第56話 初めての二人きり

 東京都大田区田園調布。

 高級住宅街の代名詞と呼ばれるその場所に、神藤メディカルコーポレーションの社長宅が存在している。

 古代の神殿に似た外観をした屋敷の庭には白亜の噴水が鎮座し、庭には夏薔薇が咲き誇っている。他にもアジサイ、コスモス、パンジー、チューリップと他の花も植えられているが、夏薔薇以外は未だ緑の葉がついたままだ。


 セミの鳴き声が一際高く鳴く頃、神藤心菜は玄関で靴を履きながら、後ろで静かに立つお手伝いさんの百合に今日の予定を伝える。


「今日は街に出かけてきます。夕食までには帰れるよう頑張りますが、遅れた時はちゃんと連絡しますから」

「はい、分かりました。お気をつけて」


 角度四五度のお手本のようなお辞儀をする百合は、心菜が小学生の頃からこの家に雇われている。

 白いシャツと紺色のロングスカートの出で立ちはもはや彼女のチャームポイントと言っては過言ではなく、髪も一切乱れのないお団子ヘアで化粧も控えめのもあって、もし『理想の婦人像』なんてものがあるなら必ず百合が当てはまるだろう。


 お辞儀姿のままの百合に一つ会釈をした後、心菜は持っていた玄関のドアを開けて外に出る。庭を照りつける日差しを見て、持っていた白の日傘を開き差して家を出た。

 八月一七日、多くの親戚が集まったお盆が終わったその日、心菜は数日振りに出た街を見ながら道を歩く。

 新島での旅行以来、心菜はしばらく家の付き合いで魔導医療を使用している病院や企業との顔合わせやお盆で忙しく、こうしてゆっくりと街に散歩する暇さえなかった。


 そんな多忙からようやく解放された心菜は、気分転換の一つとしてこうして街に出かけることにした。

 目的はない。ただ街へ出てぶらぶらとして、可愛い洋服や小物、美味しい食べ物を探し、意外と知られない場所へ行き小さな探検をする。

 そんな一人でも楽しめるお出かけだが、なんだが少し物足りなさがあることは否めなかった。


(やっぱり日向も誘えばよかったかな)


 四月に偶然校門で出会い、良き親友兼ルームメイトである少女を思い浮かべながらひっそりとため息をついた。

 豊崎日向。

 今まで誰も会得し得なかった無魔法を使える少女、これまで会って来た同年代の中ではかなり仲がいいと自負している。


 今までの同年代達は、表面上は友好的でも裏では陰口を言ったり物を隠したりと陰湿なところがあった。

 日向はそんなことしないというかむしろ自分と同じ側だったが、どんなにからかわれても毅然とした態度は心菜の目には眩しく見えた。


 だが無魔法という稀有な力を持ち、七色家の一人である黒宮悠護をパートナーに持つ彼女は、その二つが原因によってここ三ヶ月で辛い目に遭っている。

 友人としてそれを見過ごすわけにはいかず、心菜も自身のパートナーと共に事件に関わり敵と戦った。


 戦闘面では心菜が召喚し契約を交わした魔物・リリウムに任せきりで、心菜自身の戦闘力がゼロではないにしても他の人より低いことは自覚している。

 人を傷つくのを恐れて攻撃魔法を苦手とする心菜は、防御魔法と生魔法を得意としているが逆に言ったと他の魔法も人並みにしか使えない。


 リリウムという戦闘に特化した魔物がいるからまだいいが、万が一リリウムを失ってしまったら? そうなってしまえば、心菜は抵抗の術を持たないただの役立たずになってしまう。

 そのせいで日向達にも危害が及んでしまったらと思うと、持っていた傘の柄に無意識に力が入ってしまう。


(……やっぱり、攻撃魔法使えるようになった方がいいのかな……?)


 かつて高名な魔導士と名を馳せた母ならば、攻撃魔法の正しい使い方を教えてくれるはずだ。

 帰ったら母に相談しようと思いながら横断歩道を歩こうとした直後、


「おいバカ前見ろ!」


 突然左肩を掴まれ体ごと引かれたかと思ったら、目の前を速いスピードで車が通った。

 日傘を持ち上げて信号機を確認すると、信号の色は赤になっていたことに気づいた。もしあのまま歩道を歩いていたら、車に轢かれていたかと思うと冷や汗が流れる。

 呆然としている心菜の後ろでは、彼女を助けた人物がはぁーっと深いため息を吐かれた。


「ったく、赤信号なのにそのまま進むなよ……。すっげぇビックリしたんだからよ……」

「……?」


 聞き覚えのある声に小首を傾げた心菜は、ゆっくりと後ろを振り返る。

 最初に目に入ったのは、半袖の白いTシャツと上から羽織っている青のノースリーブのパーカー、それから黒のズボンという簡素な恰好。次に入ったのは、頬から首へと流れる汗。その次に入ったのは片腕で抱えている大きな紙袋。そして、一目見たら忘れない真っ赤な髪――。


「……樹くん……?」

「あ? なんで俺の名前…………って、心菜っ?」


 心菜を助けた人物改めパートナーの真村樹は、自身が助けた日傘の持ち主の顔を見てきょとんとした顔になった。



☆★☆★☆



「はい」

「おう、サンキュー」


 横断歩道でばったりでくわした二人は、ひとまず休もうと葉が生い茂って日陰が出来ている公園のベンチに座り、心菜は自販機でかったコーラ缶を樹に渡す。

 心菜は自分用に買ったスポーツドリングが入ったペットボトルを持ちながら樹の隣に座り、畳んだ日傘を置く。


 樹は助けた礼として貰ったコーラ缶を豪快に呷っており、喉仏がゴクゴクとコーラを飲むたびに上下に動く。

 それがそこはかとなく扇情的に見えてしまい、思わず目を逸らした。


「ぷっは、生き返ったー」

「樹くん、本当にお礼がジュースでよかったの?」

「おう。俺は別に礼目的で助けたわけじゃないしな」


 そう言ってまたコーラを呷る樹の横で、心菜もちびちびとスポーツドリングを飲む。

 助けてもらったお礼として何かしようと思ったが、樹は「大したことはしてない」と言って首を横に振るばかりだった。それでもお礼がしたいと言った心菜の根気強さに負けて結果飲み物を奢るということで話がついたのだ。


「ところで心菜、もしかしてこれから誰かと出かけるのか?」

「え? ううん違うよ、久しぶりに外で出ただけ。お盆とかで色々忙しかったし」

「あー、そっか。なんかスッゲーめかしこんでるから誰かと出かけると思ってたからよ」

「え、そうかな?」


 樹の言葉に心菜は改めて自身の恰好を見る。

 明るい黄緑色をした半袖のワンピースは、袖口が膨らんでいてスカートの裾にはフリルがついている。ウェストについた白い紐はリボン結びで留めている。

 あまり日に焼けていない白い足にはヒールがついた茶色いストラップサンダルを履いており、持っていた日傘はフリルがたっぷりついた可愛らしいもの。


 必需品が入った肩紐つきの茶革のポーチと合わせてしまえば、樹の言った『めかしこんでいる』と言われてもおかしくないかもしれない。


「まあ別に、心菜がどんな恰好すんのは自由だからいいけどよ。ところで、このあと予定あるか?」

「予定? 特にないよ、ただぶらぶらしてたから」

「そっか。そろそろ昼だしどっか一緒に食いに行かねぇか? で、そのあと色々見て回ろうと思うんだけどよ……いいか?」

「う、うん……、いいよ」


 樹から誘ってきたことは少し驚いたが、心菜自身もその誘いは嬉しくてすぐに頷いた。

 樹とは何度も出かけたことはあるが、その時は決まって日向と悠護も一緒だった。あの二人はたまに心菜と樹抜きで出かけることもあるが、逆に心菜と樹は二人で出かけることはあまりなかった。


 というのも、日向と悠護が二人で出かける時は大抵どちらかが用事でいないため、中々二人で出かけるという機会がなかった。

 特に樹は休日には自作の魔導具製作のために部品に買いに行くことが多いため、彼のパートナーである心菜も自然と外には出ず図書館で時間を潰すのが当たり前になっていた。


 つまり今日、心菜は初めて樹と二人でお出かけをすることになる。そう自覚すると自然と心臓の鼓動が速くなった。


(私、どうしちゃったんだろう……。この間の旅行に帰ってからちょっと変だよ……)


 新島の旅行で、心菜は砂浜でガラの悪い男に絡まれたところを樹に助けてもらったことがある。

 もちろん四人で出かけた時に心菜にナンパしようとした男が声をかける前に、樹が相手の手首を掴んで「俺の連れになんか用か?」と凄みながら撃退してくれたことは多々あった。

 だがその時は心菜が気づく前で止められていて、相手に絡まれてから助けてもらったことはあまりない。


 旅行での時の撃退方は初級魔法を使うという少々乱暴なものだったが、それでも助けてくれた時はとても安堵した。

 だがその後に見せた笑みは、いつもの樹とは違う色気ある雰囲気と輝きに思わず息を呑んだ。

 太陽のような眩しさで笑う彼の顔は何度も見ているはずなのに、あの笑みだけはそれとは一線を画していた。


 あまりにも強すぎる印象に頭から樹の笑みが離れず、少し樹のことを考えるだけで頬が熱くなるようになった。

 時にはその時のことが鮮明に思い出してしまい、枕を抱いてベッドの上でジタバタと暴れたものだ。

 たとえ初めての二人きりのお出かけで、旅行でのことを思い出すと緊張と羞恥で顔を真っ赤になってしまうのではないか気が気ではないが、それでもこのチャンスを逃したくなかった。


「ほら、早く行こうぜ」


 樹が空になった缶を一メートル先のゴミ箱に見事入れると、自然と手を差し出してくる。

 無骨だがしっかりとしたその手は、時に魔導具を作り、時にやや強く優しく相手の頭を撫で、時に友を守るための力として振るわれる。

 その手が今、心菜と手を繋ぐためだけに差し出されている。たったそれだけなのに涙が出そうなほど嬉しくなるが、なんとかぐっと堪えながら心菜はその手を取り優しく握る。


「うんっ」


 心菜の返事を聞いて嬉しそうに口元を緩ませた樹が、彼女の細く柔らかく白い手を握り返したのは言ったまでもない。



 ひとまずファーストフード店で昼食を摂った後、心菜と樹はしっかりと手を繋ぎながら街を歩いていた。

 街はお盆休みが終わって本格的に仕事を始める社会人や宿題を後回しにする学生、慌ただしく就職活動や受験に勤しむ学生など多くの人で賑わっている。


 アイスクリームショップや喫茶店などでは冷房や冷たい飲み物・食べ物目的で人がごった返し、路上ではライブやマジックショーを披露しているところもあっていつもとは違う景色のおかげで飽きがこなかった。


「そういえば樹くん、その袋は何?」

「ああ、これか? 行きつけのジャンクショップの部品。ほら、魔導具って基本的には魔石ラピスを埋め込む専用部品以外は全部どこにでも売ってるやつだからさ」

「あ、そういえばそっか……」


 樹の言葉に心菜は魔法学で教わった内容を思い出す。

 魔導具に使われている部品は、町中にある機械部品や電子部品がほとんどだ。動力源である魔石を埋め込む専用部品さえあれば魔導具は作れるが、一つだけ難点がある。

 それは、動力源である魔石の加工だ。


 基本的に魔石は、一度でも魔力を注がれたらそのまま発動し砕かれる仕組みになっている。

 魔力を注ぐだけで付与している魔法を発動する洋服型魔導具――魔装まそうと呼ばれる物以外は魔石が必要としている。

 詳しいことは心菜もあまり知らないが、魔石の加工にはIMFが定めた十通りの処置が必要で、腕前問わずどの魔導具技師達はこの工程を守っているという話である。


「樹くんは魔石の加工ができるの?」

「いや、それは魔導具学コースに入ってからなんだ。魔導具技師志望の一年は申請すれば学園から加工済みの魔石と専用部品がもらえるんだよ」

「そうなんだ、知らなかったな」

「ま、心菜は魔導医療学コース志望だし知らないのは無理ねぇよ」


 その樹の何気ない一言に、心菜の足は自然と止まる。

 彼女の手を繋いでいた樹はくいっと腕が引っ張られる感覚に思わず足を止めると、訝しげな顔で後ろを振り返る。

 自分より三歩後ろにいる心菜は日傘で顔が見えないが、それでも落ち込んでいる雰囲気だけは伝わってくる。


「お、おい心菜? どうしたんだよ……」

「……樹くん。私……少し相談したいことがあって――」


 心菜が震える口で何かを伝えようとした直後、


「――あれ? 樹じゃねーか?」


 突然横からかけられた声によって、それが遮られた。

 パートナーからの相談を中断されて苛立たしげに顔を歪めながら振り向くと、そこには今時の恰好をした青年と少女が会わせて六人いた。

 そしてそこにいる面子の見覚えのある顔に、樹は目を丸くした。


「お、お前らっ……」

「ひっさしぶりじゃねーか! なんだよ、全然元気だな!」


 金髪で両耳にいくつものピアスをつけた青年が樹の肩に腕を回すと、その拍子に心菜と繋いでいた手が離れる。

 思わず心菜の口から「あ……」とどこか名残惜しそうな声が出てきたが、樹はそれに気づかないまま男に話しかける。


「あ、ああ、まあな。お前らも元気でよかったよ」

「ったく、お前が聖天学園に行ってから全然つまんねーよ。なあ、今からでも俺達の学校に転入しろよ」

「あー、それは無理だ。悪ぃな」

「だよなー、まあ分かってたけどよ」


 申しわけなさそうな顔をする樹に、青年が残念そうに肩を竦めながら笑い飛ばすと彼の視線が心菜の方に向いた。

 まるでブリキ人形みたいな動きで心菜の姿を頭のてっぺんから爪先まで見ると、樹の両肩を掴むとそのままガックガックと上下に揺らした。


「な、なんだよこの超絶美少女ちゃんはーッ!? まさかお前のカノジョか!?」

「は、はあっ!? ちっげーよ! こいつは俺のパートナー! つか俺がこいつのカノジョとか恐れ多いわっ!!」


 一年のマドンナとして注目されている心菜の恋人に間違えられて嫌じゃない気分だが、もしそうなったら男子からの嫉妬の視線やらが恐ろしい。

 その横で心菜は樹の恋人と間違えられて恥ずかしげに頬を染めたが、ぷるぷると首を横に振ると小さくお辞儀をする。


「初めまして、樹くんのパートナーをしている神藤心菜です。いつも樹くんにはお世話になってます」

「え? あ、ああ、どうも。俺は蓮見虎太郎はすみこたろうです、どうぞよろしく」


 突然自己紹介し始めた心菜に戸惑いながらも、蓮見は慌ててお辞儀をする。

 すると蓮見の後ろにいた友人達が一斉に心菜に詰め寄る。


「うっわ、めっちゃカワイイー! お肌スベスベだし!」

「ヤベ、オレちょー好みなんだけど!」

「なあなあメアド教えて!」

「え、えっと……」

「おいコラお前ら何やってんだッ!?」


 わらわらと砂糖の塊に群がるアリのように近寄って来た友人達から心菜を引き離すと、今度はニヤニヤと無性に腹立たしくなる笑みを浮かべてきた。

 ガルルルッと呻き声が出るんじゃないかと思うくらい友人達を睨みつけていると、突然の距離の近さにドキドキしながら心菜は樹に訊く。


「い、樹くん、この人達は?」

「ん? ああ、地元のダチだよ」

「樹くんの……」


 改めて目の前にいる同年代達を見ると、誰もが派手な恰好や髪型をしており、さっきのフレンドリーな態度を見ると確かに樹の友達と言われるとすんなり納得する。

 すると蓮見は何か思いついたような顔になると、近くにあるアミューズメント施設に指を向ける。


「俺達これからあそこで遊ぼうと思うんだけどよ、二人も来ないか?」

「え? いや、俺達は……」


 蓮見の提案に樹は戸惑いながら心菜の方を見る。

 恐らく迷惑じゃないかと思っていると彼の目だけで分かり、心菜は小さく首を横に振る。


「私は家に連絡しておけば大丈夫だよ」

「そっか、ならよかった! な、樹、神藤さんもそう言ってるんだし一緒に行こうぜ!」

「……まあ、心菜がそう言ったなら」

「いよっし、決まり! んじゃお前ら行っくぞー!」


 おーっ! と蓮見の声に同意する声が上がり、そのままあミューズメント施設に向かって足を運ぶ。

 その時、心菜は背中から鋭い視線を感じて思わず振り向くと、ちょうど心菜の後ろに一人の少女がいた。


 カールのかかった髪をポニーテールにしており、一瞬モデルかと思うほど可愛い少女。その少女が冷たい目で心菜を見ており、心菜が彼女に視線を向けているのに気づくとそっぽを向いて友達の方へ行ってしまった。


(今の目は……もしかして……)


 さっきの少女の冷たい目に覚えのある心菜は、冷や汗を流しながらごくりと唾を呑む。

 少女のあの目は、いつも招待されたパーティーで複数の男性に囲まれた心菜を遠巻きに見る少女達と同じものだった。

 そして、その目に宿したのが『嫉妬』だということも知っている。


(どうしよう……)


 パーティーでは心菜の家の影響力で少女達が向こうから絡んでこないが、今は違う。

 もし心菜が想像する『事態』になってしまった場合、自分はどう対処すればいいのか分からない。恐らく日向ならいくつも知っているだろうが、そのことを聞くのはさすがに気が引ける。


 とにかくなるべく相手を不快な思いをさせないよう心かげながら、心菜は樹とその友人達の後を追った。

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