第113話 招集

「はぁ……」


 無事に三学期を迎えた日向は、学期最初の休日に一人で聖天学園最寄りの駅前の街に来ていた。

 冬休みが終わり、いつも通りの日常が始まったが、日向の心はあの事件以来一向に晴れずにいた。

 現にいつもの健康的な顔に暗い陰が落とされている。


 理由としては、始業式に希美の死が学園内限定だが知れ渡ったことだ。表向きは『灰雪の聖夜』の事件に巻き込まれて死亡したとされているが、一部の魔導士家系には真実が断片的にだが情報を得ていたようだ。

 それに伴い『レベリス』の脅威に不安を抱く者、不祥事を起こした黒宮家に反感を抱く者、さらには希美を自業自得だと嘲笑う者など三者三様の反応を見せた。


 関係者からバッシング受け、黒宮家では毎日来る苦情の電話や手紙の対応に追われている。

 今日も黒宮家一同は事情説明や名声回復に追われ、規模問わずパーティーに顔を出しているらしい。悠護も次期当主としてその付き添いで行くことが多くなり、ここ最近すれ違い中々時間が取れずにいた。


「早く話がしたいのになぁ……」


 全国でチェーン展開している店のたこ焼きを食べながらため息を吐く。

 油を多めに使用しているため外側はカリカリ、中はとろりとした食感が味わえる。期間限定のネギポン酢を選んだおかげで、ポン酢の酸っぱさが辛みのある生のネギの食感がいいアクセントになっている。

 氷を抜いた烏龍茶を飲み干してゴミを分別して捨てる。そのまま店に出ると、寒い冷気が肌に当たってくる。


 寒さに震えながらも顔半分を新しくもらったマフラーで隠しながら歩き出す。

 誕生日に陽と中学時代の親友の相模京子からもらったコートとマフラーは、『灰雪の聖夜』でもう二度と使えないくらいボロボロになってしまった。

 事情を説明すると二人は再び新しくプレゼントしてきて、さすがに断ろうとしたが兄と親友の圧によってそのまま受け取った。


 外は元気な子供が走り回り、買い物帰りの主婦は早く家に帰るために足早になる。休日出勤しているサラリーマンはカフェで買ったコーヒーを飲みながら一服しており、銭湯に行く老夫婦はにこにこと笑い合っている。

 いつも通りの光景、いつも通りに日常。今まで日向にとって馴染み深いもの達が、何故か遠くに感じてしまう。


 魔導士として目覚め、非日常に放り込まれたせいなのか、最近では目の前の光景が眩しく見えてくる。

 コート越しからホルスターに入った《アウローラ》の感触を確認しながら、日向は白い息を吐きながら空を見上げる。


(あたしが魔導士になってからもう一年経つんだ)


 受験に必要な参考書を買いにショッピングモールに訪れたあの日、魔導士崩れ達がショッピングモールで立て籠もり事件を起こしたのをきっかけに、日向の力が目覚めた。

 最初は何故自分が魔導士になったのか理由が解らず、三学期のほとんどを病院で過ごした。無事退院するも入学先が志望校ではなく聖天学園に強制変更され、そのままドタバタしている内に学園に入学した。


 そこからは大切な親友達との交友や波乱に満ちた事件に巻き込まれる日々。

 時には傷つき、涙を流したが、そばにいた者達のおかげでなんとか立っていられる。一六歳にしてはかなりハードだ。

 思わず感傷に浸っていた日向だが、くしゅんと小さいくしゃみをした。


「うう、ちょっと寒くなってきたかも……早く帰ろう」

「おい!」


 足早に帰ろうとした直後、背後から声をかけられる。

 ふりかえると、そこにいたのは日向とそう年が変わらない少年だ。オレンジ色の髪を後ろで一つに結い、ダウンジャケットを着ている。背中には竹刀袋を背負っており、鋭い目つきは日向の姿を一秒達ともそらしていない。

 やや緊張した面立ちをした少年を見て、その顔に見覚えのある日向は必死に記憶をさぐる。


「えっと……確か、橙田さんでしたっけ?」

「そうだ。魔導犯罪課第一課所属、橙田灯だ」


 やや自信なさげに名字を言った日向を見て、橙田は呆れながら名乗った。

 あの学園祭以降、知り合いと呼ぶには関係を気づいていないはずだ。なのに何故、彼は自分に声をかけたのだろうか? 内心不思議に思いながらも日向は橙田に話しかけた。


「なんの用ですか? 『灰雪の聖夜』での取り調べは散々しましたよね、だったら魔導犯罪課がこれ以上関わる必要性はないのでは?」

「確かにな。だが、今回は別件だ」


 橙田は突然大股で近づいて来るのを見て、日向は反射的に体を数歩下がらせる。

 だがその前に橙田の手が日向の手首を掴み、若草色をした瞳で困惑する彼女を見下ろした。


「――魔導士候補生、豊崎日向。国際魔導士連盟からの招集により、お前を連行させてもらう」



☆★☆★☆



 国際魔導士連盟日本支部は、日本の行政機関の庁舎が多く存在する霞ヶ関にある。

 多くの高層建築物の中で目立つのは、一際高い尖塔を持つ白い外壁の建物。建物の中心に国際魔導士連盟のシンボルマークが太陽の光を浴びて輝いている。

 国際魔導士連盟のシンボルマークは六芒星が刻まれた金杯を中心にし、右側を獅子、左側を竜が支えている。獅子と竜は聖獣としては代表的な動物で、金杯は魔法関連で一番有名な魔導具でもある聖杯をモチーフしていると陽から教わった内容を思い出す。


 だが日本支部などあまり立ち寄るイメージがないため、一階の受付ホールで呆然と眺めていると、突然橙田がベシッと日向の額に何かを押し付けた。

 橙田はすでにダウンジャケットを脱いでおり、左腕に抱えるように持っていた。


「いった」

「おら、それが入館許可証だ。なくすなよ」


 額に押し付けられたものを見ると、首かからかけるタイプのストラップに繋がった透明なパスケースには、『GUEST』と大文字で印刷されたカードが入っていた。

 それを首から下げると、すぐに歩き出した橙田の後をついて行く。

 室内にはスーツ姿のIMF員が忙しなく動いており、中には青白い顔をした男が喫煙所のソファーで目を開けたまま眠っている。


「IMFってブラックなんですか?」

「んなわけねぇだろ、そこらの一流企業よりいい福祉厚生も給料ももらってる。さっきの寝てる奴のことを言ってんなら、それは情報課の連中だ。あそこは毎日魔導犯罪が起きた後の後処理とか情報統制で忙しいからな」


 橙田の言った作業の他に、魔導士に対して悪感情を抱く輩――主に『差別派』の仕業で魔導士についてデタラメかつ批判的なコメントや、彼らに雇われたハッカーが魔導犯罪発生時に完全遮断されている監視カメラ映像を動かして現場の様子を映し出し、その映像を書き換えて悪質な映像として様々な掲示板に情報が流れないように監視したりするのも彼らの仕事らしい。

 システムエンジニアさながらの忙しさらしく、あんな風に燃え尽き症候群になっている人間は意外とあちこちにいるらしい。まあその分、残業や休日出勤などの給料分もきちんと支払われているようだが、それよりも数日ほど休日を与えた方がいいのではと思ってしまった。


 振動があまりしないエレベーターにしばらく乗ると、チンと音と共に扉が開かれる。

 橙田に続いて出た直後、日向の肌がピリッと小さな刺激が走り、思わず足を止めた。


「? どうした」

「いや、なんかピリッとして……」

「ああ、それはここにかけられている結界が影響だな」


 橙田が魔力を帯びた右腕をふっと動かすと、0の1の数字が現れて霧散した。


「魔導具の中に魔石ラピスじゃなくて電気やガスで動くタイプのがあるだろ? ここの結界はデジタル処理して、毎秒ずらしながら五重にかけてるんだ。昔より薄くて頑丈、しかも低燃費なんだ」


 どこか誇らしげに語る橙田の話を聞きながら、このフロアにかけられている結界を肌で感じる。

 第二次世界大戦後から科学発展が急速化し、その影響で魔導具を電気やガスなどのエネルギーで動かす研究が始まった。結果、今の家電量販店では電気で動くタイプの魔導具がバカ売れしているらしい。

 家にあるIH型の魔導具を思い出していると、橙田は黒い扉に手をかざすと自動で開かれた。どうやらセンサー機能がついているらしい。


「お待ちしておりました、豊崎日向さん」


 扉の前に立っていたのは、まさにサラリーマンの見本というべき物腰柔らかそうな男性。

 悠護や希美とは違う青みがある黒髪と紺色の瞳、シルバーのフレーム眼鏡がとても似合う人だ。


「はじめまして、私は魔導犯罪課第一課課長の紺野真幸です。七色家が一つ、青島家に連なる者です」

「は、はじめまして、豊崎日向です」

「存じております。あなたのことは去年からIMFではもちきりでしたから」


 それは第二次性徴を超えた後に目覚めた魔導士としてか、それとも今までブラックボックスだった無魔法を使えるからか。どちらも正解な気がしてならない。

 立ち話もなんですから、と紺野に案内されたのはどこか気品のある落ち着いた応接室だ。日向が壁際の黒革張りのソファーに座り、扉付近の方に紺野と橙田が座ると、すぐに課の職員らしき女性がお茶請けとして人数分の緑茶と羊羹が机の上に置かれる。


「どうぞ、私が贔屓にしている和菓子屋の羊羹は絶品なんです」

「い、いただきます」


 紺野に勧められて、日向は栗羊羹を乗せた皿を左手に持ち、右手で和菓子切を持つ。

 和菓子切で羊羹の端を切り、それを口に運んだ。羊羹は粒がないこしあんたイプで、しっとりとした食感が口の中で動き、小豆本来の甘味を存分に生かしてある。

 しっかり噛んで皿を机の上に置き、今度は緑茶を一口飲む。緑茶特有の渋みが小豆の甘味と上手く調和し、ほっと息をついた。


 ここに来るまで緊張と不安で無意識に体が強張っていたらしく、お菓子とお茶の効果でそれがゆっくりとだが消えていく。

 それを見計らったように、紺野は話を切り出す。


「本日お呼びしたのは他でもない、先の『灰雪の聖夜』における取り調べについてお話したかったからです」

「取り調べ……?」


 てっきりこれまで関わってきた事件の内容を聞かされると思っていただけに、紺野の言葉に日向は思わず首を傾げる。


「不思議に思うのも無理はありません。ですが以前、ウチの者があなたの記憶を見た際に随分と顔色を悪くした様子でしたので、その内容を詳しく聞いたのです。そしたら桃瀬希美さんが異形のような姿になったことを話してくれたのです」


 それを聞いて、脳裏にあの時の希美の姿を思い出す。

 眼窩が窪み、全身を薄紅色の管のようなもので蹂躙された、異形のような姿を。

 思わずズボンの裾をぎゅっと握りしめるのを紺野は見つめながら、話を続けた。


「あの姿はごく稀に魔力の暴走と精神的ショックで発生する現象なのです。我々はそれを、『堕天』と呼んでいます」

「堕天……」


 初めて聞く内容とあの時の希美を見た印象と同じだったことに驚きながら、ごくりと唾をを呑んだ。


「堕天は魔力暴走よりも危険な状態でして、いわば理性のある災厄です。過去に堕天した魔導士が滅ぼした都市は十を超えるものもあります」

「つまり……あなた達はその堕天について口外しないよう口止めのためにあたしを呼んだんですか?」

「察しが良くて助かります」


 日向の言葉に紺野が微笑みながら肯定した。


「堕天の情報は国際魔導士連盟の中では機密度Aに匹敵します。これが世間に知られれば、魔導士を危険視し排除する輩が現れるでしょう。そうなった場合、世界は『落日の血戦』を超える大規模な抗争が起きるでしょう。世界中にいる魔導士達を守る使命を持つ我々にとって、それは避けて通りたいのです」

「……そういうことでしたらあたしは従いますが、それだけで終わりませんよね?」


 こういった取引において、相手からなんならの条件をつけられるのは常識だ。

 さすがに魔導犯罪課が非人道的な行為をするとは思えないが、せっかくお茶請け効果でほぐれた体がまた強張っていく。

 警戒心を露わにしている日向を見て、紺野は苦笑しながら言った。


「ええ、ですが女性に乱暴を働くことはしませんよ。それに、こちらから出す条件は――」


 紺野が何かを言おうとした直後、彼らの後ろの扉がバンッ! と乱暴に開かれる。

 音に反応してびくりと体を震わせて扉の方を見て、目を見開いた。


「悠護……」


 闖入者の正体は、今日まですれ違いばかりだった自身のパートナーである少年だった。



「黒宮! てめぇ、なんでここにいる!?」

「今日上の階で親父と他のお偉いさんと話し合ってたんだよ。ちょうど一区切りして一階の休憩所で休んでたら、お前が日向を連れてエレベーターに乗ってるのを見たんだよ。で、急いで受付に確認したらゲスト覧にこいつの名前があったから、こっちに来たんだよ」


 息を乱しながら大股で中に入ってきた悠護は、さも当然のように日向の横にどかりと座った。

 彼の頬からは汗が流れており、急いで駆けつけたのが伝えてくる。

 悠護は真紅色の瞳で睨みつけると、二人は息を呑んだ。


「……で、なんでこいつを呼んだんだ? 場合によっちゃこっちも容赦しねぇぞ」

「お、落ち着いてください黒宮くん。私達はただ、取り調べの際に少し気になる点がありまして、そのことについて話しただけです」

「気になる点?」

「言っとくが、さっきまで話していたのは機密度Aの内容だ。これはお前ら本家でも話せない」


 きっぱりと告げる橙田に悠護が目を細めて睨むが、しばらくするとはぁっとため息をついた。


「……分かった、それ以上は聞かねぇよ。で? 機密度Aの内容ならタダでこいつを帰さない気だろ? ――一体、何をする気なんだ?」


 ズン、と室内に圧がかかる。

 彼の魔力が感情によって変質し、周囲に重力をかけるように作用しているのだ。これにはさすがの紺野も話さないわけにはいかず、気を入れ替えるために眼鏡をかけ直した。


「……分かりました。こちらの要求は、この点のみです」


 そう言ったと、紺野は机の下から何かを取り出した。

 それは、四角い板だ。板の上には円盤が乗っかっており、中央には中に六芒星が彫られた水晶玉が鎮座している。

 円盤にはローマ数字が『Ⅰ』から『Ⅻ』まで刻まれており、時計に見えるが盤面の中に火と回り小さい円盤がある。小さい円盤には黄道十二星座のシンボルマークが刻まれている。水晶玉はその小さい円盤の中央に置かれている。


「これ……魔力値測定盤じゃねぇか」


 紺野が取り出した物体を見た悠護の言葉に、日向は魔力値について思い出す。

 魔力値というのは魔導士が生まれ持った魔力を数値化したものだ。数値化した魔力は覚醒時から永遠に変わらず、魔導士の証明の一つとなっている。

 ただし、この魔力値は魔導犯罪者になった相手を捕縛するための手錠型魔導具の製造にも使われるのが難点だが、これは全ての魔導士が必ず受けなければならないものなので避けて通ることはできない。


「あれ? でもこれ前見たより大きくなってる」

「よくお気づきになりましたね。豊崎さんが使用したのは旧式タイプでして、去年の九月からこちらの新型を導入しました」

「それで、この新型と条件となんの関係があるんだ? ただ見せるためだけに出したわけじゃないよな」


 一度受けたことのある物体の変化に気づいた日向の言葉に紺野が嬉しそうに語ると、悠護は訝しげに測定盤と紺野に視線を向ける。

 その視線を受けながらも紺野は人当たりのいい笑みを浮かべると、貴公子の如く見惚れる顔で告げる。


「今から豊崎さんには、こちらの新型で魔力値を測らせてもらいます。それが、我々の出す条件です」


 紺野からのまさかの条件に、二人は目をぱちくりとさせた。

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