第14話 琥珀色の魔石
聖天学園の購買には、一日二〇個限定の商品がある。
その商品の名は『エメラルドメロンパン』。着色料を使っているため鮮やかな黄緑色をしたクッキー生地はサクサク、パンは時間が経ってもまるでケーキのスポンジみたいにふんわりかつしっとりな食感をしている。エメラルドメロンパンの名前の由来も表面のザラメが大きく、光に照らすと輝いて見えることからきている。
その色とザラメの輝きでいつしか生徒の間では人気商品の一つとなり、あまりの人気ぶりのせいで製造が追いつかず個数が限定されてしまったためすぐ売り切れてしまう。
つまり、何が言いたいかというと――。
「ぜぇっ……はぁっ……、おら買ってきてやったぜ……っ!」
超人気商品を人数分手に入れるのは至極困難。成功するには途轍もないタフさと素早い行動力が必要とされる。
結果、悠護の無茶ぶり注文を見事にこなした樹は死屍累々の体で教室に帰ってきた。ぐったりした様子でエメラルドメロンパンを机に置いた。
「おー、お疲れ」
「だ、大丈夫? すっごい汗かいてるけど……」
「あ、ああ、大丈夫だ……。正直エメメロの人気ぶりを甘く見てたぜ……」
「エメメロ?」
「エメラルドメロンパンの略語だろ」
「あー」
樹がエメラルドメロンパン――エメメロを買ってくれるということで、今日のお昼は購買のパンだ。
購買といっても見た目はコンビニそのもので、早朝でも外とは変わらない品揃えだった。きっとエメメロだけじゃ足りないと思って他の菓子パンや総菜パン、それから飲み物を買っておいたのは正解だった。
エメメロは確かにエメラルドと呼んでもおかしくないほどザラメがキラキラと輝いている。ただこれだけでお昼を済ませるにはちょっと物足りない感じだ。
ちなみに日向はイチゴジャムパンとフルーツ・オレ、悠護はカツサンドとカレーパンとコーヒー牛乳、心菜はタマゴサンドとオレンジジュース、樹はてりたまサンドとコロッケパンと牛乳だ。
全員が揃ったことで、日向達はさっそく樹が死ぬ気で買ってきてくれたエメメロを頬張った。
入学して初めて食べるエメメロの味は正直にいうと日向が想像していたよりずっとおいしく、これが人気なのも分かる気がした。
スポンジ生地が水分を奪うせいで喉が渇き、素早くフルーツ・オレを飲んでいると樹は鞄から四つの付箋が貼られた、背表紙の『魔法全集』の金文字を目立つ本を取り出した。
魔法全集は文字通りこれまで確認されている魔法をまとめた本で、無魔法と召喚魔法以外の九系統魔法には初級・中級・上級と分類されている。
これは聖天学園に入学した生徒全員に配布されるもので、卒業までの三年間使う大切な教科書。まあ魔法にもかなり種類あるから辞書並に分厚いが。
「合宿まで時間ねぇからあんま難しくないかつ俺達に合う魔法を選んだぜ」
そう言いながら樹は机の上に魔法全集を広げ、付箋が貼ってあるページを捲る。
「まず悠護は相手の身体能力を落とす呪魔法の『
「『
「そ。お前の無魔法は今の魔法の中じゃ最強だ。一回きりだがそれを使えたら無敵だと思うんだよ」
『
魔法の付与は誰にでもできるが『
「でも前に干渉魔法は素養がないと無理って陽が言ってたよね? 大丈夫かな?」
「多分先生は俺みたいな『物理法則に干渉する』系統の魔法が無理ってだけで、それ以外のやつなら大丈夫ってことじゃねぇのか?」
「まあ物理法則に干渉する奴って魔法操作もだけど影響力もあるからなぁ」
「影響力?」
初めて聞く言葉にフルーツ・オレを飲みながら首を傾げると、樹は一度てりたまサンドを頬張り咀嚼し、それを牛乳と一緒に喉に流し込んだ。
「干渉魔法って使い方次第によっては地球にも影響する時があるんだよ。例えば太陽光を干渉できる魔導士がいるとするだろ、そいつがもしどっかの街中で膨大な太陽光を放出させたら、そこにいる奴らはどうなると思う?」
「えっと……そこの人達もその影響を受ける?」
「そう。例として出したが、太陽光に含まれる紫外線は皮膚ガンの発症要因になるってすでに証明されてる。その場合だとそこにいる奴らは間違いなく皮膚ガンを発症する。つまり、物理法則に干渉する魔法は使い方一つの違いで人間を殺すことができるんだ。……日向。お前には、そんな魔法を使える自信はあんのか?」
そう言われて日向の背筋が凍った。
魔法が犯罪として使われてしまうこの世の中では、何の力のない非魔導士達にとっては脅威そのものだ。簡単な初級魔法でも重傷を負わせるなら、それ以上の魔法ならまるで野花を手折るようにあっさりと命を奪えるのではないか?
考える度に嫌な想像が止まらず、無意識に自分の体を抱きしめている日向を見て、悠護は樹の頭を叩き、心菜は日向の背中を優しく擦った。
「いでっ!」
「アホ、何怖がらせてんだよ」
「わ、悪かったよ……」
「大丈夫だよ日向、そうならないようにIMFが厳しく取り締まってるんだから」
「そ、そうだよね……」
日向の父もIMFの一般職員扱いだったけど、元々は魔導犯罪課に配属されていた。
規模問わず魔導犯罪が起きれば警察と共に事件解決のために動く課であり、殉職率も高い職場であった。
父は時間干渉――特に自身が特定した時間の先の未来を見る魔法を得意とする魔導士で、それによる功績は課の人間の中では多い方だった。
でも出世欲がなく、家族を養える金さえ手に入れれば問題ないと豪語していた父は課の中で一番の変わり者。どんなに上司が頼んでも出世も異動もしなかったそうだ。
選民思想主義の魔導士の中では異端扱いされたが、それさえも気にしない父の存在に当時の職員は羨望の眼差しを向けられていた、と休日に一緒に出掛けた時に陽が話してくれた。
「ま、まあそういう理由があるからお前には無理って言ったんだと思うぜ。悪ぃな、怖がらせちまって」
「う、ううん、気にしてないよ。むしろ納得した」
額が机に付きそうなほど頭を下げた樹に、慌てて手を振って彼の頭を上げさせていると、悠護がズズーッと音を鳴らしながらコーヒー牛乳を飲み干した。
「とにかく、今日は訓練場で言われた魔法の練習しようぜ。今日も第三訓練場の個別訓練場借りられるようにしといたからよ。もちろん先生が付き添いでな」
「前から思ってたけど……悠護くんはどうやって訓練場の使用許可もらってるの? しかも私達四人だけっていうとかなり難しんじゃ……」
心菜の言った通り、訓練場の使用許可はなるべく全生徒に行き渡るようにしている。
魔法の腕を上げたいのはどの生徒も同じ。それなのに、いつも悠護は訓練場の使用許可をもらいに行くと日向達以外の姿はない。
ずっと疑問に思っていただけに気になり、じーっと悠護を見つめると彼は諦めたようにため息を吐く。
「あー、その……家の名前使ってもらってんだよ」
「家のって……『黒宮』を!?」
驚いた日向の言葉に、悠護は気まずい顔で頷いた。
悠護の家、黒宮家は『
七色家は魔導士界だけでなく一般社会にも強い影響力を持ち、魔導士の頂点とも言える存在。そんな彼らの家の権力に取り入ろうと、多くの家が一族の誰かの伴侶になるために蜘蛛の巣のような策略を巡らせている。
現に日向も入学当初、その件で一部の女子からやっかまれ、魔導士の裏の顔というのを嫌と言ったほど見た。
それは悠護も同じで幼少の頃から汚い大人を見続け、自身を出世の道具として扱われなかった過去から、彼は魔導士の身でありながら魔導士嫌いとなってしまった。
そんな悠護が家の名前を使うこと自体天地がひっくり返るほどの事実であり、パートナーである日向ですら初めて聞いた話なのだ。
樹も心菜も悠護の事情を知っているが故に目を見開いて驚いており、そんな日向達を見て悠護は答えた。
「……俺だって最初は使う気はなかったんだよ。でも前に訓練場の許可もらえなかった時、先生に『家の名前使え』って言われたんだよ」
「陽兄が?」
「ああ、もちろん最初は断ったんだ。『俺は家の名前を使う気はない』って、でもあの人言ったんだよ。『権力っちゅーのはいつでも使える時に使えるアイテムみたいなもんや。そのアイテムのおかげで少しでも多く守れる手段が手に入れるんなら、使わないなんて勿体ないで。権力は、本来そういう使い方をするもんなんや』って」
兄がそんなことを言っていたことに驚くが、かく言った日向も陽の言葉で決めたこととかも結構あるためその気持ちは分かる。
「……それ言われた時、完全に目からウロコだったんだ。権力って自分が好き勝手にできる遊び道具みたいなモンだって思ってたからさ、そういう使い方もあるんだと考えたら……使ってもいいかもしれないって思ったんだ」
「そうだったんだ……」
「もちろんさすがに毎日は無理だから、訓練場使うのは週に三回にしてもらってる。事務室の奴らの説得も結構骨折ったけどな」
気まずそうに笑う悠護だけど、学園が所有している量産型魔導具の管理もしてる事務室にとって、一個人の事情で訓練場を長時間貸すこと自体許可できないのだ。
たとえ七色家の人間であっても、そもそもこの学園は平等を主に運営している。国家の重鎮の子息の頼みであっても、一人だけ特別扱いするのはできないのだ。
それを分かった上で頼み込んだ悠護の努力は、事務室が根負けして週に三日とはいえ日向達だけで訓練場を使えるようにしたのはとてもすごいと思う。
事情を聞いた日向達はしばらく黙っていたが、日向は机の上に置かれていた悠護の手を取る。
「……悠護、そこまでしてくれてありがとね。でもせめてパートナーのあたしくらいには話してほしかったかな」
「あ、それは……ごめん」
「ううん、謝らなくていいよ。悠護のおかげであたし達は少しずつだけど魔法の腕が上がってるだしさ。でも、次からはちゃんと相談して欲しいかな。そうじゃないとあたし、パートナーとして何も出来なくなると思うからさ」
正直なところ、悠護は自分の問題は自分の力だけで解決しようとする節がある。
今までの家庭環境が複雑だったことと、話を聞いてくれる人がいなかったことが原因だろう。だけど今は悠護の話を聞いてくれる人も、手を取ってくれる人もいる。
彼はもう、独りではないのだ。それだけは分かってほしかった。
日向が伝えたいことに気づいたのか、悠護は瞠目しながら樹と心菜の方へ顔を向ける。心菜はいつもの優しい笑みを浮かべていて、樹は歯をむき出しながら笑っていた。
樹は椅子から立ち上がると、腕を伸ばし悠護の髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「ま、そういうこったな。次からはそうしろよな。俺達はもうダチなんだからよ」
「そうだよ。困ってることがあるなら言ってね、私もできる限り協力するから」
二人の言葉に悠護は何か言おうと一度口を開けようとするが、その口は笑みに変わる。
「……そうだな。分かった、なるべく話せるように努力してみる」
「おう、その意気だ」
太陽みたいに笑う樹につられて日向達も笑みを浮かべる。
これで悠護の一人解決が軽くなればいいが、多分それは難しいだろう。一度身についてしまった習慣というのは簡単に消えるものではない。
たとえ日向達が何度も諭しても、問題が起きてしまった時に彼はたった一人でどうにかしようとするだろう。
いくらパートナーでも、一ヶ月前までそうであった日向が何を言っても恐らく説得力なんてない。
(あたしもまだまだなぁ……)
あの新入生実技試験で本当の意味でパートナーになれたと思ったけど、どうやらそこに辿り着くのは険しいらしい。
自分ももっと頑張らないと、と思いながらパックの中に残っていたフルーツ・オレを一気に飲み干した。
☆★☆★☆
「なるほどな……まあこの魔法なら別にかまへんで」
「よかったぁ、もしこれがダメだったら俺の努力が水の泡でしたよ」
「まあ選んだのがこれよりちょっと上やったらアカンいうたけど、これくらいなら許容範囲や」
今日の授業が終了し、個別訓練場にやってきた日向達は樹が厳選した魔法(悠護のアドバイスつき)について話すとお許しが出た。
今回の合宿の引率の教師は陽ではなく、クラスごとにいる副担任五人だ。どの人も学園の教師としての腕は確かだが、魔導士としての実力は平々凡々なため陽自身も少し心配していたらしい。
日向からすれば陽が引率として選ばれるべきなのだと思うが、
学園の警備を任されている魔導士はIMFから派遣された選りすぐりなのだが、近年魔導犯罪集団の勢いは徐々に増している。
仮に陽が不在になってしまった際に襲撃されたら、たとえ警備がどれだけ尽力しても被害はもちろん死者が出る可能性は高い。
その危険性を少しでも下げるために陽にはなるべく学園にいて欲しい、という思惑があるらしい。
理屈では分かるけど、まるで兄が道具扱いされているみたいで嫌だった。
「ほな、ちゃっちゃとやるで。時間は有限や。一分一秒も無駄にしたらアカン。まず先にやるのは……日向やな。ガラス玉はちゃんと
「もちろん」
日向は通学鞄の中からビー玉より少し大きめのガラス玉が数個入った袋(税込みで三〇〇円ちょうど)を取り出す。
魔導具の核となる
「よし。ほんならやり方教えたる。まず最初にガラス玉を一つ出し」
陽の説明を聞きながら、封を解いて袋からガラス玉を一つ取り出した。
「んで、それ以外は別の場所に置いて、取り出したヤツは両手の平の上に乗せる」
「えっと、こうかな……?」
残りが入った袋を今いる場所から少し離れた所に置き、両手をコップのように作る。
吸石はちょうど両手の間に転がり、照明の光を受けてキラキラと輝いていた。
「そう。それで、そこからイメージするんや」
「イメージ?」
「せやで。分かりやすいって言ったら、そやな……コップやな。水が注ぎ入れられるコップを想像しぃ」
「……想像……」
陽のアドバイス通りに従い、日向はコップを想像する。
喉が渇いた時、蛇口を捻ると水が出てくる。透明なそれを何も入っていないコップに注ぎ入れる。
受け止める場所が徐々に水が入り、縁が届くギリギリまで満たされる。その時感じる重たさと冷たさは、目を閉じていても思い浮かべられる。
「『
詠唱を唱えた直後、日向の頭の中でピチャンと水音がした。それを合図にいつの間にか閉じていた目を開ける。
手の中にあるガラス玉はさっきまで透明だったのに、日向の髪と瞳と同じ色をした琥珀色に染まっていた。同じ石のはずなのに色がついた途端、光の角度で蜂蜜色にも赤色にもなる。
幻想的な輝きにしばし見惚れていると、
「……うん、初めてにしちゃ上出来やないか。よし、とりあえずある分だけ作っとき。あ、これワイも貰っといてええか?」
「え、ああ、うん、いいよ」
できたばかりのそれを弄りながら陽は自主練をしていた悠護の方へ歩き出す後ろ姿を横目に、日向は新しいガラス玉を取り出した。
再びイメージし始める日向を一瞥した陽は、手の中の
「ホンマに大丈夫なんやろか、今年の合宿は……」
その呟きは、日向達の耳には届かなかった。
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