第175話 第二王子の想い、現れた英雄の一人
「アッハッハッハッハッハッハ!」
死神が哄笑を上げる。
身の丈より長い槍鎌が真一文字に振るわれるたびに、頑丈な建物がバターみたいにさくさく切られていく。
足を縺れさせながら逃げる自分は、少年にとっては追いかけ甲斐のある絶好の獲物だろう。
「ほらほらほらぁ! 逃げてばかりちゃツマんないよ! もっと抵抗してよ、ねぇ!!」
レトゥスが槍鎌を大きく振るった瞬間、数メートルにかけて地面に大きな爪痕を生み出す。こんなのをまともに喰らったら、アイリスの細い体など切られた建物より簡単に泣き別れる。
ぞっと背筋を凍らせるも、自身の命を守るためにひたすら走ることに専念する。
『レベリス』が使う魔導人形には熱探知機能が付いておらず、視界に映った物体だけを狙う特性があった。
その間はエヴェを使って透明化になったり、見つかった場合は魔法でなんとか撒いたりと必死に逃げていた。
なるべく遭遇せず、抗争が終わるのを静かに待つことしかできないアイリスにとっては最適解だ。
だけど、背後にいる相手は完全にアイリスを狙っている。まるで壊れかけのおもちゃを壊す子供みたいにはしゃいで。
……いや、彼の目から見たら、アイリスは壊れかけのおもちゃ当然だ。
いつ捨てられてもおかしくないモノ。それは同時にどれだけ雑に扱って壊しても構わないと同義。
実際、今のアイリスは宮殿にもIMF本部にも見捨てられた偽者。
生きているより死んだ方が面倒な問題が片付く存在。
魔導士崩れのように、周囲から唾棄されている哀れな娘。
こんな怖い目に遭うくらいなら、こんな辛い目を味わうくらいならいっそ死んだ方がマシだ。
母親に捨てられ、どこにも居場所はなく、存在すら価値がなくなった自分なんて死者と同じ。
頭の中ではとっくに分かっている。自分はさっさと死ぬべきだと。
でも。それでも。
(――生きたい)
たとえ偽者だったとしても、虐げられた人生のまま終わるのは嫌だ。
もっと生きて、誰もが羨むほど素敵でかっこいい王子様に出会って、華やかな結婚式を挙げて、幸せに満ちた家庭を築いて、自分を愛してくれる者達から別れを惜しまれながらこの世を去りたい。
たとえ平凡で慎ましいものでも、アイリスはもっと生きたい。
「――エヴェ! 彼を倒してッ!」
生きたいという強い意思が胸の中で生まれたのか、逃走の足を止め、肩に留まっていたエヴェに命令を下す。
主人の命に従い、白竜は人形サイズから周囲の建物と同じ高さにまで巨大化し、鋭い牙が並ぶ口から白いブレスが放たれる。
超高熱度のブレスは石畳の道を数キロ先も融かし、鼻につく異臭を漂わせる。
「あ、やっとその気になってくれたんだ! 追いかけっこにはそろそろ飽きてきたから嬉しいよ」
そのブレスを危なげなくスッテプを踏みながら躱したレトゥスは、嬉しそうに顔を綻ばせながら槍鎌を構え、乾いた下唇を舌で舐めた。
召喚魔法で喚ばれた魔物にはランクがあり、【
【
【
そして、【
まさかアイリスが【
恐らく宮殿の人間が非力な彼女を守るボディーガードとして召喚を促しただけだろうか、【
だが、たとえ偽者でもまともに戦える知識と技量がなければ話にならない。
そもそもレトゥスを含める『レベリス』幹部陣は、【魔導士黎明期】の時代から生きている。拠点である異位相空間が世界の法則から外されたせいで、任務以外の時に外に出ないせいで年齢が当時と変わらず成長していない。
異位相空間に入ってから初めて外に出た時は、外では『落陽の血戦』から三〇年近く経っていたと知った時は目玉が飛び出すほど驚いたものだ。
でも、どれほど時代が経っても、人間の醜悪さは全然変わらない。
ちょっと甘い態度を見せるとつけ上がり、こっちから裏切ると罵声を捲し立てながらも命乞いをする。
それは、レトゥスが『リンジー』の名を捨てる時から変わらず、一番醜くて大嫌いな姿。
そして、殺す時に見せるには最高に大好きな姿だ。
(この子はどんな姿を見せるんだろう……ああ、楽しみだなぁ!)
幼い時分によって人格を歪められ、殺人に対する快楽を得た死神は、幼い顔立ちには合わない獰猛な笑みを浮かべながら、目の前の獲物に向かって駆け出した。
エヴェのブレスが
【
アイリスの魔力値は一〇万越えと高く、技量がなくてもその魔力値によってエヴェの力を本領発揮の一歩手前までの威力を出している。
万物を融かす白竜のブレスは、建物さえもマグマのようなドロリとしたものに変えてしまう。
だが、レトゥスは強力なブレスを諸共せず、それどころか槍鎌を使って切り裂く始末だ。ステップを踏みながら前進、半身を軽く捻らせながら躱し、杖を扱っているような軽い動作で槍鎌を使うその姿は、その名の通り『死神』そのもの。
レトゥスが使う槍鎌《インフェリス》は、ラルムによって作られた専用魔導具だ。
複数の魔法を付与しているこれは、万物さえ切り裂き、どんな衝撃や攻撃を受けても壊れないというレトゥス好みに仕上がっている。
【
(まあ、それでも油断はできないけどね)
エヴェと呼ばれた白竜は、物語に出てくる竜と同じで翼がある。
ギルベルトも暴走して竜の姿になった時、空を飛ぶことができた。この白竜も同じことができるのだが、飛行をしないのは単純に自分の身の危険だろう。
空を飛ぶ動物は総じて、地上から翼をやられたらなすすべなく墜落する運命だ。もし白竜に乗って空中に逃げても、レトゥスには翼を切り裂いて墜落させる技量はあると自負している。
アイリス自身がそれを本能的に察しているのか、エヴェに飛行指示を出さないのは賢明だが腹も立つ。
せっかくだからこの図体のデカい白竜を空で堕として、さらにアイリスの首も狩ろうと思っていたこともあり、小さく舌を打った。
(あーあ、早く死んじゃえば気が楽になるのに。変に生に固執してる奴の考えは気が知れないよ)
誰もが死にたくないという感情を持ち合わせるのは何千年も続く生存本能だと理解していても、こんな理不尽で絶望しかない世界で生きる人間は総じて頭がおかしいというのがレトゥスの持論だ。
身勝手な理由で人の人生を奪う人間もそうだが、自殺願望があるくせにいざ死と直面するとやめるなどとほざく。
特にアイリスのような生きることを望む人間は面倒だ。
自分は利用価値も存在竜もないのに、いっそ死んだ方が面倒などの柵から解放されるというのに、生きるために抗う。
それがあまりにも惨めな姿と、彼女は知らないだろうか?
(……別にどうでもいいけど)
他人の心配なんてそれこそ無意味。偽善なんてもっと吐き気がする。
だから――もう終わらせよう。
スゥッとレトゥスの雰囲気が冷たく鋭利なものに変わった直後、彼は腕を鞭のように動かすと体ごと回転する。
《インフェリス》の刃が分厚い肉と硬い鱗で覆われたエヴェの首に突き刺さり、遠心力によってはが食い込んでいき、ブチブチと筋肉繊維が千切れる音が聴こえてきた。
「エヴェ!?」
地を這うような絶叫を出す白竜の姿に、アイリスは悲痛な声を上げるも遅かった。
エヴェの首は小柄な体からでは想像できない膂力と遠心力によって、首の真ん中で斬り落とされる。首が地面に落ちる前に白い光の泡となって消える白竜を見て、アイリスが膝から崩れ落ちた。
白竜の首を斬り落としたレトゥスは、そっと鎌の部分にアイリスの首に沿える。
「残念だったね、偽者ちゃん。君の人生はここで終わりだ」
エヴェを斃されたことがよほどショックなのか、茫然自失としているアイリスの耳には目の前の死神の声が聴こえない。
命乞いしながら泣き喚くかと思っていたせいで、その反応はレトゥスにとっては面白くない。
「ちっ、聞こえてないか。もういいや――殺すね、バイバイ」
舌打ちをしながらも《インフェリス》を大きく振りかざし、鋼色の刃がギラリと輝いた。
今まさに自分の命を狩り取ろうとする刃を見ても微動だしないアイリスは、その刃が向く先を無感動に見つめる。
だが、
「うぉおおおおおおおおおっ!!」
「はっ!?」
突如響いた雄叫びと共にレトゥスの背後から振り下ろされる剣を見て、彼女の瞳に失われかけていた光が戻る。
レトゥスは素っ頓狂な声を出しながらも杖の部分で防ぐも、目の前の相手の膂力を察したのか舌を打ち、曲芸さながらの動きで後退する。
忌々しそうに睨みつけるレトゥスを前に現れたその人物は、アイリスを庇うように立つと口を開いた。
「――これ以上、アイリスを傷つけはさせん!!」
イギリス王室第二王子ヴィルヘルム・フォン・アルマンディンは、なんの力を持っていない人の身でありながら愛しい少女の騎士として君臨した。
☆★☆★☆
絶えず止まない爆発音の中に隠れた砲撃音を耳聡く聴き取ったヴィルヘムは、まさに間一髪というところで目的の相手を見つけられた。それと同時に『レベリス』の幹部と対峙したことを考えれば、これはある種の幸運でもあり不運だ。
背後にいるアイリスは呆然と自分の背中を見つめており、眼前にはアイリスの首を刈り損ねたレトゥスが忌々しげに顔を歪めていた。
(エヴェのブレスが止まったということは、あの男にやられたと考えて妥当だろう。となると……再召喚まで時間がかかるな)
魔物は一度倒されると、再召喚するまでインターバルがある。
このインターバルは魔導士の魔力値とランクによって差があり、アイリスの場合インターバルが終わるまで五分は必要だ。
柄を握る手にもう一度力を篭め、突進張りの速度で疾走する。
愚直にも立ちはだかろうとするヴィルヘルムに、レトゥスは舌打ちしながら《インフェリス》を振るう。
《インフェリス》の刃と剣がぶつかり合う音が周囲に響き、ギリギリと重なり合いながらもレトゥスは嘲笑を浮かべた顔で言った。
「この国の王子っていつからこんなにバカになったの? あんな偽者、さっさと捨てちゃえばいいのにさ」
「黙れ。私はアイリスを一生守ると誓ったのだ、その誓いを反故にするわけにはいかない」
「ふぅん。でも……その大事な彼女を捨てたのは国なんだよ? というか、あの子は君のことなんか男として愛してないって知ってるでしょ?」
わざわざアイリスにも聞こえる距離で喋るレトゥスを睨みつけるも、聞かされた本人はびくりと肩を震わせる。
アイリスが悠護に一目惚れして『王子様』と呼んだことくらい知っている。自分の代わりに魔法を使った侍従の報告を聞いて、彼女の心が一切自分に向いていないと知った時は激しい虚無感に襲われ、逆恨みだと分かっていてもあんな形で怒りをぶつける羽目になった。
アイリスが悠護に一目惚れしたのと同じように、ヴィルヘルムもアイリスに一目惚れした。
これから様々な脅威や悪意に晒される彼女を守る騎士となるべく、たとえ一方通行の想いだったとしても、アイリスのそばにいたいと願った。
「……そうだな。私の想いなど、きっと彼女には何一つ伝わっていなかっただろう」
「でしょ? なら――」
「だが、それは単に私が王子としても男としても全て未熟だった結果だ」
レトゥスの言葉を遮り、第二王子は冷や汗を滲ませた顔で言った。
「人は絶対に正解を選ぶことができる存在ではない。私の今までの行いが、誰かにとっては善か悪かのどちらかに取る。アイリスにしたことが、運悪く悪になってしまった」
今思い返しても、これまでヴィルヘルムがアイリスにしたことは、全て彼女のわがままを叶えるようなものばかりだった。
ただ善意でやった行いだが、アイリスが偽者になった今では周囲に『国の王子にわがままを言った悪女』と認識させてしまった。
今まで接した令嬢達からの嫌悪感と付き合いの乏しさのせいで、自分はアイリスにかかる負担について何も考えなかった。
彼女がこの戦場に捨てられたのも、王室側の不確かな情報とヴィルヘルムの盲目的な恋心が原因だ。
アイリスは悪くない。悪いのは、彼女のわがままを許した自分だ。
「私は一度、過ちを犯した。それで彼女が私に永遠に愛を与えなくても、私は彼女を守る。それが私――ヴィルヘルム・フォン・アルマンディンの償いでもあり、愛の貫き方だ!!」
たとえ許されなくても、たとえ永遠に愛されなくても。
ヴィルヘルムはアイリスを守ると誓った。初めて出会った時に、一目で恋に落ちた哀れで愚直な男だと蔑まれても、この想いだけは貫き通したい。
第二王子の決意を聞いて、レトゥスは心底見下した顔をしながら冷たい声色で言った。
「はあ? 何言ってんの。愛なんてものは幻なんだよ幻。どれだけお綺麗な言葉を並べても、結局はただ自分の欲求を満たしたい下種な男や女が出す常套句。そんなものを貫くとかバカじゃないの??」
レトゥスの父は汚い手段を使って満足するまで母を犯し尽くし、産まれたばかりの自分を母から引き離した。母も我が子を取り上げられて気が狂い、そのまま自ら命を絶った。
愛や恋なんてものはまやかしで、そんなものを信じる者も貫こうとする者は等しくバカばかりだ。
そして――そんなもののために戦うとのたまう人間が、レトゥスが一番大嫌いだ。
「もういいよ、お前。さっさと死ね」
冷たい声色と反した過激が連撃に、ヴィルヘルムは己の腕力をフルに使って防御に徹する。
小柄な体躯から予想できない膂力による連撃は、一度槍鎌を振るうだけで両手が痺れてしまいそうな重さを与える。ヴィルヘルムは毎日厳しい鍛錬をしているが所詮は非魔導士、頑健かつ身体能力は通常より倍の魔導士との力の差は歴然だ。
現にさっきまで攻勢にいたはずの彼は、今では守勢を貫くことしかできない。
レトゥスの持つ膂力と彼の中にある憎悪によって倍増された攻撃は、やがてヴィルヘルムの体力を徐々に奪っていく。
ただ防御をしているだけだが、何度も重い攻撃を耐えるだけでも体力は少しずつ減る。その限界が訪れたのは、今までより重い一撃を放った瞬間、ヴィルヘムの体が吹き飛ばされた時だ。
「ヴィル!?」
まるでボールのように何度もバウンドして転がるヴィルヘムの姿に、アイリスが悲鳴を上げる。
あの一撃によって刃が半分以上折れ、全身には今までの攻撃の余波で喰らった切り傷だらけ。アイリスが急いで駆け寄ろうとするも、無防備な彼女の背中をレトゥスは重い蹴りを放った。
「あぁ!」
「アイリス!」
「静かにしてよ。ぼく、さっきから偽者を殺せなくてイライラしてるんだ」
《インフェリス》の切っ先がうつ伏せに倒れるアイリスのうなじに軽く食い込む。チクリとした痛みと共に糸のように細い血が一筋、彼女の首を伝って地面に滴る。
ヴィルヘムはなんとか起き上がろうとするも、ズキリと右足首が痛み立ち上がる途中で地面に転がる。あまりにも無様の姿に、レトゥスの溜飲が少し下がる。
だが、これでは胸に巣食う憎悪が消えない。
この無意味で無価値で存在理由さえない女を殺さない限り、憎悪は収まることはない。
「じゃあね、偽者。次はもっとまともな人間になって生まれなね」
死神の凶刃が頭上高く掲げられる。
この一撃で全てが終わると察した偽者の少女が、諦めたように目を閉じた。第二王子が喉を潰さんばかりの声量で制止をかけるも、死神はその声を聞き届けず槍鎌を振り下ろす。
その刹那、少女の命を奪う凶刃が黒い鎖によって絡め捕られた。
「――!? これは、まさか……ッ!?」
レトゥスが何かを察した瞬間、鎖は一人でに動き彼の体ごと空中へと投げ飛ばした。
急いで受け身を取り、顔にかすり傷を作りながらも立ち上がるも、目の前に現れた人物を見てギリッと歯を食いしばる。
「お前はっ……いつもいつも邪魔ばかりしやがって。今世でもぼくの前に立ちはだかるのか――黒宮悠護!!」
レトゥスは数百年前からの仇敵――【創作の魔導士】クロウ・カランブルクの生まれ変わりである悠護に向かって叫ぶと、彼は透き通った双眸を死神に向けながら言った。
「――ああ、そうだ。今世も覚悟しろよクソガキ」
かつて英雄の一人と数えられた魔導士の生まれ変わりの少年は、鎖から双剣に変わったそれを両手に構えながら告げた。
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