第76話 月光の下の愛

 群青色と茜色の空に煌めく琥珀色の光。神々しさを感じるその光を、レトゥスはつまらなそうな目で見つめる。

 あの光が彼にとって終わりを告げる合図。合図が出たらここから離れなければならない。

 それでも、目の前にいるこいつらだけは、なんとしても殺したかった。


「くっ!」

「どうしたの? もしかしてもうバテちゃった? ぼくより若いクセに情けないなー!」


 大鎌を振るうレトゥスの攻撃を左の剣で防ぐ。右の剣を突き刺そうとするも、すぐに避けられ距離を取る。

 樹からの攻撃も杖の部分で防いで投げ飛ばし、リリウムの剣戟は先読みしたかのように弾き返す。


 時間が経つにつれて、レトゥスは悠護達の連携を読んでいく。

 心菜が地面に一〇を超える爆発魔法を仕掛けるも、干渉魔法によって分解される。

 リリウムの召喚の持続と攻撃魔法の連発を繰り返している心菜の魔力は底が尽き、荒い息を吐きながらその場に座り込む。


 魔力の供給が切れたリリウムの姿が陽炎のように消えていく。

 青い顔をしたまま、再びリリウムを召喚しようにも反応がない。焦燥感に襲われる心菜の首を、レトゥスが遠慮なく掴み持ち上げる。


「が、はっ……!?」

「まったく、魔力が切れた魔導士なんて役立たず同然なのにまだやろうなんて。お姉さんって救いようのないバカなのかなー?」


 ギチギチと心菜の細い首を絞める。子供の身にはあまりにも不釣り合いの握力に、心菜はか細い息を吐くことしかできない。

 手袋をしたレトゥスの手が徐々に力を入れ込むのを見て、樹は強化させた足で地面を蹴る。


「心菜から離れろクソガキィィィッ!!」


 足と同じく強化された拳がレトゥスに迫るが、彼は顔色一つ変えずに空いている手で樹の拳を受け止める。

 拳を掴んだまま腕を上へ動かすと、樹の体も動きに合わせて宙に浮く。


 子供特有の細腕は、細身だが筋肉なる樹の体おいとも簡単に地面に叩きつける。

 地面にクレーターが出来、樹の口から血と肺に溜まっていた息を吐き出す。

 叩きつけられた体からミシミシと骨の音が鳴ったのは、多分気のせいではない。


「かはっ、ごほっ……!?」

「……い、つき……くん……!」


 無様に倒されるパートナーの姿を見て、掠れた声で名前を呼ぶ。

 駆け寄って傷を治してあげたいのに、目の前の死神がそれを許してくれない。

 目の縁から生理的に溢れ出る涙。死神はそれを見て嘲笑う。


「ふふ、悔しいでしょ? そうだよ、その顔だよ。人間の絶望と苦しみに歪む顔が、ぼくは大好きなんだ。自分が一番偉いと思っているバカな奴ほど、その顔をすると気持ちが晴れやかになる」

「ぐぅっ……はっ……!」


 一際強く締められる、白魚のような細い首。

 悠護が駆け出そうにも、地面からボコボコと生まれるゴーレムが行く手を阻む。

 一斬りで倒せる土人形は、足止めのために何体も時間を置かずに生まれてくる。


 今まさにレトゥスが心菜を絞め殺そうとしているのに、一向に距離が縮まらない。

 血を吐きながら地面を倒れる樹が腹這いで近づこうにも、全身を巡る痛みのせいで上手く進まない。

 心菜の目から生気の光が少しずつ消えゆき、レトゥスが愉悦を滲ませた笑みを浮かべた。


 瞬間、彼の腕は赤紫色の一矢によって貫かれた。



「何……ッ!?」

「ゲホッ、ゴホッ」


 自分の腕を貫いた矢の存在に、状況を飲み込むも驚愕するレトゥスが心菜の首から手を離す。

 ようやく解放された心菜は何度も激しく咳き込みながらも、震える足で樹に駆け寄る。

 人質となっていた少女が逃げて行くのに気づくも、レトゥスの視線は矢が射られた場所に向けられる。


 七階建ての百貨店の屋上。落下防止フェンスの上に立つ、一人の男。

 【五星】豊崎陽。最強の魔導士の一角に入る彼は、槍型専用魔導具銀翼を持ったままレトゥスを睨みつけていた。

 普段は槍の部分を外している《銀翼》。今はその槍が装着されており、銀色の光を放つ。


 まさかの担任の登場に悠護達が驚くも、遠目からでも分かるほど体が溢れ出る殺気に息を呑む。

 普段にこやかな笑顔を浮かべる彼はいなく、今いるのは仇敵を殺そうとする復讐者だ。


(陽先生……なんで、あんな目してんだ……?)


 初めて見るその顔に悠護達が戸惑う中、陽は静かに詠唱を唱える。


「――『封印シギルム』」


 直後、赤紫色の矢が発光したかと思うと、雷となってレトゥスを襲った。


「がぁああああああああああッ!?」


 全身を襲う衝撃にレトゥスは絶叫する。

封印シギルム』は魔力を封印することができる魔法。普段は拘束用魔導具として付与されることの多いこの魔法は、魔導士による直接的な行使によって威力が増大する。

 魔力の量・力は個人差があり、これを数字化したものを『魔力値』と呼ばれている。拘束用魔導具はその魔力値を参考に作られている。


 もちろん魔力値にも個人があるため、全て思い通りに作れるわけはなく、拘束用魔導具は平均魔力値で設定されてある。

 そのせいで平均魔力値が上回る魔導士の場合、直接魔法を打ち込んでから拘束用魔導具を使用するという流れになっているのだ。


 そして、『封印シギルム』によって魔力を封印されたレトゥスがその場に跪くのと同時に、陽が空間干渉魔法で彼の前に立つ。

 群青色の空を背にした陽の姿を見て、レトゥスの口から乾いた笑い声が漏れる。


「アハハ……まさか、お前もいたなんて……。でも、そうだよね……姫様がいるのに、お前達がいなのはおかしいか……」

「そうやな。ワイは待っとったで、この時を。お前らを殺す、その時を」


 赤紫色の瞳を発光させる陽を見て、死神は口角を吊り上げる。

 魔力を封じられ逃げ場がないはずなのに、レトゥスは笑みを絶やさない。


《銀翼》の穂先が、レトゥスの喉元に食い込む。担任の凶行に教え子達が息を呑む。

 だがそれは、赤い煌めきによって阻まれる。


「っ!!」


 ガキィンッ!! と金属がぶつかり合う音。レトゥスと同じ白いレースが施された紅いローブの裾が揺れる。

 陽が《銀翼》を横に薙ぎ払うと、襲撃者の体は後ろへ押し出される。

 被っていたフードがパサリと音を立てて外れ、顔が露になる。


 襲撃者の正体は、精悍な顔つきをした青年だった。

 リンゴのように赤い短髪と真紅色の瞳、左頬に刻まれた悪魔の翼を模した刺青が目を引く。

 赤い刃を持つ大剣を地面に突き刺した青年の登場に、レトゥスは頬をプクッと膨らませる。


「遅いよ、ラルム」

「うるせぇ。お前あんなに豪語しときながら面倒なことしやがって、おかげで俺まで出なきゃいけなくなったじゃねえか」


 ラルムと呼ばれた青年は、軽口を叩きながら地面に突き刺した大剣を上に振るう。

 魔法ではない物理的な攻撃に陽が《銀翼》で防いでいる隙に、ラルムはレトゥスの元へ駆け寄る。


「んじゃ、とっとと帰るぞ。主の命令だから従えよ」

「はーい」


 拗ねた顔をしたレトゥスの返事を聞きながら、ラルムはズボンのポケットから古びた羊皮紙を取り出した。

 それを見た陽が、顔色を変えて魔法陣を彼らの頭上に展開する。


「逃がすかぁ!!」


 陽の叫びに反応して、魔法陣から数百本の炎の槍が出現する。

 槍はそのまま彼らの頭上に降り注ぐ。爆発の連鎖が起き、辺りが炎と黒煙に包まれる。

 やがて攻撃が止まり、黒煙が薄くなっていく。地面に数多くのクレーターを残すも、敵の残骸は一つもなかった。あるのは、黒焦げになって消えていく羊皮紙だけ。


「……逃げられたか」


 チッと舌打ちをする陽の姿に、悠護達は目の前の彼が不自然に映る。

 いつも頼りになる担任の彼の体からは、生徒どころか日向さえ知らない憎悪が顔を見せている。


 彼の豹変ぶりに息を呑む悠護達だったが、陽が深く息を吐くといつもの顔を見せた。


「……悪かったな、あそこまでしてくれたのに逃してもうて」

「いいや、それいいけどよ……あいつらは一体何者なんだ?」


 一瞬だけ戸惑うも冷静な顔で悠護が訊ねるが、陽は無言のままゆっくりと首を横に振る。


「それについては後でな。今はお前達の治療が先や、ちょうど向こうも終わったみたいやし」


 陽の言葉に向こう側を見ると、魔導犯罪課が車両に紅いローブ集団を次々と運んでいる。さらにその前では、日向とギルベルトが悠護達に気づいて慌てて駆け出しているのが見えた。

 ひどい有様の自分達を見て顔色を変えて駆け寄る日向に、悠護は苦笑しながら無事の意味を込めて手を振った。



☆★☆★☆



 黒に染まった空。手入れがされた美しい庭。そして尖塔を持つ白亜の城。

 自分達の居城に辿り着き、ボロボロ姿のレトゥスとラルムは廊下で空を見上げていた主を見つけた。


「ただいま、主」

「帰ったのか」


 レトゥスはとことこと駆け寄って主に抱き着くが、主は顔色一つ変えずにそれを受け止める。

 くしゃくしゃになった髪を手櫛で整えてやると、レトゥスは笑顔になると猫のようにすり寄ってくる。


「……主、こいつを甘やかしてはダメです。そんなんだからいつまでたっても調子こくんですから」

「む……すまない」

「主は悪くないよ。ラルムはただ、ぼくがこんなことされているのが気に入らないだけなんだ」

「なっ!? だ、誰もそんなこと言ってねえだろうが!!」


 レトゥスの言葉にラルムが顔を真っ赤にしながら反論するが、どう見えても嘘なのがバレバレだ。

 完全な末っ子体質持ちのレトゥスは構わず主にすり寄ると、思い出したかのように顔を上に上げる。


「あ、そうだ主。ちょっと時間かかったけど見つけたよ、あの男を」


 レトゥスのあやふやな物言いを聞いた直後、主の体から純白の魔力が溢れ出す。

 ビリビリと肌を刺す感覚を味わいながら、ラルムは目を細める。


「……そうか、あの男が……」

「しかもさあ、最悪なことに残りの二人もいるんだよ。まさか四人同時現れるなんて、さすがのぼくも驚いたなー」


 主の魔力を至近距離で感じているレトゥスはお構いなしに抱き着く横で、ラルムが至極真面な顔で主に近づく。


「主、やはりここはすぐにでもあいつらを叩くべきです。でなければ我々の計画に支障が……」

「落ち着け、ラルム。それに向こうはまだ完全ではない。時が来るまで待つのがいい」

「ですがっ」

「それに、今日で損失した〝人形〟の補充もある。戦いには万全を備えなければならない。そうだろ?」

「……それは、そうですが……」


 主が言った〝人形〟は、魔石を搭載した自立型ロボットようなものだ。

 現代でもお手伝い魔導人形として家庭用にも流通されているが、レベリスの〝人形〟は作動に必要な魔石と攻撃魔法の魔石の二つを利用している。


 現場に取り残した〝人形〟はIMFに回収されているだろうが、分解してもなんの証拠は出てこない。

 そして、その〝人形〟の製作者であるラルムは、大量に消費した原因である少年を睨みつける。

 レトゥスはどこ吹く風で、主から離れるととことこと自分の部屋のある方へ向かう。


「じゃあぼく、今日はもう疲れたから寝るねー」

「ああ、おやすみ」


 そう言って走り去るレトゥスを見送ると、ラルムは大きくため息を吐く。


「やっぱりあいつに甘すぎですよ、主」

「そうなのか? 私は別に何もしていないが」

「はぁ……もういいです、主のそういうところは相変わらずみたいですし。それじゃ、俺も今日は休みますね」

「ああ、そうしておけ。もお前の部屋で待ってるぞ」


 部屋に戻ろうとするラルムは主のその言葉に思わず足を止めて振り返るが、主の姿は霧のように一瞬で消える。

 まさかの爆弾発言に頭を掻きむしりながらも、ラルムは静かな廊下を歩く。



 靴音を鳴らしながら自身の部屋に辿り着き、黒檀の扉をゆっくりと開く。

 普段は床に歯車やネジが散乱しているが、部屋の床に座り込む少女が一つ一つ丁寧に分別しながら木箱の中に入れていた。

 片付けに夢中になっているのか、扉の音にも気づかない様子の少女に近寄ると声をかける。


「ルキア」

「――!」


 少女――ルキアは自分の名前を呼ばれて我に返り、こちらに振り向いた。

 背中まで伸ばしたキャラメル色の髪、花のように美しいコバルトブルーの瞳。右目は白い縫い目がある眼帯で覆われている。黒いタブルコートを着た彼女は木箱を持って立ち上がると、甘く蕩けた笑みを浮かべる。


「お帰りなさい、早かったのね」

「ああ。レトゥスの奴、派手に負けやがった。でも任務は失敗していないから余計腹立つ」

「ふふっ、相変わらずね」


 ラルムが脱いだローブをポールハンガーに掛けると、そのまま黒のビロードの天蓋ベッドに座り込む。

 ルキアはくすくすと笑いながら木箱を設計図や工具が置かれた机の上に置くと、そのままコートを脱ぐと同じようにポールハンガーにかけ、彼の隣に座る。


 その瞬間、ラルムはルキアをベッドに押し倒す。キャラメル色の髪が白い布団に広がる。

 壊れ物に触れるようにそっと頬に触れ、目を細めながらゆっくりと瞼を閉じる。

 それがこれから始まる睦み合いの合図。


 桜色に色づく恋人の唇に、自分の唇を重ねた。

 優しく重なり合っていた唇は次第に深く濃密になり、互いの舌を逃がさんとばかりに絡め合う。ルキアの口の端から誰のものか分からない唾液が零れていく。


「……んっ……ふぅっ……」


 鼻から漏れる息が、背筋がゾクゾクしてしまうほど艶めかしい。この少女は、何度自分を夢中にさせればいいのだろうか。

 顔も、声も、体も、心も――何もかもが、ラルムの感覚を麻痺させていく。もっともっと欲しいと体が叫ぶ。


 シュルリと首のリボンを解かれる。ゆっくりとシャツのボタンを外される。ブーツを脱がせた足をストッキング越しに撫でられる。

 性急な手つきだが、ルキアの体は徐々に快楽へと誘われていく。


「あっ……」


 ちゅっと白いフリルがついた下着が露になった胸に唇を落とす。小さい刺激にルキアが声を上げる。

 目を潤ませて、頬を薔薇色に染めるルキア。幸せそうに微笑む彼女は、ゆっくりと両手を伸ばしラルムの頬に触れた。

 肌の柔らかさと骨格をなぞるように撫で、左頬の刺青に優しく口づける。


「そっちじゃなくて、こっちにキスしろよ」

「んんっ……」


 くすくすと笑いながら、再び重なる唇。

 シャツを脱がされて上半身が下着姿になり、スカートのホックが外れ引き下ろされる。

 最後にストッキングを脱がし、一番邪魔な下着をも取り除くと、一糸纏わぬ姿のルキアが目の前に現れた。


 月光に照らされた恋人の裸体は白く輝き、何度見てもくらりとしてしまう。

 やや乱暴に自分のシャツを脱ぎ捨て、逞しい肉体を晒す。

 自分の上に跨るラルムを見つめながら、ルキアは何度も告げる。いつまで経っても変わることのない愛の言葉を。


「愛してるわ、ラルム。あなたのことを、ずっと……」

「……ああ、俺もだ。俺も愛してるよ、ルキア」


 互いの両手が、指の隙間を埋めるように重なり握りしめる。

 同じタイミングで唇が重なり合う。

 そこから先は言葉はいらない。

 ただ熱く、激しく、濃密で、獣の如く貪るように体を重ねる。


 握りしめあう手は一時も離れなかった。

 まるで、互いの愛の深さを思い知らせるかのように。

 身も心も満たされるまで、二人は互いの存在を求め続けるのだった。

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