第272話 三つの覚悟と正直すぎる本音

 黒宮家の訓練場、そこで日向と悠護が互いに剣を交わしていた。

 白銀と黒銀が弧を描きながら弾かれる様は、暴力的でありながらも幻想的に見える。

 火花が飛び、何度も二人の視線が交わし合い、それでも剣を振るう腕を止めない。


 何度も打ち響く金属の演奏。それも、最後の一手で終わる。

 強化魔法で身体能力を向上させた二人は、足を蹴って後退する。

 互いに間合いを取り、息を整え、ザリッと互いの靴が床を踏む音が聴こえた瞬間、一メートル以上も離れていた間合いを、たった数秒で半分以上も詰める。


 日向の《スペラレ》が、悠護の《ノクティス》が、愛する人の首筋に添えられる。

 薄皮一枚から感じる金属の冷たさ。それを味わいながらも、二人はゆっくりと剣を引く。愛剣が腕輪に戻ったと同時に、二人の体がそのまま地面に倒れ込む。


「はぁ……はぁ……!?」

「げほっ、ごほっ……もう、無理ぃぃぃ……!」


 倒れ込んだ二人の体から汗が勢いよく吹き出て、手足はビクビクと痙攣している。

 それもそのはず、朝九時から戦闘を始め、そのまま四時間休憩なしで戦闘訓練をしていたのだ。魔法と剣を駆使し、少しで実力を確かめ合おうと本気で挑んだのが間違いだった。

 結果、文字通り満身創痍なっている互いを見て、力のない笑みを浮かべた。


「やりすぎ、たね…………」

「ああ…………お前、先にシャワー浴びてこい……俺、まだ動けねぇ………」

「……わ、分かった」


 ヒューヒューと明らかにヤバい呼吸をしている悠護を見て、これは少し休ませた方がいいと考え、日向は引きずるように歩きながらなんとかお風呂場に辿り着く。

 簡素な訓練着を脱いでお風呂場に来たが、このまま湯船に入ったらそのまま寝て溺死しそうになるので、『入っておいでー』と言いながら手招く誘惑に抗いながら、シャワーを浴びる。


 体中にへばりついた汗と垢を落とすように全身を洗い、シャワーで泡を残さないように流す。

 お風呂場から脱衣場に移動し、タオルで水気をしっかり取って、ドライヤー魔法で髪を一瞬で乾かす。

 あらかじめ置いていた服に着替え、脱衣場を出るとちょうど悠護が目の前に現れた。


「あ、もう平気?」

「おう……ささっとシャワー浴びるわ」

「そろそろお昼だし、早めにね」

「おー……」


 未だ疲労が残っている様子の悠護を見送り、日向は洗濯室でさっき脱いだ服を洗濯機に入れ、そのまま一階へ行く。

 住み込みのメイド達と挨拶を交わしながら食堂へ行くと、そこには二人分の食事しか用意されてなく、首を傾げながら近くにいたメイドに声をかける。


「あの、徹一さん達は?」

「旦那様と奥様、鈴花様はすでにお食事を済ませております」

「あー、そうですか。ありがとうございます」


 質問に答えてくれたメイドが会釈しながら去るのを見送り、日向は自分の席に座り悠護を待つことにした。

 徹一は襲撃の件でIMFではなく自宅の執務室で激務に追われており、朱美はそんな夫のサポートのためにあちこち奔走している。

 鈴花は二学期から学校が休校しているが、最新鋭のAIによる学習プログラムによって自室で勉強に勤しんでおり、今も頑張って勉強しているのだろう。


 しかし、その生活すらあと少しで奪われてしまう。

 カロンの影響力はすでに世界中に広まっており、近々訪れる争いの気配を察した各国は国民を政府や軍が所有しているシェルターに避難するよう呼び掛けている。

 日本でも同じ動きを見せていると同時に、Xデーは徐々に近づいてきている。


「取り戻してみせる。あたし達の日常を」


 あの学園での残り少ない生活と、これから先の未来を守るために。

 


(俺達の日常、か)


 なんとかシャワーを浴び終え、食堂に来た悠護は恋人の決意を聞いて、そのドアの前で立ち尽くす。

 日常を取り戻したい気持ちは、もちろん悠護の中にある。

 前世では取り戻す前に死んでしまい、今世でそのことを思い出した時、もう二度と失わないと誓った。


 悠護にはクロウから引き継いだ知識も技術もあり、それを活かすための環境にいるという幸運もあり、前世より金属干渉魔法の腕が上がったと自負している。

 それでもまだ足りないと感じるのは、カロンを今まで出会ってきた仲間より強敵だと認識しているせいだ。


 聡明な頭脳と美貌を兼ね備えながらも、人間という種を嫌悪し、それでも国のために尽力した善き国王。

 その面影はすでに消え去り、カロン・アルマンディンは『絶対悪』として君臨した。


 今の彼は、悪魔そのもの。

 己の目的を果たすためならば、どんな悪逆非道でも行い、邪知暴虐も厭わない。

 その上、一年前にはこの世界にはない魔法を開発し、小手先とはいえ、彼の魔導士としての力がどれほど脅威なのか思い知らされた。


(あいつのことだ。今だって新魔法をバンバン開発しまくっているはずだ)


神話創造装置ミュトロギア』の恩恵もあるだろうが、元々賢王けんおうとしても名を馳せているほどの頭脳の持ち主。

 彼ならば、『魔導書庫インデックス』にはない魔法を作れるし、使うことだってできる。その場合、彼に対抗できるのは、同じく『蒼球記憶装置アカシックレコード』の恩恵で魔法を術式として見ることができる日向だけ。


 恋人に頼りきりというのは男として情けないと感じるも、それ以外に対抗策はない。

 ならば、自分はその前に立ち塞がる障害を倒すことに専念するしかない。


(日向とカロンに因縁があるように、俺にもリンジーとの因縁がある)


 あの少年との因縁は、たった一度かけた情けから始まった。

 やり直せると信じたから生かしたはずの少年は、その情けを侮辱ととらえ、今では自分を殺すまで生きるのを止めない廃人と化した。

 この因縁を断ち切るには、どちらかの死しかない。


 人を殺すのは、決していい気分ではない。

 斬った時の感触も、血の生暖かさも、忘れた頃に思い出してしまうこともある。

 その度に罪悪感で頭がおかしくなりそうになっても、この手を血で汚すことはとっくの昔に覚悟を決めている。


「同じ結末おわりは迎えない。俺は、今度こそ幸せになるんだ」


 恋人かのじょの涙を見ないために。

 心臓を裂くような慟哭を聞かないために。


 そして、前世では失ってしまった幸福の未来を掴み取るために。

 自分は、いくらでも修羅になろう。



☆★☆★☆



 ギルベルトは今、聖天学園に訪れていた。

 すでに建物自体は修復されていても、洋風の校門には立ち入り禁止のテープが貼られている。たとえイギリスの王子である彼でも無断で入ることはできず、ただ外周をぐるりと回るように歩き、懐かしく壁の向こうを見つめていた。


「随分と久しく感じるな……」


 最初はまだアリナだと知らなかった頃の自分は、日向を本気で王妃として娶るためだけにこの日本に訪れた。

 しかし時間が経つにつれて、日向からアリナの面影を感じるようになり、『灰雪の聖夜』でそれを確信してしまった時、前世でも同じことを繰り返していることに気付いて苦笑してしまった。


 ローゼン・アルマンディンも、かつてアリナ・エレクトゥルムに恋をしていた。

 それは彼女が魔導士としての素質を持ったからではなく、単純に彼女の人柄に惹かれていたからだ。

 根っからの善人ではあるが、魑魅魍魎が跋扈する貴族社会を上手く立ち回り、そして老獪な臣下にも引けを取らない貫禄があるという、貴族令嬢としては少し風変わりだった。


 それでも彼女には天性の魅了というものがあったのか、誰もがアリナの特別になりたいと思っていた。

 でも、アリナにはクロウがいた。さすがに従者の想い人を横恋慕する趣味はなかったし、二人の幸せを願っていたからこそ、ローゼンは潔く諦められた。


 しかし、カロンはそうではなかった。

 あの人は無辜の民を多く犠牲にしても、彼女が手に入れるはずの未来も幸せを奪っても、アリナを心から強く欲した。

 最期は永遠の呪いをかけられて死んだが、それでも今世まで彼女を執着し続けた。


(いや、あれはもはや執着というより、固執だな)


 人嫌いな兄にとって、アリナは心の底から初めて欲した女。

 だからこそ生まれ変わっても彼女を狙い、手に入れるまで悪行を繰り返す。

 これが固執と言わず、なんと言う。


「……だが、兄上。あなたはやりすぎた」


 今日まで多くの血が流れ、この地に深い傷跡を残した。

 その事実は、どれほど言われようが決して覆らない。


「今度こそ終わらせよう、カロン。もう二度と奪わせないために」


 未だ固く閉ざされた学園の壁を見つめながら、ギルベルトはそう呟くと静かに立ち去った。



 白石家の離れもとい怜哉の自室。

 今日の勤務を終えた彼は、部屋に篭って《白鷹》の手入れをしていた。

 いくら魔導具とはいえ、ほとんど日本刀そのものである《白鷹》も自分で手入れしなければ、刃毀れも錆もできてしまう。


 専門店で手入れ道具を使い、打ち粉で刀身をぽんぽんと軽く叩いていると、道具が置かれたテーブルの上でスマホが震える。

 手入れ途中のため取れなかったが、不在着信として相手の名前が表示されていた。


(相手は……真村くんか。まあ、用件はなんとなくわかるけど)


 素早く《白鷹》の手入れを終えた怜哉は、刀身を鞘に収め、それを自分の近くに置くとスマホを手に取る。

 電話アプリの履歴から着信をかけると、相手は二コールで出た。


『……あ、怜哉先輩。すんません、いきなり電話して』

「別にいいよ。さっきまで《白鷹》の手入れで手が離せなかったんだ」

『手入れ……』


どこか思い詰めたような声を聞きながら、怜哉はベッドに座った。


「それで? 話って何?」

『あの……さ。怜哉先輩が、人を……殺した時って、どんな感じでした……?』


 樹らしからぬ質問に一瞬だけ動きが鈍くなるも、しかしその質問を理解しため息を吐いた。


「はぁ……僕の体験談なんて、あんまり参考にならないと思うよ?」

『え? でも……』

「僕にとって人を殺すのは白石家の義務。それ以上でも以下でもない」


 初めて人を殺した時、怜哉の気持ちは凪のように静かだった。

 父からあらかたの教養を受けたこともあるが、人を殺すのに慣れるように用意した動物を殺したことが大きい。

 保健所から殺処分される動物を殺すのは、人を殺すより少し難しかったが、それでも死への恐怖心も罪悪感もこれで消せていた。


「そもそも、君と僕とじゃ育った環境も境遇も違う。別に君達に人を殺すのを慣れろと強制してるわけじゃないし、そんなに気にしなくても―――」

『――――分かってんだよそんなこと!!!』


 最後まで言い切る前に、樹の怒声によって遮られる。

 普段あまり聞かない声量と、スマホからでも感じる怒りに、怜哉は目を丸くする間も樹は言った。


『俺だって人を殺したくねぇよ! むしろ、よく今まで死ぬ目に遭っといて人を殺そうと思う気持ちが湧かなかったのが不思議なくれぇだよ!

 でもさっ……あいつらを見てると、肝心な時に何もできねぇ自分が情けなくて……殺さないと自分が殺されると分かっていても、いざそうなると動けなくて……っ!

 せめて得意分野で生かそうと思っても、殺すことを考えると上手く設計図を書けなくなって……!

 俺は、ただ、あいつらと肩を並べて歩きたいだけなんだよ! 対等な存在として、苦悩も葛藤も共有していける関係になりたいのに!!』


 樹の口から吐き出される言葉は、これまで彼の胸の中に溜めていた想い。

 今まで何もできず、足手まといと思い続けていた、一人の魔導士の憤怒と後悔。

 一人でずっと抱え込み、堰を切るように溢れ出した感情の波は、怜哉の耳の中へ入っていく。


 ……もし、この電話の相手が陽やジークなら、大人である二人の助言アドバイスは本人の気持ちを理解した上で濁した本音を伝えていただろう。

 しかし、怜哉には相手を思いやる気持ちなど、もうとっくの昔になくなっている。

 だからこそ、怜哉は正真正銘、の本音を言った。


「――――君って、ほんっっっとにバカだね」

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