第68話 申し出

 朝、目に刺すほど眩しい日差しを浴びながら、日向はあくび交じりで洗濯物を干していた。

 キッチンでは心菜が朝食を作っており、お味噌汁のいい匂いがしてくる。

 下着はお風呂場の乾燥機能で干しているが、それ以外は全部ベランダで干している。昨日使ったバスタオルをかけていると、隣からベランダの引き戸が開く音が聴こえてきた。


 手すりから少しだけ身を乗り出すと、洗濯カゴを持った悠護がちょうどベランダの引き戸を閉めるところだった。


「おはよ、悠護」

「おっ、おお、おはよ。つかあんま体出すな、落ちるぞ」


 一瞬だけ肩を震わせた悠護だが、日向の姿勢を見てため息交じりで注意する。

 昨日はギルベルトに学校案内されてから一度も会ってなかったが、いつも通りの様子でほっとする。

 それでも何故かあの時見せた顔が頭から離れなく、ルームウェアを干しながら悶々としていると、おもむろに悠護が衝立の向こうから話しかける。


「……昨日、どうだった?」

「あ、うん大丈夫。大雑把にだけど学内案内したのと、カフェでランチしただけだから。そうそう、カフェのパスタ美味しかったんだよ。今度みんなで食べに行こうよ」

「ああ、そういえばあそこランチもやってたっけ。お前がそこまで言ったんならウマいんだろうな」


 まるで他人事のように言った悠護に違和感を覚えながらも、洗濯物を干す手は止めずに話を続ける。


「今日って二学期の授業範囲確認と軽い実技だけだっけ?」

「ああ、多分午前中には終わるだろ」

「そっか。今のうちにどの魔法使うか考えておこっと」


 本格的な授業は四月と同じで明日からだ。

 今日は自分が得意とする魔法を使うという軽い腕慣らしという意味で、実技が行われる。

 前回はまだ魔力が安定しなかったのと魔力抑制具が破壊されたため派手に暴走したが、あれから日向自身は少しずつだが成長している。


 一年は基礎魔法ばかりを学ぶが、独自で特訓している日向達は二年生の範囲の魔法を使えるくらい腕が上達している。

 だがあくまで実技で使うのは初級魔法のみだ。ただでさえ黒宮家の権限で週に三回訓練場を独占しているのに、中級魔法を使ったら周りから嫌味として受け取ってしまう。


 魔導士というのは総じてプライドが高い。もちろん全員が全員というわけではないが、中には自分よりちょっと優れているというだけで、陰湿ないじめを仕掛ける魔導士もいる。

 恐らくギルベルトも王族なのだから帝王学として上級魔法も習得しているだろうが、さすがに王子にいじめをしかけるほど度胸はないと信じたい。


「………………」

「? 悠護?」

「……なぁ日向、本当にあの王子となんもなかったんだよな?」

「えっと……それは……」


 あったかと問われればあった。

 一日で二回もプロポーズされて、手の甲にキスされた。世界中どこを探しても、王子からそんなことをされたのは恐らく日向だけだろう。

 そのことは心菜に話したのだから、パートナーである悠護にも話すべきだと思っている。

 ……なのに。


(なんで、あたしの口は動かないの……?)


 話したくても口が動かない。喉が急激に乾いていく。唇が接着剤でくっついたみたいに貼りついている。

 それ以上に、彼に話してしまったら何か良からぬことが起きてしまうのではないかという不安が纏わりついてくる。


「………………………」

「………………………」


 沈黙が続く。一番近く聞こえる音は互いの息遣いとスズメの囀る声、一番遠く聞こえる音はモノレールの駆動音。この音達がこの場を支配する。

 残暑特有の暑い空気が徐々に唇の潤いを失わせていく。カサカサとなっていく唇を唾液で湿らせながら、ゆっくりと口を開こうとする。


『日向ー、ご飯できたよー』

『おい悠護、メシだぞ。早く来いって』


 ベランダの引き戸越しから心菜と樹のくぐもった声が聞こえてきた。

 その声で先に我に返ったのは、日向だった。


「う、うん! 分かった! ごめん悠護、この話は後でね!」

「あ、おい待て日向っ!」


 悠護の制止を聞かず、日向は洗濯カゴを持って部屋の中に戻って行く。

 ピシャン、と引き戸が閉じる音を聴きながら、悠護はぎゅっと右手を強く握りしめる。


「…………なんで、答えてくれないんだよ……」


 その時の悠護の顔は、悔しげに、それでいて今にも泣き出しそうな顔をしていた。



 朝食を摂って、心菜に断って先に学校に向かい、教室に入ると、まず最初に目にしたのはギルベルトの席を囲む生徒の数だ。

 ギルベルトの席は窓際の一番真後ろで、当たり前だが彼の横は誰一人いない。だからこそあんなに人だかりがあっても迷惑していないクラスメイトがいないのは不幸中の幸いだろう。


「まったく、あからさまな連中ね」

「あ、遠野さん」


 クラスメイトの中で日向を堂々とパシらせるが、それが逆に好印象を持たせるお嬢様は王子に群がる同級生達を見て、心底呆れた顔でため息を吐く。


「大方、彼が在学中にゴマすりでもすれば、将来的に優位に立てるという浅はかな魂胆が丸見え。あれではさすがに王子の方がかわいそうになってくるわ」

「でもギルベルト……さんは、平然としてるけど?」

「それは彼が王族だからよ。王族っていうのは、億を超える権謀術数が渦巻いているだけでなく悪意も敵意も向けられ、命さえも狙われている存在よ? 幼い頃から自衛として高度な処世術を身につけるのは当然の義務なの」

「なるほど……」


 恐らくだが、ギルベルトは日向が向けられていたモノ以上なモノを向けられ続けたかもしれない。

 それを証拠に、彼はにこやか表情を浮かべているが目は一切笑っていない。

 だがそれも彼自身が宮殿の中に潜む悪から逃れるために必要だったのと思うと、今の自分に向けられる感情なんて一体どれほどの差異があるのだろうか。


「……そういえば黒宮くんはどうしたのよ。いつも一緒に登校してるでしょ?」

「あ……えっと、ちょっと早くあたしが先に行っちゃっただけなの。気にしないで」

「ふぅん」


 どこか歯切れの悪い返事を返す日向に遠野は一瞬眉を顰めるが、すぐに真顔になるとそのまま自分の席に座る。

 その時、ちょうど廊下を歩く悠護の姿が見える。彼は樹と心菜と一緒に歩いており、日向の顔を見ると微かに表情を曇らせる。


 その表情を見て、日向の胸をズキリと痛める。

 何故か今はとても悠護の顔を見ることが出来なくて、すぐに顔を逸らすとそのまま自分の席に座る。

 自分の顔を見るやさっさと席に座ったパートナーの姿に悠護が苦しげに顔を歪ませ、それを見た心菜と樹が困ったように互いの顔を見合わせる。


 その光景を悠護達から一メートル離れた場所で見ていた希美は嬉しそうに口元を歪ませ、教室の席に座るギルベルトは鋭い目つきで見つめていた。



☆★☆★☆



「今日が新学期最初の魔法実技や。一ヶ月も魔法使つこうてないと腕が鈍るからなぁ、今日でその感覚取り戻すようになー。それから――」


 魔法実技は第二訓練場で行われることになった。

 いつもと変わらない恰好の陽の注意を聞きながら、日向は近くにいる悠護を一瞥する。

 あの後、HRが始まり、終わったらそのまま更衣室に向かってしまったため、話が出来ていない。一刻も早くちゃんと話がしたいのに、それが出来なくてひどくもどかしい。


(うう……自分の優柔不断なところが恨めしい……。でも、さすがにこれ以上先延ばしにはできないし……実技をぱぱっと終わらせて、話す時間を作ろう)


 脳内で話の流れを考えている日向の横で、陽の注意事項は続く。

 まるで念仏のように長い注意事項が終わったのは、訓練場で全員が集まってから二分経った。

 するとおもむろにギルベルトが挙手をする。


「ん? なんや、ギルベルト。質問か?」

「違う。先生に許可を頂こうと思ってな」

「許可?」


 さすがの陽も意味が分からなかったのか眉間にシワを寄せていると、ギルベルトは不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと右手である人物を指さす。

 指を指されたその人物は――悠護。


「黒宮悠護との模擬戦の許可だ」

「はっ?」


 まさかの発言に悠護が間抜けな声を出すが、周りは一瞬でざわつく。

 実技授業では、新しい魔法の習得はもちろん模擬戦も内容に含まれている。やり方は新入生実技試験と同じで、個人データが登録された小型チップ搭載のバッヂを先に破壊された、もしくは戦意・意識喪失した方が負けとなる。


 もちろん模擬戦は教師の付き添いの元で行われるのが絶対的な決まりで、特定の人物との模擬戦には許可が必要だ。

 だが突然の申し出を受けた悠護は、あからさまなため息を吐く。


「俺はやらねぇぞ。つか、俺にはお前と戦う理由がない」


 悠護の言葉にギルベルトは眉間にしわを寄せた。

 たとえ教師からの許可を得ても、それは両者が模擬戦を受けることを了承しなければ意味がない。

 即座に話を切り上げようとする悠護に、ギルベルトは不敵な笑みを浮かべたまま言った。


「……ほう? 意外と七色家も大したことはないみたいだな。まさか戦う前から敵前逃亡などみっともない。なるほど、?」

「…………あ?」


 聞き捨てならない台詞を聞いて、悠護の顔が怒りで歪む。

 一瞬で一触即発な雰囲気になった二人から離れるように、日向達を含むクラスメイト達は数歩後ろに下がる。


「今の、どういう意味だ?

「貴様は見た目もそうだが精神も弱い。いくら七色家に生まれようが、『本質』というものが弱者のままだ。だからこそ、近しい者の言葉を信じず、周囲の人間に迷惑を被らせる。違うか?」

「…………………」


 正直に言ったと、彼の言っていることは事実だ。

 これまでの『黒宮悠護』という人間は、肉体的にも精神的にも弱い人間だった。

 だが日向達に出会い、自身のパートナーに恋をしてからは、少しでも強くなろうと努力した。


 もう二度と足手まといにならないようにと、夏休みの間は実家のトレーニングルームでひたすら己を鍛えていた。

 そんな個人的な事情をギルベルトが知らないのは当然だが、それでも自身の努力を否定されたようで、体の中で悔しさという水が溢れ出そうになる。


「――なるほどな、お前には俺がそう見えるのか」


 そして、そこまで言われて見逃すほど、悠護は器の大きい人間ではない。


「そこまで言われたからには俺も引けなくなった。――いいぜ、受けてやるよ。その申し出」


 その言葉に、ギルベルドはニヤリと犬歯を見せつけながら笑った。



 両者の了承及び教師の認可の元、行われる模擬戦。

 フィールドに立つ黒い体操服を身に包む二人の少年は、所定の位置で視線を交わし、睨み合う。その間にいる教師は二人の様子を静かに見据えていた。

 他の生徒達は急いで観客席に行き、突然の模擬戦に固唾を呑む。


「悠護、大丈夫かな? 向こうがどんな魔法を使うのか知らないのに……」

「でもギルベルトさんもどうしたんだろう。いきなり悠護くんと模擬戦だなんて」

「さあな。けど、なんとなーく原因には心当たりあるんだよなぁ」

「……? なんでこっち見るの?」

「なんでだろうなー?」


 何故か非難じみた視線を自分に向ける赤髪の友人に首を傾げる日向。

 だが近くで聞き耳を立てていた一部のクラスメイトは、樹の発言と視線で察してしまう。

 意味が分からないといわんばかりに頭にハテナマークを浮かべる日向と苦笑を浮かべる心菜を余所に、審判役である陽の声が響き渡る。


「それじゃあ、まずはルール確認や。二人の胸元にはバッヂがある。それが破壊、もしくはどちらかの戦意あるいは意識が喪失したと判断した場合は、その者の勝利となる。そして、当然やけど過剰攻撃及び殺傷行為は禁止や」

「はい」

「分かってる」

「そか」


 互いの視線を一切も逸らさないまま答える二人。

 生徒の様子を見守りながら、陽はゆっくりと右手をあげる。


「では――――はじめっ!」


 掛け声と共に右手が振り下ろされたのと同時に、先に動いたのは悠護だ。

 彼は瞬時に持っていた二本のネジを金属干渉魔法で剣を変える。全てが漆黒で塗りつぶされた片刃の双剣《ノクティス》を両手に持ち、そのままギルベルトへ向かって走り出す。

 悠護が立てた作戦は、短期戦だ。


(相手の得意の魔法が知らない状況じゃ、真っ先かつ最短で敵を倒すのが一番だ。詠唱も唱える暇を与えるな!)


 魔法発動には、詠唱と魔法名を唱える『基本発動』、魔法名を唱えるだけの『名称発動』、詠唱と魔法名を唱える必要のない『完全発動』の二種類がある。

『基本発動』は文字通り基本的な発動方法のことで、詠唱と魔法名を唱えることで魔法を発動させる方法だ。

 次に『名称発動』は魔法名を唱えるだけで魔法を発動させる方法で、一般的な魔導士ならば中級までの魔法をこの方法で発動させることができる。


 そして『完全発動』は詠唱と魔法名を唱える必要がないメリットがあるが、術者が年単位で使い慣れた魔法にしか効果がないデメリットがある。

 だが幼い頃から金属干渉魔法を得意としていた悠護にとっては自身の手足も同然で、ランク問わず金属干渉魔法だけならば『完全発動』ができる。


 一歩もその場から動かないギルベルトの距離が着々と縮まっていく。

 周囲から見るとただ直立不動しているだけだろう。だがその堂々とした姿を見るたびに、悠護の首筋がぞわぞわと粟立つ。

 毅然とした態度で腕を組み、そこに立っているだけなのに。

 

(……なんだ? あいつの様子がおかしい。というか、なんで動かない……!?)


 この模擬戦はギルベルト自らが申し出たはずだ。

 当の本人がやる気がないというのはあまりにも話にならない。

 ここまで敵が迫っているのに、一歩も動かず、その場に立つのか? 


 ――その答えは、目の前を覆う黄金の輝きによって証明された。


「づぅっっ!?」


 最初に感じたのは《ノクティス》から感じる異常な熱。次に感じたのは全身を襲う痺れ。

 半ば意地で《ノクティス》を持ったまま後退すると、目の前の光景に息を呑む。

 悠護の目の前には、変わらずギルベルドはいた。だが、その姿は幾星霜の星々を全て肉眼で見るよりは明らかだった。


 白皙の頬と無骨な手を覆う黄金の鱗。手入れされた爪は黒く鋭い。丸みを帯びた耳の先は尖がり、ガーネット色の瞳の虹彩は綺麗な円形から縦長に変わる。

 そして、全身に雷電を纏わせるその姿、まさに現代にまで伝えられた伝説の――


「ドラゴン……!? お前、概念干渉魔法――それも『伝説級』の使い手か!!」

「ほう? やはり同じ干渉魔法を使う人間には分かるか」


 悠護の言葉に、ギルベルドは口元の笑みを深く刻む。

 概念干渉魔法は、世界中に存在するあらゆる伝承を『概念』として干渉することでその力を振るうことができる魔法。

 かつてアメリカの魔法研究所によって合成獣キメラにされた概念干渉魔法の使い手であるメリア・バードは、ハーピーを『概念』として干渉し、その姿を変えていた。


 概念干渉魔法は九系統魔法の中で一番扱いにくく、そして一番制御しにくい魔法だ。一度制御を見誤れば、その使い手は一生元の姿に戻ることはできないとされており、我が身の大切さが故に危険性の高いこの魔法を習得しようとする魔導士は少ない。

 そして、その概念干渉魔法には他の魔法にある初級・中級・上級があるように、『伝説級』、『神話級』と二つ段階がある。


『伝説級』は、ハーピーはもちろんまあメイド、ユニコーン、グリフォンなどの『幻獣』と呼ばれる伝説上の生き物の力を振るうことができる。ただし、歴史上に存在していた英雄を『概念』に置き換えることはできない。

 これは英雄という伝説そのものが幻獣より強いため、『概念』にするにはほぼ不可能だとされているためである。

 だが、その英雄と血の繋がり、もしくは前世の生まれ変わりという場合の魔導士がいれば可能になる、という推測が出されている。


 対して『神話級』は世界中に存在する神、その神話の中に登場する者達の力を振るうことができる。

 ただしこれは『伝説級』以上に制御が難しく、制御に失敗すれば自我を乗っ取られ、最期は伝承通りにする。

 この『神話級』の概念干渉魔法を使えるのは世界中でもたった三人のみで、その三人全員は母国の生きた守護神として今も生存している。


 そして、その『伝説級』の中で上位に君臨するのは、ドラゴンだ。

 どの幻獣よりも強靭で強大、そして圧倒的な破壊力を有するドラゴンは、『神話級』の『概念』に半分足を浸からせており、それをまともに扱える魔導士を悠護はついさっきまで知らなかった。

 そのドラゴンを『概念』とする黄金の王子は、驚愕で目を見開き固まる黒の後継者を見て小さく笑いながら宣言する。


「――さて、先は貴様に譲った。ならば次はオレの番だ」

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