第77話 思いは複雑に絡み合う
「――まったく、退院した翌日に入院する学生は初めてだぞ」
「……スンマセン」
カルテを書きながらため息を吐くリアの横で、包帯とガーゼまみれになっている悠護が頭を下げる。
あの後、日向達は救急車に乗ってこの病院に搬送された。ギルベルトは再びドラゴンの姿にならないようにと、本人の希望で麻酔をかけられ別室で寝かされている。
今この病室にいるのは日向以外だと同じく包帯姿の樹と首に包帯を巻いた心菜、それと難しい顔のまま黙り込んでいる陽だ。
「とりあえず、明日の朝まではゆっくりしろ。授業にはちゃんと出るようにな」
「はい」
「すんませんな、リア先生」
「そう思うなら仕事増やすな、バカ者」
ぺこぺこと謝る陽を一蹴したリアは、カツカツとヒールを鳴らしながら病室を出て行く。
鎮まり返った空気の中、陽が来客用の椅子に座りながら足を組む。
「……さて、これから話すのはIMFでも機密扱いになっとる情報や。他言無用したら約二年の監視がつくから覚悟して聞きや」
ただならぬ雰囲気の中、日向達は息を呑みながら陽の言葉を待つ。
少し遅れて生まれたセミの声をバッグに、遂に陽が口を開く。
「――今回、みんなを襲ったあの紅いローブ集団は『レベリス』。国際魔導士連盟が特一級危険魔導犯罪組織として認定した組織や」
「特一級って……それって確か歴史に残る国際テロを起こした組織にしか指定されないはずだろ? あいつらってそんなに危険なのか?」
「当たり前や。奴らは数百年前のあの『落陽の血戦』を起こした組織なんやで」
『落陽の血戦』。かつて四大魔導士達が反魔導勢力との間に起こした抗争。
授業では歴史として学んだその事件が、まさか今日出会ったレトゥスを含む彼らが起こしたなんて信じられなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ陽兄! 『落陽の血戦』に参加した反魔導勢力は壊滅したって授業で習ったよ? なら今も彼らがいることはおかしいんじゃないの?」
「ま、そう考えるんが妥当やな。でもどういう組織に必ず残党っちゅーメンドくさいモンが存在する。『レベリス』も例には漏れなかっ達ゅーわけや」
「……えっと、その『レベリス』は壊滅してたんじゃなくて、水面下でずっと活動し続けたってことですか?」
「せやな。ついでに言ったと、八月に起きとった『吸魂鬼事件』あったやろ? あれも連中の仕業や」
新しい真実に、日向達は息を呑む。
今もまだ原因が判明していない『吸魂鬼事件』。世界中の魔導士達がいつ遭遇するのか分からず、怯えている犯人が彼らという事実に戸惑ってしまう。
「なんでそいつら、魂なんか集めてんだよ」
「正確に言ったと、奪っとったのは魔導士の〝寿命〟と〝魔力〟や」
そう言ったと、陽は出現させた魔法陣から小型ホワイトボードとまあカーを取り出し、軽いタッチで絵を描く。
ホワイトボードには顔に『A』と『B』と描かれた人間を模した絵が二つ。その中央には二つの円形があり、右は『魔力』、左は『寿命』と書かれている。
「人間には寿命があるのは当然知っとるな? 仮にAの人物の残りの寿命が五〇年で、魔力が八〇の状態。Bの人物の残りの寿命は一〇年、魔力が二〇の状態だとする。
レベリスは独自に開発した魔導具を使うて、その残り寿命と魔力を持ち主から奪っとるんや。で、その魔導具によって奪われた寿命と魔力は、液体化になって他者に与えられることができる」
「つまり、Aの人物から奪った寿命と魔力をBの人物が与えられた場合、そのBの人物の寿命と魔力が増えるってことか?」
「せや」
樹の答えに陽が頷くと、Bの人物の絵に『寿命20 → 70』、『魔力20 → 100』と書く。
奪った相手の寿命と魔力の分だけ、他者の寿命も魔力も増えるということだ。
そしてその魔導具を犯罪者達が持っているだけで、全身が震えてしまう。
「……まあ、そんなヤバい代物持ってる奴らだってことは分かった。でもなんであいつらは今回日向達を狙ったんだ?」
「今回だけやないで。ワイの推測やけど、連中は五月の合宿の件と七月の事件にも関わっとるで」
五月の合宿の時、魔導犯罪組織『獅子団』が合宿先である椿島に上陸し暴動を起こした事件。
七月では、黒宮家の分家の一つである墨守家当主を七色家に据えようと、右藤英明がキメラにしたメリア・バードと多国籍魔導犯罪者集団を使って略奪を目論んだ事件。
どちらも日向達が関わった事件で、その裏に『レベリス』がいるという事実は、日向達の頭でも追いつかないほどの衝撃を与えた。
「ま……待てよ! もし本当にそいつらが黒幕なら、目的はなんだ? なんのために俺達にそんな真似をしやがるんだ!?」
「……それは、さすがのワイも分からへん。少なくとも、連中は近い内に再び仕掛けるかもしれへん。本来なら、子供を守るワイらが片付けなアカンことなのに、こんな目に巻き込んでしもうてスマンと思っとる……。
けど、連中は今後もみんなに手を出してくる。今はただ、あいつらに対抗しうる力を身につけておいて欲しい。……ワイからは、もうそれしか言えへん……スマンな……」
ゆっくりと頭を下げ、ズボンの上に置いてある手を強く握りしめる兄の姿に、日向達は何も言えなくなる。
もし、ここで陽に罵詈雑言を振りかけることができたらどんなに楽だったのだろうか。彼自身が悪いわけではない。でも陽は、
実妹の日向だけでなく、悠護達もそのことには気づいている。
だが、陽が全身で『今は訊くな』という気配が痛いほど感じてしまい、何も言えないまま時間が過ぎていく。
――結局、陽はそれ以上何も話してくれなかった。
「……なんか、色々とあって疲れたね……」
「そうだな……」
気まずい沈黙の中、陽が「まだ用がある」と言って病室を出て行った後、樹と心菜もそれに続いて出て行ってしまった。
残された日向は備え付けの小さいキッチンで二人分のお茶を淹れて、来客用椅子に座りながら残っていた。
淹れたての温かい緑茶が、冷房で冷えた体に染み渡る。あんな困惑しかない話の後に飲んだからか、幾分か気持ちが落ち着いてきた。
冷房の駆動音とセミの声しか聞こえない中、先に沈黙を破ったのは悠護だった。
「……あのさ。この前は悪かった、変な態度取って……」
「え、あ、ううん、気にしてないよ。あたしが――」
「いや、これは完全に俺が悪いんだ」
否定しようとした日向の言葉を遮り、悠護は話を続ける。
「俺さ、あいつに……ギルの奴に嫉妬してたんだよ。いきなり現れて、お前とあんな風に近づいて、気安く話して……俺が出来なかったことをやっけのけたあいつが羨ましかった。……それがすごく悔しくて……、こままじゃパートナーの座を取られるとか変なこと考えて、お前に対しても八つ当たりしちまって……。……幻滅、したか……?」
今度は何も言わず悠護の話を最後まで聞く日向。
話の途中で「シット……」とカタコトで言ってたが、おもむろに体をぬっと傾けると、そのままぎゅう~っと悠護に抱き着いてきた。
突然の行動にさすがの悠護も「おおっ」と声を漏らしながら仰け反る。
「……そんなに気にしなくても、あたしは悠護のパートナーをやめる気はないよ」
「~~~っ」
小さい声でボソボソと言われた言葉。
それが彼女の答えなのだと理解して、あまりの嬉しさに思わず腕を背中に回して強く抱きしめる。
「んわっ」と女らしからぬ声が上がったが、そんなのは些細なことだ。
「俺……まだ自分が思ってる以上にガキだったんだよ。大切なものを盗られたくなくて、奪われないように必死に隠したくて……。でも、ギルベルトはそんな俺の未熟さを見破っていた。このままだと俺は、誰かにお前を奪われるって。
……今だって、あいつが本気でお前を奪いにくることを考えると、想像だけでも震えが止まらない。なあ日向、お前は俺から離れたりしないよな?」
そこまで言われて、自分を抱きしめる悠護の手がカタカタと小さく震えていることに気づく。
心から離れることを恐れるパートナーの姿に、日向はそっと体を離すと優しく微笑む。
そのまま優しく頭を撫でながら、穏やかな声で言った。
「……大丈夫だよ。たとえ何があっても、あたしは悠護の傍を絶対に離れない。それはもう知ってるでしょ?」
「……そう、だったな。ごめん、変なこと言って」
「ううん。平気だよ」
ほっと安堵の息を漏らしながら、悠護は再び日向を抱きしめる。
患者服越しから伝わる、力強い鼓動音。彼が生きている証。それを聞くだけで心が落ち着ていく。
離れたくない。そばにいたい。それは、日向の偽らざる気持ち。
(……でも、あたしが悠護に抱いているこの感情はなんなの……?)
友情なのか、恋情なのか。どっちなのかはっきりしない、中途半端な感情。
自分でも持て余すその感情に、まだ名前はつけられない。
それでも今は、ただこうして抱きしめ合っていたい。それだけは確かな事実だった。
☆★☆★☆
半月が煌々と地上を照らす。樹と心菜は病室から出た後、ずっと無言のまま寮に向かって歩いていた。
ごく平凡な家庭で生きてきた樹にとって、病室で話された内容はひどく重いものだった。
正直に言うと、そんなの関係ないと大声を張り上げて何もかも捨てて逃げ出しほどに。
(……けど、あいつはそうじゃねえよな……)
恐らく悠護は、そう遠くない未来で七色家の人間として『レベリス』と戦うのだろう。
日本を守る魔導士集団として生まれた以上、その道からは決して逃れない。親友として力になりたいのは、至極当然だ。
(でも、今の俺にはそんな力はない……)
今回で……いや、五月の件からずっと分かっていた。
真村樹は、魔導士としては一番弱い。
平均から見て上でも下でもない、普通の実力しか持っていない。上を超える力と言ったら、魔導具に関する知識と付与されている魔法や魔力の跡を辿ることができる目だけだ。
悠護もそうだが、心菜も日向も自分にはない力を持っている。
夏休みに心菜は攻撃魔法が使えないことで足手まといにいるを恥じていたが、そんなのは逆だ。
(――俺が、一番足手まといだ)
『虎の威を借る狐』。意味は――他人の権勢を笠に着て威張る小人のたとえ。
今の樹には、笑ってしまうほど当てはまることわざだ。
「――くん、樹くん」
「っ!」
心菜に名前を呼ばれ体を震わせながら反応した樹は、目の前に自分の部屋のドアがあることに目を丸くさせる。
目を瞬かせる樹の横で、心菜は小さく笑いながら自分の部屋のドアノブに手をかける。
「じゃあ私、そろそろ寝るね。樹くんも明日は寝坊しないでね」
「あ、ああ……」
いつものように笑う心菜。ふと彼女の首に巻かれる包帯に目が入った。
リアの治療と心菜の治癒魔法のおかげで痣は明日の朝までには消えると言っていた。本当なら包帯をしている意味はないのだが、消えるまではしていたいと言った本人の希望で包帯を巻いたままにしているのだ。
あの時、レトゥスに首を絞められる心菜の姿を思い出す。
自分は無様に地面に這いつくばって、まるで芋虫みたいに彼女を助けようと必死になっていた。
きっとレトゥスには、そんな自分が滑稽に映ったのだろう。
そっと樹の手が心菜の首に触れる。触れた直後、ビクッと震える心菜の体。
やはり首を絞められたことはまだ恐怖として残っているようだ。
すぐに首から手を離すと、その手をドアノブにかける。
「……いきなり触って悪かった。おやすみ」
「う、うん……おやすみなさい……」
そう言って樹は部屋の中に入っていく。
ドアが閉じる寸前に、樹の悔しそうな、泣きそうな顔が目に入る。
心菜が何か言った前にドアは閉じられ、静かになる。
「……ごめんなさい……」
樹に向けて言ったはずだったその言葉は、風と共に攫われた。
「……ん……」
瞼を震わせ、持ち上げる。視界に映る白い天井を見つめながら、ギルベルトは目をパチパチと瞬かせる。
クラクラする頭を抱えながらベッドから起き上がると、頭の中がクリアになっていきようやく自分がベッドに眠っていた理由を思い出す。
「そうか……麻酔が切れたのか……」
無意識に首に手を触れる。今まで自分を保っていたチョーカーはなく、それがよりギルベルトを不安に駆り立てる。
あのチョーカーは、自分を自分で至らしめた命綱だった。それがない今、ギルベルトはすぐにでも制御を失う。
ぎゅっと首に触れていた手に思わず力を入れると、ガラリとノックのなしでドアが開いた。
「お、起きとったか」
入ってきたのは、自分の担任になった陽。
何度見ても親しみのあるお兄さんなのだが、これでも世界に連なる魔導士としてその名を残している偉大な人物。
彼の活躍はテレビで何度も見ており、自分も魔導士として尊敬している一人であることは内緒だ。
「先生、何故……」
「あんたに渡したいモンがあってな」
そう言って陽はジーンズの後ろポケットから黒い小さい箱を取り出すと、それをギルベルトに向かって放り投げる。
難なくキャッチし、箱を開けると中に入っていたのは片耳分のゴールドピアス。
なんの飾りもない円形のシンプルなもので、中央には目を見張るほどの輝きを放つ琥珀が埋め込まれている。
だがその琥珀がただの石ではないのは、ギルベルトの目は見逃さなかった。
「まさか、これは……」
「せや。日向の無魔法の
特訓の最中で、日向は何度も自分の
もちろん最初は悠護達の身の安全のために作っていたが、夏休みの時に陽がこれを概念干渉魔法使いのために使えるかもしれないから、いくつか譲ってくれと頼んだのだ。
七月の件で概念干渉魔法使いの結末を知ってしまったため、日向はそれに一言で了承。
IMFには『日向のことを誰にも口外しない』ことを条件に、世界中にいる概念干渉魔法使いに与えた。もちろんきちんとお金を払って。
ちなみに、お金の件についてはもちろん日向は知らない。現在進行形で通帳の残高が着々と増えていることも。
「これさえあれば、あんたはすぐに元の姿に戻る。けどそれを使うたら、インターバルでしばらく魔法が一切使えなくなる。時間で言ったと三分弱や」
「三分か……」
魔導士にとって、たった三分でも戦闘においては致命傷になる。
だがそれでどうした。それよりも、自分の力で誰かを傷つけるのが一番恐ろしい。
すぐにピアスのキャッチを外すと、そのまま左耳につける。
ギルベルトの耳は、幼少期の頃にクリスティーナが必要だと何度も諭されても拒否し、結局は使用人一同に取り押さえられながら両耳にピアスホールを開けられた。
最初はパーティーで着飾る時につけられるイヤリングを煩わしく思っていたが、年を重ねることに気にならなくなったのを感じた時は軽く驚いたものだ。
手慣れた手つきでピアスをつける。窓越しに映る自分の左耳には、琥珀色の
本人はここにいないのに、守られている感覚がしてくすぐったい気持ちになる。
「……ありがとうございます、これは一生大事にします」
「そか。じゃあ、ワイはこの辺で帰るで。明日はちゃんと学校来るんやで」
「先生」
病室を出ようとする陽を引き留め、ギルベルトは不敵な顔で言った。
「オレは、日向を妃にしたい」
突然の宣言に目を丸くする陽。間抜けな表情を見つめながら言葉を続ける。
「だが彼女はオレへのプロポーズを断った。ですが、オレは可能性がある限り諦めるつもりはない。……もしその時が来たら、『娘さんを下さい』というのをやるつもりだ」
まるで覚悟しろよ言わんばかりの物言いだが、それがギルベルトの正常の態度だ。
その辺りは陽も分かっているのか、フッと笑いながらドアを開ける。
「――期待しないで待っとるわ」
王子相手に軽口を叩きながら、陽は病室を後にする。
夜勤の看護師と医師が通り過ぎる廊下の窓から見える半月を眺めながら、陽は呟く。
「…………まさか、全員揃うとは思ってなかったわ。あんたも、そう思うやろ……?」
自分にしか聞こえないその呟きは、誰の耳に届かないまま消えていった。
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