第85話 学園祭開幕
一一月六日、待ちに待った学園祭を迎えた。
早朝からパンパンッと音と白煙だけの花火が上がり、各教室や部室では準備に勤しんでいる。
日向達もぎゅうぎゅう詰めになっている更衣室で袴姿に着替えた。でもそれだけではなんだか物足りなく、小道具として入っていたリボンを使ってシンプルなハーフアップにした。
「きゃああああああああああっ! やっぱり最高に似合ってるわ二人ともー! 和服美人ー!」
衣装班のリーダーである近藤は日向と心菜の姿を見て、鼻息荒くしながら興奮する。
その流れでスマホのカメラをカシャシャシャシャシャと連写しており、さすがの日向達もこの反応には苦笑を浮かべざるを得ない。
「あはは……ありがと……」
「二人とも接客はお昼まででしょ? お昼が稼ぎ時だがらじゃんじゃん稼いでね!」
「う、うん……分かった……」
そう言って近藤は着付けにも達ている女子の方へ行ってしまい、日向達は教室へと向かう。
教室内は和風茶屋の雰囲気にマッチした立て看板が並べられていて、番傘や紅毛氈をかけた縁台の設置もバッチリだ。
教室には自分達と同じ袴姿もしくは制服姿のクラスメイトが待機しており、もちろん悠護達もそこにいた。
男三人も日向達と同じ袴姿で、悠護は薄墨色の上衣に紺色の袴、樹は青の上衣に
「わー、みんな似合ってるー!」
「だろー? つっても、ほとんど近藤がチョイスしたものだけどな」
「そういえば、近藤の母親がモデルの衣装選びとかの仕事してるって聞いたことがあるな。多分その影響だろ」
「へー」
近藤の衣装選びの腕の秘密を知って感心していると、いつも通りの恰好をした陽が入ってきた。
「お、みんな揃っとるなー。HR《ホームルーム》代わりと言っちゃなんやけど、ワイから一言あるからしっかり聞くんやでー」
教壇があった場所に陽が立つと、生徒一人一人の顔を見つめ、満足げに頷く。
「えー、今日はみんなにとって最初の学園祭や。多少のハプニングはあると思うけど、それでもワイは今日という日を楽しんでもらいたい。――みんな、今日は精一杯楽しむんやで」
『『『『『はいっ!!』』』』』
陽の言葉にクラス全員が返事をする。
自分達だけでなく、一年は全員今年初めての学園祭だ。普段とは違う非日常を楽しむことこそがこの行事のモットー。
兄はそのことを忘れず、純粋に楽しんで欲しいのだと言外に伝えてきた。
陽の気持ちは見事クラスのみんなに伝わり、ついに学園祭が始まった――。
「へぇ~、ここが聖天学園ね~。日向から聞いた話以上に結構広いわね」
「おい姉貴、あんま先行くなよ。はぐれるだろ」
亮は約束通り、京子を連れて聖天学園に訪れた。
ゲートと呼ばれる入り口には大勢の人が集まっており、教師や警備員だけでなくチケットの確認のために駆り出された生徒も見えた。
「こちらでチケット確認してまーす。まだ確認していない人はこちらにどうぞー」
「あ、あっちで確認してる奴がいるぞ。そっち行くぞ」
気だるい口調で呼びかける声に、亮は姉の手を引っ張って声がした方へ向かう。
声を出して呼びかけるのは、制服の下に赤いパーカーを着こんだ銀色の髪をした少年――白石怜哉だ。
猫みたいに吊り上がった目つきをしているが、髪と白い肌が合わさって幽霊のような雰囲気を醸し出している。
一目見て一瞬幽霊かと思ってビクついてしまったが、怜哉が亮達の存在に気づくとすっと手を出す。
「君達、チケット持ってるの? 確認するから出して」
「あっ、はい」
怜哉の言葉に亮と京子が慌ててスマホを取り出して、チケットが送られたメールアプリを開く。
メールのメッセージ内にあるチケットと差出人を確認した怜哉は、その差出人の名前を見て目をぱちくりさせる。
「……君達、豊崎さんと黒宮くんの知り合いなの?」
「え? そうよ、私は日向の中学の友達で弟はその後輩。黒宮くんとは夏休みに知り合ったのよ」
「ふぅん……そっか。はい確認完了、入っていいよ。そうそう、あの二人のクラスは本校舎の二階のA組だから。迷うと思うから近くにパンフレット配ってる人がいるから受け取ったほうが楽だよ」
「あ、ありがとうございます」
「どうも……」
怜哉が持っていたタブレットに表示されている画面にチェックマークを入れながら案内をすると、無言で手を振って見送る。
二人はつられて手を振り返しながら学内に入るのを見送ると、すっと怜哉の頭上で影ができた。
「失礼。私達もよろしいでしょうか?」
穏やかな口調で話しかけてきたのは、二〇代後半に入ったばかりの男性。そのそばには自分と年が変わらない少年が不機嫌顔で怜哉を睨みつけている。
だが二人の顔を見て怜哉は目を細めながら、チケット確認の手を休めないまま話す。
「……これはこれは、魔導犯罪課第一課長さんと一課の期待のエースさんじゃない。君らがここに来るなんてどんな風の吹き回し?」
「いやあ、管理者さん直々の要請でしてね。我々も彼には何かとお世話になっているので、お願い事を無碍にできないんですよ」
魔導犯罪課第一課長の
紺野は青島家の分家、橙田は黄倉家の分家、つまり七色家に連なる家系の人間だ。
当然白石家の次期当主である怜哉とは当然知り合いで、彼らがここに来たことに疑問を持つのは当然の反応だろう。
「管理者直々の、ねぇ……」
「なんだよ。文句でもあっか?」
「いや、別に。でも君らだけで来たの? いくら七色家の分家の人間だからって少なすぎじゃない?」
「我々では頼りないと言いたいのですか?」
不服そうに眉を顰める紺野に、怜哉は首を横に振る。
「いいや、むしろ君ら二人が出るなんてよっぽどのことが起こるのかなって思ってる。ま、もし困った時があったら僕を呼びなよ。それなりの働きをしてあげる」
「ケッ、てめぇの力なんかなくてもなぁ、俺だけでも充分なんだよ。舐めんな」
「灯くん!」
紺野が叱咤を飛ばすも、橙田はずかずかと学内に入っていく。
勝手に中に入っていった部下に肩を竦めた紺野は、ぺこりと怜哉に頭を下げる。
「……すみません、普段はいい子なんですが」
「別にいいよ、気にしてない。それより早く彼を追いかけなよ」
「はい、すみません」
再び頭を下げた紺野が、先に行ってしまった橙田を追いかける。
自分より年上なのに頭を下げる彼にため息を吐きながら、怜哉はチケット確認作業を再開させる。
(……それにしても、わざわざあの二人を呼ぶなんて。どうやら今年の学園祭は波乱が起きそうだ)
自分の知らないところで迫りくる波乱を感じ、怜哉はタブレットで口元を隠しながら愉悦を滲ませた笑みを浮かべた。
☆★☆★☆
「すみませーん、三種団子くださぁい」
「こっちはパウンドケーキお願いしまーす」
「はーい!」
一年A組の和風茶屋は、そこそこ客入りがよかった。
お菓子と抹茶をつけて六〇〇円と高くはないが安くもない微妙な値段設定したが、むしろ「安すぎない?」と言われるほど好評で驚いた。
立て看板のリアルな絵もそうだが、給仕をやっている学生が普段見ないハイカラな恰好をしているというのもあって、口コミで徐々に広がっている。
黒板側の立て看板に取りつけたカーテンの代用にした布を潜ると、バックヤードでお茶を紙コップに淹れたり、家庭科室から持って来たお菓子を紙皿に盛りつけなどをしていた。
「三番さんが三種団子、五番さんがパウンドケーキだって」
「はいよー」
日向の注文にクラスメイトがせっせと準備をし、注文したものをお盆の上に乗せると日向に手渡す。
すぐにバックヤードを出て、『3』と紙が貼られた縁台に座るお客さんのところに行く。
「お待たせしました、三種団子とお飲み物です」
「ありがとー。美味しそー」
日向が持って来たお菓子に目を輝かせるお客さん。その様子を微笑ましそうに見つめ、「ごゆっくりどうぞ」と言って立ち去る。
その時、丁度教室のドアが開かれ、「いらっしゃいませー」と条件反射で言った。
ドアの前では京子と亮が立っていて、すぐに彼女達だと気づくと顔を綻ばせながら駆け寄る。
「京子! 亮くん! 来てくれたんだ!」
「あったりまえじゃない! それよりその恰好カワイいー! 写真撮ろうよ!」
「席に案内してからね」
きゃっきゃっと女子同士で盛り上がる隣で、亮は普段見慣れない恰好をする日向の姿にぼうっと見惚れてしまう。
二人が空いた縁台に行こうとして我に返ると、慌てて後を追う。
明らかに高級品のそれを及び腰で座ると、端に置いてあったメニュー表を見る。
「うーん、どれも気になって悩むなー。日向のおすすめって何?」
「あたし? そうだなー……やっぱりパウンドケーキかな。あと三種団子もおすすめだよ」
「じゃあ私はパウンドケーキにする。亮は?」
「俺は団子で」
「はーい、少々お待ちくださいねー」
パタパタとバックヤードに向かう日向の後ろ姿を目で追っている亮に、京子はニヤついた顔で弟の腕を肘で突く。
「何ニヤニヤ顔で日向のこと見てんのよ」
「なっ!? 別にニヤニヤなんて……」
「してたわよ~、こうニヤニヤァ~って」
「ウソつけ!」
ぎゃーぎゃーと姉弟喧嘩が始まりそうになった時、ちょうどいいタイミングで悠護がお茶とお菓子を乗せたお盆を持ってやってきた。
「おい、喧嘩すんなら余所でやれ。他のお客さんの迷惑だ」
「あ、黒宮くん夏休みぶりね。へー、あんた袴姿も意外と似合ってるわね」
「褒め言葉として受け取っておくな。それよりほら、三種団子とパウンドケーキだ」
縁談の上に乗せられたお菓子とお茶。湯気の立つ抹茶の香りが鼻腔を刺激する。
お菓子も学生の手作りだとは思えないほどの出来で、二人の目が輝く。
「美味しそー! これお菓子が手作りとか思えないんだけど!」
「ほんと、スゲーウマそう……」
「味も保証するぜ」
ニッと笑う悠護の言葉に、京子と亮はそれぞれ頼んだお菓子を手に取ると、ぱくっと頬張る。
京子の頼んだ抹茶のマーブルパウンドケーキは、抹茶の生地とプレーンの生地が綺麗なマーブル模様を描いており、抹茶のほろ苦さとプレーンの甘さが見事に調和している。
亮の三種団子はあんこ、みたらし、きな粉が一本ずつかけられており、混ざらないようにわざと隙間を作っている。食感ももちもちとしており、粉っぽくない。
「ん~、美味しい~。これでお茶を合わせて六〇〇円とかちょっと安くない?」
「それ他の客にも言われんだぜ。まあ抹茶は全部俺の家にあったヤツを使ってるし、業務用スーパーも使ったから、材料費はそこまでかかってねぇんだ」
「家にあったって……どんくらいあったんスか?」
「ダンボール五〇箱分」
「「うわ……」」
死んだ目でそう告げる悠護に、二人は彼が貰い物の処理だけでどれだけ苦労しているのかがなんとなく伝わった。
気まずい空気を紛らわすように悠護はわしゃわしゃと頭を掻きながら咳払いする。
「あー……ゴホンッ。まあ、俺のことはいいんだ。それより夕方までいるんだろ? 俺達昼までだし、終わったら一緒に回るか?」
「もっちろん! 最初っからそのつもりよ」
悠護の言葉に京子が当然と言わんばかりの顔で頷く。
その後ろで同じ袴姿の樹とギルベルトが慌ただしく教室を出て行く様子を見て、亮は首を傾げながら悠護に訊いてみた。
「あの、真村先輩とギルベルト先輩が教室から出て行ったんですけど……」
「あー……あの二人はこの後出るコンテストの準備なんだ」
「へー、なんのコンテスト?」
「女装コンテスト」
その発言で亮は飲んでいたお茶を吹き出し、京子は食べていたパウンドケーキを喉につまらせる。
近くで接客していた日向が「ちょ、大丈夫!?」と言いながら駆け寄ると、亮は咳き込みながらも口の端から垂れている抹茶をシャツの袖で拭い、京子は最初の分と日向が新しく持って来た分を合わせて一緒に飲み干した。
「じょ、女装って……誰が出るんですか!?」
「ギル」
「あの人王子でしょう!? 不敬罪になんないスか!?」
「安心しろ、あいつ自身がコンテストにエントリーしたから不敬罪にはなんねぇよ」
悠護と亮が言い合っている横で、「え、王子いんのっ?」「いるよー」と会話する日向と京子。
わいわいと教室の一角が賑やかになったところで、心菜が下駄を鳴らしながら日向達の元へ駆け寄る。
「二人とも、そろそろ交代だって」
「あ、もうそんな時間? 早く着替えないと」
「そうだな。悪いけど二人とも、食べ終わったら教室の前で待っててくれ」
「
口いっぱいにパウンドケーキを頬張った京子がそう返事をすると、日向達は慌ただしい足取りで教室を出て行く。
日向の特徴的な琥珀色の髪が見えなくなると、京子は新しく貰った抹茶が入った紙コップを片手に呟いた。
「……日向、楽しそうね」
「そうだな」
「私、これでも心配してたのよ? いきなり魔導士になって、この学校に半ば強制的に入学するってなって。あの子ってば、そういう弱音は全然吐かないから毎日やきもきしてたわ」
でも、と言いながら言葉を続ける。
「夏休みもそうだったけど、今の日向には頼もしい友達がいるって分かった。それが分かっただけでも安心だわ」
日向が魔導士となって、家族以外で一番心配したのは京子と亮だけだった。
周りは魔導士になった日向を「すごいね」「大丈夫なの?」と声をかけていたが、そのほとんどはクラスメイトだからという義理に近い労いの言葉。
噂を聞きつけたマスコミや科学者のせいで面会に制限がかかって、自分達姉弟が通せるようになるのに十日もかかった。
面会に行ってもいつも通りの様子だったり熱で魘されたりと体調が不安定で、高熱を出している時は面会時間ギリギリまで看病したものだ。
寮に持っていく荷造りをしていた時、京子は言ったのだ。
『もし辛いことがあったら電話してよ。愚痴でもなんでも聞いてあげるから』
その言葉が心から日向の身を心配してのものだと、最初から日向は気づいていた。
『……ありがとう、京子』
分かっていたからこそ、月並みの言葉を聞いた時は少しだけ傷ついた。
いくら人に頼るのが苦手だからって、そんな風に言ってほしくなかった。
そんなに自分達姉弟は頼りないのか? と言いたかったけど、これからの彼女の苦労を考えてその言葉を必死に飲み込んだ。
それから日向が聖天学園に入学してしばらくは音信不通だったが、ある日突然電話が来た。
もちろん驚いたし、もし彼女が泣いていたらと思うと気が気ではなかった。
恐る恐るスマホを耳に当てて、声をかけると、
『あ、もしもし京子? しばらく電話出来なくてごめんねー』
電話越しから聞こえる日向の声は、自分達が知っているもので、最初は戸惑ったけど彼女なりに上手くやっているのだと気づくと胸を撫で下ろした。
日向は入学したての頃の苦労話や試験でいろんな人から退学を迫られたりと、普通では考えられない事態に遭ったと聞いた時はひどく心配したものだ。
でもその後に頼れる友達と出会えたと言った時の日向の声は本当に嬉しそうで、今は周りと同じ学生として過ごせているのだと教えてくれた。
それが事実だと知ったのは、久しぶりに地元で再会した時だ。いつもと変わらない親友とパートナーのことを話す時の顔を見て、京子は全て悟った。
(――ああ、なんだ。心配しなくても日向ちゃんと学校生活を送れてるじゃない)
やきもきしながら心配していた自分の過保護には思わず笑ってしまったが、それでも親友が楽しく学校生活を過ごしていることに安心した。
そして、その事実が確固たるものなのだとこの学園祭で理解した。
「亮」
「なんだよ」
「来てよかったわね」
「……そうだな」
姉の言葉に、弟は小さく笑いながら頷く。
その答えを聞いただけで京子はもう満足で、その余韻を感じるために残った抹茶を一気に飲み干した。
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