第67話 いのち短し 悩め若人たち

 始業式が終わった学内は、早く寮に帰る生徒や天川に出かけようとする生徒、それからオープンカフェや食堂でお茶をする生徒、早めのお昼を済ませる生徒の三種類に分かれている。

 本来なら日向は三番目のタイプなのだが、今は学園案内図を持つ王子に案内を任されている。


 広大な敷地を有する聖天学園は、決まった順路を歩けはギリギリ半日で学内を見回ることができるが、さすがの彼も猛暑の中、女性を連れ回すような真似はしたくないという要望で、外に出て大雑把にだが他の建物がある場所を指さしで伝えることになった。

 最初は俺様な態度とは反した紳士的な振る舞いに内心驚いたが、一国の王子としてそういった礼儀作法を身につけていたと思うと納得もする。


 お昼を回ると、ちょうど目の前のオープンカフェがランチタイムを始めたため、今日はそこで昼食を摂ることになった。

 もちろん悠護達に昼食はギルベルトと食べる、というメッセージを送って。


「日向が案内してくれたおかげで大体把握することができた。礼を言おう」

「別に礼を言われるようなことはしてないよ。ちゃんと案内したのは校舎内だけだったし……」

「気にするな。オレはちゃんと三年で学園ここを卒業するつもりだ、他の場所はその時に覚えればいい」


 ギルベルトはさほど気にする様子もなく、フォークで少量取ったパスタをスプーンの上でくるくると回し、綺麗な球体になったそれを口の中に入れる。

 さすがと言ったべきか、やはり王族である彼の食べ方は綺麗だ。もちろん悠護も食べ方は綺麗だが、彼の場合は品性があるか他とは違って見える。


 今、二人が食べているのはナスのトマトのパスタだ。

 素揚げされたナスがトマトの酸味を吸ってマイルドな味わいにさせており、手製の生パスタのおかげでソースが絡みもちもちとした食感が堪らない。

 日向もなるべく音や口周りを気にしながら食べていると、奥の席に座っている女子三人がこっちを見たかと思うと、聞えよがしの声で話し始める。


「ねぇ見て、豊崎さん。さっそく例の王子様と一緒に食事してるよ」

「うわ、ほんとだ。黒宮くんがいるくせに」

「やっぱり育ちが悪いといい男に気に入ろうとするのかしら? 尻軽女らしいわね」


 きゃははっと悪意ある笑いが店内に響く。

 ランチに来ていた他の生徒も気まずそうな顔をするか、一緒になって小さく笑うかのどちらかの反応を見せる。

 だが、日向は大して気にする様子はなく、そのまま食事を続ける。


 こういった類の陰口は、小学校と中学で飽きるほど聞いている。

 いまさら傷つく理由もないため平然としていると、目の前のギルベルトが咎めるように自分を睨みつけていることに気づく。


「? どうしたの?」

「どうしたの? ではない。何故お前は自尊心が傷つけられているにも関わらず何も言い返さない? いわれのない侮辱はすぐさま訂正しなければ、汚名が一生つきまとうぞ」


 真摯に、だが王族としての威圧感を放つ目に身動きが取れなくなる。

 あんなのは日向にとって耳がタコになるほど聞き慣れたものだが、ギルベルト自身がそれを見過ごすことができないのだろう。

 現にギルベルトの怒気が店内に広まっているのか、さっきまで陰口を叩いていた女子達の顔が目で見てわかるくらい青ざめている。


 日向は一つ息を吐くと、手にしたフォークとスプーンを皿の上に置く。

 カチャン、と金属を食器の上に置く音が嫌に店内に響く。


「……確かに聞いていて気分がいいものじゃないし、根も葉もない噂で振り回されたくない」

「なら――」

「でも、その噂に踊らされないでちゃんとあたしを見てくれる人達がいる。自分を分かってくれる理解者がいるだけで充分なの」


 自尊心というのは、育て方次第では分不相応な自信を身につけ、無自覚な悪意で人を傷つける。特に魔導士至上主義の魔導士はそれが顕著である。

 たとえ悪意の言葉で己の自尊心が傷つけられても、『豊崎日向』という人間を理解し、噂に流されない理解者達がいるおかげでそんなことは気にしなくてすんでいる。


 今の日向にとって大事なのは、周りからの評価ではなく友人達の関係だ。

 日向の言葉の奥に隠された真意に気づいたのか、ギルベルトはぽかんとした表情になるが、次第に肩を震わせて大きな声で笑いだす。


「くっ……ははははははははははは! なるほど、確かに貴様にとってそっちのほうが一番重要らしい。なるほどなるほど、どうやらオレは貴様という人間性を見誤っていた」


 目の縁に生理的に溢れた涙を指先で拭いながら、ギルベルドは氷水が入ったコップを持つとそのまま口つける。

 カラン、とコップの中の氷が涼しげな音を鳴らしながら水を飲み干すと、静かにコップをテーブルの上に置く。


「それにしても、貴様という女は容姿だけでなく心根も美しいのだな。どれだけオレを惚れ直させれば気がすむのだ?」

「別にあたしはそんなことしていないと思うけど……」

「……いいや、無意識だが貴様は人を魅了させているのだ」


 ふいにギルベルトが声を低くしながら言った。


「オレのみならず魔導士というのは、生まれた時から本人の意思関係なく競争社会に放り込まれる。そういった輩は大抵身に合わない自尊心をぶくぶくと太らせ、己の行いが正しいと思い込む」


 ギルベルトが語る話は真実だ。

 魔導士は世界にとっても必要不可欠な存在だ。特に王星祭に出場している魔導士はオリンピックの選手と同じ熱狂的なファンがおり、小規模・中規模の魔法格闘大会が開催されるとその選手の特集が組まされる。

 だが、人とは違う特別な存在であることに鼻をかける魔導士、中でも魔導士至上主義者が顕著だ。


 魔導士至上主義者達は「自分達が一番偉い」という選民思想が頭のてっぺんから爪先まで完全に染みついていて、一般人と自身より弱い魔導士に対し傲慢な態度を取る。

 中には力の強さおいいことに、命令として乱暴をする魔導士もいる。もちろんそんなのは魔導士や一般人問わない立派な犯罪行為なので、IMF側が然るべき処罰を下している。


「だが、その中で『自分とは違う』という理由で一線を引く者やその力を利用する者の存在によって、いつの間にか孤独になってしまった者もいる。……そのせいか、人のぬくもりに飢えている魔導士が後を絶たない」


 その言葉に、悠護のことを思い浮かべる。

 七色家の権力にあやかりたい輩に囲まれ、幼馴染みの少女の妨害で友好関係をロクに作れなかった。

 今は理解ある友人達と気のいいクラスメイトに囲まれて楽しい日々を過ごしているが、これまでのことを考えると悠護にとって手に入れも手に入れられないものだったのだろう。


「だが、日向。貴様は魔導士の中では一際イレギュラーな存在だ。そのせいで魔導士達の常識には染まらず、己が普通だと思っている行為は他の魔導士にとって変わってはいるが新鮮で……なにより、こうしてそばにいるだけで心が温かくなる。だからこそ、貴様の周りには良い人間が集まるのだ」

「そ、そうなのかな……?」

「ああ。現に屋上にいた奴らもそうだが、クラスの連中も貴様のことを気に入っていた。それが一番の証拠だ」


 今まで自分のしたいことをしていただけに、改めて第三者からそう言われると照れ臭くなる。

 入学当初、日向は陽の妹の件や後天的魔導士の件、さらに無魔法の件で悠護達と遠野麗美以外のクラスメイトからは一線を引かれていた。

 遠野は入学式の時に突っかかった経緯でそれなりに話すことが多くなったが、それでも他のクラスメイト達は遠慮な姿勢で接してきた。


 だが率先して掃除当番を変わったり、日直の手伝いをしたり、しまいには遠野から堂々とパシられたりと、自分にできることは一通りやった。

 その成果なのか、いつの間にかクラスメイト達の隔たりがなくなり、他愛ない話で盛り上がったり、実技授業で分からないところを言い合うくらいには仲良くなった。


 すると、ギルベルトはおもむろに日向の左手を取ったかと思うと、その手を自身の口元にまで近づけさせる。

 それを遠目で見ていた周りが「きゃあっ」と黄色い声を上げる。


「え、ちょっと……!?」

「最初に貴様に一目惚れしたのは本当だ。だが、今はその時よりも貴様に対し熱く、激しい恋情の炎を抱いている。もし貴様に心が決めた相手がいるというのなら、オレはそいつと命を懸けた『決闘』を申し込もう。今はまだ友の立場にいるが、オレが本気で貴様を妃にしたいことはどうか忘れるでないぞ?」


 直後、日向の左手の甲にギルベルトの唇が落とされる。

 絵本やドラマでしか見たことのないシーンに日向の顔が一気に赤くなり、彼の手に取られていた手をすぐに引っ込める。

 店内の客達もキスシーンにさっきよりも大きな黄色い声が上がる。日向が口をぱくぱくさせている中、当人は平然とした態度で食事を再開させる。


 色んなことで頭のキャパシティーがオーバーヒートした日向は、赤面したままロボットのような動きで残ったパスタを平らげた。

 もちろん途中から味なんて分からなくなった。



☆★☆★☆



「……そっか、そんなことがあったんだ」

「うん……正直王子舐めてた……」


 寮の部屋に着くや否や、突然リビングの床にうつ伏せに倒れた日向は、レモンスカッシュを作ってくれた心菜にカフェで起きたことを話した。

 心菜も最初は普通に聞いていたが、キスのあたりで顔を真っ赤に染めた。まあ誰だって突然親友のラブシーンを聞かされたらそんな反応をするだろう。


「でもギルベルトさんは日向のこと本気みたいだね」

「そうなんだよねぇ……正直、あそこまで言われたらさすがに無視できないよ」


 果物のレモンの果汁から作ったレモンスカッシュは、レモンの酸味とハチミツの甘味、それらが炭酸水と合わせたことで、目が覚めるほどの刺激を与えてくれる。

 だが日向はそれを険しい顔のままストローでちゅーちゅー飲み、中身が半分減ったところでため息を吐く。


 告白は小学校の頃から両手の指では足りないくらいされたことがあるが、告白した理由が「可愛いから」という理由だった。

 正直自分の内面を見ていない相手は論外で、そういう理由で告白した男子にはちゃんと断っている。それで告白した男子に好意を持っていた女子から嫌がらせを受けたが。


 だが、ギルベルトの告白はちゃんと日向の内面をきちんと見て、その本質を理解した上での告白だった。

 あれにはさすがの日向も即答できるほどのものではない。家族や友達以外、むしろ異性の誰かを好きになったことはない日向にとっては、あまりにも衝撃的だった。


「…………返事、ちゃんと考えないとダメだよね」

「……そうだね。でも、日向自身が本当にどうしたいのかちゃんと考えた返事なのがいいと思うよ」

「あたしが、どうしたいのか……」


 ――なら、自分はギルベルトとどういう関係でいたいのだろう?


 そんな疑問を胸に抱えながら、日向はレモンスカッシュの残りを全て飲み干した。



 同時刻。日向と心菜の隣の部屋、悠護と樹の部屋では静寂が満ちていた。

 樹は毎月買っているマンガ雑誌を捲っており、悠護は『目指せ和食のプロ! 和食の献立百選』という料理本を読んでいるが上の空で、五分間隔でため息を吐いている。


「はぁ…………そんなに気になるなら本人に聞けばいいだろ?」


 さすがに様子のおかしいルームメイトを無視できず、雑誌を閉じた樹がそう言ったと、悠護は分かりやすいほど肩を震わせる。


「なっ……なんも言ってねぇだろ」

「言ってなくてもその辛気臭ぇ雰囲気のせいで分かるんだよ」


 目を逸らして誤魔化そうとする親友に、樹はあからさまなため息をもう一度吐くと、悠護の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「確かに好きな女が別の男……しかもそれが王子なら不安になっちまうのはしょうがねぇ。けどな、その不安を顔に出したりすんのはよくねぇよ。特に日向はことお前に関しては何かと気にかけてる。……そんな顔させて、あいつの心配させたくなきゃ、表面上はちゃんとしとけよ」


 そう言って樹は立ち上がると、「風呂入るわ~」と言って洗面所の方へ行ってしまう。

 ドアの閉じる音を聴きながら、悠護は自分の頭を掻くと深くため息を吐く。


「……んなの、分かってんだよ……」


 頭では理解している。日向がそう易々と告白を受けることはないことに。

 それでも不安になる。もし、あの王子の告白を受け入れてしまったら?

 考えるだけで恐ろしく感じてしまう。


 豊崎日向という少女は、自分のように人のぬくもりに飢えている魔導士にとって手を伸ばさずにはいられない存在だ。

 魔導士界の常識に染まっていない彼女は、周りが当たり前だと思っていることを間違いだと言い、どんなに力や権力のある者でも腹が立てれば怒り、疑問を感じればそのまま問う。

 たとえ命を狙った相手でも、一度和解してしまえば過去の因縁がなかったかのように仲良くなる。現にかつて日向の命を狙っていた怜哉は、あの日がウソと思うほど普通に接している。


 自身の行いが偽善だと理解していても、それでもどんな状況でも手を差し伸ばし、土や血を被ってでも助けに行く。

 元来から人が良い性格なのか、それとも魔導士になったきっかけであり方を変えたのか分からないが、悠護の目から見て、今の日向は太陽のように眩しく輝いている。


 それが単なる贔屓目なのかは分からないが、少なくとも『校内美少女ランキング』という男子にしか配られないランキングでは、心菜はもちろん日向もトップ10入りしていたから多分大丈夫だろう。いやランキングのことはよくないが。


(……これって、もしかして……嫉妬か?)


 嫉妬。

 悠護の幼馴染みで黒宮家分家の一つである桃瀬家の一人娘である桃瀬希美が、自分に群がる人間、そして日向に向けている負の感情。いや、あれはむしろ『憎悪』の方が当てはまるだろう。

 だが自分がそんな感情を抱いたことには素直に驚いた。


 希美のこともそうだが、悠護の周りにいた女は家柄目的の子ばかりだった。

 だからこそ家柄関係なく一人の人間として接してくれる日向に恋をした。

 その弊害として嫉妬を抱くのは至極当然な現象だろう。


 だが、日向を強く想う度に、彼女に告白したあの王子に嫉妬してしまう。

 返事は屋上で聴いたはずなのに、安心が出来なくなる。


「……意外と厄介なモンだな、コレ」


 初めて抱く感情に、悠護は再三ため息を吐いた。



 学生寮の一九階は、一人部屋仕様になっている。もちろん誰でも一人部屋を宛がわれるわけではない。

 暮葉のように生徒会に所属し私物が多くなる生徒や、ギルベルトとのように一国の要人、もしくはにしか宛がわれない。

 他の階と同じ六つある部屋の一つ、一年の中では唯一一人部屋を与えられているギルベルトは――ベッドの上で


「っ……はぁっ、ぐぅっ……がはっ……!」


 荒い息を吐き、体からは尋常ではない汗が流れ出る。白いシャツと黒のスラックスの袖から覗く白い手足は――に変わっている。

 黒く輝く爪は鋭く伸び、苦痛に耐えるたびにシーツを切り裂き、布団から綿が飛び出す。

 痙攣する右手を首元のチョーカーに触れると、手に魔力を纏わせる。


 チョーカーの石――魔石ラピスは魔力に反応し輝き、鱗が覆われた両手足が徐々に人間の手に変えていく。

 乱れていた息を何度も深呼吸しながら整えていき、むくりと疲労感と倦怠感が残る体を起こすと、サイドテーブルにある水差しの中の水をコップに注ぎ、それを一気に飲み干す。


 冷たくも熱くもない、ぬるめの水が喉の渇きを潤わせる。

 水を飲み干したことで幾分か落ち着いたのか、ギルベルドは深く息を吐く。


「……まったく、相変わらずじゃじゃ馬な魔法だな……」


 油断すると勝手に暴走する魔法と、それを制御できない自分に苦笑してしまう。

 ギルベルトが得意とする魔法は、王家にとって栄光かつ名誉な魔法モノだ。

 もちろんこの魔法を得意としなかった王も賢王や愚王と個人差はあったが、それでも国を栄え、国民を支えた。


 この魔法を手にしたことが発覚した日、父も母も世話役クリスティーナも、城にいた誰もが歓喜した。

 の血が甦った、と誰かが賞賛した。無論、ギルベルトもその事実には思わず叫びたいほど嬉しかった。

 憧れていた王と同じ魔法を使えることが出来て、嬉しくないわけがない。


 ――だが、そう素直に喜べたのはその日だけだった。


 気が緩んでしまうと暴走し、被害を出さないよう毎日全身を針で刺されたような痛みを必死に我慢した。

 あまりの痛みに我慢が出来ず、城に仕える魔導士達に頼んでベッドに押さえつけて、痛みを誤魔化すために喉が潰れるまで叫び続けた。


 今はこのチョーカーのおかげで昔よりは楽だが、それでも必死にこの魔法を押さえ続けている。

 いっそ解放してしまえば楽になるだろうが、恐らくこの学園だけでなく、その周辺の地域を焼け野原にしてしまう。

 それは王子として、そして一人の魔導士としての矜持が許さない。それならば、こうして一人痛みに耐え続ければいい。


「オレはギルベルト・フォン・アルマンディン……イギリス王室第一王子、そしてこの聖天学園で勉学に励む魔導士候補生。思い出せ……忘れるな……」


 自分を見失わないように自身の名を、立場を思い出すために何度も呟く。

 己の自我を確立させるおまじない。かつて、クリスティーナが不安で潰れそうになった幼い自分を救うための子供騙し。

 そんな子供騙しでも、今もギルベルトの支えになっている。


 王子は何度も思い出す。何度も刻みつける。

 自身の名を。立場を。

 決して己を見失わないように、月の光以外の光源がない部屋で、何度も何度も呟き続けた。

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