第127話 呆気ない決着と新たな戦い

(あれは一体なんだったんだ……?)


『決闘』から一夜明け、まだ日が昇らないうちに目が覚めた琢磨は、教壇の前で授業の説明をする教師の話を右から左に聞き流しながら自分の手の平を見つめていた。

 あの時、自分ではない『何か』の声に誘われるように魔力を暴走させた記憶まではある。だが、日向が無魔法で互いの魔法を打ち消した際の一瞬の空白があった。


(あれは普通の暴走とは違った、それは確かだ)


 確証はしている。けれどそれをちゃんとした知識と言葉で断言できるものを持っていない。

 ふと電子黒板を見てみると、画面には『魔導士の魔力について』と書かれた大きめな文字と、小さめの文字でその詳細が絵付きで表示されている。


 魔導士の魔力は、魔核マギアを中心に血管と同じように流れている。魔力は魔法を行使する時のみ目視出来、さらに強い魔力を発生させると体中に回路模様を浮かび上がらせる特徴がある。

 さらに魔核でも足りない魔力を生産のために、己の器官を魔核と誤認させて補わせる荒業、『疑似魔核プセウド・マギア』もあるが、これは魔力枯渇を防ぐための最終手段として用いられている。


 数百年から現代まで発見された魔力の暴走の原因は、三つしかない。


 一つ目は、魔力の制御の見誤り。これは初心者も上級者も問わず失敗するパターンで、魔力を集中しすぎて爆発を起こす事例はかなりの数がある。

 二つ目は、精神の不安定。魔導士というのは何時如何なる時でも冷静を保たなければならない。精神の不安定は魔導士としてまだ未熟と見做され、魔導士家系出身者は幼少期から精神の安定の修行をさせたれる。

 そして三つ目は、過度な精神への負担。これは二つ目と同じものだと思うが、実際はそうではない。どんな人間でも絶望に繋がる言葉や出来事に遭えば、強靭な精神なんて一瞬で崩れてしまう。過去に絶望の淵に立たされ、通常の暴走より広大な被害をもたらした。


(もしかしたら、昨日のあの暴走はその三つ目が関係してるかもな)


 もしそうならば納得もできる。それでもただ一つだけ、分からないことがある。

 あの時、自分の耳元で全ての努力を踏みにじる発言をした『何か』の正体。

 あの声を聴いた時は目の前が真っ暗になったせいで分からなったが、今思い返すと聞き覚えがあった。


(……いいや、聞き覚えてるのは当然だ)


――あれは、


 人を小バカにする口調のせいで一瞬分からなかったが、べらべらと不愉快な言葉を吐き出す声は自分のものだった。

 何故あの時、自分の声が聞こえたのか。何故あの声は、自分を絶望に貶めようとしたのか。

 分からないことだらけだ。だけど、一つだけ言えることはある。


(【五星】に勝つ。それだけに集中すればいい)


 内容が普通とは違うが、相手はあの陽なのだ。

 最強の魔導士の一角として名を連ねている彼との勝負は、『決闘』以上に本気を出さなければならない。

 静かに意気込んだ琢磨は、見つめていた手の平をぐっと握りしめた。



 授業を終えた陽は、職員室に戻るとすぐ自分のデスクの席に座った。

 デスクの上には彼が担当している科目の教科書や学校関連の書類が入ったファイルが二つのブックスタンドを挟むように立っており、教職に就いた頃から愛用しているノートパソコンはスリープモードになっている。

 そのノートパソコンの上には昨日備品倉庫から持ち出した白い鉢巻があり、それを見つめながら息を吐く。


「よー、陽。昨日はよくもメンドな仕事押し付けやがったなコノヤロー」


 目の下に隈を作ったヴェルが額に青筋を浮かべながら現れると、陽はけろっとした顔で椅子にもたれかかる。


「それくらいの時間外労働くらいせや。じゃないと、お前が貰っとる給料の割りに合わん」

「うっせーな、こっちだって意外と働いてるんだよ」

「へぇぇ~? ちなみに、そのポケットから出てる馬券はなんや?」


 ヴェルのポケットから溢れ出んばかりの馬券を見て、ヴェルは「ゲッ」と声を出しながらそれらをシュレッダーの中に放り込んだ。

 大方、私物化してる第二準備室で競馬でも観ていたんだろうと察しがついた。というか、教師が学校で賭博行為をするなと言いたい。


「はぁ……くだらん賭け事してるヒマがあるんなら、昨日の仕事くらいやりぃ」

「何言ってんだ陽、仕事っつーのは全力一〇〇パーセントでやるもんじゃねぇ。九九パーセントのサボりと一パーセントの全力でやるものだ」

「んなわけあるかいなアホンダラッ!!」


 世界中の教師に喧嘩を売る発言をした悪友に全力一〇〇パーセントで突っ込むと、陽は深いため息を吐きながらそのままデスクの上に突っ伏した。

 自分の反応を見てヴェルは「さあて、今日のレースは~」と言いながら、新聞の載っている競馬のページを読んでいるのを見てさらに頭を抱えた。


 ――ダメだこいつ、もう手の施しようがない。


「そーいやよー」

「なんや」

「お前、なんで山吹にあんな条件出したんだ?」


 唐突な質問にデスクから顔を上げると、ヴェルは新聞から顔を逸らさないまま言った。


「『決闘』の再戦なんてそのまま了承しちまえばよかったじゃねぇか。なんでわざわざこんな回りくどい真似してんだ?」

「……別に。ただ、勘違いしとる子はなるべく早く自尊心を折らな力が伸びない。それを思い知らせるためや」


 陽の答えにヴェルは目だけを一瞬彼にやるだけで、そのまま「ふーん」と言いながら納得した。

 毎年新入生の中には周りにちやほやされて『自分は別だ』だと思い上がっている子が多く、そういった相手には自分が井の中の蛙だと思い知らせるため、新入生実技試験がこの時期に設けられているのだ。

 ちなみに、これは教師陣しか知らない秘密事項で、生徒はただの『実力試し』という認識しかない。


 ただし七色家の分家ならば他の家との実力の差はあり、たとえ新入生実技試験でもその力の差に他の生徒が圧倒されてしまう可能性がある。

 ならば、たとえハンデをつけてもこの学園に勤める教師が相手にして、自分の力を改めて知らなければならない。

 自分がどれだけ、周りから甘やかされ、本当の実力を発揮しないままなのかを。


 学園中にチャイムが鳴る。このチャイムが鳴り終われば、あとやることははHRだけだ。

 陽は鉢巻を後ろのポケットに入れて、席に立つ。教師の顔と最強の魔導士の一角の顔を半々に持った友人の後姿を見て、ヴェルは買い溜めしていた缶コーヒーを手に取る。


「相変わらずメンドな生き方してんな、あいつ」


 そんなことを呟きながら、片手でプルタブを捻った。



☆★☆★☆



 放課後、第一訓練場には昨日と同じメンバーが揃っている。

 第三訓練場は昨日の件で『壁』の調整が万全ではなく、急遽この第一訓練場を借りることになった。

 フィールドには昨日と同じく魔装を着た琢磨と、いつもと同じ格好で、手には穂を外した《銀翼》を持ち、頭に鉢巻を巻いた陽がいる。


 ハンデの条件の内容は、陽は魔法使用は禁止、パンチやキックなどの体術と《銀翼》を用いた棒術の攻撃はあり。

 対して琢磨は魔法使用もなんでもありだけど、それさえも琢磨にしてみれば、恐らく随分と舐め腐った行為だ。


 だが、最強の魔導士の一角という名は自分達が想像している以上の力を持っている。

 むしろ本気なんて出したら、琢磨なんかあっという間に潰れてしまう。本人もそこはちゃんと理解しているおかげで先ほどから挑発的な言葉を投げかけてこない。


「それじゃ、試合を始めるよ。準備はいい?」


 二人がいるフィールドには、今回の審判役である怜哉がいる。

 今回は昨日みたいな事態は起こらないという陽の判断で審判役を日向から怜哉に変わったが、本人は別段気にする様子もなく審判役を引き受けたのだ。

 怜哉の言葉に二人は無言で頷くのを見て、右腕を上げる。


「それじゃ――始め」


 淡々とした合図が出た直後、琢磨はすぐさま紙を取り出し山吹色の魔力を放出させる。

 まさかの開始直後の『百万紙舞デキエス・パペル・コルス』の発動だ。


「行けッ!」


 琢磨の声に呼応して、百万の紙片は様々な属性の魔法を纏って陽に襲い掛かる。

 だが陽は顔色一つも変えずに紙片の攻撃を躱す。時に両腕両足を動かし、首をほんの少しだけ傾け、時にはその場でそのまま回る。

 紙片はどれも陽の肌どころか服すら掠めることすら出来ず、攻撃に失敗した紙片は琢磨の元へ戻っていく。


(やはり、こんな単調な動きでは掠りもしないか)


 この攻撃は単なる様子見だ。

 そもそも【五星】である彼に自分の攻撃がそう易々と受けるなんて考えていない。

 だが、その中にも必ず勝機はある。


 再び紙片を一点に集中させ、巨大な紙の竜巻と化したそれを陽にぶつける。

 紙片は魔力が帯びているだけだが、周囲に琢磨の魔力が拡散し本人の魔力の反応が見つけにくくなる。

 周囲に散漫した琢磨の魔力に陽が眉根を寄せているのを見て、すぐさま身体強化の魔法をかけて駆け出す。


 紙片の魔力による錯乱、目つぶしの攻撃は今の琢磨にできる苦肉の策。

 もしこれが普通の試合ならば、琢磨は陽を傷つけることも、地面に背を倒すこともできない。

 でも、あの鉢巻さえ奪えばチャンスが得られる。


(あれさえ、あれさえ手に入れば俺の悲願が叶うんだ!!)


 足に力を込めて、陽の背後に回り込む。

 彼の長いポニーテールの間から見える鉢巻の裾に向けて手を伸ばす。


『――お前は、『駒』以下だ。分不相応な夢を持ち、野望を叶えようとする愚か者。それが、『山吹琢磨』という男の本性なんだよ!!』


 脳裏にあの時の言葉が響いてくる。

 認めたくないけれど、あの時の自分の声をした『何か』の言葉は全部図星だ。

 本家入りなんて、他の分家から見たら愚かに見えて、それを実行しようとする自分はさぞ滑稽に見えるだろう。


 諦めろ、と何度も言われた。

 分不相応だ、と何度も聞かされた。

 何が不満なんだ、と何度も問われた。


 ――諦められるか!


 たとえ手に届かないと分かっていても、手を伸ばさずにいられない。 


 ――分不相応なんて知るか!


 ならばその地位に見合う者に、力ある者になればいい。


 ――不満なんて山ほどある!!


 現状を変えずに、ただ『駒』という立ち位置に満足して生きる分家達に。

 無理だと勝手に決めつけて、自分努力を嘲笑う七色家の恩恵に擦り寄る連中に。

 そして、口で豪語しときながら悲願に近づけない自分自身に!


(たとえ愚か者でも、俺はここで引くわけにはいかないんだッッッ!!)


 声に出さない魂の叫びは、琢磨の背後にいつの間にか現れた黒い影に確かに届いた。

 微かに見える口元に笑みを浮かべると、黒い影は砂となって消えていく。

 その気配も様子も知らない琢磨は一心不乱に手を伸ばす。


 あと数センチ、そうすれば望みが叶う。

 勝利を確信して笑みを浮かべた直後、ぐるんっと陽の体がこっちを向いた。


「なっ――」


 思わず声を漏らした直後、《銀翼》を持っていない陽の手が琢磨の額に近づいた直後。

 バチンッ!! と高い音が響き、額に衝撃が走った。


 デコピン。

 陽がやったことは、至極単純なこと。

 だが決して軽いとは言えない一撃は、琢磨の脳を震わせた。


「――魔力による目くらましはよかったで。でもな、目くらましにやる魔力の量が多い。そのせいであんたは魔力枯渇を起こしとるの気づいとらんのか?」

(……魔力、枯渇……?)


 陽の指摘を聞いて、琢磨はようやく自分の体の動きが鈍くなっていることに気づく。

 どうやら体の中にあるはずの魔力がほとんど感じられず、無意識に放出する魔力の量を見誤ったらしい。

 ようやく気付いた事実に目を見開いたまま倒れていく琢磨を、陽は悲しそうな顔で見つめる。


「……すまんな、山吹。この勝負、あんたの負けや」


 はっきりとした敗北宣言をされた琢磨は、そのまま仰向けのままフィールドに倒れる。

 魔力枯渇の影響で体が上手く動かせず痙攣する琢磨を見遣りながら、怜哉は静かに告げた。


「――勝負あり。勝者、豊崎陽」



 あまりにも呆気ない決着に、誰もが無言で黙り込む。

 動けない琢磨を怜哉が運んでいるのを見ながら、日向はさっきの戦いの様子を思い出す。

 あの時、肌が微かに痺れる魔力を纏った紙片が渦巻き、陽を取り囲んでいた。背後まで接近した琢磨の顔と気迫は思わず見ているこっちさえ気圧されてしまうほどだった。


 だが、陽のデコピンで倒れた彼の顔は、まるで泣きじゃくる寸前の子供の顔で、この勝負に本気で挑んでいたことが痛いほど伝わってきた。

 現に観客席下の壁まで運ばされた琢磨が小さく「クソ……ちくしょう……」と呟いている。

 頬から涙は流れなかったが、俯いて髪で隠れた顔から見える口がギリギリと音が鳴るほど歯を食いばらしていた。


(山吹くん……)


 もし彼が魔力の量を見誤らなければ、勝算はあったかもしれない。

 だがその勝算の可能性も微々たるもので、陽に勝つことは難しいのは変えようもない事実。

 ふと隣にいる悠護がじっと琢磨を見つめていたが、おもむろにフィールドに近づきそのまま上に上る。


「悠護……?」


 様子のおかしいパートナーに日向が首を傾げると、悠護は陽と向かい合った。


「ん? どないしたん、黒宮?」

「先生。連戦で悪いけど、俺とも戦ってはくれねぇか?」


 その発言に、日向だけでなくその場にいる全員が目を見開いた。

 陽の強さはすでに周知で、実技の授業でも陽と手合わせした生徒達は軽くあしらわれていた。

 彼の強さを日向の次に知る者達にとって、悠護の発言はあまりにも突然すぎた。


「……なんでや? 別にワイと戦う理由はないやろ」

「そうだな、本音を言えばねぇよ。でも……ただ純粋に、あんたと戦いたいって思えた」


 悠護の真紅色の瞳はただ真っ直ぐに、陽を見つめる。

 その瞳に宿っているのは確かな戦意と強者へ挑もうとする強い決意、たったそれだけだ。

 あまにも愚直に挑もうとする教え子の姿に、陽は苦笑しながら鉢巻を結び直した。


「――分かった、そこまで言ったならええで。黒宮、勝負や」

「ああ」


 陽の言葉を聞いて嬉しそうに顔を綻ばせる悠護は、左手のブレスレットに魔力を流すと姿を変えて、双剣モードの《ノクティス》が姿を現し、陽は《銀翼》を両手で構えだす。

 突然始まった二人の対決に、誰もが固唾を呑んで見守る中、樹の喉がごくりと鳴る。

 直後、それを合図に二人は同時にフィールドを蹴り上げて、真っ直ぐに相手に向かって駆け出した。

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