第274話 進展、そして夜が明ける

「ふぅ……これでいいな」


 東京魔導具開発センターの一室、魔装制作室でイアンは出来上がった作品を見て満足気に頷く。

 机の上には様々な色の魔装が八着分あり、どれも普通の魔装より上を行く仕上がりだ。

 むしろ最高傑作だと言っても構わないくらい。


 この魔装は魔法を付与した金属を特殊な製法で布に織り込んでおり、軽量でありながら防御力も優れている。

 付与の数はセオリー通り三つまでだが、臨機応変に対応できるよう誰でも解除できようされており、装飾も金持ち達がジャラジャラつけるようなものではなく、派手すぎずそれでいて優雅なものだ。


「設計図に二週間、製作期間一ヶ月にしてはいい出来だ。これなら大丈夫だろう」


 仕上がったばかりの魔装を撫で、イアンは小さく安堵を浮かべる。

 この魔装は、来たるXデー――つまり、カロンとの決闘のために用意した。

 いくら敵が四人しかいないとはいえ、従来の魔装で立ち向かえるほど相手も弱くない。イアンだって彼女らには死んでほしいだなんて思っていないし、むしろ応援している。


 だからこそ、通常の仕事をしながらこの魔装を作ったのだ。

 おかげで一ヶ月半も家に帰れず、着替えを取りに帰った時のヘレンが「私より仕事が大事なのね」と言われた時は、本当に申し訳ない気持ちになった。

 だがヘレンも事情を知っているため強く責めず、むしろ自分も戦いに加わりたいと言ったが、イアンが大反対した。


 理由は、ヘレンの妊娠だ。

 かつての人体実験で肉体を魔導士として改造させられたヘレンは、心身に負った深い傷が原因で消化器官や睡眠障害、そして生殖機能などに異常をきたした。

 ノエルの医術によって食べられる料理が増え、睡眠も長くなったが、それでも生殖機能は中々治らなかった。


 現代の魔導医療でも生殖機能の治療は難しく、ノエルの診断でも一生子供ができないと言われていた。

 ヘレンも診断を聞いて納得はしていたし、子供ができなくても構わないと言っていた。

 しかし、聖天学園襲撃事件後にヘレンの妊娠が発覚した。


 イアンはもちろん本人も驚いており、ほとんど諦めていた子供ができたことを喜んで何時間も涙を流した。

 そこからは怒涛な日々で、つわりによる体調不良で家事もままならないため、家事代行サービスで家政婦を雇っているおかげで、生活に支障はない。

 だが、異位相空間に長くいたとはいえ、現実世界では数百年も子供ができなかったのだ。細心の注意は払って、安定期までは病院に行く時以外で外への外出はなるべくさせていない。


 そんな状態で戦い赴くのはあまりにも危険すぎるため、今は母胎はらの中の子供を守るよう専念させている。

 だが、それもカロンの作る『理想の世界』では、無価値と判断される可能性が高い。

 ならば、今の自分にできることをしたい。


「よし、んじゃこれは当日まで隠して―――」

「イア――――ンッ!!」

「うおわああああっ!!?」


 バーンッ!! と魔装制作室の扉が勢いよく開かれ、イアンは悲鳴を上げながらも箱に詰めた魔装を保管庫に入れた。

 施設の保管庫の鍵は正規職員の中で徹底した守秘義務を守る人材にしか渡されず、もちろんイアンはその仲間入りしている。

 ガチャガチャガチャンッと厳重なロックが三回も鳴ったのを聴いてから、イアンは改めて部屋に無断入室してきた少年を見た。


「……樹、なんの用だ」

「俺、また新しい魔導具の設計図を描いたんだ! 見てくれ!」


 この前の悲愴な顔つきが嘘のように、いつもの生き生きした顔を見て、イアンは差し出された設計図を広げる。

 意外にも精密かつきっちりとしたそれを見て、目の前でソワソワする少年に顔を向けると小さく笑みを浮かべながら言った。


「――合格だ」

「うっし!」


 指導員からの通知を聞いた直後、樹はガッツポーズを決める。

 そのまま小躍りする実習生に呆れながら、イアンは再び設計図を見た。


(しかし……一体どんな心境の変化があったんだ?)


 今まで樹が描いていたのは、中途半端な出来をした殺害目的の魔導具だった。

 だが、今回描いた設計図は今までと反対の魔導具。

 なにがきっかけでここまで変わったが分からないが、少なくとも両者が納得のいく作品が生まれるのは間違いない。


「んじゃ、早速これを作るぞ。さっさとしろ」

「ああ!」


 イアンの言葉に嬉しそうに頷きながら、樹は開発室へと向かった。



 神藤家の修練場は、定期的に掃除されている。

 さすがに埃や汚れがあるのは衛生面的に問題で、魔法陣もその度に描き直されている。

 今日はその掃除があった日で、修練場は塵一つなく、心菜は素足のまま地上から修練場まで続く階段を降りていた。


 魔法陣の近くにはすでに母が待っており、一度視線を交わしただけで何も言わなかった。

 ゆっくりと精神を研ぎ澄ますように歩き、魔法陣の前に立つ。そこで息を静かに吐いて、プチプチとボタンを外してすぐにワンピースを脱ぎ捨てる。

 下着をつけていない裸体が露わになり、冷たい空気が直接触れて軽く身震いする。しかし心菜はそのまま魔法陣の上に寝転ぶ。


 ゆっくりと目を閉じて魔力を魔法陣に向けて流すと、淡く白い光の粒が周囲を包み込む。

 この魔法陣は『無限天恵』を使うのに必要な地脈と繋がるために必要なもので、心菜が見た『星』はその経路パスそのものなのだ。

 故に、『星』を手に入れることこそ、『秘法』を伝授した証となる。


 魔法陣が心菜の魔力に反応して、ゆっくりと精神が肉体と離されていく。

『星』は地脈そのもの、肉体で触れることはできない。しかし、精神のみならば触れることはできる。この魔法陣は肉体と精神を切り離し、地脈に触れさせるためのものなのだ。

 だが、肉体と精神の切り離しは不思議な浮遊感と痺れに似た痛みがあり、何度も試してもその感覚には今も慣れない。


 しかも『星』への拒絶反応があると、精神だけでなく肉体にもダメージが与えられる。もちろん逆も然り。

 どんな魔法でも楽に習得できる方法はないのだと、初めて体験した当時はしみじみと思ったものだ。


 そうして肉体と離された精神は、やがて目的地へ辿り着く。

 四方を暗闇で包まれた世界。この星を血管のように巡る地脈、ここはその一歩手前にある場所。

 ここから先に行くには、『星』を手に入れなければならない。


(……大丈夫。集中して。しっかり目を開いて『星』を探すのよ)


 何度も深呼吸を繰り返し、ゆっくり瞼を持ち上げる。

 ペリドット色の双眸の向こう、真っ黒な世界で弱くもはっきりと輝く『星』。

『星』はまたここに来た心菜を揶揄うように、点滅を何度も繰り返す。


 いつもならここで走り出して、遠くも近くもない距離を保ちながら『星』は心菜から逃げるのだ。

 だけど、今日は違った。

 心菜は苦笑しながらゆっくりと近付くと、動けない『星』をそっと優しく撫でた。


「…………ごめんなさい」


 突然の謝罪。

『星』は訳が分からず、動揺するようにパチパチと小さな火花を飛ばす。


「私、ずっとあなたのことを利用するために手に入れようとしていたの。この力があれば、私はなんでもできるんだって……心の中でそう思っていたの」


『秘法』の力は壮絶だ。

 この力さえあれば敵なしだと、人を殺せることもできると思っていた。


 だけど、違う。

 心菜が本当の意味で『秘法』を求めていたのは、そんな理由じゃない。

 前を行き、怪我をするみんなを守るための力が欲しかった。

 心菜はずっと、今までそれを忘れていた。


「ごめんなさい、私の勝手に振り回して。……でも、あなたが必要なのは本当なの。ですからお願いします、どうか私にあなたの力を貸してください」


 ぺこりと頭を下げる少女を見て、『星』は動揺するかのように弱々しく光る。

 これまで、『じぶん』を欲しがる者はたくさんいたが、そのほとんどが悪事に手を染めるために手を出そうとした者ばかりで、力を与えたのは必ず善き行いをすると認めた者だけ。


『星』は気付いていたのだ。

 心菜が一体どんな理由で『じぶん』を求めていたのか。

 でも彼女の性格からしてその理由がおかしく、見極めるためにあえて煽っていた。


 でも……もう大丈夫。

 彼女は自分のやるべきことをちゃんと見つけた。

 なら、その想いに応えなければならない。


『星』は頭を下げる心菜の上でくるくる回ると、その気配に気付いた彼女は顔を上げる。

 そのままこつんと額に触れると、声が頭の中で響いた。


『――――いいよ。力を貸してあげる』


 子供のように幼く、でも心地よい声。

 声の主が目の前の『星』のものだと理解した直後、世界が一変する。

 闇がバリバリと剥がれ落ち、目が眩むほどの光に包まれ、心菜は自然と瞼を閉じて――――


「―――な! こ―――! ――――心菜っ!!」

「………!」


 鼓膜を震わすほどの大声で名前を呼ばれ、心菜は目を開ける。

 目の前には修練場の天井と母の顔があり、思わず起き上がる。


「え、あれっ、私……!?」


 ついさっきまで、『星』と共にあの場所にいたはずだ。

 なのに、何故修練場に? 困惑する心菜に、母は小さく微笑んだ。


「大丈夫よ。ほら、手を見て」

「手……?」


 母の言葉に首を傾げながら、心菜は自分の右手を見た。

 ほんの数分前まで真っ白だった手の甲。そこに、淡い白に輝く模様があった。


 その模様は、藤。『神藤』の名に入っている縁の花。

 呆然とその模様を見つめる心菜に、母は優しく微笑む。


「それが、『秘法』を伝承した証。……おめでとう、心菜。あなたは無事、『星』に認められました」


 母からの言葉に、心菜はそっと右手を握り締めた。



☆★☆★☆



 カエレムの王の間、カロンは玉座に座りながら眠りに落ちていた。

神話創造装置ミュクロギア』が今もガチガチと起動する中、カロンの口から漏れる寝息はひどく穏やかだ。

 しかし、それもすぐに破られる。


 目を開けると、そこはかつてのイングランド王国の王宮。

 華美な色があったはずのそこは灰色で覆われ、カロンは無感情のまま廊下を歩く。

 靴の裏で踏む絨毯の感触も、調度品の位置もあの頃と同じで、ここまでくると新手の嫌がらせと感じて自嘲の笑みを浮かべた。


 最近、この夢を見るようになった。

 以前は自分が死ぬ夢だったのに、何故この夢を見るようになったのか分からない。

 だけど、唯一分かることは、が未だ自分を責めていることだ。


 王宮の中庭。中央に植えられた木の下に、彼女――アリナ・エレクトゥルムがいた。

 悪夢で見るあの白い騎士服ではなく、よく好んで着ていたウイスタリア色のドレス。

 だけど、顔はカロンを強く睨みつけていた。


『―――本当に、止めないつもりですか?』


 アリナが問いかける。

 この夢を見てから繰り返される質問に、もはや辟易しながらもカロンは答える。


「ここまで来たんだ。もう後には引けない」

『こんなことをしても、私は手に入らないというのに?』

「そんなもの些事だ。私が世界を支配すれば、おのずとお前も私に身を委ねることしかできなくなる」

『…………父王の犯した過ちをしても?』

「少なくとも、あの愚かな父よりは誠実になるつもりだ」


 何度思い返しても、父王は本当に愚かな男だった。

 先々王そふの威光にあやかり、脛齧りで王を継いだだけの父は、国政すら臣下に丸投げし、自分は数多の女に手を出して気に入らない者は処刑する暴虐の日々。

 だからこそ、カロンはあの愚か者と同じ轍を踏まないようにした。


 王妃にするに相応しい女は、ただ一人。

 他の女は手に入れるまでのつなぎ。

 つなぎとなった女達はそんなことを知らず、いつか自分の伴侶になることを夢見ていたようだが、そんなものは泡沫の幻なのに。


 結局、その女も自分を殺した後、そのまま命を絶ったのだから、全てが無意味だったが。

 目の前のアリナは少しだけ複雑そうな顔をした直後、強い風が吹いた。


『なら、どうして―――――――』


 風の中、アリナが何か言った。

 だけど風の音が強すぎて、よく聞き取れない。

 風はやがてカロンを追い出すように勢いを強め、そのまま体が王宮の中へ押し戻される。

 固く扉を閉じられた直後、カロンはそこで目を覚ます。


 窓から差し込む光は朝日で、雲は淡いオレンジに彩られている。

 秋の冷たい空気が王の間に伝わり、小さく身震いしながら玉座から立ち上がる。


「……いよいよ明日だ。最終調整に入らないとな」


 運命の日は、あと一日。

 その日が自分の運命を分かつ。

 数百年の因縁も、呪いも、全て断ち切れる。


 なのに―――


(何故、アリナはあんな顔をした……?)


 あんな、後悔してほしくないと言わんばかりの、悲しそうな顔を。

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