第271話 葛藤と焦燥
―――『星』が見えた。
白く、時に虹色に変わる、小さな小さな『星』。
本物よりひどく頼りない輝きをしたそれを、心菜は必死に追いかける。
彼女が走る暗闇には、四方を血管のような真っ赤な何かが張り巡らされていて、それが時折ドクンドクンと脈動を打つ。
まるで生き物の中にいるような感覚。最初に来た時は、恐怖のあまり一度気絶したが、何度も足を踏み入れれば自然と鳴れてしまう。
何度も荒事を乗り越えてきたからこそ身に付いた耐性のおかげだろうが、以前の自分では考えられないことだと内心驚いた。
そう思いながらも、心菜の走る足は止まらない。
素足で簡素な白のワンピース姿で走る様は、もしここが青空の広がる草原ならば美しい絵となっていただろう。
しかし彼女が走る度に真っ赤な何かの脈動は激しくなり、それに同調するように息も荒くなっていく。
『星』は心菜から遠ざかるように逃げていき、それを追いかける心菜の顔は必死だ。
だって、あの『星』は心菜が欲しい力の源。
一刻も早くあれを手にしなければ、自分は永遠に足手まとい。
(それだけは、絶対に嫌!)
心菜の想いを察知したのか、あんなに離れようとしていた『星』がピタリと止まる。
その隙を逃さず加速し、その『星』を両手で包むように手に取る。
やった! と喜ぼうとした直後。
手の中の『星』は強く輝き、心菜の中へ入っていく。
その光が血管のように心菜の体中に這いずり回り、全身に痛みが迸る。
「っ、あがっ……ああああああああああああっっ!!」
痛みという情報が全身を駆け巡り、心菜は悲鳴を上げる。
体が熱い。額に角が、背中に翼が、肌に鱗が、臀部に尻尾が生えていく錯覚。
喉が激しく渇く。骨がギシギシと鳴る。血が痛覚と共に動く。
痛い。苦しい。熱い。
三つの感情で支配され、早く解放されたいと思うも、決して掴んだ『星』を離さない。
(ダメ……お願い、このまま……!)
必死に手に入れたそれを手放さないよう願うも、それを第三者は許さない。
「――――心菜!」
鋭い声で名前を呼ばれた直後、視界が白で塗り潰された。
「―――――は、あっ!?」
目を開ける。霞んだ視界の先に薄暗い天井が見えて、周囲を何本も立てた燭台に刺した蝋燭の火が淡く照らす。
火照る体とは反対に、巨大な魔法陣が描かれた冷たい石の床に汗が流れ落ち、濃い灰色の染みを作った。
荒れた息がようやく落ち着き、緩慢な動きで顔を声がした方に向ける。
そこにいたのは、白衣と緋袴姿の母・響子。
彼女がそっと心菜の上にシーツを被せたのを見て、ようやく気付く。
(ああ……そういえば私、今裸だった……)
ここは代々『秘法』の習得のために使われている、家の地下にある修練場。
地下三階分の広さを有しており、この魔法陣のある場所まで来るには長い廊下を下らなければならない。
壁には古くから残る防魔加工に近い魔法陣が描かれており、樹が見れば目を輝かせて解析するようなものばかりだ。
『秘法』習得のためには、地面の下に流れる自然エネルギーとより密接になるよう一糸纏わぬ姿になる必要があり、傍には着替えと補給用の水筒が置かれていると分かっていても、家族に全裸を見られるのは恥ずかしい。
しかも樹と何度も一夜を過ごしているせいもあり、以前と比べて女性的な体つきになっている。最初に自分の裸を見て、響子が何かを察したような笑みを浮かべた時はひどく焦ったものだ。
「……お母さん。私、ね……」
「言わなくていいわ。あの『星』に触れたのよね?」
言う前に先に言った響子に、心菜はこくりと頷く。
心菜の父・和仁は神藤家の入り婿で、『秘法』については知っているも、それを習得させる方法は知らない。
そのため響子が習得に付き合っており、習得を中断させたのも彼女によるものだ。
「あなたが見たその『星』こそが、『無限天恵』の後継者として認めるために必要な証。あれを手にしない限り、『秘法』の習得は困難になるでしょう」
「……っ」
すでに『秘法』を使える響子の言葉は、心菜の胸にずきりと刺さる。
一刻の猶予もないというのに、ようやく『星』を掴めるところまでしかいっていない。このままでは、心菜は無力のまま戦いに臨むことになる。
(どうして……? どうして上手くいかないの……?)
祖父に言ったことは本心だ。この『秘法』を大切な人達のために使いたい。
なのに、『星』は心菜から逃げようとするばかりで、さっきのように手にしても拒絶するように痛みを与えてくる。
響子の言う通り、『星』を手に入れなければ、『秘法』の習得は困難を極める。
「今日はここまでにしましょう。さすがに疲れたでしょ? 疲れが明日まで引きずらないように、十分に休みなさい」
「……はい」
響子の言葉に心菜は少し落ち込みながら頷き、そのまま服に着替える。その間に響子は同じ場所にあったバケットを開いた。
中に入っていたのは、魔法で保温状態に保っていたホットサンド。卵とハムチーズと定番だが、少し肌寒いここでは温かい料理は普通に嬉しい。
自分と同じ巫女服を着て、出来立てと同じくらいの熱さをしたホットサンドを、はふはふしながら食べる心菜を見て、響子は水筒に入れていた温かい紅茶を入れながら言った。
「ふふっ、懐かしいわね。私もそうしてご飯を食べていたわ」
「むぐっ……お母さんも?」
「ええ。全然上手くいかなくて、よくすすり泣いていた私を、お母さんが慰めてくれていたわ」
響子の母、つまり心菜の祖母に当たる神藤
祖父は父と同じ入り婿で、母と同じお見合い結婚したことは聞いていたが、一体どんな人だったのか知らない。
あまり祖母の話を聞いたことのない心菜にとって、その話はとても興味を引いた。
「私、お
「そうね……とても聡明な
未来予知などの時間干渉魔法は、概念干渉魔法と空間干渉魔法の次に難しい魔法で、数秒先の未来が見られるだけでも御の字と言われている。
しかし梅子は好きな時に好きな時間の未来を見ることができ、彼女の力によって救われた命は万を優に超えていると響子は言ったが、さすがの心菜も違和感を覚えた。
「でも、予知系の魔法は扱いが難しい魔法よ。それを自在に操れるなんて……」
「もちろん、事実上不可能よ。でも『秘法』がそれを可能にしたの」
『秘法』・『無限天恵』。
自然エネルギーを取り込み、己の魔力に変換するこの力を、梅子は見事に物にした。
その事実は『星』に拒まれた心菜にとって、さらに焦りを生み出すものだった。
「ど、どうやって『秘法』を使ったの……?」
「私も詳しくは分からないけど、予知を使う魔法の持続時間が短いのは、術者本人の魔力値が密接に関係しているかららしいわ。魔力値が低ければ低いほど持続時間が短くなるけど、逆に魔力値が高ければ高いほど持続時間が長くなるの」
「つまり……お
「そういうことね。私も本人から直接聞いたわけではないけれど」
だが、もしその話が本当ならば、今の心菜では到底及ばない。
『秘法』の習得すら上手く行かず、同じ血を引いている自分の不甲斐なさが、その話で如実になっていく。
突きつけられた現実を知った心菜は、ひどく落ち込みながらちびちびとホットサンドを齧った。
☆★☆★☆
「ダメだ。やり直し」
もう何度描いたかわからない設計図を見たイアンの言葉に、樹は大きなため息を吐く。
ここ一ヶ月で何度目の没なのか数えることすら億劫に感じ、部屋にある電動シュレッダーで細切れにする。
そして、イアンとは向かいの椅子に座り、そろそろ二冊目に突入するだろうノートを開く。
「……で? どこが悪かったわけ?」
「まだやるつもりなのか?」
「当たり前だろ。もう時間がないんだから」
ページがよれたノートを開き、ペンダコとシャー芯で汚れた手でシャーペンを持つ樹を見て、イアンは無言で黙り込む。
カロンの呪いの期限までもう半月もない。
一〇月三一日までに、『ノヴァエ・テッラエ』に対抗できる魔導具を作ろうと躍起になるのは、イアンも痛いほど気持ちは分かる。
そもそも、樹は魔導具技師としての腕は悪くない。
魔導具作りの基礎はしっかり身についているし、現代の若者らしい発想力と応用力もポイントは高い。
なにより、彼の作る魔導具は一種の芸術品だ。
相手を第一に考え、実用性も汎用性も兼ね備え、時には華美過ぎないよう美しく装飾を加える。
あらゆる魔導具を作ってきたイアンとしても、彼の作る魔導具は現代の魔導具と比べて群を抜いていると本気で思っている。
しかし、カロンの件もあり、今の樹が作ろうとしているのは兵器としての魔導具。
本来なら作りたくない魔導具を作ろうとしているせいか、中々上手くいかず、設計図の段階でお蔵入りになってしまう。
イアンとしても、若者の努力を無下にしているようで心苦しいが、それでも魔導具技師として妥協はしたくない。
(そもそも、苦手分野を無理にやろうとするからうまくいかない。もっと別の視野を持たせなければ……)
ブツブツとノートと向き合う樹を見て、イアンは着ていた白衣を脱ぐ。
帰り支度しようとする彼に気づき、樹はようやくノートから顔を上げる。
「どこ行くんだよ」
「気分転換だ。お前も来い」
少し苛立つ樹に彼の上着と荷物を投げ渡したイアンは、部屋のドアを開けた。
「焼肉食いに行くぞ」
現在、東京都内の飲食店は軒並み長期間休業している。
しかし長く休業しては経営が厳しい店は少なからずあり、そういった店には国の許可を経て営業を続けている。
今樹とイアンが入った焼き肉屋も同じで、九〇分食べ放題を売りに出している。色んな肉の部位、数種類のサラダや汁物などが注文できる店内は、意外にも繁盛していた。
今の情勢を物ともしない客の笑い声に、注文を飛ばし行き交う店員達。
炭火の上で焼かれる肉と野菜を見て、樹は首を傾げる。
(俺、なんで焼肉食ってんだ?)
もっとやることだって、しなくてはいけないことだってあるはずなのに。
こうして呑気に焼き肉を食べていいのだろうか?
そう考えると箸が動くわけがなく、ただ焼かれるだけの肉と野菜達を眺める。
「食べないのか?」
目の前でイアンが凄いスピードで肉を消費している。タンもカルビもホルモンも次々と焼いて食べていく彼に、さすがの樹も怒りを覚える。
あれほど描いた設計図を没にした張本人に食事を奢られること自体おかしいし、本当なら家に帰って新しい設計図を描かなければいけない。
むっすりと拗ねた表情をする樹を見て、イアンは樹の皿に取り、ほどよく焼けた肉と野菜を乗せる。
「お前の気持ちも分かる。自分の
「っ! 分かってんなら……」
「だがな。今のお前に、最高傑作なんて作れない。……わかってんだろ?」
「……!!」
イアンの言うことは正論だ。
今の樹には、ただ魔導具を完成させたいという思いしかなく、日を追うごとにただ回路と部品を組み合わせただけのガラクタばかり作り上げていた。
時間の猶予がないほど焦りが生じ、いつしか自分が本当に作りたかった物すら見失う。
長年魔導具技師として生きてきたイアンにとって、樹の葛藤も焦燥感も理解している。
だが、ここで誰かが止めなければ、真村樹という魔導具技師はここで止まってしまう。
たとえ嫌われ役を買うことになろうが、ここで今までのストレスを発散させるのが一番だ。
「とにかく、飯を食え。お前ロクに食べてないだろ? 今まで食べなかった分、存分に食え」
「…………ありがと」
イアンから皿を受け取った樹は、怒涛の勢いで食べ始める。
肉も、野菜も、ご飯も全てかっ込む樹を見て、通り過ぎた他の客や店員が思わず二度見するほどだった。
それでもイアンは冷静に定員に「ご飯とわかめスープを二つ、どっちも大盛りで」と追加注文する。
まるで今まで不足していたエネルギーを補給する樹と、マイペースに追加注文し食べるイアン。
あまりも対照的な二人の食事風景と一〇万近くの食事代を払ったことで、その時店にいた客や店員のSNSでちょっとした話題になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます