第176話 覚悟と再会

 黒い髪が風と共になびき、真紅の双眸がレトゥスを映す。

 数百年前に着ていた騎士服ではなく現代の若者らしい服装なのに、両手に持つ黒の双剣と昔と変わらない顔のせいで過去が嫌というほど思い出させていく。

 ただ平然とその場に立ち、静かな眼差しを向ける仇敵の生まれ変わりを見て、レトゥスは苛立たしく舌を打つ。


 相変わらず腹立たしい男だ。

 自分とは違う地獄を見たのに、ローゼンを助けただけで貴族クズの仲間入りをし、最後には英雄の一人として後世にその名を残した。

 もはや家電のように量産されている魔導具を生み出した魔導士とはいえ、彼には三人のような才能はない。


 ローゼンのようなカリスマ性も。

 ベネディクトのような聡明さも。

 アリナのような魔法の才能も。


 だけど、クロウには幼少期から培われた鍛冶技術があった。

 物作りにおいて彼に右に出る者はいなく、『落陽の血戦』で王国軍が使った魔導具は全て彼の手によって作られたもの。

 能ある鷹は爪を隠す。この意味を知った時、まさに的を射たことわざだと思ったものだ。


「ほんっと、いつもいいところで邪魔するよねー? そういうところは昔と変わらないね」

「そっちこそ、相変わらずの殺人狂だな。いい加減その癇癪どうにかしろよ、リンジー」

「――その名でぼくを呼ぶな」


 悠護の口から昔の名が出た直後、レトゥスの殺気が魔力と共に一気に膨れ上がる。

リンジーこの名』は、父が勝手に名付けたただの記号。

 愛情も意味もないこの名は、レトゥスの悲惨な過去の象徴。

 それを……かつて同情で見逃した仇敵であるこの男にだけは呼ばれたくない!


 レトゥスの殺気と魔力が肌を刺激する。アイリスとヴィルヘルムがひゅっと息を呑んだ。

 目の前の小柄な少年から出しているとは思えないそれを浴びながらも、悠護は口元を引き結びながらも平然としていた。

 両手に握る双剣の柄を握り直すと、両者音もなく駆け出す。


 最初に攻勢に入ったのは、レトゥスだ。

 重さがある大振りの攻撃を悠護は左の剣で受け止めると、右の剣で突きを繰り出す。突き出された刃を顔だけ動かして躱すと空中に魔法の壁を作り、それを足場にして跳躍。

 レトゥスは同じ方法で飛び退いた先にも魔法の壁を生み出すと、両足をつけてそのまま一気に跳ぶ。再び繰り出される攻撃を、悠護が双剣を盾に変えると真正面から受け止める。インターバルなしで姿を変えた《ノクティス》を見て、レトゥスは大きく舌打ちした。


《ノクティス》。【創作の魔導士】クロウ・カランブルクが作り上げた至高の武器。

 歴史書ではかの武器は『落陽の血戦』によって消失し、イギリスがレプリカを作ろうと再現するもクロウのような出来には至らず、その名しか伝わっていない。

 それは当然だ。《ノクティス》は武器であって武器ではない。

 元はただの金属だったのに、彼の魔力に馴染んでしまったせいで持ち主が望む武器へと姿形を変える可変の魔導具。


 強度も硬度も全ての武器においては群を抜き、イメージをするだけで多種多様な姿に変化する。

 かの武器の前ではあらゆる万物は全て切り裂き、貫き、粉砕される。

 まさに、至高の武器と言っても過言ではない代物。


(あれは本当に面倒だ。やられる前に片付けないと)


『落陽の血戦』では、子供という理由でいらない命を捨てられなかった。

 もし悠護の性格が前世のままならば、あの時と同じような目に遭うだけ。それに悠護の存在は後々『レベリス』に不利益をもたらす。

 始末するなら、早い方がいい。


 悠護が動く。今度は彼が攻勢に入った。

 盾を弓矢に変え、銀色に煌めく黒いやじりをした矢が飛んでくる。一本しか放たれていないのに矢は分裂し、猛スピードでレトゥスへと襲い掛かる。分裂を繰り返す矢は真正面だけでなく四方を囲むように動き放たれ、《インフェリス》で弾き落とすも如何せん数が多い。


 何本かを腕や足に掠らせながらも、レトゥスは槍鎌を振るいながら矢を落とす。

 二つに切られた矢は水銀のような液状に変わると、意思があるように動きそのまま悠護の腕に貼りつく。貼りついた金属が再び矢を生み出すのを見て、すぐさま《インフェリス》の刃に炎を纏わせる。

 一〇〇度以上の熱を帯びた刃は、襲い掛かる矢を全て溶かす。だが溶かされた矢も同じように動き、悠護の腕に集まってしまう。


(まずい。あいつの金属操作魔法は群を抜いている、金属がある限りあいつは武器を無限に生み出せる!)


『落陽の血戦』でクロウの魔導具が重宝されたのも、彼の金属干渉魔法の影響が強い。

 いくら武器が必要だからと言っても、簡易な鍛冶場で呑気に武器を作るという状況は許されなかった。だからこそ、欠けた剣を元通りにする彼の力は当時かなり心強かった。

 あの水銀のようになった金属もその頃の名残だと考えるなら、一番自然で分かりやすい答えだ。


 これ以上相手に攻撃の数を与えるのは得策ではない。

 再び魔法の壁を作り、跳躍する。逃走ではない。一撃で彼を仕留めるための攻撃を生み出すためだ。

 全生命エネルギーも魔核マギアに蓄えていた魔力も使い、全出力の魔法を生み出す。槍の穂先に銀色に輝く膨大な魔力を察し、悠護の顔色が変わる。


「『血染めの暴風クルエント・テムペスタス』――!!」


 自然魔法の風属性の中で上級に入る魔法。

 数万の風の刃が敵を襲い、周囲を血で染めるこの魔法は、IMFの規定により殺傷ランクSに相当する。一部の魔導士しか使用を許されない極めて危険な魔法が悠護を襲う。

 彼の細い体が風の刃によって骨ごと肉が削ぎ落され、全身の血がこの場を真っ赤に染める――そんな未来を脳裏で思い描きながら、レトゥスは魔法を放つ。


 槍の穂先から離れた魔法は猛威を振るい、風力で浮かんだ瓦礫は刃に当たった瞬間粉塵に変わる。

 アイリスもヴィルヘルムも死を覚悟するも、悠護は依然と態度を変えない。弓矢状態だった《ノクティス》を一振りの剣に変える。腰で水平に構えた瞬間、黒い刃に真紅色の魔力が凝縮し渦を巻く。


「『終焉の夜フィニス・ノクティス』」


 詠唱と共に放たれた真紅の猛威は、銀風ぎんぷうの猛威と鬩ぎ合う。

 耳障りな音を撒き散らしながらぶつかる魔法は、やがて形を失って徐々に交り合い、相反する魔力がぶつかり合って爆発する。

 これまでより凄まじい爆発音と風圧にアイリスとヴィルヘルムが耐える中、未だに宙にいるレトゥスは少し濃くなった影と背後の気配を感じて瞬時に振り返る。


 振り返った先には、悠護がいた。

 足と腕を黒い金属で覆われた彼の姿を見て、一瞬で理解する。


(こいつ、攻撃に紛れて移動してやがった……! しかもぼくと同じ方法とさっきの風圧を使って……!!)


 回避したくても、先ほどの魔法のせいで体が思うように動かない。

 冷や汗を流し、顔色が青を通り越して白くなっている死神の顔を、黒の英雄は躊躇なく籠手をつけた拳を突き刺した。



「ぶおぇあっ!?」


 汚い悲鳴を出しながら殴られたレトゥスの体は、重力に従い地面に叩きつけられる。ロクに受け身も取れず魔法の一つもかけられない状態の彼の体は、衝撃によって筋肉がミシミシと悲鳴を上げ、全身に鋭い痛みが走る。

 起き上がろうとしても全身がさらに痛みを訴えるのを感じながら、骨もやられたのだと察する。


 魔法でゆっくりと降下した悠護が、再び双剣を構える。

 ギラリと輝く剣身は鋭く、いつでもレトゥスの命を刈り取れる。だが、それができるかは本人の性格次第であることは自分自身がよく知っている。


(クロウは……ぼくが子供だからって理由で見逃した甘ちゃんだった……。そいつの生まれ変わりのあいつだって、ぼくを見逃すはずだ……)


 またあの時のように背を向けた瞬間、今度こそその首をもらおうと考えながら、銀色の瞳の中の獰猛な光を隠しながらやられたフリをする。

 靴音を鳴らしながら歩み寄る悠護がレトゥスの前までくると歩みを止めた。

 口から血を吐く自分を見て、悠護は右手にもつ剣の切っ先を――


「………………は…………?」


 思わず間抜けな声が出る。それは刃を突き付けられたことへの驚愕ではない。

 悠護が――クロウの生まれ変わりの彼が、自分を殺すことになんの躊躇も抱いていないことに対する驚愕だ。

 レトゥスの考えが分かったのか、悠護は口を開いた。


「……前世では、俺はお前を見逃した。それはあの時のお前が子供だったし、まだ戻れる余地があったからだ」


 あの頃は望まない戦いを強いられ、表面には出さなくても誰もが心身共に衰弱しかけていた。前世の自分も例外なく、いくら殺人狂であってもまだ幼かったレトゥスを殺すことができなかった。

 だからこそ、あの時は見逃した。

 でも、今は――――。


「――お前は、もう戻れねぇトコまで来た。これ以上俺達の前に立ちはだかるというなら、俺は殺しを厭わない。全力でお前達を叩きのめす」


 真紅の双眸から溢れ出る殺意に、レトゥスはひゅっと息を呑む。

 あの頃には感じなかった殺意が襲いかかり、痛みで動かない全身が小刻みに震える。その震えが恐怖からくるものだと理解した瞬間、レトゥスは羞恥で頬を紅潮させながらもズボンのポケットに隠していた羊皮紙に触れて残り滓ほどしかない魔力を与える。


 転移の魔法陣が描かれたそれは微弱な魔力に反応し、淡い緑色に輝く。

 その光の正体を察した悠護が右手の剣で彼の喉に向かって突き刺そうとするも、光はレトゥスを包み込んで消える。

 ガキンッ! 剣の切っ先が地面に当たり、手に感じる僅かな痺れと耳の中で反響する音を感じながら言った


「お前も『生きるため』に逃げるのか……どいつもこいつも、矛盾ばかりしやがって」



☆★☆★☆



 戦闘は終了した。ひとまず危険は去ったが、魔導人形が頭文字Gの虫のようにわさわさ出てくる以上油断はできない。

 本来ならジークがいそうな場所に行くのが先だが、悠護にとっては宮殿で保護されているべき少女と第二王子の説教が先だ。


「……で、なんでお前らがこんなところにいるんだ? お前ら、自分のことちゃんと理解してんのか? 片や非魔導士の王子、もう片や戦闘経験ゼロ、そんな奴が魔法バンバン使う戦場に出たら無傷じゃすまないことくらい分かってんだろ?」

「それは……」

「………」


 悠護の言い分は正論だ。

 戦闘力がない魔導士も、そもそも魔法すら使えない非魔導士がこの場にいること自体間違っている。

 こっちの事情を知らないとはいえ、痛いところを突かれて黙り込む。


「……で…………よ」

「アイリス……?」

「――なんでなのよ!!」


 だが、その沈黙も少女の絶叫で破られる。

 可愛らしいボブヘアを両手でぐしゃぐしゃと掻き乱し、目を血走らせながらも涙を流すアイリスの姿に、ヴィルヘルムだけでなく悠護も絶句した。


「わたしは何も悪いことなんかしてない! 向こうが勝手に決めつけて、勝手に色々言ってきたから、わたしはそれに答えただけ! それを偽者だったからって、今までのわがままの代価を支払えって意味わかんないこと言ってこんなところに捨てた!! 悪くない……わたしは悪くなんかない! 悪いのは全部、全部宮殿の……国のみんなだよ! 勝手にわたしに期待した向こうが悪いんだッ!!」


 その叫びは、今までアイリスの中で吐き出したくても吐き出せなかった想い。

 逆恨みだろうと言われようが、大人の都合に振り回された少女の言い分は正しかった。

 ……だが。


「たとえそうだとしても、お前にも非があった。それは絶対に覆らねぇ」

「……っ!」


 無情にも反論した悠護の頬を、アイリスが勢いよく叩く。

 パァン! とあまりにいい音が周囲に響く。頬に走った痛みを感じながらも顔色を変えない悠護を見て、さらに苛立たしげな表情を浮かべた。


「うるさい、うるさい、うるさい! わたしのこと何も知らないくせに! 知ったような口を利かないで!!」

「……ああそうだよ、知らねぇよ。アイリス・ミールていう女がどんな人生を送ったか、俺は全然知らないし興味もない。そもそも初対面でキスかましてくる女なんか論外だわ」

「なっ……!?」


 あっさりとカウンターをぶちかます悠護に絶句するも、彼は続けた。


「でもな、これだけは分かるぜ。お前が立場を利用して日向を苦しめたことも、自分に優しくしてくれたヴィルヘルムのことも都合のいい男としか見てなかったこともな。今のお前は救世主でも偽者ですらねぇ、他者から全てを奪う極悪非道な魔女だ」

「~~~~ッッッ!?」


 魔女。よりにもよってアイリスが一番嫌いな存在の名を出され、羞恥と憤怒で顔を真っ赤に染める。

 再び頬を叩こうとした手をすぐさま押さえ、涙目のアイリスの顔を見下ろしながら言った。


「……お前は最悪な女だ。好きな相手が嫌いな相手と幸せになるところが見たくなくて、立場を利用して全部ぶち壊そうとした。たとえ周囲が求めたから応えたとしても限度がある。アイリス、お前はその限度を見誤った。だからこうなったんだ、それこそお前の自業自得だ」


 容赦なく、だけど間違いでない悠護の言葉に遂にアイリスは膝から崩れ落ちた。

 すすり泣く彼女を慰めることはヴィルヘルムにはできなかった。彼女のわがままを増長させたのは自分にも非があり、ここで慰めるのは逆効果だと理解しているからだ。

 二人が己のしたことを痛感するのを見ながら、悠護はくるりと背を向ける。


「もう過ぎたことだ、今さらここで泣いたってどうにもならない。……なら、泣くことに時間を使うより、やり直す努力のために時間を使え。そっちの方がまだ有意義だ」


 そう言って悠護は足に強化魔法をかけて跳躍する。

 大きくもないが小さくもない背中が遠ざかる様を、二人はただ見送ることしかできなかった。

 呆然とするアイリスの肩を、ヴィルヘルムが抱きしめる。痛みを堪えるような表情を浮かべる彼を見て、アイリスはくしゃりと表情を歪めるとそのまま胸元に顔を埋める。


 再び嗚咽を漏らす少女を、第二王子は気が済むまで抱きしめ続けた。



 建物から建物へと飛び移りながら、悠護はスマホを取り出す。

 前世の記憶を取り戻している間に時間がどれほど経過したかと危惧していたが、どうやらあの部屋に行ってから一日しか経ってなかった。

 出る前にティレーネの執事に荷物を預かっていたおかげで、スマホが充電切れで電話ができないという事態にはならなかった。


「……もしもし」

『悠護か!? お前、やっと戻ってきたのか! そうだ、日向は? まだ日向に会ってねぇけどそっちは!?』


 電話に出た直後、樹からの怒涛の質問が襲ってきて、鼓膜が軽く痛んだ。

 危うく足を踏み外そうになりながらも、跳躍しながら答える。


「いや、まだだ。でもあいつのことだ、目的地は分かってる」

『目的地……?』

「ああ」


 小さく答えながら、テムズ川に架かるタワーブリッジを見据えながら言った。


「テムズ川のタワーブリッジ、あそこにジークがいる」


 去年のレインボーブリッジのことを思い出して表情を陰らすも、微弱に感じる魔力が居場所を教えてくれる。

 これが罠だってことくらい理解しているが、それでも行かなければならない。

 日向が行く可能性が高い場所がある限り、自分も向かうのはもはや義務のようなものだ。

 今も自分達を待っているだろうジークの元に行くために、悠護は再び足に力をこめて跳躍する。



「London Bridge is broken down,

 Broken down, broken down.

 London Bridge is broken down,

 My fair lady.」


 イギリスで代表的なマザーグース『ロンドン橋落ちた』を口ずさみながら、ジークはタワーブリッジの二つの塔の間にあるガラス張りのウォーク・ウェイズの上に腰掛けながら風景を見ていた。

 こんな形で故郷に帰ったが、やはり昔と違い風景が違うせいか別の国のように見えてしまう。


 もうここには娼館が立ち並ぶ花街も、上流貴族が暮らす住宅街も、貧しくも平穏な生活を送っていた貧民街も、そして自然と実りが豊かだった美しいエレクトゥルム男爵領もない。

 帰る場所を失ったが、これは全て自分が決めたことだ。

 カロンをで殺せば、もう自分は用済み。後はどこかでひっそりと命を絶てばいい、そのためだけに生きてきた。


「……そろそろか」


 チャリ、と腰にぶら下がる遺髪入れを指先でいじりながら立ち上がり、セント・ポール大聖堂があるシティ・オブ・ロンドンと隣接するサザーク区に向いている北の塔の屋根に飛び移る。

 六五メートルもある塔の屋根から見下ろしながら、目的の相手がサザーク区からの橋から現れる。


 姿を現したと共に躊躇なく飛び降り、軽い音を立てながら橋の上に降り立つ。

 目の前の相手は右手首に白銀に輝く腕輪をしていて、その中心にはめ込まれた六芒星にカットされた琥珀が曇天によって薄暗い場所でも強く煌めいた。


「待っていたぞ、日向。久しぶり――といえばいいか?」

「……そうだね。久しぶりだね、ジーク」


 ジークの元主人にして、この手で命を奪った永遠に報われない想い人。

 その生まれ変わりの少女が、目の前に現れた。

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