第112話 秘密の男子会Ⅱ
あの後、樹はギルベルトを連れて宴会場を戻り、彼の分の料理を従業員に頼んで用意させたると、すぐに賑やかに食事を再開させた。
ギルベルトの登場に霧彦や暮葉は驚いていたが、それでも驚くべき順応力ですっかり馴染んでしまった。
誰もが料理に舌鼓を打ち、酒やジュースを飲み交わす。平穏な日常を生きる者にとっては、ありふれた光景だろう。
(でも、俺達は違う)
親友のパートナーは魔導犯罪組織の中で一番危険な連中に狙われている。
彼女と交友関係にある自分達は、己の意思関係なく争いに巻き込まれるだろう。だがそんなのは樹だって心菜だって、誰かに止められても真っ先に渦中に行くつもりだ。
単純に『ヒーローみたいな俺かっこいい』とふざけた理由があればもう少し楽になるだろうが、そんな理由ではない。
(俺は、一人になるのが怖いんだ)
もし何もしないまま、親友達がいなくなってしまったら、樹の心は誰にも癒せないほどの深い傷を刻まれる。
それが嫌で、怖くて、傷つけられたくなくて、一緒に事件に巻き込まれる。
一人にならないために。
だが……それは本当に正しいことなのか?
親友というなら、事件に関わらせる前に止めるのが当然なのではないのか?
分からない。何が正しくて、何が間違っているのか。
まだ一六年しか生きていない少年にとって、あまりにも重すぎる問題だ。
もやもやと頭を抱えていると、後ろで襖が開いた。入ってきたのは樹とは別の意味で頭を抱えている悠護だ。
眉間にしわを寄せ、ぐりぐりとこめかみあたりを押している様子を見て、烏龍茶をちびちび飲んでいた怜哉が目敏く指摘した。
「黒宮くん、頭痛いの? 薬飲めば?」
「ああ、大丈夫。すぐ収まるから」
怜哉がどこからか市販の頭痛薬を取り出して見せるが、悠護は首を振って座椅子に座る。
何度かこめかみや首筋を押し続け、氷が入ったコーラをちびちび飲んでいる内に痛みが引いてきたのか、ふぅ……と息を吐いた。
「まだ痛むのか?」
「ああ。この調子だと当分続きそうだな」
うんざりとした顔でため息を吐く悠護を見て、樹は心配そうに視線を送る。
この原因不明の頭痛は『灰雪の聖夜』後の取り調べ中に起きたもので、医者に勧められた処方薬を飲んだが大して効果はなく、頭痛に効くツボだけで気休めだがなんとか凌いでいる状況だ。
何故悠護だけそんな症状が出ているのか謎だが、医者じゃない自分がどうこうできる問題ではない。
「……ところで、先の事件で【毒水の舞姫】と解決に当たったのですが、あそこまで液体化を習得している人は初めて見ました」
「ああ、そういえばそうらしいね」
【毒水の舞姫】とは、
また、IMFや王星祭問わず顔の整った魔導士がイメージアップのために副業としてモデルをしている人がいるが、その辺りは割愛させてもらう。
【毒水の舞姫】に関する情報は名前と生年月日しか公開されていないが、それは陽も同じだ。
ふと件の魔導士の名前を思い出した直後、ん? と悠護が声を出しながら首を傾げる。
「そういえば、陽先生を家から蹴り出した人の名って【毒水の舞姫】と同じ名前だったような……」
「同じというか本人や」
悠護の独り言が聞こえたのか、陽は苦笑しながら答える。
「え? そうなのか?」
「ああ。【毒水の舞姫】こと高城愛莉亜はワイのパートナーで……その、恋人なんや……」
「「「「ええええええええええええええええええええええっ!!?」」」」
顔を背けて、目元を赤くしながら爆弾発言をかました直後、悠護、樹、ギルベルト、暮葉は驚愕の叫びをあげる。怜哉と霧彦だけは軽く目を瞠っているだけだが、それでも二人も驚いていると分かる。
「マジだろ!? それ日向も知ってんのか!?」
「いや……知らへんで、言っとらんから。まあ今頃愛莉亜がバラしとると思うけどな」
「……これには、さすがのオレも驚かざるを得ないな」
「嘘だろ……つまり、先生は非童て」
「やめろぉ!! 教師の経験事情なんか知りたくねぇ!!」
樹の言葉を暮葉が遮らせる。カオスと化した空間でわーわー言われることが耐え切れなくなったのか、陽が顔を真っ赤にしながらパンパンと手を叩いた。
「あーはいはいはい! ワイの話はこれで終いやし・ま・い!! ……というか、人の恋愛事情を肴にする気か?」
ギクリッ! と肩を震わせる教え子の反応を見て、陽はやっぱりと嘆息した。
まあ普段は教師である自分の恋愛事情なんか聞くことはあまりない。だが、それを易々と教え子に話すのはなんか癪だ。
せめてもの意趣返しとして、陽は妹のパートナーである悠護に狙いをつけた。
「そおいや黒宮、日向になんかしてへんよな?」
「な、何かって……なんだよ」
「あぁ~ん? そんなんあれや、男女のアレコレや。お前……日向に手ぇ出しておらんよな?」
些か酒臭い陽の息に顔を顰めるが、『手を出した』という言葉に悠護の目が明後日の方向に向く。
それを見て、陽は直感する。
――あ、こいつ手出したな。
そこから陽の動きは速かった。
逃げようと後ろへ引いていた悠護の体を魔法で捕縛。空間干渉魔法では自身を中心とした座標に手を加えるだけで、その座標にいる人物・物体を固定することができる。その利点を生かした方法によって、悠護の体を石の如く動けなくする。
「あ、あれ? 動かねぇ……さては魔法使ったなこの人!! こんなくだららねぇことで!?」
「ああ? くだららない? ワイの妹に手ぇ出したことがくだらないんか?」
「い、いえ、そういう意味で言ったんじゃ……!?」
現役を退いたとはいえ、相手は世界にいる魔導士の中でトップクラスを誇る【五星】だ。酔いが回ってきているとはいえ、自分をにこにこと笑いかける黒い笑みはガチで子供が泣くレベルで恐ろしい。
恐怖で綺麗になった体から汗が流れ、口元を引きつらせる。
「――話せや、全部。包み隠さずな」
「は……はい……!」
笑みが消えて絶対零度の瞳で自分を見下ろす陽を見て、悠護はついに涙目になりながら返事をした。
目の前で事情聴取という名の尋問が始まり、悠護の口から語られる話を樹は複雑な顔で聞いていた。
話を要約すると、罪悪感に押し潰されそうな日向を見て我慢出来ず、勢い出来スしたというもの。
正直どういう反応すればいいのか分からなかったが、これにはさすがの怜哉も暮葉も絶句し、ギルベルトは「キス……キスだと……」とブツブツ呟く。霧彦は大人の余裕なのか平然としており、陽に至っては完全に据わった目で下手人を睨みつける始末。
詰まる所、悠護はそれだけのことをしでかしたのだと、嫌でも感じられた。
気まずい沈黙の中、コップの中に入っていたビールを一気に飲み干した陽が、コツンと音を立てて空になったコップをテーブルの上に置いた。
「黒宮」
「は、はい」
「今すぐ亜空間に吹き飛ばされるか、三学期中首から上しかない生活を送るか、どっちがええ?」
「どっちも嫌ですっっっ!!」
本気と書いてマジと読む目をした陽の提案に、悠護は泣きながら叫んだ。
陽の空間干渉魔法ならば、時間の流れさえ分からなくなる亜空間に飛ばすことも、首から下の体を別空間に飛ばして首から上しかない状態にすることだって可能だろう。
少なくとも、陽の提案したものはある意味拷問の類だ。
「まあまあ豊崎さん、悠護くんだって反省しているみたいですしそれくらいにしてあげてください。それに、話を聞く限りじゃ妹さんも受け入れている様子でしたよ?」
「たとえそうであっても、それでもワイは納得できひんのや!」
霧彦の指摘に陽がダンッとテーブルに拳を落とす。
振動に合わせてガチャンと陶器の皿が鳴る中、これ以上待っていると話が進まないと思い至ったのか暮葉がため息を吐きながら口を開いた。
「……で? 勝手にキスしたあと、どうしたんだ?」
「えっと……そのあと無言で病室に戻って、その時に『あのキスのことは、俺が勝手にしたことだから。気にしてるんなら忘れてもいい』って言った」
「いやそれ気にするパターンだよ、豊崎さんなら確実に気にするね」
悠護の言葉に怜哉が一拍も置かず指摘した。
確かに、いきなりパートナーから突然キスされた挙句に『気にするな』と言われる人間などいないだろ。
それは悠護の理解していたのか、気まずい顔で顔を俯かせる。
「……確かに、あいつのことだからきっと気にする。でも、あの時はそれしか思いつかなかった。あいつの……日向の涙を、これ以上見たくなかった」
何度でも思い出してしまう。あの時の、痛々しい泣き顔を。
自分が悪いのだと自分を責め続け、目が溶けてしまうのではないかと思うほどぼろぼろと涙を流す姿が。
見ているこっちの胸さえ押し潰れそうな後悔と自責の言葉を吐き出すのが我慢できず、塞ぐようにキスを交わしていた。
今でも自分のしたことについて、悠護は後悔なんてしていない。
むしろ、あのまま何もしないで聞いていた方が後悔していた。
たとえ止める方法がいくつあっても、恐らく悠護はそれ以外を選ばないだろう。
「……まあ、やり方はどうであれ。君がそれでいいと思ったらいいんじゃない?」
口を噤む悠護を見て、怜哉は第三者として冷静な言葉を言った。
「でも、この問題は多分解決するまで続くんじゃない? それこそ今後関係にも支障が出る可能性もある。ただでさえ豊崎さんや君達には厄介な問題があるんだ、少なくともなるべく早くどうにかしておきなよね」
「……ああ、分かってる」
「ならいいけど」
悠護が辛うじて返事を返すのを聞いて、怜哉はいつもの無表情で自分の分であるコーラを飲む。二人の会話を聞いていた他の五人は、今の会話でこれ以上何も言えない雰囲気になってしまっている。
確かにこの問題は悠護と日向の二人が解決するべき問題だ。それを余所がどうこういう権利はないのは当然。
それを理解したのか、陽は深いため息を吐いてそれっきり黙り込んでしまった。
「あー……まあ、この話はこれで終いということにして、だ」
さっきまで思考停止状態だったギルベルトが、仕切り直すように咳を一度するとガーネット色の瞳を樹に向けた。
「樹、貴様の方はどうなんだ?」
「ど、どうって……なんだよ」
「とぼけるな。貴様、心菜のことが好きだろう?」
ブフゥッ!? と突然カミングアウトしてきた王子の発言に、樹は飲んでいたコーラを吹き出した。
テーブルの上にはちょうど料理がなかったため、被害はテーブルと樹の喉だけで収まった。
「ゲホッ、ゴホッ……な、なんで知って!?」
「ふん、気づいてないと思っていたのか? 貴様の顔を見れば一目瞭然だったぞ?」
にやり、と意地の悪い笑みを浮かべるギルベルトに、樹は顔を真っ赤にしながらも悔しげに睨みつける。
この暴露で悠護は「え? そうなの?」と驚いた顔を見せ、陽は「青春やなぁ」と笑い、怜哉と暮葉は心菜のことを知らない霧彦に説明していた。
「それで、貴様はどうする気なのだ? 告白するのか?」
「どうするもなんも……なんもねぇよ、というか無理だろ」
「無理だと?」
樹がちびちびと残っていた料理に手をつけながら言ったと、ギルベルトが訝しげに顔を顰める。
それを見て、樹はそうだよと言いながら箸を置く。
「あっちは社長令嬢、こっちは平々凡々な一般庶民。身分から釣り合ってねぇんだよ。俺が告白しようがしなかろうが、向こうにはきっと俺よりいい婿さんくれると思うぜ?」
「……まさかと思うが、貴様、そのまま諦めるつもりなのか?」
「心菜のことは好き、それは認める。でも恋人になって向こうに迷惑かけるくらいなら、俺は潔く諦める。そのほうがいいんだ」
樹と心菜。二人の間には、恋愛小説でよくある要素である『身分差』が存在する。
悠護の家も七色家だからといって、身分云々は無関係な環境にある。そもそも七色家はパートナー制度設立の際に高貴な血筋や優秀な遺伝子を優先する政略結婚より自由な恋愛結婚を推奨し、今の体制を作り上げた。
結果、個人差はあるものの愛情溢れる環境で育った子供達はめきめきと頭角を現した。
そういった経緯からこの体制を続けているが、親友二人――正確に言ったと心菜には恋愛結婚よりも政略結婚を強いられるだろう。
辛い思いをする前に諦める。それも一つの手だろう。
……だが、それを認めない友がいることを、樹は失念していた。
ギルベルトが目を閉じて沈黙するも、樹の方へ手に伸ばす。
骨ばった手が樹の赤い髪へ触れようとした直後。
バチィィィンッッ!!
宴会場に強烈な打撃音が響き渡った。
簡単に言ったと、ギルベルト渾身のデコピンが樹の額に炸裂した。
「いっでぇええええええええええっ!!?」
音を聴いただけでもかなり痛そうなデコピンを受けて、樹は額を真っ赤に腫れさせながらその場に転げ回る。
あまりの威力に普段冷静な霧彦さえも「うわぁ……」と声を出すほどで、本当ならこれ以上激化しないように止めるのがいいのだが、その場にいる全員はなりゆきを見守るしかできなかった。
「……まったく、口ではそう言ってるが顔は『嫌だ』と言っているぞ」
やれやれと肩を竦めたギルベルトは、未だに痛みで震える樹の赤髪をくしゃりと撫でた。
「貴様の言う通り、向こうが傷つく前に自分から諦めるというのも最適解だ。だが……それでも諦めきれない存在なら、決して手を離すな。どれだけ醜かろうか無様だろうが、惚れた女を手に入れればそれで勝ちだ。本気で諦めたくなかったら二度とそんなことを言ったな、分かったな?」
この時のギルベルトの耳を擽る声も、頭を撫でる手も、普段とは違いとても優しかった。まるで冷たくなった体に熱が入ってくるような、じわじわと心を温かくするものが感じられる。
それに、ギルベルトの言った言葉は全部樹が欲しかったものだった。
好きな人を傷つけないために諦めることも正しいが、どれだけ後ろ指を差されようとも好きな人の隣に立つことも正しいのだ。
たとえ泥水を啜るような真似になっても、己の気持ちを優先することも間違いではない。
そう考えると、樹は額を赤くしたままギルベルトに笑いかけた。
「……アドバイスさんきゅ、ギル」
「当然だ」
吹っ切れた様子の樹を見て、ギルベルトは不敵に笑った。
☆★☆★☆
「いやあ、それにしてもまさか後輩からあそこまでガチな恋愛相談されるとは思わなかったね」
宴会場を後にした怜哉達は、霧彦が用意したリムジンに乗りながら今日のことを思い返した。
怜哉と暮葉にとって後輩に当たる二人は、自分達が経験したことのないだろう道のりの長い恋をしようとしている。その事実は少なくとも既婚者である霧彦さえ感心するほどだ。
「そうですねぇ、あの二人に比べると私は随分とあっさりとした恋愛をしていたのだと痛感します」
「安心しろ、俺もだ」
卒業後自身のパートナーである金枝奈緒と結婚する予定である暮葉も、悠護と樹の様子を見て思うところがあったらしい。
思わず黙り込む二人を余所に、怜哉は備え付け冷蔵庫から取り出したシャンパンを勝手に開けながらリムジンの窓の外の景色を見つめる。
(恋、ねぇ)
男よりも女の方が好きというマニアックな性癖を持つパートナーが宛がわれている怜哉は、卒業後はそのままパートナー関係を解消するつもりだ。
恐らく父が紹介する良家の娘と結婚するだろうが、怜哉自身は自分の血が途絶えさせなければそれでいいと思っている。
ふと、将来自分の隣に立つ娘を想像した。
色々と冷めている息子のために父が選んだ花嫁は、きっと夫の言ったことに口出しをしない淑女そのもののような
物腰柔らかで、華やか過ぎない落ち着いた気品を持ったそんな人を――頭の中で想像した直後、その顔が何故か日向とすり替わった。
(……え? なんで?)
自分は今、いつか訪れる花嫁を想像したはずだ。それなのに何故、彼女が出てくる?
(どういうこと? なんで僕は、豊崎さんのことを……?)
表情に出さないまま心の中で困惑する怜哉は、頭を振りながらキンキンに冷えたシャンパンをグラスに注ぐと、そのまま一気に飲み干した。
日向の顔を思い浮かべたのは気のせいなのだと、自分に言い聞かせながら。
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