いした。


「だが……はっきり取り戻したのは百貨店での事件の時だ。それまでは記憶のところどころに靄がかかっていたんだ」

「なるほどね……君が豊崎さんにあまり積極的にアプローチしなくなったのは、その時思い出した記憶のせいだんだね?」

「そうだ。ちなみに訂正しとくが、ローゼンだった頃もアリナのことを一人の女性として愛していたぞ」


 ギルベルトの暴露に、気を落ち着かせるために紅茶を飲んでいたヴィルヘルムが吹いた。

 隣で咳き込む弟を横目にギルベルトは言った。


「その時にはすでに婚約者がいて、クロウとアリナが相思相愛だったことに気づいていた。それが分かっていたから、オレは潔く手を引いたんだ。今のこれはその時の反動だな」

「つまり……ギルは前世での恋を諦めたから、今世では積極的になったと?」

「相変わらず情熱的な方ですわね」

「情熱というか……粘着質というか……」


 今のギルベルトを言い表す言葉がないせいで複雑そうな顔をする面々。

 そんな中、悠護は沈痛な表情で黙り込んだままだった。真紅色の瞳に暗い陰が落ちているのに気付いたのか、陽は頭を掻きながら言った。


「悠護……あんたがクロウだってことは入学式の時から気づいていた。だけど、何度も話してあんたは記憶はまだ取り戻してないということも分かった」

「なら……なんで言ってくれなかったんだよ。もちろん言われたら言われたで動揺はしたかもしれないけど、なんで今まで……」

「それは……あんたが日向のことを好きになったからや」


 核心を突かれ、悠護は奥歯を噛み締めた。

 この男は全て見通していた。悠護が日向に特別にしていたことも、一人の女として好きになったことも、そして――その感情が前世からのものだと悩んでいることも。


「日向が前世で施した『錠』が綻んでいたのは、さすがのワイも気づかなかった。最初は魔導士にさせてもうたことを深く悔いたけど、悠護がパートナーになった時、これは運命やと思った。覚えていなくても二人は確かに前世で愛を誓い合った仲やったって……けど、仲良くなっていくにつれて、ワイは真実を告げるのが恐ろしくなった。

 もし今の感情が前世のものやって思い込んで、二人の仲が壊れるんやないかって。そう思ったら……すごい怖なって、墓に入るまで永遠に隠そうと決めた。けどまさか、こんな風にバラされるなんて……」


 頭を掻きむしる陽の顔は、ひどい後悔と痛みを浮かべている。赤紫色の瞳が僅かに潤んでいるのを見て、誰もが理解した。

 いくらギルベルトも前世の記憶を持っていようと、当時は陽しか記憶を共有できる相手はいなかった。家族にすら秘密するには、あまりにも重すぎる。


 たとえ何も覚えていなくても、何も知らないまま幸せに暮らせたらよかったかもしれない。

 けれど真実を知った以上、このまま無視するわけにはいかない。


「……なあ、もう一つ質問していか? 俺の前世の記憶って……どうやったら取り戻せる」

「っ! 悠護、お前……!?」

「可能性はある……けど、絶対の保証はないで」


 悠護の言葉に樹が衝動的に立ち上がる横で、陽は静かに告げる。

 前世の記憶を取り戻すなんて、そんなの魔法でも不可能だ。それ以前に仮に記憶を取り戻して、彼自身が無事である保証もない。

 陽とギルベルトは生前に転生に必要な魔法をかけていたおかげで、今の人格を保持したまま現代を生きている。


 だけど、一切の術を施されていない悠護が記憶を取り戻した場合、どうなるかは分からない。

 もしかしたら今まで培った記憶が全て前世の記憶に支配されて、これまで築いた関係がゼロになる可能性もある。


 そんなデメリットがあることくらい、悠護だって覚悟の上だ。

 たとえ人格が変わって、何も思い出さなくなっても、自分にはやるべきことがある。

 

 ――日向を救う。そのためならば、神をも恐れる禁忌にも手を出す。


 すでに覚悟が決まっている悠護の顔を見て、反対しようと立ち上がった樹はゆっくりと口を噤んだ。

 あの真紅色の瞳が強い光を宿した時は、どんなに言っても決めたことを絶対に曲げないと決めた時だと、それくらい分かっていた。


(でも……あいつが無事でいられる可能性もないわけじゃないよな……)


 確率は五分五分。

 今の人格を保有したまま前世の記憶を取り戻すか、人格を消され前世の記憶を取り戻すか。

 どっちに転ぶかなんて自分のような矮小な人間に分かるわけがない。

 でも、もし叶うなら――自分が望む結末になって欲しい。


 樹が「はあぁぁぁぁぁっ」と深いため息を吐くと、バシンッ! と悠護の肩を叩いた。「痛ってぇ!?」と叫ぶ親友の声を無視し、そのまま肩を組んだ。


「しゃーねぇな。前世の記憶でもなんでも取り返して来いよ、今のお前のままでよ!」

「……ああ、そのつもりだ」


 完璧に覚悟を決めた悠護の言葉を聞いて、カップの中の紅茶を飲み干したティレーネはソファーから立ち上がって言った。


「では、善は急げ。案内するわ、クロウ様の聖遺物があるわたくしの居塔きょとうへ」



 応接間を出たヴィルヘルムは、後ろについてくる片割れの存在を無視しながらアイリスの部屋に向かっていた。

 あの日以来、アイリスは部屋に閉じこもって誰とも目を合わせない。


 唯一入室を許可されたメリッサから様子を訊くと、最初の三日は食事も睡眠も摂らず会話どころか部屋の入室を許可しなかったが、今は人並みの食事も摂るようになってメリッサだけだが部屋の入室の許可も出せるまで回復した。

 だが、やはり今まで【起源の魔導士】の生まれ変わりとして扱われた経緯のせいで、人前に出ることができなくなってしまった。


『継承の儀』から何度も部屋に訪れているが、一切返事はない。

 何度も「顔を見せてくれ」「声を聞かせてくれ」と請うても、閉じられた扉から声が聞こえることはなかった。

 それでも、今のアイリスを放っておくことだけはできなかった。


「ヴィルって意外と一途だよねー。俺さえもびっくりしたよ」

「うるさい。それよりお前、一体どこまでついていくつもりだ」

「俺はもう少ししたら離れるよ。ベロニカがこっちの部屋にいるから方向が一緒なだけだって」


 アレックスの婚約者であるベロニカも、王族の関係者ということで宮殿の一室に匿われていることは知っている。

 内気な上にマルム症候群を患っているが、園芸やピアノの腕はヴィルヘルムも認めている。奇天烈な行動ばかりする愚弟を宥めることができる彼女は、一目惚れで婚約者に決めたアレックスにとっては自分がアイリスを大事に思うと同じように、きっと大事なのだろう。


 ヴィルヘルムは、王族の中で普通の人間として生まれた。

 王族の中にはヴィルヘルムのような非魔導士として生まれることはあったが、魔導士として生まれなかった時点で一部の重臣からは『落ちこぼれ』として蔑まれる。

 勉学と剣の腕は誰にも負けない自信はあるが、王位継承権は魔法の腕によって左右されるため、ヴィルヘルムが王座につくことはゼロに近い。


 物心ついた頃からその事実だけは理解していたし、次期国王となる兄の手助けになる立場になれさえすればいいと思った。

 アレックスはどちらかというと研究の方に力を入れて、魔法の発展に繋がる仕事がしたいと公言している。今までの問題はその副産物だ。


「……アレン。一つ訊かせてくれないか」

「何?」

「お前は……ベロニカとどう接しているんだ?」

「え、なんでそんなこと聞くの?」

「私は……アイリスのことが好きだ。彼女が【起源の魔導士】の生まれ変わりでなくとも、愛する自信はある。……だが、向こうは私のことなど男として愛してはいない」

「それは……まあ……」


 そもそも悠護との決闘の発端は、アイリスが彼に口づけをしたことだ。

 判断材料はそれだけしかないけど、彼女が悠護のことを好きになったのは確実だ。それ以前にメリッサから「ユウゴはわたしの王子様なんだよ」とアイリス自身が語っていた。


 たった二ヶ月ほどだが、ヴィルヘルムは彼女に色々と尽くした。

 今の状況を考えると自分がしたことはあまりにも厚遇すぎていて、逆にアイリスを追い詰める原因になった。


 ならば、この失敗を挽回して王子としてではなく一人の男として愛したい。

 王子という身分目当てで狙ってきた令嬢を相手してきたせいで、女性の扱いは社交界での対応しか分からない。

 だからこそ、愛する女を婚約者にしたこの弟の意見を訊いてみたかった。


「うーん……接し方かぁ。俺の場合、色々あるよ。書庫で一緒に読書したり、園芸の手伝いしたり、彼女のピアノの演奏を聴いたりとかそれくらい」

「それだけなのか……? 豪華な贈り物をしたとか、有名な観光地に行ったとか、そういうのはないのか?」

「んー。ヴィルはちょっと勘違いしてるね」

「勘違い? 一体何が勘違いだと言うのだ」


 奥歯に物が挟まったような言い方に、ヴィルヘルムは若干苛ついた。

 女というのは煌びやかな宝石を欲しがり、豪勢な場所に行くことを望む生き物。自分の答えは正解なはずだ。


「アイリスは今まで庶民だったんだよ、豪華なものを贈るとかは逆に気が引けるよ。それにさ、ヴィルってちゃんとアイリスのこと見てたの?」

「アイリスのことを……?」

「そもそもさ、君がアイリスを好きになったのって【起源の魔導士】の生まれ変わりだから? それとも単純に容姿が好みだから?」

「そ、れは……」


 アレックスの質問に言葉を詰まらせる。

 アイリスと会った時、彼女の神聖な雰囲気に見惚れたのは事実だ。だけど彼女と日々を過ごしていく内に彼女の内面にも惹かれた。夢見がちで思い込みが激しいところはあるが、そこは目を瞑れば問題はない。


 だけど、『アイリス・ミール』というただの少女として接したことはあまりない。

 今までは『【起源の魔導士】の生まれ変わりのアイリス・ミール』と接してきたせいで、普通の少女に戻った彼女とどう関係を築けばいいのか、今更だけど初めて気づいた。


「俺はね、ベロニカを喜ばせたいことはもちろんしたいよ。けどそれは自分本位のものじゃなくて、彼女と一緒にいて楽しいと思えることを一緒にした。本を読むのも、薔薇の世話をするのも、演奏を聴くのも全部あの子が好きなことで、俺も一緒だったらもっと楽しいと思うから付き合う。もちろん俺の研究の手伝いとかもね。……で、アイリスの趣味はなんなの? 俺はそれさえも知らないからアドバイスらしいことは言えない」

「アイリスの趣味……確か小説を書くことだったような……」

「うーん、それは個々の文才があるから絶対とは言い切れないね。……そうだ、最初は散歩から始めたら? 今は難しいけど、事態が落ち着いたらゆっくりと関係を築けばいい。それでもダメなら諦めて玉砕すればいい」

「散歩か……それならいいかもな。後、玉砕するつもりはない」

「あははっ。そっか、とりあえず頑張りなよ。ヴィルはヴィルが思うやり方で距離を縮めればいいよ。じゃあ俺こっちだから!」


 アレックスが笑顔で廊下を走り去る。その後ろ姿を見ながら、改めて二人がいたところを思い返す。

 思えばアレックスもベロニカもいつも笑顔だった。読書をする、薔薇の世話をする、彼女のピアノの演奏を聴く、というのはごくありふれたものだ。それでもアレックスが一度も「飽きた」とも「やめたい」とも言った覚えはない。

 最初はいつも同じことをして楽しいのかと思ったが、今思えば二人はそれだけで満足していたのだ。互いを想い合っているからこそ、どんなことをしても楽しくて仕方がない。


「私もまだまだだな……」


 金をかけたものさえ贈ったり連れて行けば、女はそれで満足すると思っていた。

 だけど、自分の思う恋愛とアイリスの思う恋愛なんて違いがあるのは当然だ。

 それすらも、自分は理解しようとしなかった。


 あまりにも愚かな自分を内心恥じながら、頬を両手で叩きながら気を引き締め直す。

 これまでの浅慮な思考を捨て去ったヴィルヘルムは、気を取り直してアイリスの部屋に向かって歩き出す。

 今はまだちゃんと分かり合えなくても、再び笑い合える未来を迎えることを信じて。

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