第66話 突然のプロポーズ

 九月一日、日本全国の小学校・中学校・高校が一斉に新学期を迎える日。

 それは日本にある世界唯一の魔導士育成学校・聖天学園も例外ではない。

 夏服を身に包む生徒達は久しぶりに会う同級生と夏休みの思い出を語ったり、長くも短い夏休みを名残惜しんでいた。


 一年A組の教室で、日向は久しぶりに座る席に座りながら、口元に手を当てながら大きなあくびを出していた。

 目の縁に生理的に出た涙を拭うと、パコッと軽い音を出しながら頭を叩かれた。


「いたっ」

「そんな大きなあくびすんな」


 日向のパートナーである悠護が、夏休みの宿題として出されたテキストを丸めたそれを肩で軽く叩く。

 どうやらあれで頭を叩かれたみたいだ。


「えへへ、ごめん。まだ夏休みボケみたいで」

「あー分かる分かる。俺もまだ『あれ? まだ夏休みじゃね?』って思ってるもん」


 朝から強炭酸ジュースを飲んでいる樹の言葉に、悠護は呆れた顔を見せる。


「そうだな。今朝だって人がせっかく起こしたのに、寝言で『まだ夏休みだろー』って言ってたもんな」

「え? 俺そんなこと言ったか?」

「言ってたっつーの」


 本気で覚えていない様子の樹に悠護がさらに呆れたため息を吐くと、後ろでくすくすと小さく笑う声。


「ふふっ、二人とも相変わらずだね」

「ねー」


 日向のルームメイトである樹のパートナーである心菜は、朝から元気よく騒ぐ二人を微笑ましそうに見る。

 その時心菜の樹を見る目に微かな熱を宿したが、それに日向が気づかないまま話を続ける。


「そういえば二学期には学園祭があるんだよね? どんなのかな?」

「私もよく知らないけど……普通の学校みたいに出し物を出すみたいだよ。あと、学園側から入場チケットを貰えるみたい」

「入場チケット?」

「一般人が聖天学園の敷地に入るのに必要なものだ」


 二人の話に反応したのか、悠護が話に割り込む。


「学生はそのチケットがあれば、招待したい人を学園に入れさせることができるんだ。ただチケットは一人につき一枚しか貰えないけどな」

「なるほどね」


 確かに普段から警備が厳しいこの学園が、一日だけその警備を緩める。

 親族の中に良からぬことを企む人がいる可能性も捨てきれないため、学生一人につき一枚しかチケットが配られないと考えると当然かもしれない。


「ん? でもそれだとあたし、京子と亮くんのどっちかにしかチケット渡せないってこと?」

「あー、安心しろ。その時は俺の分のチケットやるから。どうせ親父達にはチケット必要ないだろうし」


 一瞬本気焦ってしまったが悠護の言葉を聞いて落ち着きを取り戻す。

 日本最強魔導士集団『七色家』の序列一位にして、国際魔導士連盟日本支部長を務めている黒宮家現当主・黒宮徹一の力ならば、彼だけでなく彼の妻・黒宮朱美、そして悠護の義妹である黒宮鈴花も学園に連れてこれるだろう。

 ちょうど学園祭の話が終わった同時に、校舎にチャイムが響き渡る。


「はいはーい、HR始めるでー。みんな、席につきぃー」


 まったくいいタイミングで教室に入ってきたのは、このクラスの担任であり、日向の実の兄。そして【五星】という二つ名を持つ最強の魔導士である陽。

 華々しい経歴を持つとは思えないほどフレンドリーな性格をした兄は、出席簿を片手に教壇の前に立つ。

 一ヶ月ぶりにある生徒達の顔を見合わせ、喉の調子を整えるようにコホンと咳を一つする。


「……さて、夏休みが終わって二学期が始まるな。これから長ったらしい始業式が始まるんやけど、その前にこのクラスに転入生が来る」


 転入生。この学園では滅多に聞かない単語にクラスがざわめく。

 聖天学園に転入する人間は、事情で入試は受かったが学園に遅めに入ることになってしまった生徒だけだ。

 つまり、この時期に転入する生徒はを持っていると考えてもいいだろう。


「んじゃ、入りぃ」


 クラス中が固唾を呑む中、陽の合図と共にガラリと教室のドアが開く。

 入ってきたのは、一人の少年。ライオンのたてがみみたいな髪型をした金髪に、悠護の瞳より鮮明な赤をしたガーネット色の瞳。聖天学園の夏服のシャツを全開にしており、その下にはオレンジ色のシャツを着ている。


 首には彼の瞳と同じガーネット色の石がついた黒革のチョーカーをしており、それがまるで自身を戒める首輪のように見えた。

 どこか気品溢れる雰囲気にクラスの全員が見惚れていると、電子黒板に名前が自動的に表示される。


『ギルベルト・フォン・アルマンディン』


 その名前を見た直後、何人かの生徒がガタッと座っていた椅子ごと後ずさる。

 悠護と心菜は大きく目を見開いている。思わず樹の席を見るが、彼も日向と同じでわけが分からない顔をしている。

 だが少年が日向の顔を見て小さく笑うと、高らかな声で告げる。


「オレはイギリス王室第一王子、ギルベルト・フォン。アルマンディンだ。今日からこの学校の生徒として転入した、堅苦しい敬語も態度もいらん。気軽に『ギル』と呼べ」


 イギリス。第一王子。その単語でようやく周りの様子がおかしいことに気づく。

 イギリスは魔導士誕生の地であり、魔導大国。その国の王子ということは、魔法に関しての知識・技術は学園のものより大きく上回る。


 過去に国交として王室の人間が学園に入学してきたという記録はあるが、どの人間も一学期から入学している。

 なのに何故、二学期からという中途半端な時期に転入してきたのか疑問に思っていると、件の王子は黒板の前から離れ、そのまま日向が座る席の前まで近寄る。


「あの、あたしに何か……?」


 じっと鋭いガーネット色の瞳が日向の顔を映す。パートナーとは違う赤、だけどどこか懐かしさを感じさせるそれに金縛りみたいになっていると、ギルベルトはおもむろに口を開く。


「貴様が世界で唯一、無魔法を使える娘か?」

「は、はい、そのようです……」


 無魔法。あらゆる魔法を無効化にしてしまう、九系統魔法の中で謎とされていた魔法。

 その魔法を何故か使える日向は、ここ数ヶ月で色んな事件に巻き込まれた。

 国際魔導士連盟本部があるイギリスの王子である彼が、日向のことを知っていてもおかしくはないだろう。


 何を言われるのか警戒していると、ギルベルトがおもむろに日向の髪を一房掴み取る。


「えっ?」


 突然の行動に思わず声を出すが、ギルベルトは気にせず髪に触れながらうっとりとした目で見つめる。


「なんと美しい……【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムも琥珀色の髪をしていたと本に書いてあったが、この髪も遜色ないくらいの美しさだ」

「あ、あの……?」


 突然自身の髪を褒められて戸惑う日向を見て、ギルベルトは「ああ、すまない」と言って髪を手から離す。


「以前から貴様の話を聞いていたため興味が湧いてな、それにオレは貴様に用がある」

「用、ですか?」


 髪を掴み取られた辺りから悠護が険しい目でギルベルトを睨むが、彼はその視線を盛ろともせず「うむ」と頷く。


「用はただ一つだ。――豊崎日向、貴様をオレの妃にするためだッ!」


 堂々と、そして高らかにギルベルトが告げられた言葉にクラス全体が静まり返る。


「なぁっ!?」

「えっ?」

「はっ?」

「………………………………はい?」


 最初に声を出したのは悠護、心菜、樹、そして陽。

 だが四人の顔に浮かんだのは、驚愕一色のみ。


「―――――」


 肝心の日向は頭が真っ白になって絶句していた。

 軽く意識がどこかへ行こうとしていた直後。


「「「ええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!?」」」


 クラス全員の叫び声が校舎中に響き渡った――。



☆★☆★☆



「なるほどねー、あの叫びはそれが原因だったわけ」


 七色家が一つ白石家次期当主にして、聖天学園二年生の白石怜哉は、今朝の叫びについての理由を聞くと納得した顔で息を吐く。

 聖天学園校舎の屋上。面積の四分の三を人工芝生にしたそこで、怜哉はヨーグルトのパックをちゅーちゅーと飲み、日向達も自販機で買った紙パックを持って苦笑いしている。


 あの突然のプロポーズ宣言の後、突然教室にやって来た聖天学園生徒会長であり七色家が一つ『緑山家』次期当主の緑山暮葉が鬼のような顔でギルベルトを睨むと、彼の腕を掴んでそのまま教室を出て行ってしまった。

 その後は普通に始業式に参加したが、あの宣言は音速のように学校中に広まり、始業式が終わった直後にこうして屋上に避難してきたというわけだ。


「で、豊崎さんはその王子様に返事返したの?」

「ゲホッ……まさか! さすがのあたしもすぐには答えられませんよ!」


 ちびちびとフルーツ・オレを飲んでいた日向が怜哉の発言を聞いて噎せるが、すぐさま首を横に振る。

 まさか一五歳でプロポーズされたことは驚いたが、生憎自分にはまだ結婚する気はない。


「当たり前だ。あんなのはすぐ返事なんて返すわけねぇだろ」

「つーかあの王子、まさか日向を嫁にするためだけに転入したのか? というか、学園もそれを了承したのか?」


 イライラとした態度でコーヒー牛乳を飲む悠護の横で、一足先に牛乳を飲み干した樹が眉間にシワを寄せながら訊く。

 もし樹の言う通りの理由で学園が彼の転入したことを了承したならば、世界各国の政府から抗議が来てもおかしくはない。

 だが怜哉は首を横に振った。


「いや、いくらイギリス王子だからってさすがに学園もそんな理由で転入を許すほど甘くはないよ。恐らく本人にはそれなりの理由があって転入したと思うよ。まあ、その理由もプロポーズの口実って可能性もあるけど」


 ズズーッと音を立てながらヨーグルトを飲み干す怜哉の横で、イチゴ牛乳を飲んでいる心菜は首を傾げる。


「んー、じゃああの王子様が日向をプロポーズした理由って――」

「無論、一目惚れだ」


 心菜の言葉を遮った声に、日向達は校舎に続くドアに視線を向ける。

 そこには例のイギリス王子、ギルベルトが腕を組みながらドアの前に立っていた。

 太陽の日差しで彼の金髪とチョーカーの石が眩しく輝き、そこにいるだけで王者の風格が肌を刺激する。


「な、なんでここに……」

「何、オレの目は得意とする魔法の性質上、視程が広くてな。生徒会長との話し合いを終えた時、ちょうど屋上に貴様らがここにいたのを見つけたのだ」


 そう言ってギルベルトが日向に向かって近づいて来るが、そうなる前に悠護が前に出る。


「……なんの真似だ?」

「そりゃこっちの台詞だ。王子だがなんだが知らねぇが、自分のパートナーを無闇に近づけさせるわけにはいかねぇんだよ」

「パートナー……なるほど、貴様がオレの未来の妃の隣を独占しているのか」


 悠護の姿を瞳に映した直後、ギルベルトの体から膨大な魔力が溢れ出る。

 ガーネット色の魔力はまるで嵐のように吹き荒れ、ビリビリと肌が痛くなるほどの刺激を感じる。

 あまりの威力にすっかり怯えてしまった心菜が座り込み、魔力に当てられ樹が苦しげに顔を歪ませると、パンパンッと手を叩く音が響く。


「そこまでだよ。これ以上やったら、さすがに王子様でも強硬手段を取ってでも止めさせてもらうけど?」


 怜哉のアイスブルー色の魔力が体から溢れ出す。

 ギルベルトの魔力が雷と表現するならば、怜哉の魔力は刃物。冷たく鋭い刺激を浴びて正気に戻ったのか、ギルベルトの周りに渦巻いていた魔力が霧散する。


「ふむ……オレとしたことが早まった真似をしてしまった。すまない」

「別にいいけど。ところで、さっきの一目惚れって何? まさかと思うけどコレに一目ぼれしたの?」

「コレって……」


 怜哉の言い方には一〇分くらい文句を言いたくなったが、日向自身も気になるためここはぐっと堪えた。


「そうだ。オレは豊崎日向という女を一目見て恋に落ちた。これを言葉で表すならば一目惚れで間違いないだろう」


 あっさりと白状したギルベルトにどう反応したらいいのか戸惑っていると、顔色一つ変えていない怜哉は猫のような目を鋭くさせる。


「ふぅん……一目惚れについては嘘じゃないのは分かったよ。でもさ、分かってるの? 君のしようとすることは、ある種の国際問題だよ?」


 魔導士は国の宝だ。生まれた国にとっては貴重な戦力か人材で、魔導士同士でも国際結婚したらその生まれた子供をどの国の戸籍を持つかで激しく揉める。

 もちろん子供の戸籍は生みの親に決定権があるため国があれこれ言わ権利はないが、イギリスのそれも王族ならば話は別だ。


 もし日本人である日向がギルベルトの妃になってしまった場合、他国はイギリスが日本と確固たる関係を結んだと思うだろう。

 さらに日向のもつ無魔法は、全ての魔導士にとって天敵。現時点では日向の子供が無魔法を使えるか否かは不明だ。


 それでも、魔導大国であるイギリスがさらなる力を持つことは、全世界の国々にとっては国際問題に発展するほどの案件だ。

 夏休みの旅行で悠護が日向に片想いしているのは知ってるし、面倒事を考えると彼女にはこのまま黒宮家に嫁いだ方が楽だ。


「……なるほど。確かに貴様の言ったことには一理ある。魔導士は国の宝、それを他国の人間にそう易々と渡すわけにはいかないだろう」

「なら――」

「だが、今のままならば、だ」


 怜哉が何か言った前にギルベルトは遮ると、そのまま屋上から眼下の光景を見つめる。


「今の魔導士界は退廃している。誰もが自身の力を絶対的なものだと信じて疑わず、力なき者達にその力を暴力のために振るう。結婚さえも国がどうとか身分云々と口煩く好き勝手なことを抜かす」


 だがな、と言葉を区切り、ギルベルトは外に向けていた体を日向達に向ける。

 ギルベルトのその顔は、絶対的な自信に満ちていた。


「その世界を変えることこそイギリス王室に生まれたオレの宿命だ! 好き合った者同士が結婚し、幸せな家庭を築く、そんな些細な幸せを守らずして何が王だ! たとえオレの道に如何なる障害が立ちはだかろうとも、絶対に逃げはしない! 薙ぎ払い、潰し、そして前に進むッ! たとえ暴君と言われようと、それこそがオレが決めた道だ!!」


 朝のプロポーズと同じように堂々と、そして高らかに宣言する。

 あまりの毅然とした態度に周りが息を呑む中、日向は一歩、また一歩と前に出る。

 やがてギルベルトとの距離が腕一本分にまで近づくと、彼の顔を見つめる。


「……あなたの決意、正直にすごいと思う。今のあたしが目指す道がちっぽけなものに見えるくらい。でも、たとえ王子様だろうと、何も知らないあなたからのプロポーズは受け入れられない。ごめんなさい」


 ゆっくりと日向の頭が下がる。

 正直、王族のような身分の高い人間からのプロポーズを断るのは、庶民である彼女には勇気がいることだ。

 だがそれを踏まえた上で、彼に返事を返したのだ。

 ギルベルトはその返事には予測していたのか、特に気を負うことなく首を振る。


「……いや、さすがのオレもあれは性急過ぎた。断るのは当然だ。だが」

「だが?」

「これからオレのことを知っていくうちに、オレの魅力に気づき惚れる可能性もあるだろ?」


 ニッと白い歯を見せながら言われてしまい、思わず唖然としてしまう。

 その時、ギルベルトの視線が悠護に向くとフッと不敵な笑みを浮かべる。それを見て悠護が眉間にしわを寄せるが、ギルベルトは気にすることなく日向の手首を掴む。


「では早速、オレのことを知ってもらうためにデートに洒落こむとするか!」

「えっ!? 今から!?」

「ああもちろん、遠出はしない。範囲は学内だから安心してくれ」

「いや、学内も結構広いと思うんだけど……!?」

「では、行くぞッ!」


 そのまま強い力で手首を引っ張られ、日向はギルベルトと共に校舎の中へと戻って行く。


 一瞬だけ顔を後ろに向けた瞬間、制止をかけようとした悠護の顔が、まるで大切な玩具を奪われた小さな子供に見えた気がした。

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