第174話 死神の足音
『叛逆の礼拝』と呼ばれるようになるこの抗争は、死者を多く出した『落陽の血戦』と比べればまだマシな状況だ。
あの頃はシェルターどころか復興部隊も生魔法に長けた魔導士もなく、ただ無駄に破壊し、力及ばず多くの命が失われた。
敵も人間ではなく魔導人形で、いくら壊しても罪悪感なんて湧き上がらない。
「……なんて、こう思うのも結構ヤバいな」
地面に倒れる魔導人形を踏みつけながら、陽は胴体に突き刺さっていた
前世ならばこの槍を引き抜くモノは敵だったかつての国民だったからか、それともこの抗争が『落陽の血戦』に似たものによるものか。
どちらにしろ、いい気分ではない。深く息を吐きながら、陽は曇天の空を仰いだ。
陽が己の前世である【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルムの記憶を思い出したのは、母・晴の妊娠し性別が分かる段階まで来た頃だ。
母が嬉しそうにエコー写真を見せて、幼い自分の頭を撫でながら、
『お腹の中の赤ちゃんは女の子よ、あなたはもうすぐお兄ちゃんになるの』
優しく微笑む顔を見て、当時は純粋に喜んだ。
だけど日に日に母のお腹が大きくなるにつれて、陽は不思議な夢を見るようになった。
自分と似た青年が、襲ってくる人間達を殺す夢。
手に持つ槍を血で濡らし、獣の如く荒い息を吐く姿はまだ幼い彼には刺激が強すぎて、よく深夜に飛び起きて半泣きの状態で両親の寝室に駆けこんだ。
その夢を何度見たのだろうか、ある時例の青年と別の人物が現れた。
白い騎士服を着た、琥珀色の髪を靡かせる少女。彼女が紅いローブを着た白髪の男性に刺し殺され、そのフードから覗いた顔を見た直後、前世の記憶が一気に押し寄せた。
魔法の始まり。盟友となった者達。血で血を洗う抗争。
そして――最愛の妹の死と、妹を殺したかつての盟友。
あまりの情報量に脳が強制的に覚醒し、いつの間にか悲鳴を上げていた。
もちろん両親は息子の異常な状態を見過ごすわけもなく、泣きながら叫ぶ陽を、両親はずっと抱きしめてくれた。
それから数週間後、日向が産まれた。
妹がこの世に生を受けた日、陽はあの夢を見なくなった。
だけど、頭の中に残る前世の記憶だけが日に日に成長する日向の姿を見ていく内に焦燥感に駆られた。
もしジークが日向を見つけてしまったら?
もし彼が再び妹を殺すようなことになったら?
もし……また、妹を助けられなかったら?
前世の記憶というのは厄介だ。
永遠でも悔い切れないほどの後悔を背負わされ、自分は『豊崎陽』という別の人間なのに記憶と魂は『ベネディクト・エレクトゥルム』と混ざり合っている。
関係ないと割り切ることも、無関心でいることもできず、自分にできるのはただ父の元で魔法の修行をするだけだ。
でもその両親も亡くなって、聖天学園に通うようになってからは日向の性格が激変した。
陽が聖天学園に入学し、一人になった泣き虫な甘えん坊だった妹は、隣に住む老夫婦に面倒を見てもらい、小学校を上がる頃には母の真似をするかのようにボランティアに勤しむ日々。
ロクに友達と遊ばず、時に女子から手ひどい嫌がらせを受けても、自分が帰ってくる時はいつも笑顔で出迎えた。
その頃からか、日向はあまり人前で泣かなくなった。
どんな時でも笑顔で、どんなことでもへこたれない今の日向は、インプリンティングよろしく自分の後ろついて来た泣き虫な甘えん坊の面影を消した。
もちろん成長したからというのもあるか、陽にはあれはただのやせ我慢に見えた。
だけど、聖天学園に入学して以降は自分だけでなく友人にも甘えるようになり、今まで見せなかった涙を見せるようにもなった。
少しずつ昔に戻っていく妹の姿に嬉しく思う反面、前世の記憶を思い出さないで欲しいと心の底から願った。
だが、〝運命〟というのは陽の事情なんてお構いなしに色々と台無しにしてくれやがった。
恐らく日向も悠護も前世の記憶を取り戻しているはずだ。幸せだけれど最後は悲しい結末しかない、あの頃の記憶を。
「くそっ、ジークの奴。会ったら一発殴ったる」
ひとまずこの苛立ちをあのバカ白髪にぶつけることを決めながら、魔導人形の残骸を踏み砕きながら石畳を歩き始めようとした時だ。
陽の視界の端で、ベージュに近い金髪が靡いた。
脳裏にその髪の持ち主を想定し、彼は深いため息を吐いた。
「……ったく、何しとんのやあの第二王子は!?」
「アイリス! どこだ、返事をしてくれ!」
いつもは美しい街並みが抗争の爪痕を刻み、整えられている石畳の上を魔導人形の残骸だけでなく瓦礫がガラスの破片が散らばり、それを踏み潰すように走る。
白皙の顔から汗を流させ、レッドスピネル色の瞳を血走らせるその様は、イギリス王室の三王子が一人、ヴィルヘルム・フォン・アルマンディンの姿とは思えない。
本来ならば宮殿に保護されているはずの彼が市街地を走っているかと言うと、理由は彼が恋慕を抱く少女・アイリスが関係している。
【起源の魔導士】の生まれ変わりではないと知ったあの日から、部屋に閉じこもったアイリスを慰めようと何度も部屋を訪ねるも彼女付きのメイドであるメリッサから門前払いを受けるようになった。
それでもめげずに訪問を繰り返し、ようやく部屋に入って話すところまで漕ぎ着けた。
ところが昨日、アイリスが部屋から忽然と姿を消した。
今まで部屋に篭もりっぱなしだった上に現状を理解しないまま外に出るのは、さすがのアイリスも愚かではない。
何か理由があるに違いないと思い、すぐさま臣下に問い合わせた。
彼らなら何かを知っているという期待が、臣下の一言で絶望に堕とした。
『アイリス様でしたら、今回の件の責任を償うためにご自身の意思で抗争地域へ参られました』
平然と……いや、下卑た笑みと共に告げた臣下の顔を見て、ヴィルヘルムは顔色を変えてさらに彼らを問い詰めた。
アイリスは【起源の魔導士】の生まれ変わりとして相応しい教養を身に付けるという名目で、王宮魔導士から魔法を、王室教師からマナーやダンスなどの淑女の作法を教わっていた。だが一般家庭出身であるアイリスが高度な魔法を身に付けることはなく、自衛に使える魔法と得意の召喚魔法しか使えることができない。
そんな彼女が抗争を止めるなんてできるはずもなく、臣下は卑しい笑みを浮かべながら言った。
『こうなってしまったのは、全てはアイリスが偽者だったからです。この抗争の全ては彼女の咎。ならば、責任を取るのは……当然でしょう?』
――ふざけるな、と思った。
最初に彼女を【起源の魔導士】の生まれ変わりだと騒いだのは臣下達だ。
過剰なほど過保護になり、彼女の望みをできる限り叶えよと言ったのも、彼らだ。
もちろん自分も同罪なのは分かっていたし、責める権利もない。
だけど、己の責任から逃れるためだけに彼女を犠牲にするのは間違っている。
そこからのヴィルヘルムの行動は早かった。自室から愛用の剣を持ち、使用人達の制止を振り切って外へ出た。
美しい市街地は破壊の痕跡を残し、地面のシミになった血痕から目を逸らしながら、ヴィルヘルムは必死に剣を振るう。
襲ってくる魔導人形は紅いローブをしているのとマネキンのような外見をしているのが共通しているが、使ってくる魔法は個体によって違う。
ポピュラーな自然魔法を使うこともあれば、強化魔法による物理攻撃や呪魔法と精神魔法による奇襲など手数が多い。
ヴィルヘルムは非魔導士ではあるが、魔法を発動する際に微弱だが放出される魔力に当てあれても不調を起こさないほど耐性はついている。
だが耐性だけではどうにもできず、魔導人形の先が曲刀になっている両腕から炎や雷が放たれる。
一か八か剣で切り捨てようと考えた直後、それよりも先の銀の一閃が全ての攻撃を打ち消した。
「貴殿は……!」
「下がっとれ」
ヴィルヘルムを守ったのは、【五星】の二つ名を持つ魔導士・豊崎陽。
彼は銀色に輝く槍が地面を叩いた瞬間、彼の背後に一〇を超える赤紫色の魔方陣が出現する。
魔法陣から放出されるのは、高密度の魔力弾。
機関銃の如く発射させる魔力弾は、強化魔法で硬度を高めた魔導人形の胴体を貫通させ、全身が文字通り蜂の巣となる。
金色に輝くネジや白銀の金属板が無数にばらまかれるのを見計らい、陽は厳しい顔つきでヴィルヘルムを睨んだ。
「アンタ、今がどういう状況が分かっとんのか? 魔導士じゃあらへん身でありながら戦地に来るとか、バカでもやらない自殺行為やで」
「……すみません」
本来なら不敬罪と下されても過言ではない罵倒だが、今の状況では陽の言い分は正しい。
しおらしく頭を垂れるヴィルヘルムを見て、彼が充分に反省していると察した。
「……で? なんでアンタがここにおるんや? 宮殿にいたはずやろ」
「それは……アイリスが、臣下達によって昨日からここに来ているんだ」
「なんやて?」
ヴィルヘルムの事情を聞き、一瞬で顔色を変えるもすぐに検討が付いたのか忌々しそうに舌を打った。
「ちっ……そうか、あのぼんくら共。いたいけな女の子に責任転嫁したんか」
「ああ、あいつらの目的はアイリスがこの抗争中の間に死ぬこと。そうすれば自分達の責任を少しでもなくせるからな」
無論、この件がヴィルヘルムに知られた以上、もし自分の身に何かあれば彼らの処分が軽くなる可能性は低くなる。
だが、ヴィルヘルムの中にはアイリスの無事のことで頭がいっぱいだ。今にもは知り出そうとする彼を止めながら、陽は訊いた。
「まあ、アンタが彼女を助けるのは別にええけど……なんでそこまでするんや?」
「なんで、って……」
「あの子はアンタのことなんか男として好きじゃない、むしろ今までアンタの地位を利用してワガママしてきた。キツい言い方かもしれへんが、これは彼女の自業自得。……なのに、アンタがそこまでする義理はあるんか?」
「…………」
容赦ない言葉にヴィルヘルムは唇を噛むが、反論はしなかった。
彼の言い分は正しいし、事実アイリスはヴィルヘルムのことを男として好きではない。どちらかというと友達に対する『好き』と同じだ。
どれほど尽くしてもそれを受け取るのが当然という態度は、彼女を宮殿に呼んでからずっと甘やかしてきた王室側の責任。
『継承の儀』で真実が明かされる日まで、周囲もアイリス自身も【起源の魔導士】の生まれ変わりだと信じて疑わなかった。
それがいざ『アイリスは偽者でした』となった途端、ほとんどの者が彼女を邪険に扱い、好き勝手に罵倒した。
そして彼女を【起源の魔導士】の生まれ変わりだと断定した臣下達は、その責任を取りたくないがためにアイリスを切り捨て、そのまま死なせようとしている。
「私は……今回の件で多くの過ちを犯した。貴殿の妹や教え子を傷つけ、アイリスをあそこまで追い詰めさせてしまった。私がしているのは独りよがりの贖罪だ、それは自覚している。
だが! たとえ私を愛していなくても、私が愛した女が死ぬ姿は見たくない! たとえ力がなかろうとも、彼女を守りたいという気持ちは私の嘘偽りない本心だ!」
真っ直ぐに、恐怖を宿しながらも真摯に見つめるヴィルヘルムの瞳。
その真っ直ぐな眼差しは眩しく、前世で何度も見たせいもあってひどく懐かしい。
しばらく無言になっていた陽だったが、やがて諦めたようにため息を吐くとヴィルヘルムの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「……アンタの決意は十分伝わった。なら、今度はちゃんと間違えへんようにな」
「っ、はい!」
力強く頷くヴィルヘルムを見て微笑みながら、陽は今もどこかで抗争を止めようと頑張る教え子達に事情を話すべく、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
☆★☆★☆
『――ちゅーわけや、スマンがアイリスも探してくれへんか?』
「いやいやいや、何無茶ぶり言ってんスか先生ぇ!!」
担任からの突然の無茶ぶりに樹は倒したばかりの魔導人形の頭部を踏み潰しながらシャウトした。
隣にいる心菜も厳しい顔つきをしており、陽の頼みは現状では達成するのが難しい。
この魔導人形は学園で使われてる魔導人形と違い、修復魔法が付与されていない。それ以上に壊れた部品同士を合体させて巨大魔導人形になるという七面倒な機能がついているせいで、形状を残さないよう破壊しなければならない。
だが『レベリス』が出す魔導人形の数は億や兆という値を通り越しており、いくら倒してもキリがない。
今も街を破壊し、鎮圧部隊と協力している状況かつ猫の手も借りたい状態なのに探し人を見つけるなどできない。
「俺らの方も結構いっぱいいっぱいなんですよ! そもそもなんでそんな話になってるんだよ!」
『そりゃコッチのセリフや! あんのクソ野郎共、自分達の責任を女の子一人に押し付けたんや! ちゃんと見つけたら、ワイが連中をシバき倒したるから協力してくれや!』
『……それに関してはオレが許可するが、問題はアイリスの居場所だ』
スマホにある複数のスマホを繋げて会話するマルターフォンズ機能を使っているため、樹の受話口からギルベルトが声を低くしながら言った。
『老獪共のことだ、渡した魔装と魔導具にはGPS機能をつけていないだろう。となれば、虱潰しで探して見つけ出しても生きていない可能性が高いな』
「魔力で探ろうにも、あちこちで魔法を連発してるから精霊眼は役立たねぇし……」
「リリウムを使いたくても、さっきの戦いでかなり消耗しました」
よい解決方法がなく、誰もが頭を抱えて唸る。
樹達も昨日から参戦しているが、数も一向に減らない上に被害だけが広がっている。陽とギルベルト以外は魔力を使い過ぎているせいであまり広範囲での活動はできない。
早く改善策を見つけようと、分厚い雲で覆われた空を見上げた時だ。
「あれって……」
樹のサファイアブルーの瞳が、黒い髪をした少年の姿を捉えた。
どこかで機関銃特有の連続した銃声音が聞こえる。自動ドアが壊れたコンビニで、菓子パンを食べていたアイリスはびくりと肩を震わせた。
食料を持たされないまま投げ出され、空腹に耐えきれずコンビニの商品に手を出したことに後ろめたい気持ちになるも今は食欲を満たす方が先決だ。
水を一気に飲んで喉の渇きを潤し、右肩に白竜の姿をした魔物・エヴェを乗せながらコンビニを出る。
外に出てもやはり荒廃した街並みが眼前に広がり、耳は銃声や爆発音を入れる。
逃げたくても公共の交通機関は動いておらず、シェルターがある場所は全て頑丈なシャッターが下ろされて開く気配はない。
こうして逃げて、どこかに隠れることしか今のアイリスにはできない。
「なんで……こうなっちゃうのかな……」
【起源の魔導士】の生まれ変わりと言われたあの日から、自分なりにこの世界を救う救世主としての役割について必死に考えた。
授業で習った魔法よりも難しいものはあったし、趣味の小説書きを削られた時もあった。でもそれは、全て己の役割を果たそうと決めたアイリスの決意の表れだ。
宮殿には自分を虐める女子もいなければ、邪魔者扱いする母親もいない。知人がいない中、それでも懸命に頑張ってきた。
だが、偽者である自分には宮殿で守ってもらう価値はない。
この荒れ果てた街中で人知れず死ぬことしか、アイリスの価値はない。
「もうやだ……誰か、助けてよぉ……っ」
未知のど真ん中で座り込みながら、助けを請う。
何度も何度も請うても、誰もアイリスの声を聞き届けなかった。
「――あ~、いたいたぁ……」
だけど。
ああ、本当に世界は理不尽だ。
救いを求めるアイリスの元に現れたのは、絶好の獲物を見て舌なめずりをする『死神』の名を持つ少年。
軽やかに足音を鳴らし、刃を血で濡らした槍鎌を手に、顔面蒼白になっているアイリスを見つめながら、愉悦を滲ませる笑みを浮かべる。
「死んでも誰も困らないカモはっけ~ん♡ じゃあさっそくで悪いけど……ちゃあんとぼくに殺されてね、偽者ちゃん!」
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