第273話 頑固者達へのアドバイス

『――――君って、ほんっっっとにバカだね』


 イアンに食事を奢られた日から数日が経っても、樹は未だに魔導具を完成させられなかった。

 もちろん何度も設計図を描いたし、完成直後まではいい仕上がりを見せた。

 だけど、あと一歩でその手を止めてしまう。


 理由は明白だ。まだ自分に人を殺す覚悟がないからだ。

 置いて行かれたくないから、必死に縋りつくように魔導具の設計図を描いても、最後には自分の魔導具で人が死ぬ光景が脳裏に浮かんでしまい、そこで手が止まる。

 何度も何度も描き直しても同じ結果になり、部屋の隅に置かれたゴミ箱はくしゃくしゃに丸められた紙で山盛りになっている。


「はぁ――――、やっぱダメだ………」


 これ以上描いても仕上がらないと思い、投げるようにシャーペンを机の上に置く。

 気分転換にベランダに出て、空気を吸い込む。魔法の発展とともに科学技術も向上したため、排気ガスがほぼゼロで抑えられているため、山岳地帯と同じとはいかないがそれなりに綺麗な空気が肺の中に満たす。

 秋特有の少し冷たい空気を味わっていると、少しずつ頭も冷えていき、一息吐いた。


(このままだと、マジで何もできないままになっちまう。どうすっか……)


 最大の問題は、やはり自分に人を殺す覚悟がないこと。

 この問題を解決しない限り、魔導具がいつまでも完成しない。

 そして、この問題を誰に話せばいいかだ。


 日向達は論外、さすがに友達に血生臭い話をしたくない。

 ジークや陽や大人だからアドバイスはくれるだろうが、あの二人のことだから肝心のところは濁すだろう。

 イアンは……「自分で考えろ」と一言で突っ張られそう。


「……うーん、となると……やっぱあの人だよな……」


 一番殺しが身近で、誰よりも第三者としての目線でいる怜哉。

 彼ならばきっと、樹にいい答えをくれるだろうと本気で思っていた。


 ――冒頭のレスポンスを聞くまでは。


「な――何、言って……!?」

『いやだって、今まで平和暮らしていた人間がそんな簡単に人を殺せると思ってるの? 僕のように物心つく頃にすでに殺しの特訓していたならアドバイスくらいあげるけど、君にあげるアドバイスなんかないよ』


『ま、僕に相談したのは正解だけど』とため息を吐いた怜哉に、樹は理解するまで時間がかかった。

 さっき、今まで自分が思っていたことを全部言った。

 なのに…………その解答がこれ?


「……………………ざけんなよ」

『ん?』

「ふっっっざけんなよ!! そんな言葉で片付けるんじゃねえ!!」


 部屋全体を震わせる怒声に、スマホ越しで聞いていた怜哉が一瞬だが息を呑んだ気配がした。

 しかしそれに気付くことなく、樹は早口にまくしたてる。


「確かに俺は一般家庭のごくごく平凡に育った学生だよ! 入学するまで魔導具と生活の金のことしか考えなかったクソ野郎だ! でもな、いくら俺でもダチを守りたいって気持ちくらいあるんだよ!

 そんな俺への解答が『バカ』だぁ!? ふざけんなよ幽霊野郎、テメェみたいにはっきり分別つくような性格だったらこんなに悩んでねぇんだよ!! 先輩なら先輩らしく、もっと分かりやすく、納得のいく答えを寄越せぇぇぇぇっ!!」


 さっき以上に己の感情を乗せて放った言葉が終わり、はぁ、はぁと息を切らす。

 何も言わず黙ったまま聞いていた怜哉は、『あー、んーと』と間延びした声を出しながら言った。


『……………………君って、意外と汚い口調できるんだね』

「俺の口調の感想を求めてねえんだよ今は!?」


 条件反射でツッコんだ樹に対し、怜哉は何か考えるように再び黙り込む。

 体感時間では数分、しかし実際の時間では一〇秒にも満たない沈黙の後、怜哉は口を開く。


『…………悪かったよ、君がそこまで本気で悩んでいたなんて知らなかった。でも、さっき言ったことは本心だよ。そこに偽りはない』


 いつもの抑揚のない声とは違う、真剣味を帯びたその声は、怜哉が真剣に話しているという証。

 樹もその反応に気付き、黙って耳を傾ける。


『そもそも、君は一般家庭で育った普通の魔導士だ。確かに普通の学生とは違う出来事に巻き込まれ、様々な悪を持った連中を見てきた。……でも、僕はそれ以上に、色んな悪を見てきた』

「……!」

『自己勝手な悪、合理的な悪、正義の皮を被った悪……様々な悪を見てきた僕だからこそ、言うんだよ。――君は、わざわざ殺しに手を染める必要は無い。というか、その素質すらゼロなんだよ。だから僕はバカだって言ったんだ。殺しの素質がないくせに、そんなことを言う君をね』

「…………」

『君の手は、人を殺してまで汚すためではなく、魔導具を作る綺麗なものなんだ。なら、君は人を殺すための魔導具じゃなくて、それ以外で役に立つ魔導具を作ればいい。例えば……そうだな、『起動中の魔導具を阻害する魔導具』とか』

「………………ははっ。ったく、無茶言いやがって」


 怜哉の話を聞いて、樹の顔に笑みが浮かんだ。

 誰よりも死と殺しが近い男から、まさか自分のことをそんな風に見ていたという事実は、樹にとって結構衝撃的だった。

 いつもどこかやる気がなく、何を考えているのか分からなかった。だけど、誰よりも自分達のことを気にかけ、己の特技を自分以上にどう活かすべきかちゃんと理解していた。


 それはそうだ。だって怜哉は、ジークの次に殺しのことを知っている。

 その彼が相応しくないと言った時点で、樹には人を殺す素質すらなかった。

 どれほど覚悟しようとも、素質がなければ意味がない。それを、誰よりもこの人は知っていた。


「……分かってんたなら、早くそう言ってくれよ。変にうだうだ考えてた俺がバカじゃねえか」

『なんで僕がそこまで面倒見ないといけないの? 時間の無駄』

「この幽霊野郎……ッ!」


 せっかく言いことを言ったのに台無しにした怜哉に思わず怒るも、彼はスマホ越しで小さく笑った。


『それだけ元気出れば大丈夫でしょ。じゃあね』

「あ、怜哉せんぱ――」


 一方的に電話を切られ、ツーツーと機械的な音が響く。

 まるで『お礼なんていらないから』と言わんばかりの切り方に、樹は苦笑した。


「……あんがとな、先輩」


 素っ気なくも優しい先輩に感謝を述べた後、樹は再び机と真っ白な設計図に向き合った。



☆★☆★☆



(お父さん……こんな時間になんの用だろう?)


 今日も修練場で特訓をした心菜は、父・和仁に呼ばれて長袖のワンピースに着替えた後、そのままリビングに向かっていた。

 和仁はこの家では珍しい非魔導士で、会社が魔導医療を提供している病院の医師と働いている。

 本来なら魔法に縁の無い和仁が、母・響子と出会ったのは意外にも大学だった。


 魔導士である響子は卒業後、会社の社長になるべく勉強していたが、学園にはなかった医学の専門知識を学ぶ必要があり、都内の医科大学で聴講生として大学に出入りしていた。

 和仁は響子が受講していた授業と一緒で、必要のない出席票を渡しに探しに来てくれただけでなく、色々と不慣れな彼女のために何かと世話を焼いてくれた。


 響子にはパートナー関係だった男子生徒がいたが、彼にはすでに許嫁がいた。

 ただの仲のいい友人として期間限定の関係だったため、和仁は彼女にとって初めて恋をした男性であった。


 和仁が大学を卒業し、響子が一人前の社長と認められた時に二人は結婚。

 結婚の件で叔母・文恵から冷たい態度を受けながらも、その翌年に心菜を授かった。

 父としても医師としても心菜を見守ってきた彼だが、こうして呼びつけることは今までなかった。


(お父さんのことだから、私が『秘法』を習っているのは知っている。でも、魔導士関連のことで口を出さなかったのに、どうして今になって……)


 新婚時代に文恵が魔導士と非魔導士の云々などを教え込んだせいなのか、和仁は魔法については何も口を出してこなかった。

 それ以前に父は温厚で、滅多の時しか怒った姿を見たことがないから、この呼び出しは心菜にとって初めての経験だった。

 落ち着いた雰囲気の家具が置かれたリビングに入ると、ソファーに座っていた和仁がにこりと優しく微笑んで手招きをする。


「心菜、こっちにおいで」

「はい……」


 恐る恐る近付いて和仁の隣に座ると、彼は心菜の頭に手を添えるとそのまま横に倒す。

 いわゆる膝枕のような状態になり、ぽんぽんと優しく肩を叩かれた。


「お父さん?」

「ああいや、ついね。懐かしいなあ、昔はこうしてあやして寝かせたものだよ」


 いきなりあやされた心菜は戸惑うも、和仁は懐かしそうに目を細めて昔話をし始める。

 頭を叩く手の柔らかさに触れている内に、心菜も昔のことを思い出した。

 夏休みに文恵が家にやってきて、小学一年生だった自分にはまだ早い魔法教育を受けさせていたことがあった。


 すでにエリート志向だった文恵の教育は厳しく、彼女の作った分刻みのスケジュールは心菜にとっては自由を奪われたのも当然。

 二日目で大泣きして勉強を放棄した心菜は、文恵から逃げるために両親のベッドの下に隠れた。


 隠れている間にも文恵の怒声が家中に響いて、びくびく震えていた自分を見つけたのは和仁だった。

 和仁は心菜を抱き上げると、そのまま文恵があまり入らない祖父の書斎に行くと、そのまま心菜に膝枕をしてあやしてくれたのだ。

 泣き疲れて舟を漕いでいた心菜に、和仁は言ってくれた。


『心菜、できないことから逃げるのは悪いことじゃないよ。もちろんできないままはダメかもしれないけど、それでもどうしてもできないことはできないままでいい。心菜はできることを精一杯やればいい』


 そう言った父の言葉はとても優しく、ひどく嬉しかった。

 そのまま夕方まで寝てしまったが、文恵は逆に総介と響子に無理強いはダメと説教され、なんとかあのスケジュールから解放された。

 あの時の文恵はとても不機嫌そうで、いつもしかめっ面だったからその顔がおかしくて、思わず父の後ろに隠れて小さく笑ってしまったものだ。


「あの時も言ったけど、心菜。お前には頑張ってもできないことがあるだろう?」


 和仁ちちの一言に、心菜はドキリと心臓を鳴らす。

 非魔導士ではない彼は、文恵の言い付け通りにあまり魔法教育に口を出していなかったが、たまにこうして的確すぎるアドバイスをくれる。

 それも、心菜が本当に困っている時には必ず。


「そ、れは……」

「詳しいことまでは言わなくていい。僕はちゃんと分かっているから」


 リズミカルに叩かれていた手が、今度は梳くように優しく撫でられる。

 歳をとっても変わらない手の大きさと柔らかさに、思わず泣きそうになった。


「心菜。お前はとても心優しい子に育った。でも、変に意固地になってしまうのは響子譲りだ。だからこそ、いっぱい悩んでしまうんだろうな」

「…………」

「僕には魔導士の事情は知らないし、よく分からない。でも……これだけ言わせてほしい。心菜、お前はお前ができることを探しなさい。無理にできないことをやって立ち止まっているより、そっちの方が一番いいと思うよ」

「…………そう、だね……」


 和仁のアドバイスは、今の心菜にとって一番効果があるものだった。

 人を殺すなんてことは心菜がどれほど頑張ってもできないのに、変に意地を張り続けて、しまいにはこうして頭を抱えて自己嫌悪する。

 なんで早く気付かなかったのだろうと、心菜は自嘲の笑みを浮かべた。


「お父さん」

「なんだい?」

「……ありがとう」


 突然の感謝の言葉に和仁はきょとんとしながらも、「どういたしまして」と心菜の頭を優しく撫でた。

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