第249話 絶望に堕ちた娘

「聖天学園……魔導士を育成させるための教育機関、か。なるほど、まさにアリナの望んだ『夢の楽園』だな」


 騒乱と怒号、炎と黒煙が巻き起こる聖天学園。

 その施設の中を、カロンはゆっくりとした足取りで歩いていた。

 誰もが武器を手に争っている中、まるでカロンは


「確かに、元となる教室は我がイングランド王国から生まれた。そこから巨大な教育機関として発展していくには、当時は魔法が未だ必要不可欠と認知されていなかった」


 むしろ魔法は大半が忌み嫌われる力であった。

 現代では魔法を応用した科学技術が発展し、家庭用魔導具が一般家庭に流通するほど魔法は身近な存在となっている。

 しかし、魔導士は違う。


 魔導士というだけで謂れのない迫害を受け、中にはただの道具として見ている同胞もいる。

 もちろん魔導士の中にはただの人間を下等動物扱いし、たとえ自分の血のつながった子供すら手酷い扱いを受けさせる。

 魔法という存在で人としての在り方を歪めた新人類。カロンにとって、彼らほど救いのない生き物は知らない。


「ああ、本当に――――気持ち悪い生き物だな、人間は」


 カロンは人間が嫌いだ。

 前国王であった父は、母である王妃を蔑ろにし、毎日のように宮殿にいる女性を手当たり次第お手付きにした。

 何人もの側室を迎え、ただの愛玩動物として好き勝手した父を敬愛することもできず、母が故郷へと帰ってしまったのを機に憎悪へと変わった。


 だから国王即位の日、用済みになった父がみすぼらしい麻の服を着させて処刑台へ行き、自分への呪詛を吐きながら首を刎ねられた時は堪らなく嬉しくなった。

 ようやく目障りな男を始末できたのだ。殺される父を見て笑みを浮かべた臣下は「気が狂ってる」と陰で言っていたが、それでもかまわないと思うほどあの時のカロンは愉快な気分になっていた。


 国王として跡を継いだ後、カロンの元にやってきたのは大量の国事と縁談。

 ローゼンとサンデスがいたとはいえ、国王としての結婚は必須。だけど、あんな父から生まれた自分がまともな恋愛などできるはずがなかった。

 臣下達からの縁談をなんとか断ろうと考えた矢先、カロンはアリナと出会った。


 “神〟から伝授した魔法によって領地を救った救世主。

 だけど、それよりも目を引いたのか、彼女の純然たる『善』だった。

 悪人も善人もたくさん見てきたカロンにとって、彼女ほどの善人はいなく、それ故に興味を持った。


 彼女のような善人が、魔法という人智を超えた力を持って、この世界にどんな影響を与えるのか。

 観察として彼女を追うことに、カロンはますますアリナにのめり込んでいった。

 魔法を教えるたびに目を輝かせ、その使い方と素晴らしさを伝える彼女の姿は生き生きとしていた。


 その姿を何度も追いかけるうちに、カロンは彼女を欲するようになった。

 だけど、自分が手に入れようとする前に、アリナは別の男のものになっていた。

 その時の絶望を、怒りを、悲しみを忘れたことは一度もない。


「だが、それもようやく解放される」


 本校舎裏、雑草が生い茂りサボりスポットとして清との間では有名なその場所で立ち止まったカロンは、虚空に向かって右手を横に振るう。

 直後、バリッ! と紙を破く音と共に空間が裂かれた。

 即席鍵インスタントキーを使わない異界への侵入。現実の聖天学園と同じように騒乱に巻き込まれた裏聖天学園を見下ろしながら、カロンは笑みを浮かべた。


「私はなんとしても日向、お前を手に入れる。そして、私とお前だけの理想の世界へ共に行く。それが、私にとっての『夢の楽園』だ」



 鈴木恵美子という少女は、実に不幸な人間だ。


 生まれた家は存続すら危ういところまで来ている魔導士家系。

 子供を家のための道具としてしか見ていない両親。

 魔導士として生まれてきたがために自由が許されない人生。

 そして、親が用意した婚約者は女相手でも簡単に暴力を振るう最低な男。


 こんな最悪で不幸なものしかない中、幸せになれる保証などどこにもない。

 それ故に、彼女は誰よりも『自由』を欲していた。

 そう考えると、彼女にとって桃瀬希美はその『自由』を確立させてくれるいい女だった。


『どうせあなたたちも私に媚を売りにきたのでしょ? ……まあ、私の役に立てるのなら、そばにいてもいいわよ』


 開口一番にそう言ってきた希美は、どういうわけか鈴木と山本を常にそばに置いていた。

 単純にクラスメイトとして付き合ってくれたのか、それとも自分達の事情を知っていたが故の同情なのかは分からない。

 それでも、希美がいれば自分は『自由』が手に入ると勝手に期待していた。


 しかし、『灰雪の聖夜』で希美が事件の主犯であり遺体すら残さないまま死んだと知った時、ようやく手に入れた希望の道が泡沫の夢のように消えてしまった。

 桃瀬家の没落は家にとってはかなりの痛手となり、危機感を抱いた両親はすぐに後ろ盾になってくれる家の男の婚約者にさせた。


『君が恵美子ちゃんか……まず最初に言っておくけど、私は君の家の実権をほぼ握っている。私の機嫌次第によって鈴木家を没落させることなど容易い。家が大事なら、従順な婚約者らしく振舞うことを勧めておくよ』


 希美の時のように開口一番にそう言ってきた婚約者に、鈴木は心の中で呪詛を言いながら頷いたのは今でもよく覚えている。

 婚約者ができてからは、鈴木は相手に気に入られるようにやりたくもない化粧をし、すっかり板についた媚を振りまきながらするデートするようになった。


 婚約者も自分の思惑には気付いているのか、茶番の付き合う見返りとしてホテルのレストランで食事をした後は必ず一夜を共にすることを条件付けた。

 まだ若い娘を手籠めにする快感を得たいという下心から来るものだろうが、鈴木にはそれを拒否する権利はなく、初デートの日に純潔を捧げた。


 ハジメテは予想よりも痛く、女性に気を遣うことすら頭から抜けたような乱暴な抱き方だった。

 泣き叫ぶように喘ぐ鈴木に、婚約者は征服欲と優越感が満たされていくような顔で笑うだけ。その顔を見て、鈴木は婚約者の暴力的な本性を知ったのだ。


 苦痛しかない行為を終えた後、婚約者はもう一回しようと再び鈴木の体の上に跨り始めたのを見て、さすがに無理だと思い言った直後、容赦なく頬を叩かれた。

 あまりにも当然のことで状況が読み込めなかった鈴木に、婚約者はそのまま手首をネクタイで縛られ、口は無理矢理ハンカチを突っ込まれる。


 ほぼレイプに近い状態になった鈴木はそれ以上何もできず、婚約者の気が済むまで抱かれ続けた。

 ようやく解放されたのは夜明け前で、彼は謝罪も労いの言葉もなくそのまま鈴木を部屋に置き去りにした。鈴木にとって、その日が人生最悪の思い出となった瞬間だった。


 重い足取りで家に帰ると、両親は婚約者とどこまで進んだのかとデリカシーのない質問をし、色々と疲れていた鈴木は「最後までシたよ」と一言だけ言った。

 娘からの報告に両親が喜んでいる声を聞きながら、自室に戻った鈴木はベッドの中で一人涙を流した。


 それからというもの、婚約者は日に日に鈴木を杜撰に扱い始めた。

 人前では紳士的な態度で接し、二人の時は自分の命令通りに動かせる。ベッドの上でも主導権は自分で、少しでも反抗を見せると跡や傷が残るほどの暴力を振るう。

 支配と暴力を具現化したような婚約者に鈴木はなすすべもなく、自分にできることは彼が満足するまで苦痛に耐えるしかなかった。


 何度目かのデートを終えて、鈴木は何度も自問した。

 何故、自分はこんな目に遭っているのか?

 何故、この家はここまで腐っているのか?

 何故、あの最低男が自分の婚約者なのか?


 自問はできても自答はできず、鈴木は心の中で鬱憤と憎悪を溜め込むしかできない。

 だからこそ、希美を殺したであろう日向にその矛先を向けたのは、自然な流れだった。

 自分の今の境遇をあそこまで劣悪化した元凶がいれば、少しはこの気持ちも楽になると思った。


 だけど、日向の周りには彼女を理解してくれる恋人も友達もいた。

 まるで彼女が正しいと言わんばかりの態度に苛立ち、何度も何度も日向は人殺しだと叫んだ。

 そのたびに彼らが自分の言葉が真実でないと突きつけられ、鈴木の心はとんどん真っ黒に染まっていく。


(何故? どうして? そんな女の一体どこがいい!? 希美を殺して、私をこんなに惨めな思いにさせたあいつの!!)


 もう何度目になるか分からない自問。

 いつものように答える人はいないと思った瞬間、


『――――どうしてかって? 知ってるくせに』


 聞き覚えのある声が耳元で囁く。

 ケタケタと。ケラケラと。

 哄笑を上げながら、『何か』は鈴木に語りかける。


『アンタ、自分が豊崎よりいい女だって思ってるの? そんなワケないじゃない。アンタは頑固で、反抗的で、意地っ張り。自分が信じるものしか信じないで、それ以外は全部無価値で無意味だと決めつける。友人の声すら聞かなくなって、復讐と憎悪しか目にないアンタのことなんか、一体誰が好きになるの?』


 答えてくる。答えてくる。答えてくる。

 鈴木にとって知りたくない真実が。今まで目を逸らしてきた答えが。

 今、暴かれる。


『そもそも、希美を殺したのは豊崎じゃない。アンタはそんなこと最初から分かっていた。でも……どうしてずっと人殺しと呼んでたのか、私は知ってるわ』

「やめて」


 声に出た。

 やめて欲しくて、聞きたくなくて、必死に止める。

 制止にはひどく弱く掠れた声を聞いも、『何か』は言った。


『――アンタはただ、豊崎が羨ましかった。自由も、人生も、幸せも全部持っている彼女が妬ましくて。自分と同じように独りになればいいと願ったからこそ、ずっとずっと逆恨みしてきた。

 そんなアンタはいい女でも普通で平凡の女でもない。他人の不幸を望むだけで自分自身を変えることはせず、縛られた人生に享受することしかできない世界一無価値で醜悪な自分が、『自由』を手にすることなんてできるわけがない――――!』

「ああ……あああ……あああああああ……ッ!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 その真実を、隠された己の本性を突きつけられた時。

 鈴木は、闇の中へと堕ちていく。

 地獄よりも深く暗い、奈落へと。



☆★☆★☆



 それは、突然起きた。

 自分に向かって短剣片手に襲い掛かっていた鈴木がいきなり動きを止めた。

 そのままぴくぴくと痙攣し始め、何かブツブツと呟いたかと思うと、


「ああ……あああ……あああああああ……ッ!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 絶叫を上げた直後、ドス黒く染まった鶯色の魔力が放出。手に持っていた短剣を落とさないよう握りしめながら、頭を抱える鈴木の姿が変わり始めた。 

 軍服のような魔装が、スカートにいくつもの穴が開いたフリルがたっぷりの白いドレスに変わり、足には一〇センチ以上はあるだろう踵の高い白い靴。頭には桃色の薔薇の飾りがついた大きな白いボンネット。


 日本人特有の黄色い肌が白くなり、肩までの長さしかないダークブラウンの髪は背中まで伸びる。

 そして、髪と指の先、目元が真っ黒な痣のような文様が浮かび上がった。

 

 堕天。

 魔導士の絶望に反応して魔力が暴走から反転域まで到達し、術者自身を醜い化け物姿に変えると同時に強大すぎる力を得る現象。

 かつての希美と同じように、絶望に呑まれて変異した鈴木の淀んだ目が日向に向けられる。


「豊崎……豊崎日向……私と違う、みんなの人気者……自由と幸せを手にした素敵な女の子……」


 口調も今までのキツい物言いではなく、途切れ途切れな言葉を紡ぐ。

 普段とかけ離れた様子淀んだ目に宿っているのは底なしの憎悪。

 フィリエの魔力を上書きするように、握った短剣から鈴木のおぞましい魔力が纏わり始める。


「憎い……憎いのよ……あなたのその顔が、声が、目が、全部全部全部全部! 私の『自由』を奪ったアンタを……この手でぐちゃぐちゃにして殺してやる!! うふふ、ふふふ……あっははははははははははは!!」


 昏い哄笑が響き渡る。それには、絶望と悲しみが交じり合っていた。

『自由』を手にすることができず、辛い現実に何度も打ちのめされ、絶望に堕ちた娘。

 自分という絶好の的を恨むことしかできない、ちっぽけで哀れな少女。


 たとえ自分に向けられる憎悪が、一方的でどうしようもない八つ当たりだとしても。

 彼女にとっての『自由』を、希美を奪ってしまったことへの責任は取らなければならない。

 それさえも一方的で自分勝手な贖罪であろうとも、日向に受け止めないという選択肢はない。


「――――鈴木さん、あたしはあなたを救ってみせる」


 あの時救えなかった、桃色の瞳をした少女を思い出しながら。

 日向は《スペラレ》を握り直した。

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