第16話 白石怜哉
自由時間が終わり、街で買ったものや鞄を部屋に置いた後、日向達はホテルから少し離れた広場へ行く。
広場は樹齢何十年も経っている木が取り囲むようなっており、下の地面は芝生が生えておらず、砂と土しかない。ここで今日の特別授業と明日の天体観測とバーベキューも行う会場になるらしい。
少し気温が高いせいで周りが暑そうにしながら流れる汗をハンカチで拭っていると、渡辺がこの合宿の特別授業を担当してくれる上級生達を連れてきた。
この合宿では上級生の中で特に成績がよかった者、もしくは指導能力がある者が選抜されている。
上級生は多くの一年生の相手もしなくてはならず、時間通りかつ適切な指導をすることを大前提にしているため、中途半端な能力しかない者は選ばれないのだ。
今回その選抜を勝ち抜き、合宿にやって来た先輩達は毅然とした態度しており、まさに『先輩のお手本』のような人達だった。
あまり接する機会がない上級生達を前に、同級生達が憧れた視線を向ける中、渡辺は咳払いをした。
「……コホン。今回この合宿であなた達一年生の指導をして下さる二年生達です。みなさん、彼らの指示に従って行動するようにしてください。くれぐれも怪我をしないように頑張ってくださいね。では、さっそく担当する生徒の名前を読み上げます。その後、呼ばれた生徒はその担当の生徒と一緒に行動してください。まず――」
渡辺が持っていたタブレット端末で名前を読み上げて行き、呼ばれた生徒達は集団から離れる場所へ行ってしまう。
基本パートナーは常に行動するよう言われているため、名前を呼ばれている一年生は全員パートナー同士だ。
すでに決まった人達が軽く自己紹介しているのを見ている中、ついに日向……というか日向達の名前を呼ばれた。
「次に一年生は豊崎日向さん、黒宮悠護さん、神藤心菜さん、真村樹さん、羽鳥有希さん、
白石。
たった二文字の名字を聞いて、日向だけなくここにいるチームのみんなは目を見開いて固まる。それを他所に名前を呼ばれ、気だるげに前に出たその人を見て、日向の背筋が悪寒で襲われる。
前髪がM字型になっている切り揃えられた銀髪、鋭い刃物を思わせる双眸、あまり焼けていない白い肌。まるで彫刻のような姿をした少年は、制服の下に着ている赤いパーカーのフードの下からアイスブルーの瞳でこちらを見つめる。
「……どうも、僕は白石怜哉。お察しの通り、七色家が一つ『白石家』の人間だよ。今日からよろしく」
抑揚がない口調。幽霊みたいに掴み所がない雰囲気。これだけ見ればやる気がない先輩にしか見えない。だけど、氷のように冷たく鋭い『何か』を感じた日向にとっては彼――怜哉は得体の知れない人間に見えてしまう。
無意識に息を呑んだ日向を余所に、怜哉は悠護を見ると感情が読めない顔で話しかける。
「久しぶりだね、黒宮くん。会ったのは今年の新年パーティー以来だよね。元気にしてた?」
「見れば分かんだろ。つーか、なんでお前が俺達の指導役なんだよ」
「そりゃあもちろんこれが最適なバランスだからだよ。一年生に七色家の人間がいるなら、指導役も同じ七色家じゃなきゃ割に合わないでしょ。……それに、二年生の中にも君の伴侶になろうと考えてる奴だっている。気づいてるでしょ?」
怜哉に言われて周りを見ると、二年生の――特に女子が悠護に向けてまるで獲物を狙う獣のような視線を向けていた。その中には日向に対する嫉妬が混じった視線も入っている。
悠護もそれには最初から気づいていたのか、忌々しそうに舌打ちをする。
「僕はそういうのは興味ないし、僕のパートナーもどっちかっていうと女の子が好きな人だからね。今のところ
「……っ!」
怜哉の言ったことは正しい。もし指導役が彼ではなく七色家の伴侶を狙う女子だったら、
だけど同じ七色家の人間が指導役ならばそんな事態は起きないし、何より七色家の人間の目の前で何かしでかせば立場を悪くするのは向こうの方だ。それが分かっているからこそ、悠護は何も言えず口を噤むことしか出来なかった。
それで納得したと解釈したのか、怜哉はパンパンッと二回手を鳴らす。
「……さて、身内話はここまでにして、そろそろ授業しようか。といっても教えるのは簡単なやつだし、そこまで時間かからないでしょ。ここじゃ狭いしちょっと移動しようか」
おいでー、と手招きされて日向達は怜哉の後について行く。
その間も悔しそうに顔を歪めている悠護が心配になり、日向は小声で話しかける。
「……大丈夫?」
「……ああ、まあな。ムカつくけど白石の言ったことはもっともだ。今の俺じゃ従うことしか出来ねぇよ」
「そっか……。でもあの人……その、なんというか……怖いんだよね……」
「怖い? まあ確かに昔から幽霊みたいにいつもどこからかひょっこり現れる奴だからな、そう思える気持ちは分からなくねぇが――」
「そ、そういう意味じゃなくて! 上手く言えないけど……雰囲気とかそういうの通り越して、本当に怖いの……」
『怖い』という定義は様々だ。オバケが怖い。虫が怖い。そういった『怖い』は、純粋な恐怖心からくるものだ。
だけど今、日向が怜哉に感じている『怖い』は、彼のアイスブルーの瞳から感じるものだ。あの目に見つめられていると、形容しがたい何かが体中を蠢き、背筋を震えさせる。それが何なのか分からないからこそ、怖いのだ。
自身の震える声で日向の言いたいことが伝わったのか、悠護は手を伸ばすと日向の頭をわしゃわしゃと乱暴な手つきで撫でる。
「……白石は油断にならねぇ相手だ。お前がそこまで言ったなら少し用心しといた方がいいかもな」
「うん……」
楽しい合宿になるはずだったのに、何だか不穏な気配がし出して日向は手汗が滲む手で服の胸元をぎゅっと握りしめた。
怜哉に連れてこられたのは、広場の中央から少し離れたところだった。他の同級生達が指導役の先輩達にあれこれ話しているのを見ていると、怜哉が口を開く。
「……さて、毎年そうなんだけどこの合宿で教わる魔法は灯りをともすだけの簡単な魔法。特にこういった繁華街以外じゃ光源が乏しい場所じゃ便利な魔法だね。詠唱も簡単だけど、試しに僕がお手本見せてあげる。――『
薄い唇から紡がれると、怜哉の手には球体状の白い光が現れた。
「これだけの詠唱なら白なんだけど、その前に色とか指定すればその色の光が現れるよ。たとえば――『
再び怜哉が魔法を発動させると、さっきまで白かった光は赤く変わる。
「こんな風に詠唱部分を色に関する言葉にさせると、魔法もそれに合わせて色に変える。レクリエーションでは決められた色があって、それをみんなに覚えてもらうよ。はいこれプリント配って」
「えっ、あ、はい」
投げやりに渡されたプリントを近くにいた田口くんが受け取ると、それをみんなに渡した。
プリントには赤、青、黄色、緑、白の基本の色が五つと、緊急時が起きたことを知らせる色である黒を入れると六つが書かれている。
今日中にこの魔法を覚えることが日向達一年生の課題らしい。
「じゃあここから先は各自練習。それが終わって自信がついたら僕に見せてね。それで採点するから。はい始め」
「えっ、いきなり!?」
あっさりとした説明の後の練習開始の合図に秋本くんが驚きの声をあげるも、怜哉はぼーっと空を眺め始める。
完全に我関せずの態度に戸惑いながらも、各自自主練することになった。全員がパートナー同士でやっているが、日向達はいつものメンバーでやるつもりだ。
集まった途端、樹は苦々しい顔で怜哉を睨んでいた。
「ったく、なんだよあの幽霊野郎! いくら七色家だからって適当過ぎんだろ!?」
「そう怒んなよ、そもそも白石は
「そうなんだ……。でも、さっきのはさすがに言いすぎだと思うよ。悠護くんだって気にしているはずなのに……」
二人の会話を思い出したのか、心菜が暗い顔で言ったと悠護は髪を掻きむしった。
「……それは別にいいんだよ。情けねぇが正論だし、俺がまだまだ未熟ってだけだ」
「……悠護」
「ま、その話は終わりだ。それより早く始めようぜ、遅れただけで採点に響くとか嫌だろ?」
ニカッと笑う悠護だが、それがただの空笑いであることは日向達全員が分かった。
でも『何も言うな』と伝わってくる笑みに、日向達は何も言えずそのまま訓練を始めることにした。
そんな日向達の後ろ姿を、怜哉が観察するように見ていたことに気づかないまま。
☆★☆★☆
「はぁ……」
訓練は滞りなく時間内に終了し、ビュッフェ形式の食堂で各々好きなものを食べた後、風呂時間になる。
ホテルの温泉はどれも腰痛や肩こりなどに効くものばかりだが、それを差し引いても気持ちがよかった。
心菜は温泉特有の高い温度で早々にのぼせかけてしまい、すでに部屋に戻っている。少し遅めに浴場を出て、ホテルが用意した濃紺色と白の縦縞模様の浴衣を着た後、日向は壁半分が窓ガラスになっているエントランスのスツールに腰かける。
窓からは綺麗な三日月が浮かんでいて、本当ならその幻想的な光景に見惚れていたはずだ。
(……でも、それができないのは、やっぱりあれのせいだよね……)
あの時、怜哉の言葉が頭から離れなれずにいる。
彼の言った通り、新入生実技試験の後、日向にやっかみや嫌がらせをしてくる人は激減したが、たまに通りすがりに陰口を言われたりしている。
それ自体は中学の頃からたまにあったから気にしていないが、同じ七色家である怜哉に言われたからこそ、そのダメージは大きかった。
(あたし、悠護のこと全然分かってない……)
ちょっと探せば分かることさえも日向は見つけ出せず、代わりに第三者であるはずの怜哉は一時間も満たない間に見つけてしまった。
きっと悠護は日向より先に見つけていて、もしもの場合にならないように今まで一緒にいてくれたかもしれない。魔導士としてはまだまだ未熟な日向に気を遣って。
訓練場の時といい、彼はずっと裏で日向や心菜達のために色々としてくれていた。そんな彼の優しさを、つい最近まで気づけなかった。
「……あたし、最低だ……こんなんじゃパートナー失格だよ……」
罪悪感と不甲斐なさに落ち込む日向。はぁ……、と大きなため息をついた時だ。
「――ちょっと、せっかくの合宿にそんなため息を出さないでちょうだい。見ているこっちも不愉快よ」
きっぱりと言い切った強い口調に、日向は項垂れていた頭を持ち上げる。
声をした方を見ると、そこには金髪をお団子ヘアにしてまとめた遠野が腕を組んで佇んでいた。
「……遠野さん」
「あなたらしくもない辛気臭い顔ですね、いつもの呑気な顔はどうしたんですの?」
「……あたし、いつもそんな顔してるの?」
「ええ、してますわ。呑気で悩み事なんて一切ない、普通に学生生活を謳歌する少女の顔を。あの間抜け面を毎日拝んでいるこっちとしては見るに堪えないものよ」
「そ、そうなんだ……ごめんね」
「………………」
落ち込んだままで謝罪すると遠野は困惑した顔を見せる。だがその顔はたった一分にも満たない頃には無くなり、代わりに真剣な顔をした。
「……どうやら、夕方の件のことを気にしてるようね」
「えっ?」
「その『なんで分かったの?』的な顔はやめなさい。さすがにあの場にいたわたくしでもなんとなく察してるわよ。大方、今まで自分が黒宮くんに庇われていたことに気づいて、それに気づけないで無意識に彼に負担をかけていたことに対して申しわけなく思ってるんでしょ?」
「う"……仰るとおりです」
適切な言葉にぐうの音もでない日向は、さっきまで縮こまっていた体をさらに縮める。
そんな日向を見て、遠野は大袈裟に息を吐く。
「……やはりそうなのね、まったく。豊崎さん、あなたって本っっっっっっっっ当におバカさんね」
「そ、そこまで!?」
「そうよ、そこまでよ。そもそも他者の気持ちを理解するなんて、一朝一夕ではどうにもならないわよ。至極当然のことよ。人間にとって『人間』は、たとえ同族でもそう簡単に理解することも、分かり合えることもできない存在よ。そんな種族の一員であるあなたが、同族の彼をすぐに理解することなんて無理なのよ。そもそも、人はどうやって互いを理解することができると思う?」
「え? えっと、それは……」
突然のことで答えを出せず口ごもる日向に、遠野ははっきりと答える。
「簡単よ。答えは、少しずつ互いを分かり合うこと。もしあなたこれからも黒宮くんとパートナーでいたいなら、時間をかけてでも分かり合っていけばいい。時間っていうのは意外とたくさんあるの。今はまだ無理でも、少しずつ歩み寄れば分かり合えるわ。……だから、しゃきっとしなさい。今のあなたがやるべきことは、ここでうじうじ悩むんじゃなくて行動することよ。違う?」
遠野さんの言葉に、日向の頭の中にあった悪い感情を凝縮した黒い靄が一気に晴れた。
……そうだ、何を焦っていたのだろう。出会ってまだ一ヶ月ちょっとしか経っていないのに、どうして悠護のことを全部知っていた気でいた?
(……理由は分かってる)
新入生実技試験後、日向が悠護に言った。『できることならずっとパートナーにいたい』、と。
あの時の悠護はそれを望んでくれていた。それだけで日向は舞い上がって、彼と分かりあえる理解者なのだと思い込んでいた。
要するに、日向はただ勘違いしていたのだ。それも普段の自分とは想像できないほどの。
(冷静に考えると、本当にあたしバカだなぁ……)
勝手に思い込んで、勝手に落ち込んで、まるでピエロみたいだ。遠野の言った通り、日向はかなりのおバカさんだ。
でも、今ので悩みが消えたのも事実だ。日向は腰かけていたスツールから立ち上がると、遠野さんに向けて笑みを浮かべる。
「ありがとう、遠野さん。遠野さんおかげで日向がやるべきことが見つかったよ」
素直な感謝の言葉を告げると、彼女は微かに頬を紅潮させるとプイッとそっぽを向く。
「ふ、ふんっ! これくらいのことでお礼だなんて随分と安上がりね。わたくしは当然のことをしたまでよ。ほら、さっさと部屋に帰るわよ! 夜更かしはお肌に悪いんだから」
「うん、そうだね」
彼女なりに照れている様子に日向は小さく笑いながら、早足で部屋に戻ろうとする遠野の背を追いかけるようにエントランスを後にした。
深夜一時。夜の闇がぐんと深くなり、時折吹く風が深い緑色をした葉から音を出す。
熊のような害獣があまりいない椿島の森の中に、怜哉は一人その中にいた。
右手にはスマホを持っており、それを耳に当てている。それとは対照的に左手に持っているのは、朱色の刀袋に包まれた刀だ。刀といっても本物ではなく、刀型魔導具だ。とはいえ切れ味は本物の刀と同じくらいだから、危険物であることには間違いない。
その刀型魔導具の銘は《
三コール鳴らすと、電話の主が出た合図がスマホから聞こえてきた。
『はい』
「もしもし、父さん?」
『怜哉か。どうした?』
「予定通り明日……というか今日のレクリエーションの罠をしかけたよ。これで予定より早く片がつくよ」
『そうか……すまないな、怜哉。お前にこんな汚れ仕事をさせてしまって』
「何言ってんの? 白石は代々その仕事を誰よりも多く担ったからこそ、今の地位にいるんでしょ? ならその家の次期当主の僕がそれをするのはおかしくないでしょ」
七色家には様々な役割がある。これは七色家創立当初に初代当主が決めたことで、その役割を変えることはもう誰にもできない。
黒宮家は国際魔導士連盟という『魔導士の秩序』の総本山にいることで現在を維持することを役割とする反面、白石家の役割はその秩序に外れてしまった者の排除だ。
正確に言ったと、魔導士崩れのような魔導士制度に適していない者を対象としている。魔導士崩れによる犯罪集団は規模も数も大小様々だ。それを一つ一つ潰すとなると多大な時間と人材を必要とする。
白石家とそれに連なる分家は幼少の頃から一人も犠牲者を出さないように高度な戦力と知略を有し、成人した後は魔導犯罪課直属の特攻隊に入隊するのがほとんどだ。
そして、白石家当代当主であり怜哉の父である
そんな父の出した任務が、間違いであるはずはないと思うのは、純粋に血の繋がりがあるからこそだ。もしこれが全くの赤の他人なら怜哉は聞く耳を持たなかった。
「心配しないでよ、父さん。僕は父さんの任務を、完璧にこなしてみせるよ。――世界で唯一の無魔法の使い手、豊崎日向の殺害任務を」
その言葉を皮切りに、一層強く吹いた風が耳障りなほど木の葉を揺らした。
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