第154話 『鍵』と『未練』

「……………………………………」

『……………………………………』

「……………………………………………………」

『え、えっと……大丈夫?』

「ごめん…………ちょっと混乱してる」


 薔薇園の東屋で、日向は『自分の前世』だと言ったアリナの前で頭を抱えた。

 前世といういきなりスケールの大きい話になって、さすがの日向も全て理解することはできない。

 だけど、目の前の自分そっくりの少女の話が全て嘘じゃないことくらいは分かった。


(あの追憶夢……よくよく思い出したら、あそこに出てた女の子はあたしにそっくりだった。ならあれはアリナの記憶ってこと……だったらあの男の人は一体……?)


 頭の中であの美しい人のことを色々と考えるも、何も知らない自分では推測らしいものすら立てられない。

 うんうんと唸りながら悩む日向を見て、顎に指を当てていたアリナが軽く指を鳴らす。白い円卓の上に二人分の紅茶と茶器、それと薔薇を模した桃のタルトと包丁が現れた。


 包丁は宙を浮きながらタルトを均等に切ると、タルトも浮きながらお皿の上に置かれる。ポットも同じように動きながらカップに紅茶を注がれ、それを日向の前に置かれた。


『ひとまずお茶をしましょう。心を落ち着かせた方が話しやすいと思うの』

「……そうだね、いただきます」


 アリナに勧められてタルトにフォークを入れて、花びらのようにカットされた桃と一緒にタルトを食べる。

 クレームダマンドのアーモンドのコクとカスタードクリームの卵の風味が合っていて、桃も厚くもなく薄くもないちょうどいい厚さに切られ、コンポートにされているおかげでほどよい甘さだ。


 紅茶もストレートで飲むと、紅茶の味とタルトの甘さが口の中で溶け合う。

 ほっと一息をつくと、目の前に座るアリナが微笑ましそうにこちらを見ていたことに気づく。


『美味しい?』

「う、うん、美味しいよ……」

『よかった。私の時代では美味しい紅茶もこんな綺麗なお菓子もなかったから、少し羨ましくて真似したけど……時代を感じちゃうわね』


 どこか感慨深い顔をするアリナに、日向は彼女のことについて思い出す。

【魔導士黎明期】に起きた『落陽の血戦』で命を落とした彼女の年はまだ一八歳。当時の文化は現代いまより劣り、目の前にあるタルトのようなお菓子を食べることはなかった。

 日向が今まで口にしたものを口にできず、着ていた服も着られないまま、若くしてこの世を去ったのだと、改めて思い知らされる。


(だけど、まだ信じられない……魔導士の始祖があたしの前世だなんて)


 輪廻転生という言葉がある。生き物の魂はみな不滅のもので、肉体が死ぬとそこから離れ、また別の肉体に宿るということ。

 アリナの肉体が死んでも魂は不滅で、永い時を経て日向の肉体に宿った。そう考えると理解できるが、現在いまの人格は日向のものだ。


『灰雪の聖夜』でフォクスが多少の齟齬があるが自分とアリナの性格は似ていると言っていた。

 性格は前世のものかもしれないが、ここにいる自分は『豊崎日向』だと信じたい。そう思ってしまうのは、やはり目の前に自分の前世がいるせいかもしれない。


『……そんな怖い顔しないで。確かに私はあなたの前世だけど、あなたが今世で得た人格も感情も全てあなたのもの。それだけは保証しましょう』

「そっか……なら、よかった……」


 まるでこちらの心を読んだかのような答え方だ。

 いや……むしろそっちの方が正解な気がする。だって、日向がいるこの場所は現実ではない。


「ねえ、一つだけ聞かせて。あなたは……本当に【起源の魔導士】なの?」


 その時、アリナの目元がぴくりと動く。

 瓜二つの少女は持っていたカップをソーサーの上に置くと、悲しみを堪えたような優しい笑みを浮かべる。


『半分正解で、半分間違いです。生前のアリナ・エレクトゥルムが、死ぬ前に聖遺物として扱われたあの日記に『錠』の最後の鍵を隠しました。私は彼女の残留思念であり『鍵』です』

「『錠』?」

『生前、アリナは自分が転生する可能性があることを危惧していました。もし悪しき者が自分を狙い、『落陽の血戦』かそれ以上の争いが生まれるかもしれない。そんな不安を抱いた彼女は魔法で力と記憶を封じる『錠』を自分自身にかけました。ですが……時代が何度も過ぎたせいで『錠』が劣化し、あの日に綻び始めた『錠』の一つが外れました』

「その『錠』が外れたのが、あたしが魔導士になった日ってこと……?」

『はい。それからというもの、ジーク……『レベリス』の長となった彼があなたの『錠』を外すために様々な手段を講じました。そして、最後はあの日記に隠された『錠』……つまりアリナ・エレクトゥルムの残留思念である私を見つけた』


 アリナ――いや【起源の魔導士前世の自分】の姿をした『鍵』の説明を聞いて、『レベリス』が何故自分を執拗に狙った理由が分かった。

 要は日向が【起源の魔導士】の生まれ変わりだと分かっていたからこそ、彼らの目的のために『錠』を外すよう数々の事件を差し向けたのだ。それと今まで主と呼ばれていた彼の名が、ジークだということも初めて知った。


「なるほど……でも、なんであたしは日記から出てきた茨に捕まったの? 『錠』を外す目的と違うよね?」

『実は日記にはあなた以外の人に触れると防衛機能が発動して、あなたが無事に記憶を取り戻すまでこの場所に幽閉するという仕組みでして……』

「待って? 今幽閉って言った? もしかしてあたし一生ここに閉じ込められるの?」

『だ、大丈夫です! ちゃんと記憶を取り戻せば外に出れますから!』


 一瞬不穏な空気になるも、『鍵』の弁明を聞いて胸を撫で下ろす。

 恐らくこの薔薇園自体、高度な魔法によって作られた異界。ここにいる間は完全な安全を保障されるが、記憶を取り戻せば出ることができる。

 だが、逆に言えば記憶を取り戻すことを拒めばずっとこの場所に居座り続けられる。


(……いやいや、何考えてるの。『レベリス』の目的があたしなのは確実だし、ここを出なければ出てくるまで何をしでかすか分からない。それに……)


 脳裏に浮かぶ悠護達の顔。現実世界にいる友のことを考えると、前世の記憶を取り戻さなければならない。

 すでに覚悟を決めている日向の顔を見て、『鍵』は微笑みながら立ち上がる。


『それではあなたには思い出してもらいましょう。アリナ・エレクトゥルムの前世を……いいえ、この物語の〝原典〟を全て』



「まさかロンドンでこの光景を見るとはなぁ」


 黒煙が立ちこめる街並みを、アヴェムことサンデス・アルマンディンは建物の縁に座りながら眺める。

 非信仰派に所属する魔導士とIMFの魔導士の戦闘は、五階建ての建物がぽっきり折れた木の枝みたいに倒れ、運悪くその下にいた者は防御魔法をかけて命拾いするが、反応が遅れた者はそのままレンガの瓦礫の下敷きになる。


 瓦礫の下から赤い血が流れ、悲鳴と怒声が飛び交っても、魔法の輝きと破壊音は絶えない。誰もが目の前の敵を倒そうと必死で、目を血走らせる様は昔を思い出す。

 誰もが操り人形の如く利用され、流す必要のない血を流した。あちこちに死体の山を築き、血は地面のシミになり、建物は全て瓦礫と化した。


 どちらが善でどちらが悪なの悪なのか分からなくなった中、血と泥にまみれながら握った剣を手放さなかった女がいた。

 自分だってどちらが正しいのか分からなかったくせに、ただただ前に進むことしかできなかった。最期はまるで全ての罪を背負って命を絶った。


 吐き気がするほど美しい自己犠牲精神だ。

 昔からあの女は嫌いだった。ただでさえこの世界で初めて人智を離れた化け物になったのに、平凡で冴えない自分が欲しいものばかり持って、何も知らないまま多くの人間の人生を狂わせた。

 そのツケを自分の命で帳消しにしようなど、ケーキも驚く甘い考えだ。


 なんて傲慢だろう。

 なんて偽善だろう。

 なんて自分勝手だろう。


 欲しいものを自ら手放して、数百年も経っているのに前世の因縁を纏わりつけられ、それでも前に進む。

 自分にはない力を持っているあの女が羨ましくて、妬ましくて、憎らしい。

 一体何度言ったのか分からないけど、言いたくて仕方ない。


「――ほんとに大っ嫌いだ、あんな化け物女」



☆★☆★☆



『時計塔の聖翼』を統べる【紅天使】ティレーネ・アンジュ・クリスティアの居城ならぬ居塔である『白翼の塔アルバ・ウィング』は、壁や柱に羽を模したレリーフが施さた名の通り美しい白い塔だった。

 イギリスで一番の観光名所であるビッグ・ベンと同じくらいの高さを有し、黒いチョーカーをした使用人達がここに避難した国民に配給を行っている様子を悠護は興味深そうに見ていた。


 焼き立ての丸パンとシチューの匂いは食欲をそそられ、美味しそうに食べている。時々小さい諍いがあるがそれも使用人によって止められている。

 暴動が始まってから二週間近く経っているが、小綺麗なところを見るといい待遇を受けているのだろう。


「意外と広いんだな、ここ」

「ここは観光地ではなく完全な私有地ですからね。本来なら敷地内に入るのは王族と『時計塔の聖翼』、それとわたくしが許可した者のみです。緊急事態ということで一部開放していますの」


 ティレーネの姿を見て会釈する避難民を横目に歩くと、いつの間にか人通りが少ない場所まで誘導される。

 人数分の足音しかしない中、ティレーネはある扉の前で止まる。

 ここに来るまで茶色い扉しか見なかったのに、目の前の扉の色は綺麗な黒。羽の模様が施されているが、その上部には一羽のカラスが彫られていて、目にはルビーが埋め込まれている。


「ここは……」

「ええ。この先に【創作の魔導士】クロウ・カランブルクの聖遺物が保管されています」


 ティレーネの言葉に悠護は息を呑む。

 心の中では自分の前世が四大魔導士なんて信じ切れてはいないが、陽とギルベルトが嘘をつくメリットなんてない。仮に二人の言ったことが真実だとしても、実際に記憶を取り戻さないと確証なんて得られない。


 ティレーネが扉の前で待機していた執事から黒い鍵を受け取ると、鍵穴に差し込み捻る。

 ガチャ、と鍵が開く音と共にティレーネは扉のそばから離れる。


「悠護様、ここから先は一人で行ってください」

「何か理由あるのか?」

「ここは普段管理しているわたくしも出入りしていますが、記憶を取り戻すというのなら最大限の注意を払わなければなりません。もし第三者が乱入してしまったら、その記憶に引っ張られて廃人になる恐れも……」

「ああもういい分かった。そんなヤな説明は聞きたくない」


 前世の記憶を取り戻すなんて荒業に保証なんてものは無に等しい。

 ティレーネのたとえがあまりにもリアルすぎて、さすがの悠護も最後まで聞く気力はなかった。

 執事によって開かれた扉の先の長い階段を見つめながら、悠護は無意識に息を呑む。

 長い階段の先は何も見えず、光源は蝋燭の灯しかない。心許ない感じだがそれでも進むしかない。


 ゆっくりと慎重に階段を降りる。

 コツン、コツンと自分の靴音と呼吸しか音がない。あまりにも静かで不気味な階段を降りると、眩い光が放つ場所にたどり着く。

 魔法なのかそれとも人工的になのか、光は白大理石でできた腰辺りまでの長さがある台座に向かって照らされている。


 台座の上に乗せられているのは、黒いマント。裏地は真紅色で、金糸の刺繍入れてあるそれは悠護にも見覚えがあった。

『サングラン・ドルチェ』で自分が生み出したマント、事件の後すぐに今まで同じように粒子と化し、何度試しても生み出すことはできなかった。


 あの時のマントと違う点があるとすれば、ところどころ焦げた跡があり、黒い布地のせいで気づきにくいが少量とは言い難い血が染み込んでいる。

 マント上にはそれを止めていたブローチがあり、手の平サイズのルビーは大きな亀裂が走っていた。


「これが……クロウの聖遺物なのか……?」


 アリナの聖遺物である日記とは大違いだが、マントを見るたびに形容し難い懐かしさがこみ上がる。きっとこれは前世による影響なのだろう。

 恐る恐る、ゆっくりと手を伸ばす。これに触れなければ記憶を取り戻せる。だけど、その時に今の自分の自我がなくなるのではないかと怯えてしまう。


(でも……俺は知りたい。あいつを狙う連中の目的を……そしてあいつ自身のことも……!)


 覚悟を決めた瞬間、悠護の指先がブローチに触れた。

 黒く濁っていたブローチは真紅色の光を放ち、光は悠護の全身を包み込む。

 爆発的な輝きが収まると、そこには悠護はいなかった。


 あるのは、クロウの聖遺物であるマントが乗せられた台座だけだった。



 眩い光が視覚を奪うも、瞼の裏でも感じられた光が徐々に弱くなるのを感じた。

 ゆっくりと瞼を開けると、目の前の光景が一変していた。様々な色ガラスを嵌め込まれたステンドグラスと巨大な十字架、光を浴びて柔らかい色合いをした祭壇、長椅子が並べられているその中心には赤い長絨毯が敷かれている。


「ここは……教会か……?」


 教会なんてところは両親の再婚の時に行ったことはあるけど、あそこはもっと白くて綺麗な場所だった。

 ここは深い色をした茶色い壁のせいで少し重々しい感じだが、静謐で神秘的な空気はあそこよりも格段に上だ。


『そうだ。今はもうない場所だけど……俺はここで、アリナと永遠の愛を誓った』


 背後から声がした。目を見開いてゆっくりと振り返ると、そこには自分の顔と瓜二つの少年が立っていた。

 黒地に金糸の刺繍が施された騎士服を着ていて、台座に乗せられていたあのマントを着た少年――彼こそが、悠護の前世である【創作の魔導士】クロウ・カランブルク。

 顔立ちだけでなく目つきといい、髪型といい、背格好といい、どれも一ミリと狂わず自分そっくりだ。


「お前が……クロウなのか?」

『そうだ……って、言いたいところだけど正直微妙なんだよ。俺はローゼン達と違って、転生の魔法をかけなかった。ここにいる自分は……多分、生前の俺の未練だと思う』

「未練……?」

『俺は、あいつを独りにして先に逝った』


 その言葉に悠護は思い出す。

 四大魔導士の中で一番最初に死んだ魔導士。彼とアリナが恋仲だということは、歴史の中でもきちんと記されている。

 恋人を遺して先に死んだ彼の未練が、こうしてこの場に残っていると考えると納得がいってしまう。


『ここに来たってことは……記憶を取り戻しに来たんだろ? でも、いいのか? もしかしたらここから先の記憶は、きっと辛いものになるぞ』

「構わねぇよ。俺だって自分のことを知りたいと思ったからここに来た。それくらいもう覚悟の上だ」


 すでに覚悟を決めた悠護の顔を見て、クロウの形をした『未練』は黙りながら頷く。


『……分かった。そこまで言うなら、記憶を見せてやる。俺が死ぬまでの記憶と、それ以降の記憶を』

「それ以降……?」

『むしろそっちの方が色々と辛いかもな。ま……とにかく見れば分かる』


 あやふやな物言いをした『未練』が、パチンッと指を鳴らす。

 指を鳴らした直後に目の前がぐるぐると歪み始め、悠護の体がゆっくりと床に跪き、真紅色の瞳が徐々に光を失い虚ろなものへと変わっていく。


『ごめんな……こんな後片付けを押し付けて……っ、本当にごめんな……っ』


 物言わぬ人形みたいになってしまった悠護の姿を見て、『未練』は苦しげな声を漏らした。



☆★☆★☆



 さあ、禁断の扉が開かれた。


 物語は時を遡り、全ての始まりである〝原典〟へ。


 そこに待つのは、この世界の誰もが知らない〝真実〟と〝愛〟の物語。


 〝神〟さえもが予想だにしなかった〝原典〟の結末を、とくと御覧じろ――。

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