第23話 無慈悲な結末

「――まあ、こんなもんか」

「すっげぇ……」

「うん……」


 鉄の棒をくるくる手で回しながら魔法陣の中に入れる陽と、目の前にある光景に樹と心菜は息を呑む。

 目の前には援軍としてやってきた『獅子団』が二人で倒した『獅子団』に混じって倒れており、改造魔導具も無残に破壊されている。


【五星】豊崎陽が得意とする魔法は、空間干渉。テレポートみたいに別の場所へ転移したり、物を異空間に収納させたりする高度な魔法だ。

 一般の魔導士では空間転移しても距離はたった八〇メートルで、転移できる質量は一五〇キログラムほどなど制限がある。


 それと比べて陽は色んな点で規格外なのだ。距離や質量の制限はなく、転移や収納にしか使われなかった魔法を戦闘として巧みに利用することは、魔導士どころかIMFすら目を疑いそれでいて全く新しい使い方だった。

 彼がこの魔法と棒だけで王星祭レクスを五回も勝ち進んだ事実は、世界を震撼させるほどの大ニュースだったことを樹は今でも覚えている。


 そんな大物が今目の前にいて、自分達の担任であることを改めて再確認する中、陽は服に着いた汚れを軽く叩きながら落としながら生徒のいる方へ足を向ける。

 リリウムは陽が登場した際に自分の役目は終わったと言わんばかりに消えていて、それを見ていた樹はあの魔物がこうなることを見越して消えたのだとなんとなく分かった。


「二人とも、怪我ないか?」

「大丈夫です」

「俺も。それより日向と悠護が心配ですよ」

「ああ、白石もやけど『獅子団』も厄介や。特にリーダーの堂島は魔導士家系の出やから恐らく他の奴よりは魔法が使えるはずや」


 魔導士家系の人間は両親や親戚が魔導士であることが多く、子供が魔導士として目覚めると一族ぐるみで魔法指導する。

 中には免許書持ちの魔導士とほぼ互角に戦えるほどの腕を身につけることができるため、もし魔導士崩れになってしまったら対策が難しくなる。


 魔導士界の現状には陽も頭を悩ませているが、IMFが魔導士崩れ用の政策を作っていないのが難点だ。今度IMFにこのことを直訴してみようかと思いながら、陽は今の鬱屈な気分を晴らすためにパンッと手を叩く。


「ともかく、まず悠護を見つけたらすぐに日向の救出に向かうで。二人とも、日向が向かいそうな場所に心当たりあるか?」

「日向が向かいそうな場所……ですか?」

「あいつのことやから、周りに被害が届かない場所へ行くやろな。ならこの島で島民が近づかない場所があるはずや」

「そういわれてもな……」


 陽の言う通り、彼女ならそういう手段を取るだろうが、生憎樹と心菜も場所の特定まではできない。

 さすがの陽でもこの小さくも広大な島を把握しておらず、三人で頭を抱えていると、ガサッと枯れ葉が踏む音が聞こえてきた。


 新手かと思い臨戦態勢を取るも、木々の間を縫うように現れたのは全身ずぶ濡れの悠護だった。

 彼の体は足も手も小さく痙攣しており、樹達を見た途端に両膝を地面につけた。


「悠護ッ!」


 慌てて悠護の元に駆け寄り、俯いた顔を覗き込む。普段は血色のいい顔が今では薄っすらと青白い。倒れそうな体を支えると服越しからでも分かるほどの冷たさが手から伝わってくる。

 遅れて駆けつけた陽が悠護の痙攣を繰り返す手と顔色を見ると、微かに眉を寄せる。


「……なるほど。『束縛コンペディブス』喰らったな? 指の痙攣はそれの後遺症やから間違いないやろ。しかもこの水……海水やな、いくら五月でも水温はまだ低いはずや。災難やったな」

「……別に、これくらい……」

「強がるなや。とにかく黒宮はワイが抱える、早く日向のところに―――」


 瞬間、陽達から数キロ離れた場所から激しい轟音と黄金色の魔力が現れた。

 音をした方を見た陽は顔色を青くした。


「今の……『千里星矢ミッレ・パッスウム・ステラ』か!? まさか、あそこにおるんか!?」

「おいおいおい、マジかよ。確かそれって殺傷ランクA+に入る魔法だろ? あんなの喰らったらひとたまりもねぇぞ!?」

「っ……!!」

「あ、悠護くん!?」


 陽と樹の会話を聞いて血相を変える悠護は足を動かそうとするも、すぐに地面に倒れる。

 体に土や枯れ葉をつけてもお構いなしに立ち上がろうとする彼に、心菜は急いで生魔法をかける。


「無茶しないで。今の状態じゃ、とてもじゃないけどあそこまで辿り着くの難しいよ……!」

「だからって、ここで、じっとしてられるかよッ……!」


 地面についた手を強く握りしめる悠護の悲痛な声に、心菜は黙ってしまう。

 彼がこうなるまで戦ったのは、全て日向を守るためだ。なら彼女の元へ行こうとする彼の意思は理解出来るし、できることなら尊重したい。

 だが心菜の目から見て、今の悠護は安静しなければいけない。魔法による肉体的ダメージは物理的攻撃より強く体に残るものだ。


 もし今の状態で行かせたとしても、その前に彼の体が限界を迎えて倒れてしまう。

 それでも芋虫のようにもがきながら立ち上がろうとする悠護をどう止めればいいのか分からずにいると、横から樹が悠護の腕を取るとそのまま自分の肩に回す。


「……樹?」

「ったく。お前といい日向といい、ちょっとは他人を頼れよ」


 呆れ顔でため息を吐く樹。その顔を見て悠護の顔はぽかんとした。


「俺はお前達の事情とかはあんま知らねぇけど、無茶ばかりするバカなのは分かってる。だからこそ放っておけないし、手を貸したいって思う。……だからさ、少しは俺達に甘えてくれよ。俺達はお前らの、ダチなんだからよ」


 嘘偽りのない真摯な言葉。語る樹の顔も普段の明るさを引っ込めた真剣なもので、それを見た悠護は顔を俯かせる。


「……ごめん」

「ああ」

「ありがとう……」

「……どういたしまして」


 たったそれだけの会話で悠護の体に入っていた余計な力が抜ける。やれやれといった感じで肩を竦める樹は、一度肩を抱え直すとそのまま轟音のした場所へ歩き出す。

 それを見ていると彼らの後ろにいる陽が顎をくいっと動かし、先を促すを見て心菜は慌てて三人を追いかけた。



☆★☆★☆



「がぁああああああああああああああああッッ!?」


 堂島の全身を赤紫色の魔力が電気のように走る。バリバリバリッ!! と嫌な音と彼の絶叫が建物中に響き渡り、しばらくすると止んだ。

 そのまま地面に崩れ落ちる堂島の体は一見何ともないように見えるが、それでも彼が魔法にかかったことはさっきのを見て明らかだ。

 そんな一部始終を日向は震える体に鞭を打って立ち上がると、《アウローラ》の銃口を彼に向ける。黒光りするそれを見て、堂島は力弱い笑い声を上げる。


「くくくっ……やられたぜ、まさか魔石ラピス魔法中身が『封印シギルム』だとはな……。しかも対象者を『魔石ラピスに魔力を注いだ者』に限定してやがるとは……」

「……そうしないと、勝てないと思ったんです」

「確かにな」


 日向の答えに堂島はまた力弱い笑い声を上げる。

 あの赤紫色の魔石ラピスは、合宿前日に「陽が念のためにと用意してくれたものだ。魔石ラピスに入っていた魔法『封印シギルム』は、相手の魔力や身体能力を封じる呪魔法だ。


 魔導士は魔石ラピスを駆使して苦手な魔法を補うことが一般常識とされており、中には魔石ラピスを数百個貯蔵している人もいるらしい。だがそれは相手にとって対抗する術を用意するようなもので、魔導士崩れから魔石ラピスを奪われ状況が悪化することもある。

 今回はそれを裏手に取ったもので、まさか向こうもこんな魔法を入れているとは思っていなかったようだ。


「そいつのおかげで俺は魔法を使えないどころか、テメーを殴ることすら難しい。……くそっ、ダッセェ終わり方だな」


 銃口を向ける日向に対して何もせず、ただこれから先にあるだろう未来を受け入れている。

 さきほどの獰猛な覇気とは真逆の諦観を見せる彼に、日向は訊く。


「……なんで、そう簡単に諦められるの? あたしがこの引き金を引いたら、死ぬかもしれないんだよ……?」

「……そうだな」


 どこか他人事のように言ったと、堂島はジャケットの内ポケットから煙草の箱を取り出すとそこから一本取り出す。取り出した煙草を口に咥え、ライターで火をつけるとそのまま吸い始める。

 その動作すら魔法の影響で少し遅く、緩慢な動きで煙草の煙を口から吐き出す。


「どっちにしろ俺達には未来なんてものはねぇ。今までのは……ただの悪あがきだ、俺達魔導士崩れはただの社会のゴミじゃねぇってことを知らしめるためのな」

「…………」

「結局、俺達がしたのは世間様からみりゃただの破壊活動だ。理解どころか未来を望むことすら許されねぇんだよ。……だから、俺はいつ死んでもいいんだよ」

「…………本当に?」

「あ?」

「本当に、死にたいの?」

「――っ」


 日向の言葉に堂島は口をつぐむ。彼のダークブラウンの瞳が微かに迷いで揺れたことに気づいた。

 堂島の言ったことは、全部本心だ。でもその本心は、本当の本心を隠すために用意した偽りの本心だ。


 かつての日向も、両親がいないことや一人で留守にすることがあると周りの人は言ってきた。「大丈夫?」「辛くない?」って、その時に言ったのは必ず「大丈夫です」だった。でもその「大丈夫」は彼と同じ偽りの本心で、本当の本心はずっと「大丈夫じゃない」と泣き叫んでいた。

 だからこそ分かるのだ、彼の言葉が全てそうなのだと。


「死にたいなら、お望み通りあたしが殺してあげる。でも、それはあなたの本当の本心を聞いてからでないとしない」

「何、言って……」

「だから聞く。……堂島猛、あなたは本当に――死にたいの?」


 その問いの答えは、嘘も虚勢も許さない。自分自身の心の、本来あるべき姿で答えろ。

 有無を言わせない日向の目を見て、堂島はしばらく呆けた顔をすると思うと顔を俯かせる。

 そしてフィルターを噛み千切る音が聞こえると、まだ半分以上残っている煙草が落ちた。


「……死にたいかって? そんなの、死にたいわけねぇじゃねぇかっ!! なんのために俺達は汚ねぇ泥水を啜ったと思う? なんのために世間に抗ったと思う? 全部、全部、生きるためだ!! たった一度試験に落ちたくらいで捨てやがった親に、その辺のゴミを見る目で見てくる奴らに、たまたま魔導士になれただけのクソ共に、生きる場所を奪われないためだッ!!

 それなのに……それなのに……ちくしょう! ちくしょう! ちくしょうッ!! 俺達が何したんだよ!? ただ生きるために抗うことの何が悪いんだよ!? 俺は……俺達は、ゴミなんかじゃねぇ、人間なんだよ! たとえ魔導士になれなくても俺達は人間だッ! なら、俺達にも生きることを許されてもいいじゃねぇかよぉおッッッ!!!」


 堰を切ったように溢れ出る激しい怒りと悲しみ。喉が潰れることすら厭わない叫びに胸が締めつけられる。

「ちくしょう……ちくしょう……」と呟く堂島を見て、日向は《アウローラ》をホルスターにしまう。

 彼の言う通り、この世界は魔導士と一般人だけじゃない、彼らのような魔導士崩れも生きることを許さなければならない。

 けど今の世界が彼らを拒むというのなら――


(変えたい)


 誰も悲しまず、苦しまない世界に変えたい。魔法のせいで不幸になる人を笑顔にしたい。

 それが、日向の目標であり夢。実現するために日向がすることは、ただ一つ。


「……ちくしょう、ちくしょう…………あ?」


 ――彼のような人に歩み寄ることだ。


 目の前で跪き、そっと手を伸ばす日向を見て堂島が怪訝そうな顔をする。

 だけど日向は反対に笑みを浮かべる。かつてお母さんが、家族にも貧しい人達にも向けていた笑みを。


「……なら、もう一度やり直そうよ。然るべき法に裁かれて、罪を償って、そしてまた新しい道の一歩を踏み出そうよ。それくらいなら、誰だって許されると思うよ?」

「………………」


 子供じみた言い訳に聞こえたかもしれない。けれど今の日向には、こんな言葉しかかけられない。

 たとえそうなっても、ちゃんと伝えたかった。どんな言葉よりも確かで、強い自分の気持ちを。


 日向の顔と手を何度も交互に見る。しばらく同じ動作を繰り返すと、堂島は小さく笑う。

 その笑いはさっきの力弱いものではなく、ただ純粋な呆れからくるものだった。


「……お前、意外とバカだな」

「バカでもいいよ。それで笑顔になってくれるなら」

「……笑顔、か……。そんなの、しばらくしてねぇな俺ら……。いや、そうか……。……なるほどな、それなら仕方ねぇか」


 そう呟いた堂島の顔は、憑き物が落ちたように晴れやかなものだった。

 骨ばった大きな手がこっちに向かって伸びてくる。あと二〇センチ、あと一〇センチと距離が縮まる。


 ついに〇センチになると瞬間―――


「――――えっ?」


 目の前の光景に理解が追いつけず反射的に出た素っ頓狂な声は、堂島の叫びによって潰された。


「ぐぅ……がはっ……あぁああああああああああああああああああああああああッッッ!!?」

「な、何……!? 何がっ、どうなって……!?」


 手から徐々に侵食するそれは、一目見て魔法による攻撃だと分かる。けど、一体どこからなのかが分からない。


(どこかに魔導士がいる!?)


 聖天学園の人間でも、『獅子団』でもない、第三者が堂島を殺そうとしている――?

 理解の追いつけない事実が日向の頭の中を襲うが、それよりも苦痛に耐える堂島の声が耳に入る。


「ぐぅうううっ! クソッ、最初からそのつもりだったか! だからコイツの情報を……やってくれたな、あのクソガキ……ッ!!」

「……っ! 早く、早く手を掴んで!! そうすればあたしが無魔法で――!」


 そうだ。日向には無魔法がある。日向の手を掴めば、彼は助かる。それなのに…………今も魔法によって苦しむ彼は、手を取ってくれなかった。

 こうしている今も、堂島の体は黒く変色して行くのに。手を取れば助かるのに、何故!?


「どうして取ってくれないの!? 早くしない取って! そうしないと死んじゃうよッ!!」


 お願い、手を取って。たとえ自分を狙った人でも、死なせないし死なせたくない!

 けれど、ついに顔にまで黒く変色した堂島は、必死な形相をする日向を見てニカッと笑う。

 その笑顔は、どこか子供っぽいけど穏やかなものだった。


「……嬢ちゃん、その手は自分の大事な奴のために伸ばせ。俺は……最期に俺を助けてくれようとするお人よしがいるってことが分かっただけで、充分だ」


 彼は告げる。優しく残酷に、日向にとって遺言と言える言葉を。


「――じゃあな、幸せになれよ」


 瞬間、彼の体は一瞬にして黒い灰へと成り果てた。肉も、骨も、血液も、髪の毛一本さえも残さないまま、灰と化した。

 ただ彼が着ていた服と指輪型の専用魔導具、そして獅子が刻まれたドッグタグだけが残っていて、それが『堂島猛』という人間がいたことを伝えた。


 目の前で人が何も残さず死んだことに理解が追いつけず、その場に座り込む。震える手でドッグタグを手に取り、そのまま力強く握りしめる。

 地面に灰色のシミができる。理由は分かっている、日向が流す涙でそうなっているのだ。後悔が混じった涙で地面のシミが増える中、日向の耳に懐かしく感じる声が聞こえてきた。


「――日向ッ!!」


 名前を呼ばれて顔をあげると、そこにいたのは悠護、樹、心菜、それから何故か陽。

 日向が泣いていることに気づくと、樹に肩を借りていた悠護が覚束ない足取りで駆け寄って来た。

 そのまま日向の顔にしゃがみ込み、そっと指で涙を拭ってくれた。悠護の体からは薄い潮の匂いがした。


「大丈夫か? 一体何があった?」


 指で涙を拭うことをやめない悠護の質問に、日向は震えた声で答える。


「……さっき、堂島がいて……彼は、やり直そうとしてた……。でも、いきなり体が黒くなって、そのまま……灰に……っ。あたし、救えなかったっ! 無魔法が、助かる方法が、あったのに……何も出来なかったっ!」

「……そうか。辛かったな」


 日向の体を抱き寄せ、そのまま顔を自分の肩に乗せる悠護。それによって潮の匂いも強くなった。

 抱き寄せられた瞬間、半乾きの服の上から伝わるぬくもりに涙腺が崩壊する。

 さっきより多くの涙を流し、嗚咽を漏らす日向を余所に、陽は堂島だった灰を一つまみ指で取る。


「呪魔法やな。しかも魔力の残滓から見てここには日向と堂島しかおらんかった。……となると、魔導具による遠隔操作、か。なんにせよ胸糞悪い真似しよったな」

「っ……陽、兄ぃ……」


 嗚咽交じりに陽を呼ぶと、彼は優しい笑みでこっちを向いてくれた。


「……なんや?」

「せめてっ……供養して、あげたいっ……。このままは、やだよ……っ!」

「……せやな。都内の霊園に魔導士崩れ用の共同墓地があるんや。そこに供養してあげるわ」

「あ、あり、がとうっ……!」

「うん」


 それを皮切りに、日向は悠護の肩を濡らしながら再び泣き始めた。

 争いの痕が残る建物の中、ここいる日向以外のみんなは誰も口を開かなかった。

 ただただ、涙を零す日向の鳴き声しか聞こえなかった――。



「はぁ~あ、結局こうなったか。想定内だけどさ~」


 日向達がいる旧公民館から遠く離れた場所、正確に言ったと森の中で一番大きな木のてっぺんの太い枝に座る少年はつまらなそうに口を尖らせる。

 少年の手には色んな布を縫い合わせたツギハギの人形が握られており、見た目はあまりよろしくない。むしろ呪い人形と言った方が分かりやすい代物だ。


 そもそもこの人形は『仕置きの人形ポエナ・プパ』という魔導具で、対象の髪の毛などを人形の中に入れ、そのまま魔法をかけることで対象に遠隔操作による魔法攻撃ができるのだ。

 堂島が殺した原因の人形を少年はポーンッと手の中でで投げる動作を繰り返すも、やがて飽きたのか宙に浮いた瞬間に真っ赤な炎に包まれ灰になる。


「よいしょっと、まあでも面白いものも見れたしよしとしようかな」


 年相応の可愛らしいかけ声をかけながら枝の上に立ち上がると、少年は灰色の瞳を細める。


「……でもあの子、やっぱり『彼女』だったね。見た目は同じだし、それに何よりあの善人ぶり――見ていて吐き気がするよ」


 遠い場所にいたにも関わるまるでその場で見ていた物言いをする少年は、嫌悪感で顔を歪める。

 だがその顔はほんの一瞬で、無邪気な顔に戻る。


「んー、でも力の方はまだまだだったなー。あの様子だとまだ眠ってるのかな? ……なんにせよ、やっと僕らの野望が果たせられる」


 少年は頬を紅潮させながら、枝の上でくるくると回りながら笑う。

 まるでサンタを心待ちにする子供のように、それは本当に楽しそうに笑う。


「ふふっ、早く目覚めないかなー。そうすれば主はとっても喜ぶよ。なんせ君は……主にとって世界で一番憎くて、世界で一番愛してる女性だからね。――だから、主が我慢してる内に早く起きてね、豊崎日向ちゃん?」


 そんな独り言を言った少年は、枝から後ろに向かって跳ねる。

 背後の先にあるのは、眼下に広がる森。普通ならそこから落ちたらひとたまりもない。だけど、森の中には落下音も木々の枝が折れる音も聞こえなかった。


 何故なら紅いフードを着た少年は、まるで幻のように消えてしまったのだから――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る