第57話 感傷と変化
アミューズメント施設『グラウンド』は、ボウリングの他にダーツやビリヤード、ゲームセンターに室内でできるスポーツが一つの建物に密集している。
心菜も日向達と何度も聖天学園の近場にある『グラウンド』の支店に行ってきたことがある。最初はゲーム筐体の音や人の賑わいの声の大きさに驚いたが、今ではすっかり慣れてしまった。
相変わらずものすごい騒音に耳が慣れた頃、樹は突然近づいてきた蓮見を見て思わず体を仰け反らせる。
「な、なんだよ虎太郎。いきなり近づくなよ。ビックリすんだろ」
「ああ、悪ぃ悪ぃ。ここじゃあんまでっかい声出せねーから」
「まあいいけどよ。で? なんだよ?」
友人の行動に呆れながらも話を聞く態勢になると、蓮見は口元に手を当てながら耳打ちをする。
「ぶっちゃけよ……神藤さんとはどういう関係なんだ? パートナーがどうとか言ってたけどよ」
「……ああ、パートナーっつーのは、魔導士は基本二人一組で行動するから、学生のうちになれるための訓練みたいなモンだよ。で、入学から卒業までなるべく一緒に行動するように言われんだよ」
「へー、それってガッコが決めんのか?」
「そだぜ」
「うへー、マジかよ」
パートナー決めが蓮見の想像していたものとは違っていたらしく、樹の話を聞いてがっくりと肩を落とす。
だがなんとか持ち直した蓮見はまた訊いてきた。
「じゃあよ、お前と神藤さんはほんとに恋人じゃねーのか?」
「そうだぜ。つか、庶民の俺と神藤メディカルコーポレーションの社長令嬢の心菜とじゃ釣り合わねぇだろ」
「えっ!? 神藤さんで社長令嬢なの!? 道理でなんか気品があると思った……」
「なるほどなー」と言いながら納得する蓮見の横で、樹は無意識に顔をしかめた。
自分と心菜は釣り合わない。それは樹の本音だ。樹は都内の私立大学のデザイン学部の教授の母を持つだけの一庶民、心菜は魔導医療企業の社長令嬢。それだけで樹と心菜の間に身分の差があるのか一目瞭然だ。
今のパートナー関係も、卒業してしまえば自然消滅してしまう曖昧なものだ。だからこそ、この関係がずっと続かないことくらい分かっている。
――なのに。
(なんで俺、自分の言った言葉で傷ついてんだ……?)
自分と彼女が釣り合わないことくらい頭の中では理解しているはずだ。学園にいた時も同級生から嫉妬と羨望の視線を向けられたし、たまに一人でいると通りすがりに「お前なんか不釣り合いだ」と言われたこともある。
樹自身もそのことは入学当初から自覚していたし、パートナー関係も卒業すれば解消される。そう割り切っていたから、心菜を『普通の友人』として接してこれた。
そうすれば、「釣り合う」とか「釣り合わない」というくだらない問題に振り回されずに済むと思ったから。
(……最近の俺、旅行の日からなんか変だな)
新島の旅行初日、女子が入浴中に開かれた男子会で樹は悠護に日向に好意を向けているのか訊いた。
案の定、バレてないと思っていた悠護は吹き出して動揺していたが、樹の言葉であっさりと認めた。
そのまま昔のノリでヒューヒューと口笛を吹いて冷やかしてやったら、聞き耳を立てていた怜哉が突然訊いたのだ。
『君は、神藤さんのことどう思ってるの?』
その質問は、樹を一瞬で無言させる止める効果があった。
数秒だけ頭の中を無にした樹はヘラヘラ笑いながら「ただのいいダチ」と答えられたが、内心では激しく動揺した。
あの怜哉があんなこと訊いてくることはなんとなく察していたが、いざ問われるとなんて答えればいいのか分からなかった。
だからあの時障りないかつ自然な答えを出したが、今思えば怜哉から向けられた、訴えるような視線はきっと樹の心の中の動揺を察知したからのものだったのだろう。
納得する反面、あの人意外と人を見ているんだなと普通に失礼な感想を抱いた樹は、友人達に囲まれてUFOキャッチャーに挑戦する心菜を見つめる。
今彼女が挑戦しているUFOキャッチャーは、『ネコ吉くん』という猫をモチーフにしたゆるキャラで、アクセサリ、ステーショナリー、コンビニとのタイアップなど幅広く商品展開をしている。
王子様姿のシロ吉くん、番長姿のクロ吉くん、侍姿のミケ吉くんの三種類が存在しており、都道府県限定のものまであるらしい。
日向がそのシロ吉くんのマスコットを持っており、心菜もそれを見て欲しがっていたことを思い出した。
よく見ると今の心菜の目つきは真剣そのもので、「むむむ」と唸りながらマスコットを取ろうとするその姿はどこか微笑ましく映り、小さく口元を緩ませる。
クレーンがたどたどしい手つきで押されたボタンの指示に従い動き、狙っているマスコットの頭上近くまで来るとゆっくりと降下する。
右に大きく動いたアームがマスコットを掴んだと思った直後、クレーンが上昇すると同時にマスコットはポトリと呆気なくアームから落ちた。
何も取っていないクレーンを見て心菜は落ち込むが、これもUFOキャッチャーの醍醐味だ。心菜はめげずにもう一度一〇〇円硬貨を入れると、会ったばかりの友人達から声援を受けながらボタンを押す。
クレーンは軽快な音楽を鳴らしながら動くと、ターゲットの真下に来るとゆっくりと降下しながらアームを大きく開かせる。
クレーンがターゲットを押し潰すように止まったかと思うと、アームが一気に閉じる。だがターゲット――心菜がずっと狙っていたミケ吉くんのマスコットのゴム紐がアームに引っかかった。
クレーンが上昇してもアームから落ちないそれはゆっくりと取り出し口に通じる筒の上で止まると、アームが開く。その拍子にゴム紐がアームから離れ、マスコットは筒の中へと落ちていった。
ガコンッと取り出し口の押戸を開けると、やけに凛々しい顔つきをしたミケ吉くんのマスコットが転がっていて、心菜は嬉しそうに頬を紅潮させながらそれを手に取った。
ようやく目当てのものを取れて友人達から「おめでとう!」「やったな!」と激励を受けると、心菜はパタパタと足音を鳴らしながら樹の元へ駆け寄って来た。
「樹くん! ミケ吉くんが取れたの! 見てたっ!?」
「おお、しっかり見てたぜ。よかったな!」
嬉しそうな顔で報告する心菜がよく遊んでいる近所の犬猫に見えてしまい、わしゃわしゃと頭を撫でる。
突然頭を撫でられて心菜はきょとんとしていたが、ふふっと笑いながら口元を緩ませる。そのあどけない顔に樹は思わず魅入ってしまい、頭を撫でる手を止めた。
「? 樹くん?」
またも突然手を止めた樹に首を傾げると、心菜の後ろから声をかけられた。
「ねー樹ー、次はボウリング行くってー」
「え? お、おー分かった! 先行っといてくれ」
樹の意識を元に戻したのは、外で心菜を睨んでいたあの少女だ。
彼女は心菜に冷ややかな視線を一瞬だけ向けると、そのまま友人達の輪へと戻って行く。
心菜はあの少女がさっきから気になっていたため、樹に訊くことにした。
「ねぇ樹くん、さっきの子って樹くんの友達だよね?」
「ん? ああ、そうだぜ。
「う、うん、そうだね」
なんとなくそうでないのではないかと思っていたため、樹の話をすんなりと納得する。
それにあの目を見てはっきりと分かっていたが、彼女――北乃は樹に恋をしている。
恐らく彼女が知らない間に仲良くなった自分が気に入らないのだろう、そうすれば心菜に冷たい目を向けてくる理由が分かる。
(恋、か……)
恋。それは心菜にとってずっと無縁と思っていたもの。
初等部からエスカレーター式の女学校に通っていて、異性との関りなんて学校行事や家絡みのパーティーのみだ。
それに、心菜は神藤家の一人娘だ。将来的には同じ魔導医療企業を経営する家もしくは魔導士家系の男を婿として迎え入れることは、ぼんやりと頭の中で理解していた。
だからこそ、北乃が嫉妬を抱くほどの恋をしていると思うと羨ましく感じる。
自分にはないものを持っている彼女の姿は、心菜の目からは眩しく映っている。
――もしパートナー関係が終わったら、樹は自分とは別の女性に恋をするのだろうか?
パートナー制度は学校の規則で決まったものだが、卒業してしまえば自然解消される可能性はある。いくらパートナー同士の結婚率が七〇パーセントあるからって、必ずその結婚できるかどうかは本人達も分からない。
ただ、もしそうなってしまった場合、自分はどうなるのだろうか?
いくら頭を捻っても出てこない答えとズキズキと疼き始めた胸の痛みに、心菜は胸元を服越しからぎゅっと握りしめた。
☆★☆★☆
ボウリングは四対四のチーム戦になり、チームは公平にグッパージャス(グーとパーの二つを使って組み分けするヤツ)で決まった。
Aチームは
もちろん魔導士である樹と心菜には魔法を使わないと言われたが、樹が「ただの遊びで魔法使うのはもうゴリゴリだッ!」と叫んでいた。どうやらビーチバレーの件をまだ引きずっていたらしい。
全員が自分の腕力で持てるボウリングボールを選ぶと、ゲームが開始される。
先行の山内が放ったボールは綺麗にガターに落ち、メンバカらブーイングを受けた。アプローチで四つん這いになって大袈裟に落ち込む山内を見て、ゲラゲラ笑う樹につられて心菜もクスクスと笑った。
だが気を取り直した山内がすぐにストライクを打つと、今度は蓮見が「おい外せよ! そこは外すとこだろ!」と理不尽な言い分をする。
それに山内が「なんでだよっ!?」と反論するが、後がつっかえているのを理由に話は中断になる。
他のメンバーもストライクを打ったり、ボールがガターに落ちたりとしたが一喜一憂の反応を見せながらも楽しんでいた。
ゲームが中盤に差し掛かると、飛ばし過ぎたのか暑そうに服の襟元を仰いだりしている。
心菜はカウンターの近くにフードカウンターとドリングバーを利用しているのを思い出すと、自分の番まで余裕があることを確認して席を立つ。
「樹くん、私みんなに何か飲み物持っててくるね」
「え? いいのか?」
「いいよ。すぐそこだし」
「あー、分かった。適当になんか持ってきてくれ」
「うん」
そう言って心菜はフードカウンターへと向かう。
ドリングバーで八人分のジュースを氷少な目のコップに入れ、持ち運び用のトレイに乗せた。
そこまではいいのだが、トレイは小さいため最大四つまでしかコップが乗せられない。
「うーん、これどうしよう」
二つのトレイを見て腕を組んでいると、横からトレイを持ち上げられる。
驚いて隣を見ると、澄まし顔の北乃がトレイを片手に立っていた。
「あ、あの……」
「言っとくけど、別にあんたのためじゃないから。ただ樹に頼まれただけだし」
素っ気ない言い方をしてドリングバカら離れる北乃の後ろを、心菜は急いでもう一つのトレイを持って追いかける。
おどおどとする心菜の前にいる北乃はしっかりした足取りで歩いており、彼女がモデルとして培った経験が日常生活でも出ていることを伝えてくる。
だが唐突に北乃の足が止まると、くるっと心菜の方を振り返る。
「あんた、樹の恋人じゃないのよね?」
「え? えっと……はい……」
『恋人』という単語に思わずドキリとしてしまうが、自分と樹がそんな関係ではないことは心菜自身が知っているため小さく頷く。
すると北乃は「ふーん、やっぱりね」と高圧的な態度で空いている手で髪先を弄る。
「あんたと樹とじゃ全っ然釣り合ってないもんね。むしろあんたには女の子には甘くて優しい王子様みたいな人がピッタリでしょ」
「………えっと……」
「それに、樹の頭ン中は魔導具とお金のことしか考えてないわ。こっちが何度もアプローチしてもただの友達程度しか思ってないくらいにね。だからあんたも彼の心に入る隙間はないってワケ」
「…………………」
「ま、ここまで言わなくても分かってるわよね。どーせあんたと樹の関係なんて、卒業で終わる軽いものなんだし」
心菜が反論しないことおいいことに、言いたいことを言いきった北乃はふんっと鼻を鳴らしながら先を行く。
一人取り残された心菜は、無言のまま立ち尽くしていた。
北乃の言う通り、今の心菜と樹の関係は卒業と同時に終わってしまうものだ。そんなことはとっくの前に理解しているし言われなくても分かっている。
なのに。何故。どうして――。
(どうして、私は傷ついてるの?)
いずれ自分は親が決めた相手と結婚する。それが生まれた時から決められていたことだ。
そう頭では理解しているのに、どうして胸が苦しく痛むのだろうか。
ぐるぐると頭の中で考えても答えなんて出ず、心菜はトボトボと歩きながら座席まで戻ってくる。
「おう心菜、遅かったな。迷ったのか?」
ちょうど番を終えたのか、樹がアプローチから笑いかけてくる。
だが顔を俯かせる心菜を見て、訝しげな顔をする。
「おい、どうしたんだよ?」
「……ごめん、樹くん。私、帰るね」
「はあ? 何言って……」
最後まで樹の言葉を聞かず、持っていたトレイをテーブルの上に置くと座席に置いてあったポーチを持ってそのまま立ち去る。
樹が何度も心菜を呼ぶ声が聞こえるが、その声を無視してカウンターの方へ走る。この傷ついてひどく歪んだ自身の顔を、誰にも――特に樹だけには見せないように。
突然帰ると言い出したパートナーの後ろ姿に、樹は呆然としていた。
ドリングバーに行ってから様子がおかしくなった心菜は、自分の呼びかけに無視しカウンターがある方へ走っていく。
その時遠目から見えた彼女の顔は、ひどく傷ついたものだった。
「………………」
「お、おい樹……追っかけたほうがいいんじゃね?」
「……ああ、分かってる。悪いな」
そう言って樹が心菜の後を追おうとした時、右腕に重みを感じる。
思わず振り返ると、北乃が樹の腕に自身の腕を絡めながら体をもたれかからせていた。
「えーいいじゃん、ほっとこうよ。別に樹が気にすることないじゃん」
「おい北乃」
「それに樹だってあの子といても疲れるだけでしょ? このままアタシらと遊んでた方がいいって」
北乃が前から樹に気があることは、樹以外の全員は知っている。
明るくフレンドリーで、年上年下問わず人気があった。もちろん彼に惹かれる女子はそれなりにいたが、樹の頭の中は魔導具とお金のことだけだ。
母子家庭を支えるために学校に許可を得て新聞配達や牛乳配達のバイトをしていたことも、元から何かを作ることが大好きだったから魔導具技師になることが夢なのも知っている。
その理由から彼に好意を持つ女子のほとんどは告白することを諦め、他の人と付き合っている。だが北乃は未だ樹を諦めきれていなくて、少しでも仲良くなるために彼を引き留めているのだ。
さすがの蓮見もこれはやり過ぎたと思って間に入ろうとした直後、樹が勢いよく右腕を振り払った。
腕を振り払われて彼の腕にしがみつくかのように絡んでいた北乃の体が数歩後ろに下がると、北乃は目を見開きながら樹の顔を見た。
樹のサファイアブルーの瞳は、いつも見ていたものより鋭くなっていて、顔もいつもの人当たりのいい顔ではなくなっていた。
初めて見る彼の怒りに、北乃だけでなく蓮見達も息を呑む。
「俺は、心菜と一緒にいて疲れたことなんか一度もない」
それだけを言い遺して、樹は背を向けて走り出した。
いつも見ていた樹とは違う姿に呆然とする中、蓮見は小さく笑いながら言った。
「ははっ、あいつも変わったなぁ」
走り出した時の友人の必死な顔を見て、蓮見は魔導具と金しか考えていない樹はもういないのだと悟ったのだった。
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