第147話 決闘とタイミング

 足元に投げつけられた白手袋、決闘という言葉、そして憤怒に彩られた顔を見せるヴィルヘルム。

 それが全て自分に向けられていると分かっていても、どうしてこうも現実味がないのは何故だろうか。どこか呆然と白手袋とヴィルヘルムの顔を交互に見ていると、アレックスが慌てた顔で二人の間に入った。


「ちょちょちょちょっと待ってよヴィル、急に何言ってるのさ?」

「急も何もないっ! この男は我が国の至宝たるアイリスに無許可で触れただけでなく、そこの不遜な偽者と火遊びをしていた! この不届き者を成敗するには充分な理由だ!!」


 いくら宮殿の片隅にある薔薇園だからといって、人がいないわけではない。

 宮殿の窓から野次馬が少しずつ集まってきている。窓越しから何かを言っているメイドや使用人を横目に、ルナがヴィルヘルムの前に出た。


「ヴィルヘルム、言葉が過ぎてます。いくら第二王子であるあなたでも言っていいことと悪いことがあるわ」

「ルナ! 貴様、私が虚言を言っていると思っているのか? 私は確かに従者から聞いたのだ、この男の非行の数々を!」

「たとえそれが真実だとしても、彼らは他国の賓客。もし彼らに大怪我をさせたら国際問題になるのよ」

「貴様ぁ、よりにもよってアイリスを蔑ろにする気なのか!? 彼女より大事なものがあるとでも言うのか!? 彼女以上に大事なことなどこの世に存在しない!」


 完全に聞く耳を持たないヴィルヘルムの発言に、悠護だけでなく弟のアレックスも頭を抱えた。

 いくら魔導大国イギリスでも、国際問題になりえる不祥事は避けたい案件だ。それをこうも公の場で切り捨てるなんて、たとえ王族でも言語道断だ。

 これには冷静だったルナの表情も僅かに歪んだ。【月の姫巫女】としている彼女は、王族の内部事情を誰よりも熟知しているため、彼の発言がどれだけ問題なのか理解している。


 ヴィルヘルムは血走った目で日向の方に向かって歩くと、思いっきり右腕を突き出す。

 男らしい力で肩を押され、日向の細い体は呆気なく後ろへ倒れる。そのまま薔薇の生垣へと突っ込んでしまった日向の姿を見て、心菜とベロニカの顔色が真っ青になる。

 まだ棘がついている薔薇達に向かって倒れた日向はきょとんとするも、ヴィルヘルムは侮蔑に満ちた目で彼女を見下ろすと右足を脇腹に向かって蹴り押す。


「つっ……!?」

「貴様の……貴様のせいだ。貴様の存在がアイリスの心を傷つけるんだ、この悪魔が……!」


 強い憎しみを宿すヴィルヘルムの瞳に日向が息を呑んだ直後、バシィッ! と彼の顔に白い物体が飛んできた。

 顔から石畳へと落ちた物をじろりと見下ろすと、それはさっき自分が投げた白手袋だ。

 そのまま投げてきた方向を見ると、石畳の下から錆色の剣や槍を生み出している悠護が真紅色の魔力を溢れ出させていた。


「そいつから離れろ」


 さらに魔力を放出する悠護にベロニカや心菜の顔色がさらに青くなり、樹達は顔に脂汗を滲ませている。だけど、その中でも一番の顕著な反応を見せたのはヴィルヘルムだ。

 さっきまでの憤怒の表情から一転して、服越しから胸元を掴んで片膝をついていた。荒々しい呼吸を繰り返し、全身から流れる脂汗が石畳のシミになるのを見て、アレックスが慌てて叫ぶ。


「それ以上はやめて! ヴィルは魔導士じゃなんだっ!!」

「!?」


 アレックスの口から出た言葉に、悠護は驚きながらも魔力を霧散させた。

 魔導士から放出される魔力は、魔力を持たない非魔導士にとっては毒と同義だ。日向が魔導士して目覚めたあの日も、魔力を放出していたせいでその場にいた人質達を苦しめてしまった。

 魔力が消えたのと同時に錆色の剣と槍も真紅色の粒子となって消えると、ヴィルヘルムはふらつきながらも悠護が投げた白手袋を持って立ち上がる。


「……ふん、アレンめ。余計なことを……」

「お前、正気かよ。魔導士と非魔導士じゃ相手にならないくらい知ってんだろ」

「やかましい! 誰がなんと言おうとも、こいつは私に手袋を投げた! それを私は受け取ったのだ、決闘は受諾されたのも当然!」


 ギチギチと音が鳴るほど握りしめた白手袋を見せつけながら、ヴィルヘルムは悠護を睨みつける。


「午後三時に地下訓練場に来い。そこで成敗してくれよう」


 未だに顔色が悪いまま言い放ったヴィルヘルムは、周囲の視線を向けられながらも知らんとばかりに振り払う。靴音を鳴らして去っていく彼を、アレンが困ったように頭を掻いた。



「……まったく、あの愚弟は問題しか起こさないようだな」

「そんなバカな真似をするほど、アイリスのことが好きすぎるのよ。あなたと違ってね」


 薔薇園での騒動についてわざわざ報告してきたルナの言葉に、ギルベルトは苦虫を噛み潰したよう顔を浮かべる。

 王族の関係者しか使えない執務室。その窓際にある立派な黒檀の執務机に軽く腰掛けるルナにガーネット色の瞳をじろりと向けた。


「嫌味か? オレは日向もだがお前のこともちゃんと愛しているぞ」

「ええ、それは重々理解してるわ。……でも、何も言わずに勝手に留学して置き去りにされた私にとっては、これくらいの仕返しはまだまだ朝飯前よ」


 婚約者から非難じみた目を向けられると、さすがのギルベルトも気まずそうに目を逸らす。

 確かに聖天学園への転入はギルベルトの独断で決めたことで、ルナにはロクに説明しまいまま出国してしまった。そう考えると、置いていかれた側にとってはこれくらいの嫌味を言う権利はあると思わなくはない。


「ま、まあそのことはオレも反省した。『継承の儀』を無事に終えたら、日向にもう一度想いを告げるつもりだ」


 今回の帰国は予想外だったが、この想いに区切りをつけるタイミングとしてはいい頃合いだ。

 たとえ彼女の答えが分かっていようが、想いを告げないという選択肢は最初からない。


「……そう。でも」


 おもむろにルナがぐっと体を寄せると、そのまま唇に柔らかい感触が落ちる。

 繭のように閉じられた瞼と銀糸が視界で覆われ、自然と体が硬くなる。心地の良い感触が離れると、きょとんとした顔で自分を見つめる婚約者にルナは小さく笑う。


「今まで迷惑かけたんだから、これくらいしてもいいわよね?」

「っ……こ、の……悪女め……」

「褒め言葉として受け取るわ」


 見事に一矢報いて満足そうな顔をするルナを横目に、ギルベルトは徐々に火照った顔を手で半分隠す。

 昔から自分より一歩上のことをしでかす少女の行動には慣れたと思ったが、あんなのはまだまだ序の口だったらしい。予想外の仕返しの余韻からなんとか抜け出し、改めて今の問題を見直す。


「……それで、決闘はどうする気だ。あいつは魔法を使えないんだぞ?」

「大丈夫、純粋に剣での打ち合いで決まったわ。もちろん使うのは木刀よ」

「そうか……」


 魔法を使わない決闘ならヴィルヘルムには有利に見えるかもしれないが、魔導士は総じて頑健で身体能力も常人より上だ。いくらヴィルヘルムの剣の腕がいいからって、魔導士である悠護に勝つ確率は低いだろう。


(まったく、あいつも哀れだな。好意すら寄せてもらっていない女を好きになるなんて)


 ヴィルヘムルが夢中になっている件の少女・アイリスとは、昨日の内に会っている。

 見た目は世間一般では可愛らしい部類に入るが、顔が整った者が多い魔導士界では普通だ。だが、【起源の魔導士】の生まれ変わりとして宮殿でちやほやされていたのもそうだが、彼女が元来夢見がちな性格の持ち主だったようで、自分が救世主なのだと微塵と疑っていない。

 しかも出会って早々、悠護のことを聞いてきて、何故彼を気にかけているのかと訊くと、アイリスは笑顔でこう言ったのだ。


『何故って……そんなの決まってるよ。彼はね、わたしの王子様なの。【起源の魔導士】は【創作の魔導士】と恋仲だったんだよ? なら、わたしの王子様である黒髪の彼が、わたしの恋人になっても不思議じゃないでしょ?』


 アイリスは純粋に、無慈悲に、弟の恋を踏み躙った。

 完璧に男として愛していないと公言したにも関わらず、あの少女に尽くす弟が不憫で仕方ない。本来ならこの決闘は止めるべきだろうか、彼の考えを改めるにはいい機会かもしれない。

 その望みが叶えられるように、ギルベルトは心の中でいるだろう神に祈った。



☆★☆★☆



 案内された地下訓練場は、円形の舞台を白い支柱で囲まれており、それ以外は白い大理石の床しかない簡素なものだ。

 支柱の一本一本が防御魔法を付与された魔導具で、舞台には木刀を持ったヴィルヘルムと悠護が向かい合っている。

 観客と呼ばれたのは日向、心菜、樹、陽、怜哉、ギルベルトのいつものメンバーだけでなく、アレックスとルナとベロニカ、そして――


「もう……なんでわたしまで……」


 ぶつぶつと文句を言っているアイリスだ。

 簡素なワンピースドレス姿の彼女はヴィルヘルムが直々に呼んだらしいが、本人はこの決闘に微塵も興味を抱いていない。腕に白い竜の姿をした魔物をぬいぐるみみたいに抱いており、つまらなそうな顔をしている。


(あれがアイリス様……なんだか予想してたのより全然普通に見える……)


 可愛らしい顔立ちに合うドレスワンピース姿の少女。爪には薄いピンクのマニキュアが塗られていて、髪は絹糸みたいに艶やかだ。クリスティーナの話では魔力値は一〇万越えと言っていたため、魔導士としての素養はあるのだろう。


 だけど……それだけだ。

『アイリス』という魔導士の器は既に完成されている。何かが足りないわけでも、欠けているわけでもない。

 彼女は本当に【起源の魔導士】の生まれ変わりなのだろうか? そんな疑問さえ出てきてしまう。


『予言は言葉をそのまま受け入れるんじゃなくて、予言の言葉を解釈しなくてはならない。私は何度もあの予言を解釈したけれど、やはりその相手がアイリスじゃないと思い至るの』


 ふいに、昨夜のルナの言葉が頭の中をよぎる。

 仮に彼女ではないのなら、一体誰が【起源の魔導士】の生まれ変わりなのだろうか?


『――機は熟した。イギリスに来い。そこでお前達の知りたい〝真実〟が待っている』


 それに、主が言っていた〝真実〟も分からない。

 彼は自分達にイギリスに来いと言った。時間差があるとはいえ、王命でイギリスに来た日向達にとってはあまりにも都合が良すぎる展開だ。

 色んな問題が積み木みたいに重なって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。思わず髪を掻いていると、ふとアイリスの目が熱っぽく潤んでいることに気づく。


 彼女の目線を追うと、その先にいるのは悠護だ。その眼差しを見て、昨夜彼女にキスされたと明かされたことを思い出す。

 詳しいことまで聞かなかったが、希美と似たような感情をアイリスは悠護に向けている。アイリスの姿にヴィルヘルムが嫉妬を露わにした顔でパートナーを睨みつけるのを見て、彼が決闘を申し込んだのは嫉妬もあるのだと察した。


 この決闘で自分を見て欲しいという魂胆もあるだろうが、アイリスのあの目を見る限りでは望み薄だろう。

 今まで悠護を狙う女子はたくさんいた。その大半は彼の家柄目当てだったが、アイリスは違う。彼女の顔はまるで運命の王子様に出会ったお姫様の顔をしている。

 でも、日向から言わせれば彼のことを何も知らないのに、勝手に自分の恋心を押し付ける彼女はあまりにも身勝手だ。嫉妬と嫌悪感でもやもやする気持ちを胸に抱えながら、舞台に集中する。


「ルールは簡単だ。この木刀で一本入れれば勝ち、負けたらこの場でドゲザをしてアイリスに謝罪しろ」

「なら、俺が勝ったらこれまでのことを詫びろ。それでチャラにしてやる」

「いいだろう。……できるものなら、な!」


 合図もなしにヴィルヘルムが走り、木刀を振り下ろす。

 悠護は慌てず木刀を水平に構えて防御すると、腕力だけで押し返す。押されて態勢が崩れるも、ヴィルヘルムはすぐに整えると数歩後ろへ下がり、今度は下段から振り上げる。

 焦げ茶色の剣筋を難なく躱すと、悠護は姿勢を低くするとヴェルヘルムの胴体に向かって突きを放つ。ヴィルヘルムはひゅっと息を漏らすも、体を捻らせながら避ける。そして同時に木刀を振るうと、カァン! と高い音が響く。


 ヴィルヘルムの剣術はアレンジも入っているが、基本は王宮の剣術である。対人戦のことも考えているだろうが、戦い方は綺麗すぎる。対して悠護の剣術は完璧に我流だが、これまで戦闘を繰り返したこともあって実戦に近い。

 加えて普段悠護が使うのは二刀流だ。もちろん一刀流でも問題はないのだが、別々の剣を握る腕力を一点に集中するため、木刀にかかる腕力も倍になる。


 スピードを生かしたヴィルヘルムの剣戟を、悠護は受け流しながら守勢を貫く。一向に一矢を入れられなくて徐々に焦りを生まれたのか、苛立ちを滲ませたヴィルヘルムの攻撃は少しずつ大振りになる。

 彼の舌打ちを聞きながら、悠護は自分のペースを乱さない。攻撃を受けて流す、それだけに集中させる。


(防御は時に攻撃としてのチャンスとなる、か。怜哉の言葉も案外バカにできないな)


 メンバーの中で戦闘経験が二番目に豊富な怜哉から、剣の腕を上げるたびに何度もアドバイスを受けた。なんでも攻めに頼らない、守りを重点に置くことも大切、そして相手の隙となるタイミングを見逃さない。この三つのアドバイスは実に的を射ている。

 再び大振りな攻撃を仕掛けようとするヴィルヘルムの足元に足払いをかける。攻撃に転じたそれは彼の反応を遅れさせ、ヴィルヘルムの体は床に転がる。悠護はそのまま下向きで木刀を振るうと、ヴィルヘルムは体を転がして避けた。


 ヴィルヘルムの態勢を立て直した瞬間、今度は悠護が切り込んだ。弾丸の如く素早くかつ複雑な攻撃を繰り出す彼に、ヴィルヘルムの顔が難色に染まる。

 二刀流として鍛えられた悠護の腕力はヴィルヘルムの腕力より上で、防御しても足が勝手に反動で後ろに下がる。そのタイミングで今まで大きな一撃を入れると、ヴィルヘルムの体がぐらりと傾いた。


 もう一度間合いを取ると、ヴィルヘルムは木刀を水平に構えた。荒れていた呼吸を一定のものに変えていく姿勢を見て、次で決着が決まると誰もが予感した。


「うおおおおっ!!」


 雄たけびと共に突きの構えで突進するヴィルヘルムを前に、悠護はその木刀の先が当たる手前で半身で躱し、体を回転させて木刀同士をぶつけさせる。

 片腕で両腕の腕力分あるその攻撃は、ヴィルヘルムの木刀を弾き飛ばした。乾いた音と共に木刀が舞台の上に落ちると、背後に回った悠護が彼の首の木刀を当てる。木刀の冷たい感触に、ヴィルヘルムは背中から冷や汗を流した。もしこれが実戦ならば、自分は間違いなく死んでいた。悔しそうに歯を食いしばりながら、ヴィルヘルムは震えた声で言った。


「……私の負けだっ……」

「そうか」


 すぐにヴィルヘルムの首筋から木刀を放すと、悠護はそのままヴィルヘルムの木刀を拾う。


「で、約束覚えてるよな?」


 二本の木刀を持ちながら言う悠護の言葉に、ヴィルヘルムは唇を噛むと舞台の階段を下りる。

 そのままゆっくりと日向の前に来ると、深く頭を下げる。


「……私の行動で貴様を不快な思いをさせたこと、深く詫びる」

「いいよ。あたしは気にしてない。でも、せめて帰国するまではあまり騒ぎは起こさないでほしい。それさえ守ってくれれば何も文句は言わない」

「……善処しよう」


 これまでのことで罵倒されると思っていたのか、日向の言葉に拍子抜けした顔をするももう一度軽く頭を下げ、アイリスの手を取るとそのまま彼女と共に去る。連れられた本人は何か言っていたが、ヴィルヘルムは始終無言のままだった。


「これでよかったのか? ギル」

「ああ、あいつにはあれくらいがちょうどよかった。すまなかったな」

「別に。俺もあいつの言い分に腹が立ったのは嘘じゃねぇ。……それより、あのアイリスって奴、本当に大丈夫か?」


 悠護の言いたいことを察したのか、ギルベルトは頭を掻いた。


「あー……そうだな。本人は元々思い込みが激しい上に二ヶ月の間に大分甘やかされたからな、ある意味その手の女と違って性質タチが悪い。ま、本人は『継承の儀』まで騒ぎを起こさないようにメイドにはしっかり見張らせているし、それまでは辛抱してくれ」


 そう言うギルベルトの言葉を信じて、日向達は各自指定された部屋に戻った。

 正直に言うと、あの言葉があったからこそまたしばらくは落ち着けると安心していた。だけど、タイミングというのはよほど日向のことを意地悪したいのだろう。


「ごめんなさい。ちょっと時間いいかな?」


 言ったそばから扉越しに聞こえる救世主の少女の声に、日向はその場で頭痛を堪える表情を浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る