第35話 真実とわがまま
正面から見て前側と左側の壁がガラス張りになっているローズガーデンの最上階は、スワロフスキークリスタルのシャンデリアと太陽からの日差しのおかげで目が痛いほど明るい。
本来なら豪勢を尽くしたパーティーで使われるはずのその階は、七色会議場として使われているため、出入り口には拳銃型魔導具を持った屈強な男達で固められ、室内にも同じ格好をした男が一〇人以上いる。
七色会議は七色家の現当主と次期当主かその候補である子息息女が参加するため、これを機に命を狙う輩が多い。
もちろん日本最強魔導士集団である七色家はここにいるボディーガードより力がある。だがもし七色家の当主の誰かが倒れた場合、次に狙われるのは次期当主の座を持つ子。
ここにいるボディーガードは、敵からの攻撃を素早く発見することと次期当主の盾になる役割がある。
たとえそれが、死亡率が高い仕事だとしても。
重厚感のある扉の前で悠護は一度深呼吸をして開くと、太陽の眩しさで思わず目を細める。
部屋には楕円形の長机と一四人分の椅子が用意されている。扉の開閉音でこの部屋にいる者全ての視線が悠護に向けられると、棘のある淡々とした声が悠護の耳に入ってきた。
「あ、やっと来たんだ。てっきり逃げたかと思ってた」
ここいる誰よりも早く口を開いたのは、黒い上着の下に黄色いフリルブラウスを着て、プリーツスカートの下の分厚い黄色のペチコートの裾を覗かせている少女。
少女の名は
黄倉家特有のマゼンダ色の瞳で睨んでくる彼女に、黒のスーツに黄色いネクタイをした黄倉家現当主である
「香音、失礼なことを言ったんじゃない。七色会議の間はそうしないと約束しただろう」
「……はぁい、ごめんなさい」
父に叱られてむっとした表情でそっぽを向く娘に、迅は困った顔で頭を下げる。
「すみません、どうやら反抗期に入ってしまったらしくて……」
「いいえ、その方が年頃の少女のようでむしろ可愛しいので気にしないでください」
「そう言ってくれると助かります」
謝罪する迅にニコニコ笑いながら言ったのは、赤城家現当主の赤城琴音。
アリスより赤味が強い髪色をしている彼女の恰好は『クストス』で上官のみ着用が許されている濃紺の軍服。彼女にとってその軍服こそが七色会議に参加するに相応しい正装のようだ。
「黒宮様、早く会議を始めましょう。わたくし、この日のために前の予定を取り消してもらったのですから」
空気が和んだばかりなのに冷たい物言いをしたのは、上に胸元に薔薇飾りがついた薄水色の長袖のボレロを羽織り、その下に青いフォーマルドレスを着た女性。
名は
外務省欧州局の局長である彼女は、本来なら外交として他のパーティーに参加しなくてはならなかったかもしれない。急な七色会議の開催にはいささか不満があるようだ。
「おい青島、一々細かいこと気にすんじゃねぇよ。そもそも会議の参加は絶対だ。文句ならそう決めた当時の当主達に言えよな」
「……緑山、相変わらず口が悪いわね。ガサツで品がなくて」
「はっ、品なんてモンは上っ面で誤魔化しておけばなんとかなるんだよ。外交やってるクセにそんなことも知らねぇのか?」
緑山家次期当主の暮葉の言葉に勘が触ったのか、紗香の体から青色の魔力が溢れ出る。
「……どうやら、会議の前に口も態度も悪いガキの躾をしなくちゃいけないようね?」
「――やってみろよ。返り討ちにしてやるよ、クソったれ」
紗香の挑発に乗って椅子から立ち上がった暮葉の体から緑色の魔力が溢れ出る。
一触即発の空気に悠護が唾を呑み込むと、それを止めたのは青島家現当主の
「紗香、ここで騒ぎを起こすのはやめなさい」
「暮葉、これ以上の真似は許さんぞ」
「……分かりました」
「チッ、しゃーねぇな」
母と父に咎められると、紗香は頭を下げて謝罪し、暮葉は舌打ちをしながら乱暴に椅子に座り直す。
その近くにいた怜哉は興味ないのか手を口に当てながらあくびをしており、白石家現当主の
何度もぶつかり合いかける他家に呆れたのか、紫原家現当主の
「徹一くん、そろそろ会議を始めようではないか。そうでもしないとつまらん喧嘩が始まりそうだ」
「……そうですね。それでは皆様、長らく間大変お待たせいたしました。これより七色会議を始めます。悠護、こちらに来て座りなさい」
「……ああ」
徹一の指示に従い、ふかふかする床を大股で歩く悠護は父の左隣の席に座る。
それを横目で確認した徹一は、手の指を絡ませた腕を机の上に置く。
「……さて、議題の前に紫原さんから何か報告があるとのことでしたが」
「ああ、そうでした。私、紫原八雲はこの場を借りて紫原家の当主の座を退くことが決まりましたことをご報告いたします」
八雲の言葉に悠護のみならずほとんどの人間が目を見開いた。
八雲はちょうど五〇代半ば、当主の座から降りて隠居するにはまだ早いはずだ。驚く面々の反応はあらかじめ予想していたのか、八雲は小さく苦笑する。
「皆様が驚くのも無理はありません。ですが私ももういい年です、そのせいで体のあちこちがあまり言ったことを聞かなくてね。少し早くなってしまいましたが、息子の霧彦を新しい当主として紫原家を導いてもらうことになりました」
八雲の隣に座る
日本総合魔法研究所の所長を務める霧彦は七色家の子供中では最年長で、すでにパートナーであった女性との結婚も果たしている。ならば彼が当主になることは当然の流れだ。
「……そうですか。紫原さんにはまだもう少し七色家の当主としてお力を借りたかったのですが、霧彦くんが当主となるなら良しとしましょう」
「突然の申し出を受け入れて感謝します。もちろん緊急事態には私もお力を貸しますのでご安心を」
「それは心強いですね」
微かに口元を綻ばせる父を横目に、悠護は七色家の人間の顔を観察する。
怜哉と暮葉は学園での日向を知っているから擁護派として回ってくれるだろうが、問題は他の家の人間だ。
赤城は国の守護を役割としているが、日向の無魔法はどちらかというと国の戦力の一つとして捉えているだろう。アリスは何故か日向を気に入っていたし、もしかしたら協力者になってくれるかもしれない。
青島と黄倉は日向について危惧をするだろうが、さすがに殺すという考えには至らないだろう。だが、問題は紫原の方だ。
日本総合魔法研究所は文字通り魔法および魔導士についての研究を専門とする研究所。四大魔導士がどうやって魔法を発見した謎は今も世界中にいる研究者達を魅了している。
無魔法もその部類に入り、過去に何十人もの魔導士が無魔法を取得しようと、後に『無魔法発現実験』と呼ばれる実験に参加した。
だが結果は得られず、IMFからの資金提供を打ち止められて実験は頓挫。今の魔導士では無魔法を取得するのは不可能と結論づけられた。
それなのに、無魔法が使える魔導士として日向が現れてしまった。
取得不可能とされた無魔法を使える魔導士という『ブランド』は、日本のみならず世界中からも注目を集める。その中には己の欲のために利用する者もいる。
そう考えると悠護にとって、紫原はその中でも一番危険な存在なのだ。
(――もし、あいつが日向を研究所に寄越せって言ってきたら……)
もちろんこんなはただの推測だ。言わない可能性がないわけではない。
だが少しでも懸念は消しておきたい。
(絶対に、俺が守る)
ズボンの上でぎゅっと拳を握りしめる。悠護のジト目は力が入ってさらに鋭くなる。
「――それでは、第一五二回七色会議を始めます」
徹一の言葉に、悠護は顔を上げる。
その顔には、普段から見られない強い決意を宿していた。
☆★☆★☆
「さ、着いたわよ。ここが今回のお茶会の会場よ」
朱美に連れられて日向がやって来たのは、ミニバラが咲き誇る美しい庭園。
いくつもの長テーブルや丸テーブルの上には見た目も可愛らしいお菓子や軽食がケーキスタンドに置かれていて、陶器の大皿に盛られているカナッペは、薄く切ったフランスパンやクッラカーの上にハムやチーズなどの汁気のない材料を鮮やかに盛りつけてある。
それを手に取ってちょこちょことつまんで食べる人や、東屋でのんびりと談笑する人など今回紹介された人達は思い思いに過ごしている。
「あ、いた。日向~!」
名前を呼ばれて右横を振り向くと、淡い黄緑色のドレスを纏った心菜が白い手袋を嵌めた手をこちらに向かって振っていた。
チューリップスリーブがゆらゆらと揺れるのを見ながら、日向は心菜に駆け寄るとそのまま抱き着く。
「久しぶり、心菜」
「久しぶりってほどじゃないけど……でもそう言われると久しぶりって感じだね」
入学してからずっとそばにいたせいか、心菜と離れていたたった数日でも長く感じてしまう。
心菜が日向の頭をよしよしと撫でると、その後ろからカナッペやサンドイッチを乗せた皿を片手に持った樹が現れた。
やや青みのあるフォーマルスーツを着て、首元の青いネクタイを緩く結んでいるが、顔は整っているためみすぼらしい感じはしなかった。
「よー、久しぶりだな日向。似合ってんぜ」
「ありがとう。というか樹、そんなに取んなくても料理は逃げないよ?」
「そりゃ分かってんだけどよ、ウマそうなのがあったからつい」
「樹くん、頬に食べカスついてるよ」
心菜に指摘されて口の端の食べカスを取ろうとするも、まったく別の方に触れているため、心菜はハンドバックからハンカチを取り出すと樹の頬を拭く。
この光景も久しぶりな感じがして微笑ましく見ていると、後ろから衝撃が襲う。振り返ると日向に抱き着いた鈴花がじーっとこっちを見ていた。
「鈴花ちゃん、どうしたの?」
「その人達、日向お姉ちゃんのお友達ですか?」
「そうだよ。心菜、樹。ちょっと紹介したい人がいるからこっち来て」
日向に呼ばれた二人が近寄ってくると、鈴花は恥ずかしそうに日向の後ろに隠れてしまう。
まるで初めて人と会った小動物のような反応に心がほわっと和んだ。
「鈴花ちゃん、この二人はあたしと悠護の友達の心菜と樹。二人とも、こっちは悠護の妹の鈴花ちゃんだよ」
「初めまして、鈴花ちゃん。私は神藤心菜、心菜って呼んでね」
「で、俺は真村樹だ。気軽に樹って呼んでいいぜ」
日向を仲介人とした自己紹介をすると、鈴花は日向のドレスのスカートの裾を握りしめひょこっと顔を出す。
「私は……黒宮鈴花、です。よろしくお願いします」
緊張しながらの自己紹介を済ませると鈴花は再び日向の後ろに隠れる。
(((かわいい)))
その様子を見た三人が微笑ましい顔で心を和ませていると、クスクスと小さく笑う朱美が現れる。
「ふふっ、鈴花ったら本当に人見知りね」
「お母さん……それは言わないでって約束……」
「そうね、ごめんなさい。えっと、神藤心菜さんと真村樹さんでしたよね? 私は黒宮朱美、鈴花と悠護くんの母親です。急なお誘いだったのに来てくれて嬉しいわ」
「いいえ、こんなに立派なお茶会に誘ってくださってありがとうございます」
「そうですよ。こんなにウマいメシにもありつけたんですから」
心菜がお辞儀する横で平然とした態度でサンドイッチを頬張る樹。それを見て朱美は不快な顔はせずむしろ楽しそうな顔をする。
「そう、ならよかったわ。久しぶりに会うのだし、あっちの東屋でお話してていいわよ」
「いいんですか?」
「ええ。私は鈴花と一緒にお客様に挨拶しないと。ほら鈴花、行きましょう」
「えー……」
朱美の言葉に鈴花が嫌そうな顔をしながら日向に抱き着く力を強くする。
その反応に困った顔をする朱美を見て、日向は鈴花の頭に手を乗せるとよしよしと撫でる。
「鈴花ちゃん、あたし達はどこにも行かないから大丈夫だよ」
「……本当?」
「本当だよ。待ってるからね」
ほら、と言いながら背中を押すと鈴花はこくっと頷いて朱美の方へ駆け寄る。
そのまま手を繋いで去って行く
「そんじゃ、あっちで話すか」
三人は手分けして軽食とお菓子、それにティーセット一式を持って来た後、日向は黒宮家でのことを二人に話した。
徹一から出された条件、朱美と鈴花との関係、そして追憶夢で見た過去を。ちなみに魔法指導での出来事は話していない。理由は言わなくても分かるだろ。
「……なるほどな。とりあえず悠護の親父さんって意外とメンドくせぇ性格してるってことはよーく分かったぜ」
クッキーをバリバリと噛み砕く樹の横で、優雅な仕草で紅茶を飲んでいた心菜は難しい顔をする。
「でも日向が見た過去の様子だと、悠護くんのお父さんは前の奥さんのこと大切だったんだよね? なのに、どうしてそんなに早くに再婚したんだろう……」
「そこも謎なんだよねぇ。でも朱美さんが徹一さんを誘惑して再婚させたっていう線はないよ。というか、そんなことする人には見えないし」
日向もたった三日しか朱美と接していないが、彼女がそんなことをする女性には見えなかった。少なくとも妻を亡くしたばかりの男に言い寄る真似はしない人だと一目で分かる。
そもそも再婚の件自体が怪しいと感じる。一族ぐるみの政略結婚ではないはずなのに、実の息子の悠護には何も言わないまま再婚など普通に考えてありえない。
たとえ母を亡くした傷が癒えていなくても、一言断りを入れるべきだ。それをすっ飛ばすなんて、もうわけが分からない。
「朱美さんがそういう人間じゃないのは俺の目でも分かるけどよ……問題は父親の方だよな。信用を得るとか言ってるけど、要は日向のことが気に入らねぇからデタラメに言ってるだけじゃねぇの?」
「その可能性はないとは言えないけど……それだったら、わざわざ家に呼ぶ理由はないよね? 家の力でも使えば阻止できるんじゃないの?」
「だよな……。じゃあなんでこんな回りくどい真似を……あー、ワケ分かんねぇよ!」
わしゃわしゃと豪快に頭を掻く樹の声を聞きながら、日向は顎に手を当てながら必死に頭を捻らせる。
悠護に何も言わないまま再婚した理由。朱美は『いろんな事情』で再婚することになったと言っていたが、その『事情』というのはなんだろうか?
(事情……事情……再婚するきっかけになったこと……?)
再婚というのは、夫婦のどちらかが亡くなった場合にしかできない。
この場合は悠護の本当の母親が亡くなったから再婚できるようになった。なら……。
(もしかして……悠護の本当の母親が関係している?)
もし彼女が遺言や遺書でなるべく早く再婚するよう言われたら、態度に出さなくても妻のことを大切にしていた徹一はそれに従う可能性はあるかもしれない。
その相手が朱美である理由は本人に直接聞けばおのずと分かるだろう。だが一番の問題は悠護だ。
悠護に何も言わずに再婚したというのは、普通に考えてもおかしい。
(……ん?
思考の中に見つかった違和感に、日向はさらに頭を捻らせる。
再婚という大事なことを子供に何も言わずにするものではない。もししなかったら今よりもっと家族関係は悪くなっているはずだ。
だが母を亡くした後にその話を聞いても、まだ婚姻のことを詳しく知らない子供には理解できないはずだ。
つまり、そこから導き出される答えは――。
「――もしかして……記憶のすれ違い……?」
ぽつりと呟いた日向の言葉に、心菜と樹は目を見開きながら日向の方を見た。
「日向……それ、どういうことだ?」
「いや、確証はないんだけど……。もしさ、離婚とか再婚のこと知らない子供が母親を亡くしたショックを引きずったまま再婚の話をされたら、二人どう思う?」
「どうって……頭に入ってこないだろうな。そもそもそんなの知るのはもっと後だろうし――」
そこで日向が言わんとすることに気づいた樹がはっと息を呑む。心菜も察したのか口元に手を当てている。
信じられない事実を見つけてしまったせいで重苦しい静寂が三人を包むが、日向は深く息を吐くと告げる。今まですれ違い続けた真実を。
「多分、徹一さんは再婚のことは悠護に言ったんだよ。でもお母さんを亡くしてショックだった悠護にはわけが分からない話だった。そのことを徹一さんは知らないまま朱美さんと再婚してしまった……」
「そして悠護は親父さんが自分に何も言わないまま再婚したと思い込んだってことか? んだよそれ……そんなのちゃんと話せば分かることだろ」
「……いや、多分無理だったんだよ。今までまともに徹一さんと話してないのに、どうして再婚したのか訊きたくても訊けなかったんだよ」
「それで……そのままずるずると引きずっちゃったんだ……」
心菜の言葉に樹は難しい顔で黙り込む。
黒宮家が抱えていた家族問題は、悠護と徹一との関係が上手くいっていなかったせい。だが悠護には徹一と向き合おうとしているが、徹一本人はその気があるのか分からない。
家族同士の問題なら、これ以上日向が首を突っ込むわけにはいかない。
(でも、ほっとけない)
もしこのまま悠護と徹一の関係が険悪のままだったら、朱美も鈴花も悲しんでしまう。
それに、徹一は言ったのだ。信用を得ろと。その信用を得る方法は、たった一つ。
(真実を伝え、この家族関係を修復することだ)
打算でも権謀術数でもない、ただ『家族とは仲良くなって欲しい』という日向のわがまま。だが、そのわがままこそが今の彼らには必要なのだ。
日向は顔を上に上げる。日差しの強い太陽が眩しくて目を細めるも、日向は最上階の方を見つめる。
今、自分以外の七色家の人間と話し合っているだろう悠護がいる場所に、日向は鋭くさせた琥珀色の瞳を向けていた。
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