第86話 女装コンテスト

 学生達の活気溢れる掛け声と招待客の笑い声が、本校舎を中心にした区画に響き渡る。

 一般高校より倍はある校庭には屋台が立ち並び、焼きそばやイカ焼きなど定番の鉄板を使う料理を売っており、そこら中からソースの匂いが充満している。

 時折クレープの甘い匂いも混じっているが、やはりソースの匂いが勝っていた。


 そんな中、ルキアは校舎の壁に凭れながら先ほど屋台で買った手作りクレープをちょこちょこと食んでいた。

 パリパリとした生地の食感と生クリームとみかんの甘さが口いっぱいに広がる。個人的な好みで言えばモチモチした方がいいのだが、これはこれで食感を楽しめた。


「……さて、タイミングはどのあたりがいいかしら」


 入場の際に貰ったパンフレットを片手に、クレープを完食させると包装紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てる。

 丸まったそれは放物線を描いで見事ゴミ箱に入り、遠目で見ていた通行人は「すごっ」と呟いていた。


 本来ならチケットがなければ入れないはずの学園にルキアがいるのは、至極簡単な答えだ。

『レベリス』は、中流階級の魔導士家系や資産家などにパイプを持っている。魔法が世界に浸透した現代では魔導士は世界にとって必要不可欠となり、彼らを『生体兵器』として利用し、組織を使って甘い汁を啜ろうと目論む連中をあの手この手と利用してくるのだ。


『レベリス』はそういった連中の目論見を作戦の一部に食い込み、仮に失敗しても相手側に不利益だけ押し付けて切り捨てる。そうした悪辣かつ狡猾な手法を使うことで、今まで『レベリス』の存在まで辿りつけずにいる。

 今現在『レベリス』が持つパイプの内の一つから、多額の資金と交換にこのチケットを譲って貰ったのだ。


「それにしても呑気ね。この楽しい時間が最悪の時間に変わってしまうことを一つも疑っていない」


 災害もテロも何気ない日常の中で突如として起こるモノ。頭の片隅で「事件なんて起きるわけがない」と思い込んでいる。

 それは日常を過ごす者にとっては当然な考えなのだろう。


 だが、ルキアは知っている。

 日常がたった一回の躓きによって、ガラスみたいに呆気なく壊れることを。

 その一回によって、ルキアは温かく幸せだった日常を失った。


 最初に思い出すのは、冷たい床と枷の感触。鉄格子越しから見上げる夜空を見つめ、壁の間から吹く隙間風に身を震わせる毎日。

 分厚い木の扉が開いて中に入ってくる黒いローブ集団に、涙を浮かべながら逃げようとも枷のせいで部屋の端まで逃げることができない。

 無様に逃げる自分を無機質な目で見つめ、欲で汚れマークった無数の手が痩せ細った己の体を押さえつけて――。


「うぅっ……!」


 そこまで思い出して吐き気を催したルキアは、口元に手を当てて激しく咳き込む。

 胃の中からこみ上がってくる胃酸をなんとか吐き出さず戻すが、口の中が胃酸独特の味で広がっていく。

 すぐさま校舎内のトレイに入り、手洗い場の水道水を口の中に含ませると口内を洗浄させる。


 何度か繰り返す内に口の中が水の味しかしなくなり、ようやく一息つく。

 鏡に映る顔色の悪い自身の顔を自虐的に笑い、水で濡れた口周りをハンカチで拭う。


「……何をやっているのよ、ルキア。これから大事な任務があるでしょ? こんな時に醜態を晒す暇すらないわよ」


 ブツブツと鏡に映る自分自身と自問自答を繰り返し、心を落ち着かせていく。

 何度目になるのか分からない自答を終え、もう一度鏡に映る自身を見る。

 再び見る鏡の中の自分は数分前と同じ顔つきをしており、服の襟を直しながら気を引き締め直す。


 再びいつもの自分に戻ったルキアはキャラメル色の髪を靡かせながら、トイレを後にした。



「やっぱ屋台料理は炭水化物系ばっかりだね……。ソースの匂いで鼻がおかしくなりそう……」

「まさか嗅ぎ飽きた抹茶がこんなところで恋しくなるとはな……」


 校庭の一角に設けられた休憩スペース。袴姿から制服に戻った日向達は、校庭に並んでいる屋台から買ったものをお昼ご飯として食べていた。

 だが屋台で出る料理は焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、イカ焼き、焼き鳥……ソースや醤油ベースのタレをふんだんに使ったものばかり。

 おかげで口の中がソースとタレの味で九割ほど占めており、口直しとして緑茶を飲む羽目になった。


「女装コンテストって何時からだっけ?」

「確か一四時半だな。このコンテスト、意外と参加人数多いな」


 悠護が持つパンフレットに書かれてある『女装コンテスト参加者一覧』はナンバーが30まであり、クラスや部活など代表して出ているようだ。


「あ、ミスコンもあるじゃない。日向は出ないの?」

「出ないよー、あたしより綺麗な子なんて山ほどいるんだからさ」

「えー、でも前に中学でやった男装コンテストじゃぶっちきりの一位だったじゃ――」

「わあああああああああああああああっ!?」


 京子が隠していたい過去をブッ込ん出来て、誤魔化すように日向は大声を叫ぶ。

 だが見事に聞き逃さなかった悠護は、京子の口を必死に手で塞いでいる日向を見ながら亮に訊いた。


「……なあ、男装コンテストってなんだ?」

「俺が中一の時にやったコンテストなんですけど、その時日向先輩が姉貴と一部の男子の推薦で出ることになったんです。で、その時の写真がこれなんですけど……」


 亮はスマホを取り出して写真アプリを起動させる。『文化祭』のアルバムをタップし、目的の写真を画面に表示させてそれを悠護と心菜に見せる。

 写真には髪を高く一つに結い上げた執事姿の日向が写っていた。顔ははにかんだ笑みを浮かべているが、正直に言ったとそこらにいる男子よりも似合っていた。


「おいウソだろ、執事服をここまで着こなせる女子っているか?」

「い、いないと思う……」

「ふぅ……、やっと京子を黙らせた……。あれ? 二人とも何見てってああああああああああああああああっ!?」


 息を切らせながら戻って来た日向は、亮のスマホに表示されている執事姿の自分の写真を見て悲鳴を上げる。

 せっかく黒歴史暴露を回避したのに、まさかの伏兵によってバラされた。身内の裏切りにショックを受けてテーブルの上でうつ伏せになる日向に、悠護が労うように肩を叩く。


「ま、まあその……執事服、似合ってたぜ! そう落ち込むな!」

「いや落ち込むよ! 隠したかったのにバレたんだから!」

「でも、どうして隠してたの? 別におかしいとことはないよ?」


 心菜の質問に日向は苦虫を噛み潰したように顔を顰めながらも答えた。


「……実はさ、クラスメイトに『執事っぽいことして!』って頼まれたんだよね。あたしも文化祭のノリでオッケーしちゃってさ、陽兄の雰囲気に合わせてやってみたんでけど……」

「それが予想外にウケがよくてさ、調子に乗ってコンテストの間じゃなくて一日中執事役やってたんだよね。で、翌日自己嫌悪でめっちゃ後悔するっていう」

「あの頃のあたしは若かったの……」

「いや今も若いでしょ」


 京子によって明かされる黒歴史を聞き続けることができず、日向は一パック残っていた焼きそばを手に取るとそのままヤケ食いする。

 口の周りに青のりやかつおぶし、ソースをつけるという普段では考えられない豪快な食べ方をする日向に、悠護は苦笑しながら「ヤケ食いするのはいいが口の周りは気をつけろ」と言ってポケットティッシュを取り出し、パートナーの口周りを拭ってあげた。

 悠護にされるがまま口を拭わせている日向を見て、小学校から彼女を知る二人は心菜に詰め寄りヒソヒソと小声で訊ねる。


「……ねえ、本当に付き合ってないの? あの二人」

「あれ完璧に恋人同士がやるようなヤツだよな……?」

「え、えっと……あはは……」


 恋人と疑われるほどの仲の良さを無自覚に疲労させる友人達を相模姉弟が信じられないものを見る目つきで見て、心菜はなんて説明したらいいのか分かず、ただ苦笑を浮かべるだけだった。



☆★☆★☆



『さあ始まりました、毎年恒例『女装コンテスト』! 今年も選りすぐりの猛者達がこの場に君臨するぜー!!』


 校舎を背景にする陽に設置された特設ステージでは、司会役の男子学生の声がマイクに反響して校庭全体に響き渡る。

 誰もが参加者達の女装姿がどんなものなのか想像しており、いつでも写真を撮れるようにスタンバイしている。


「おい、こっちだぜー!」


 ギルベルトの身支度と化粧を担当していた樹が見渡しのいい席を確保してくれたおかげで、立ち見を回避した日向達は彼のいるベンチに座る。


「お疲れ。ギルの奴はどうだった?」

「相変わらず堂々してたぜ。衣装も化粧も申し分ない、一位になれるだろ」

「樹くんって魔導具作るだけじゃなくて、料理も化粧もできるなんてほんとに器用だね」


 確かに、樹は手先を使うもの全般は得意だ。

 魔導具作りと料理は入学当初から知っているが、化粧もできることはこの前の準備期間の時に初めて知った。


「俺のおふくろ、仕事以外てんでダメでさ。代わりに親父が家事も化粧もやってあげてたんだよ。俺もその影響で色々やってな、いつの間にかこんなに腕が上がったんだよ」


 樹の口から語られる話に全員が納得していると、彼の右手の中指にシルバーリングがしているのに気づく。

 何も彫られていないシンプルなデザインで、中央に輝く青い石が特徴的だ。


「その指輪何? そんなの持ってたっけ?」

「ん? あー、これ昨日完成したばかりの自家製魔導具……っていっても、失敗作だけどな」

「失敗作?」

「ああ。前に自動発動オートモード機能付きの魔導具を試しに作ったんだけどよ、これが意外と難しくてな。いつもと同じ魔力入れると発動するヤツになっちまった。でもせっかく作ったのに使わないのは勿体ないと思ってつけたんだよ。カッケーだろ?」


 そういって指輪を見せる樹に、悠護は「おー、似合ってる似合ってる」と棒読みで褒めた。

 樹がその反応に文句を言おうとした直後、ステージから鼓膜が痛いほどの大音量の音楽が流れる。どうやらこの音楽が開始の合図の役割になっているらしい。


『まずは記念すべきトップバッター! エントリーナンバー1、野球部企画の『根性焼きそば』の持田先輩ー!』


 一番最初に出て来た持田の恰好は、オーソドックスなメイド服。

 だがゴツい体格のせいで今にも服が引きちぎれんばかりというひどい有様で、当然ながらブーイングの嵐が起こる。


「うっわ、想像よりもヒデぇな……」

「でも更衣室でチラ見した限りだと、完成度が高い奴もいたぜ」

「全部見なきゃ分からないってことかぁ」


 時間を有効活用するために、次々と現れる参加者達。

 たこ焼き屋をやっていた二年E組の浮船は純白ウェディングドレス姿で登場するも、濃い化粧のせいで化け物扱いされた。捨て身としてブーケトスをするも、誰一人として花束を受け取らなかった(というより避けていた)。


 体育館で『下剋上シンデレラ!』という演劇をしていた演劇部の笛木はシンデレラ姿で竹刀を片手に持って登場するという雄々しい姿を見せたが、ウィッグの下から覗く坊主が風が靡くたびにチラチラ見せるせいで笑いを堪えるのに苦労した。

 ちなみに『下剋上シンデレラ!』は、継母と姉二人に虐げられ続けたシンデレラの堪忍袋の緒が切れてしまい、魔法使いを待たず国家転覆を考えた悪徳大臣を捕まえて、王子のハートをもぎ取ってゴールインするというハチャメチャなストーリーらしい。


 時間のせいで見に行けなかったが、学園祭後に食堂や教室に設置されたテレビで演劇の様子が流されるらしいので、絶対に見ようと日向は誓った。

 それでもやはり上というものがおり、三年B組の中野原の白雪姫姿は見事なものだった。

 クラスの中で顔面偏差値が高いらしく、一部の三学年の女子達が「キャアアアアアアアッ!!」と黄色い応援をかける。


「おー、スッゲー盛り上がってますね」

「これギル大丈夫なのかな?」

「安心しろ、あの王子なら多分やってくれるはずだ」


 亮の横ではらはらしながら心配する日向の横で、悠護が軽い調子で慰める。

 中野原がステージに消えると、司会が声の調子を整えながら口を開く。


『んんっ……えー、次はまさかの人物がコンテストの登場します! ラストを飾るのはエントリーナンバー30! 一年A組企画の『和風茶屋』のギルベルト・フォン・アルマンディン様ー!』


 さすがに一国の王子をくん呼び出来なかったのか、様呼びにした司会の声と共にギルベルトが登場する。

 見事な袴姿を見た瞬間、黄色い応援が凪いだ水のように静まり返った。

 誰もが見惚れ、言葉を失う。それほどまでに、ギルベルトの姿は美しい。


 薄すぎず濃すぎないナチュラルメイクの顔は艶やかに映えて、袴や上衣の裾が揺れる度にそこから見える白い肌からは隠しきれない色気が滲み出る。

 ガーネット色の瞳でする流し目は蠱惑的で、一目見ただけで目を逸らすことはできないほどの魅力を感じた。


 男のはずなのに女を凌駕する魅力を纏わせたギルベルトは、日向達の姿を見つけるとふっと小さく笑う。

 口紅を塗った赤い唇が小さく動くその仕草さえ美しく、赤椿の髪飾りをつけた金髪のウィッグを靡かせながら舞台を退場する。

 まるで魔法にかけられたような夢見心地の中、最初に司会の意識が戻って慌ててマイクを口に当てた。


『え、えー、では! 全ての参加者が登場しましたので、皆様お手元のスマホをお使い、パンフレットにQRコードがありますので、そこから投票おいれてくださあい!』


 司会に言われてパンフレットの隅にQRコードがあり、それを読み取ると投票画面が出てくる。日向達はギルベルトに票を入れると、画面には『集計中…しばらくおまちください…』のメッセージが出てきた。

 しばらくすると『集計が終了しました』とメッセージが出てきて、ステージ上の巨大画面には『結果発表!!』とポップな文字で表示されている。


『さて、集計が完了しました! 今年度女装コンテストの優勝者は一体誰だー!?』


 司会の声に合わせてドラムロームが鳴り響く。

 パッと切り替わった画面には参加者の投票数が棒グラフ形式で表示され、そのグラフが短かったり長かったりと個人差があった。

 それでも今も伸ばすグラフもあり、そのグラフの持ち主は中野原とギルベルトだ。


 二人の票は中々の接戦で、まるで競争するかのように徐々にグラスが長くなる。

 だが、そのグラフの片方がピタッと止まる。止まったのは、中野原のグラフ。

 ギルベルトのグラフは中野原を追い越し、数センチというあたりで止まった。


『決まったー! 優勝者は一年A組企画の『和風茶屋』のギルベルト・フォン・アルマンディン様だあああああああ!!』


 司会の耳をつんざくような声と共に大きな歓声と拍手が起きる。

 想像以上の盛り上がり中で日向達も拍手を送ると、壇上では司会から小さいトロフィーを渡されるギルベルトの姿が。

 光り輝くそれを掲げながら不敵な笑みを浮かべるギルベルトに、周囲の歓声がワンランク上がり、近年稀にみる盛り上がりを見せるのだった。



 そんな最高潮の盛り上がりを見せるコンテストを遠目で見ていたルキアは、冷めた目つきのまま視線を逸らすと黒くてゴツい通信機の電源を入れた。


「こちら、ルキア。指示通り、〝人形〟を投入しなさい」


 通信機の電源を切ると、彼女の背後でインフェルノが現れる。

 灼熱の炎を纏わせる女鬼騎士は、いつでも戦闘に入れるように剣を構えた。


「――さあ、任務開始よ」


 そう呟いた直後、どこからともなく現れた〝人形〟の破壊活動が始まる。

 それが、日常が壊れる合図となった。

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