第18話 白の刺客

(弱い)


 ――また数えるのが面倒な僕より弱い相手が現れた。


(足りない)


 ――また向こうはぐちゃぐちゃになった泣き顔を見せながら戦意を失った。


(戦いたい)


 ――まだ斬りたいのに家の誰もがそれを許してはくれなかった。


 どの家よりも強い力を持った怜哉には、それを存分に振るう場所を、父も母も家の誰すらも用意してくれなかった。

 いつも退屈で、いつも残念で、いつもうんざりする模擬戦に任務。正直ずっと飽き飽きしていた。


 自身の力の強さをバカみたいに誇らしげに威張る犯罪者でも、井の中の蛙のくせに自分は最強なのだと思い上がる対戦者でも、彼を前にすれば一瞬で絶望に染まった顔になる。

 その顔さえももう見飽きてしまったのに、誰も彼もがそんな顔ばかりする。


 でも、今日は違う。

 いつもの退屈はなく、いつもの残念はなく、いつものうんざりはない任務。

 こんなに胸が躍ることは生まれて初めてだ。今日は我慢しなくていい。する必要はない。

 ああ、今日という日おいるのか分からない神様に感謝したい。


(――さあ、仕事狩りの時間だよ。なるべく早く死なないでね。そして、どうかこの僕を楽しませてね?)


 スラリ、と鞘から引き抜いた《白鷹》が太陽の光を浴びて鈍色に輝く。刃の映る自分の瞳は、目の前にある刃と同じくらいの鋭さを持った狂気で爛々と光っていた。



 ☆★☆★☆



 緑生い茂る森の中を歩く。

 腐った朽ち木や落ち葉の臭いが鼻腔を刺激し、地面に落ちている小石やら葉やら枝やらが、歩くたびにじゃり、サク、パキッとリズミカルに音を鳴らす。

 あの言葉にすることすら難しい幻覚地獄から脱した日向達は、今指定されたルートを歩いている。このルート通りに行けば、ポイントに辿り着く。恐らくその先でも仕掛けられている無自覚な悪意あるトラップを早く抜けたい。そう思って足を進めているはずだ。


「――おかしい」


 幻覚地獄から影響がない距離まで歩いたところで、悠護が険しい顔をする。

 もちろん悠護に言われるまでもなく、日向達も今の状況の異変について気づいていた。


「結構歩いたのに人がいねぇ……。いや、それどころか海の臭いがさっきより少し強くなってやがる。指定ルートは海から遠い位置にしていたはずだ」


 悠護の言った通り、森の後ろが海に面した断崖絶壁になっている。万が一ふざけて生徒の誰かが足を滑らせ、大怪我を負ってしまったら日本のみならず世界各国の生徒を預けている聖天学園に大クレームが殺到する。

 それならまだマシな方だけど、最悪の場合国際問題にまで発展する。そうならないように、学園側は最大限の考慮をして学校行事を行っているのだ。


「普通は俺達が道を間違えたのが一番間抜だけど正解だが、この場合だとあの看板が間違ったってところか? ったく、しっかりしろよな」

「仕方ないよ、誰だって小さなミスはするんだから」

「うーん、でもそのせいで困ってるのは事実だしなぁ。どうする?」

「とりあえず『黒』は撃った方がいいかもな」


 そう言って悠護が光魔法の詠唱を唱えた。


「『黒の光ニグルム・ルクス』」


 魔法が発動し、悠護の手に黒い光が生み出される。その光をボールみたいにポーンと投げる。光は一分ほどふよふよ浮いたと思うと、ガラスのように呆気なく砕け散る。

 キラキラと光る粒子が降ってきて、その眩しさに思わず目を細めた。


「よし、これでいいだろ。あれを見たら多分誰かが俺らのスマホに連絡くれんだろ。……って、ここ圏外かよ」


 スマホの画面のアンテナマークが『圏外』の二文字になっているのを見て思わず舌打ちする悠護。

 さすがに地下鉄の中でもそれなりに電波をキャッチする最新電子機器も、人口が少ない島のこんな森の中ではそうなってしまうようだ。

 とりあえずこのままだと連絡は来ないから、電波が飛んでる場所を探そうと足を動かそうとした時だった。


 カサッと微かに動いた葉っぱの音が聞こえる。陸地で生きる動物がほとんどいないこの島では、その音を出したのがどこからかやって来た鳥だと思った。

 その音が聞こえた方に体ごと後転する。その行動を取ったこと自体、日向はある意味運が良かった。

 そうしなければ、きっと日向の未来はここで閉ざされていた。


 葉が生い茂る木々の間から微かに漏れる太陽の光で鈍色に輝く刃。日向を覆いかぶさるような巨大な影。そして、三日月のように裂いた笑みと狂気を孕んだアイスブルーの瞳。

『死』という概念を体現した少年――白石怜哉が、今まさに日向の命を刈り取ろうと目の前に現れた。


「――え?」


 目の前のことが理解出来なくて、思わず出した場違いな間抜けな声。

 だけど、それより先に悲鳴交じりの詠唱が静寂に包まれている森に響いた。


「――っ、『反射レフレクシオ』ッ!!」


 全ての攻撃を跳ね返す中級防御魔法が発動される。刃はガキィンッと甲高い金属音を出しながら、体ごと後方へ吹き飛ぶ。

 驚きのあまり尻餅をついた日向が目を見開きながら顔だけを左へ向けると、日向と同じ顔をした心菜が息を切らしていた。


 ――ああ、そうか。彼女が守ってくれたんだ。


 そうじゃないと、今頃日向の首は胴体から離れていただろう。

 自分のことなのに、何故か他人事のように思えてしまう。


 魔法で吹き飛ばされた怜哉は、右手に持っていた刀で横を通り過ぎようとした木に突き刺す。それが衝撃を殺し、怜哉は足元にあった太い木の枝に足をつける。

 自然と日向達を見下ろす格好になった怜哉の目は、さっき見た狂気が一瞬で隠れてしまい、代わりに出会った時と同じになっていた。


 突然のことで思わずその場で尻餅をついてしまう日向に、心菜と樹が慌てて駆け寄ってくる。悠護は険しい顔で日向の前に立つと怜哉を見上げながら睨む。


「てめぇ……一体どういうつもりだ」

「どうって……見たまんまだよ。僕は彼女を殺そうとした、至極簡単な理由だよ」

「日向を殺すだと!? 冗談は休み休み言えよ! いくら『白石』だからってこんな真似してタダで済むと思ってんのか!?」


 悠護の怒声に怜哉は面倒臭そうに肩を竦める。その態度が悠護にはバカにされていると思ったのか、さらに睨む力を強める。

 悠護の様子を見て話さないと先に進まないと思ったのか、怜哉はため息を吐きながら話し始めた。


「……はぁ、面倒臭いけど話すけどね。世界で唯一の無魔法の使い手である彼女を殺すことは父さん――白石家当主・白石雪政からの命令。つまりこれは、我が『白石』の仕事だよ。それを他の家が邪魔することは許されない」


 告げられた言葉に、悠護だけでなく日向達も耳を疑った。

 先の試験でIMFが通達した日向の処遇は『監視の継続』だと陽が言っていた。あまり大きな問題を起こさなければこの処遇は変わらない、とも言っていた。

 だけど、きっとどこかにいたのだ。その処遇に納得しなかった者達が。それが今、目の前に現れた。


「ど、どういうことだよ……。IMFはあいつの処遇は監視だけって話だっただろ!? なら『白石』が動くのはおかしいだろ!?」

「そうだね、普通ならおかしい。でもね、『白石僕ら』は何もIMFだけの仕事を受けるわけじゃない。当主自らが彼女を『危険分子』と判断したら、それは『白石』の総意だ。当主の命令はIMFの命令より上、当主の命令には絶対服従――僕を含む一族はそう教えられてきた」


 樹の質問に淡々と答えた怜哉は、木の幹に刺していた刀を抜き取る。抜き取ったそれの刃先を日向に向けて告げる。


「――だから、ここで彼女を殺す」


 枝を踏み台にして弾丸の如く跳躍してきた怜哉は、迷わず日向目がけて刀を振るう。だが、その前に目の前にいた悠護がいつの間にか作り出した剣で凶刃を受け止める。

 ギチギチ、と金属が擦れ合う音を聞きながら怜哉は愉快そうに笑う。


「……へぇ、まさか君が『完全発動』を習得してるなんて驚いたよ。意外とやるんだね」

「そりゃ、どうも……!」


 剣を横に振るうと、動きに合わせて怜哉の刀も横に動き振り払われる。彼はすぐさま数歩ほど後退し刀を構え直す。

 通常、魔法は詠唱を唱えることで発動される。だが『完全発動』は無詠唱で魔法を発動するメリットがあるが、術者が年単位で使い慣れた魔法のみにしか利用できないというデメリットがある。


 つまり、悠護の得意な魔法である金属干渉魔法は『完全発動』ができる域まで達しているということになる。


「まあ『黒宮』の魔法指導って結構スパルタで有名だからね。それくらいできないと『一人前として認められないよね」

「うるせぇよ、ベラベラと胸糞悪ぃこと言いやがって……」


 ギリと悠護の歯が軋む。彼の顔には怒りでドス黒く染まる。

 新入生実技試験の時よりも強い怒りを剥き出しにした彼の姿を見て、日向は無意識に息を呑んでしまう。

 それは樹も心菜も同じで、いつもの悠護とは思えないほどの豹変ぶりに固まっている。


「……樹、日向と心菜を連れてホテルに逃げろ。ここは俺が足止めする」

「足止めって……いくらお前でも無理だろ!? 相手はどんな化け物なのか一目見ただけで分かんだろッ!?」

「んなこと分かってんだよ! でもあいつが俺達を逃すわけねぇだろ!? いいから早く行け、ホテルまで行けば安全だッ!」


 そう言って悠護は怜哉に向けて剣を振り下ろす。怜哉とは違い重い風切り音を出したそれを、彼は顔色一つ変えずに受け止める。

 鍔迫り合う二人を見て樹が悔しそうに舌打ちをすると、日向の手を掴んで立ち上がらせる。


「二人とも、ホテルまで逃げるぞ。そこまで走れるか?」

「う、うん……」

「私もそのくらいならなんとか……」

「……そうか。じゃあ行くぞ! 死ぬ気で走れ!」


 樹の掛け声に日向と心菜は顔を歪ませながらも、一緒にその場から走り去る。

 後ろで再び金属が鳴る音が聞こえてきて、悠護が一心に日向達を逃がそうとしていることが嫌でも分かった。


(あたし、なんて無力なんだろう)


 無魔法なんて強い魔法を持っておきながら、肝心なところで逃げることしかできない。

 そう思っているのは樹も心菜も同じらしく、二人も悔しげな顔をしている。


 だけど、今の日向達にできるのは無事にホテルまで走って事の顛末を伝えること。そうすれば学園側もきっとなんとかしてくれるはず。

 確証もない希望的観測を持ちながら、日向達は金属音が遠くなりつつある森の中を走り続けた。



☆★☆★☆



 三人の姿が豆粒になるまで見えなくなったところで、悠護と怜哉は互いの武器を振り払うと同時に後退する。

 怜哉は逃げた三人の方へ視線を動かした後、すぐさま面倒臭そうにため息を吐く。


「……まったく、君が邪魔しなかったら簡単に済んだのに」

「ハッ、そんなこと微塵も思ってねぇくせに何言ってやがる」


 だが悠護にはその態度が、彼の演技であることはとっくの昔から知っている。

 白石家は役割の関係上黒宮家の中で最も縁深い家だ。『黒宮』が表で秩序を維持し、『白石』が裏で秩序を乱す者を排除する。そうすることで魔導士界と一般社会は多少トラブルがあっても滞りなく魔導士と一般人の共存が保っている。


 互いの家、もしくは他の家やIMFが開くパーティーで、悠護は毎年のように怜哉に会っていた。豪華絢爛に着飾り、細部にまでこだわった料理が並ぶパーティーは、見た目とは裏腹にあらゆる謀略が渦巻いている。

 パーティーに参加するたびにハンターのように自分の伴侶の座を狙う化粧臭い女性の相手をするのはうんざりし、父はIMF関係者や魔導士家系の人間と何か話すことに余念がない。


 まるで醜い生き物の巣窟に入り込んだ感覚に吐き気するも、次期当主候補である悠護はパーティーが終わるまでいなくてはいけなかった。

 そんな時を紛らわせるために、悠護は会場の片隅にいる怜哉の元に行くのが常だった。彼自身伴侶には興味はなく、どんなに女性に囲まれてもたった数分で蜘蛛の子を散らすように去って行く。一体どんなことをして追い払ったが知らないが、悠護自身はそのスキルは内心羨ましかった。


 最初は面倒臭そうに扱われたが、何度か会話するたびに怜哉自身もパーティーには嫌気が差していたため、その退屈さを紛らわせるために自然と会話する内容も増えていった。

 そこで悠護は知ったのだ、彼のを。そして今、彼が


「――お前は『白石』の中じゃ一番の戦闘狂だ。本当は『任務』っつー口実で俺と戦いたかった、違うか?」


 微かに口角を上げながら告げたその言葉に、怜哉は頬を薔薇色に染めて嬉しそうに微笑む。

 恍惚とも言えるその笑みとは反対に、悠護の背筋はまるで直接氷水を浴びたように一気に冷たくなる。

 それを見て確信する。この男は狂っている、と。


「ああすごい、当たってるよ。やっぱり君は僕に相応しい相手だ。僕は君と戦うことをずっと待ち望んでいた。『白石』じゃ誰も僕を満足させられる相手を用意してくれなかった。――でも、今日の任務は違った。任務内容自体簡単だけど、もしこれを受けたらきっと君は彼女を守るために現れると思った。あんな大告白をしたならなおさら、ね」

「……なるほどな。つまり俺はお前の望み通りになったってわけか」


 怜哉の話を聞いて悠護はようやく自分が上手く利用されたのだと痛感する。あの新入生実技試験ではIMF関係者が多くいた。その中にはもちろん白石家に通じている者のいたはずだ。もしそのことを白石家に流したなら、次期当主であることが確定している怜哉の耳にも届くのは当然の流れだ。

 悔しげに髪を掻きむしる悠護の前で、興奮が冷めきっていない怜哉は再び刀を構えた。


「さあ、ここには邪魔者はいない。僕と君だけの命懸けの戦場だ。魔導士の世界は徹底した実力主義、一歩でも間違えれば底辺に落ちる弱肉強食の世界だ。もし僕が敗者になったら君の下僕にもなんにでもなってあげるよ。でも僕が勝ったら……」

「そのまま日向を殺させろ、ってか?」

「まあそうだね」

「……そうかよ」


 怜哉が嘘を言っていないと理解した悠護は、手に持っていた剣を消す。

 粒子となった剣が宙出来ラキラと輝く中、悠護は両ポケットからボルトを一本ずつ取り出した。


「――なら、俺はここでお前を倒す」


 その直後、悠護の体から魔力が溢れ出す。普段肉眼では見られないはずの魔力は、悠護の周りを囲むように真紅色に輝きながら渦巻いている。

 ボルトは粘土のように形を変えると、悠護の手に黒い刀身をした二振りの剣が姿を現す。片刃の双剣は怜哉の持つ《白鷹》と形は似ているが、鍔や柄に至るまで全てが黒一色。まさに悠護の名に相応しいそれを見て、怜哉は目を輝かせる。


「へえ、それが君のお気に入りの武器か。名前とかあるの?」

「ああ、ある」


 怜哉の質問に悠護は静かに答える。

 この双剣は悠護が初めて作り出したものだ。何故この双剣を作り出したのか分からない。ただ、『』と魂が告げていた。

 その時に名付けた名前も同じで、不思議と口から出たのだ。どこか懐かしく、胸が締め付けられながらも。


「この双剣の銘は、《ノクティス》。ラテン語で『夜』を意味する」


 確かにこの黒の双剣に相応しい銘だと、怜哉は思う。

 黒い刀身は人々を安寧の闇に誘う夜のよう。その輝きに思わずうっとりと見つめてしまう。

 あの双剣は悠護が愛用していることは知っていた。新入生実技試験では使わなかったのは、あの試験で相手した早見翔太が本気にする相手ではないと思ったからだろう。

 事実、早見翔太は悠護を目の前にしてすでに戦意喪失していた。


 だからこそ胸が高鳴る。彼が今、自分と本気で戦おうとすることが。そして怜哉自身が望んでいたことがようやく叶って気分が高揚する。

 手に持つ《白鷹》がカタカタと小さく震えている。どうやら嬉しさの余り自分の体が震えているのだと気づき、ひと呼吸して心を落ち着かせる。

 怜哉が《白鷹》を構え直すと同時に、悠護も《ノクティス》を構える。


「――我は白石家次期当主、白石怜哉」

「――我は黒宮家次期当主候補、黒宮悠護」


 それは、魔導士同士が戦う前に行う礼儀。これからしのぎを削って戦う相手の名と顔を覚え、相手のことを生涯一度も忘れないよう自身の魂に刻むために。

 辺りが静寂で包み込む。鳥の鳴き声も、葉の音も聞こえない中、ふいにどこからか鳥が羽ばたく音が聞こえた。


 それが合図となる。同時に地を蹴り、倒すべき相手に向けて武器を振るう。

 片や、望みを叶える相手と存分に戦うために。

 片や、譲れないものを守るために。


 交差する想いを胸に今、戦いの火蓋が切って落とされた。



 一際強い金属音が響く森の中、少年は他より一番高い木の頂上の枝に座って足をぶらぶらと上下に揺らしていた。


「Who killed Cock Robin?

  I, said the Sparrow,

 with my bow and arrow,

  I killed Cock Robin.」


 紅いローブを身につけ、頭にシルクハットを被った少年は、森の中で起きている戦闘と水面下で動き始めている影を見つめながら無邪気にマザーグースを歌う。

 一通り歌い終わると今度はクスクス嗤いながら、今も友二人と共に森を疾走する少女に向けて告げる。


「さあて、これからもっと面白くなるよ。精々頑張ってね、お姫様?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る