第126話 内緒話と退屈
琢磨と香音の『決闘』が無効試合にされた夜、日向達はギルベルトの部屋に集まっていた。
話し合う前に夕食を済ませている五人は、ギルベルトが淹れてくれた紅茶に舌鼓を打つ。彼が愛飲している茶葉は、王室御用達にされているものばかりで、味も香りも他のものと比べ物にならないほど美味しい。
「それにしても、山吹が陽先生との勝負、あれ完全にイジメだよな」
「そ、そうだね、少しやりすぎかも」
「言っとくけど、俺もさすがにやりすぎって思ったから違うのにしようと言ったんだぜ? けど……」
「けど?」
「あの人が『現実を見るにはちょうどええくらいや』って一蹴しやがった」
「………………そっかぁ……」
なんとか気を落ち着かせようと紅茶をもう一度飲んでいると、ふと思い出したかのように樹が茶菓子のクッキーを食べながら言った。
「あ、その話で思い出したんだけどよ。あの時の琢磨の魔力、ちょっとおかしくなかったか?」
その言葉にここにいる全員は彼に同意見なのか、神妙な顔つきで黙り込んだ。
「それは俺も気になっていた。あれは一体なんだ? 暴走じゃねぇよな?」
「う、うん……多分あれは違うと思う。よく分からないけど、あれはとても危険な感じがした……」
「俺も『目』を使って見たんだけどよ、山吹の魔力の流れがおかしくなってたぜ。あれを『ただの暴走』って言葉じゃ片付けじゃいけねぇ代物だった」
堕天のことについて何も知らない三人の会話を横で聞いていた日向は、ここで言ったべきか言わないべきか迷っていた。
堕天については国際魔導士連盟が機密度Aに認定した情報だ。かつて希美が堕天によって変貌した姿を見た日向は、それを知ったせいで魔導犯罪第一課の紺野真幸と橙田灯から直々に口止めされたのだ。
(ギルも口を開いてないってことは、多分堕天について知ってるってことだよね……。みんながそう簡単に誰かに話すってことはないのは分かってるんだけど……)
それでも話すことに抵抗を感じてしまう。
大切な仲間であり友人であるからこそ、堕天に関する情報を話したくない。
心の中で唸り声を上げながら、クッキーをリスみたいにサクサクと齧っていると、紅茶を飲み干したギルベルトがカップをソーサーに置いた。
「山吹琢磨のあれは、ただの魔力の暴走ではない。堕天という魔導士の現象だ」
「ごほっ!?」
こっちの葛藤を露知らず、あっさりと話したギルベルトに驚いて思わず噎せてしまう。
クッキーがちょうど気管に入ったせいでごほごほと咳き込む日向の横で、悠護達は訝しげな表情を浮かべた。
「堕天? なんだそれ、初めて聞いたぞ」
「当たり前だ、機密度Aの情報だからな。ちなみに漏洩したら査問委員会による裁判と二年の監視が付くから注意しとけ」
「おい! 今サラッとやべぇことに巻き込ませやがったぞこの王子!?」
あっさりと魔導士界の闇の先っぽに触れさせた王子にツッコむ樹だが、やはり『決闘』での琢磨の様子と関わりがある堕天について気になるのか、聞く態勢になっている。
本音を言えば日向も詳しいことまで知らないので、その話に加わることにした。
「堕天というのは、魔導士の魔力の暴走のその先に起こる現象だ。これによって姿が異形に変わり、通常の数倍もの力を行使することができる。現にこれまでこの現象に遭い、我を失った魔導士が起こした事件は少なくない。中には一つの都市を滅ぼしたという例もあるほどだ」
「うっわ、マジか……。でもなんでそんな大事なことを誰も話さないんだ?」
「アホめ、もしこのことが世間に知られてみろ。差別派の活動が活発化し、世界各国で暴動が起きる。たったそれだけの情報で、一体どれほどの血が流れると思う?」
ギルベルトの言葉に部屋の空気が一瞬で重くなる。
もし堕天が世間に知れ渡ったら、自分達の身など想像しやすい。強大な爆弾を抱えるモノをどこかに閉じ込め、もし抗おうとするものならば問答無用で殺される。
そんな来てほしくない未来が脳裏に浮かび、冷や汗が流れていく。
「……そういうわけだ。あまり周りに言いふらすなよ」
「言えるかよ、こんなこと……」
げっそりと陰鬱な表情を浮かべる樹のために新しい紅茶をカップに注いだ心菜が
「でも、山吹くんはどうしてその堕天に遭っちゃったの?」
心菜の純粋な疑問にギルベルトが答える前に、日向が先に口に開いた。
「……堕天は、魔力の暴走に加えて魔導士本人の絶望や憎悪が一定値以上上昇した時に起こるの。多分山吹くんも、そのせいで堕天しかけたんだと思う」
「なんでそんなこと、お前が知ってんだ?」
「……『灰雪の聖夜』で、桃瀬さんが堕天した姿を見たから……」
瞼を半分伏せてカップの持ち手を指先で握りしめた日向を見て、これ以上は何も聞けなくなった面々は無言で口を閉ざす。
『灰雪の聖夜』の出来事は、誰もが心に消えない傷痕を残した。当時のことを思い返すだけで後悔がやってくる。
再び漂い始めた暗い雰囲気を払拭するかのように、ギルベルトが咳払いを一つした。
「ともかく、このことは山吹の奴には伝えん方がいいだろう。バレたら面倒しか起きないからな。……ところで、残った紅茶をアイスティーにするが、どんなのがいい?」
「あ、じゃあセパレートティー作ろうよ。ジュースある?」
「ああ、好きに使え」
ギルベルトがポットを持ちながら問いかけると、心菜がすぐさま席を立って冷蔵庫の中を確認する。
あまりにも自然の流れで気づかなかったが、あの二人の機転で空気がすっかり一変したことに気づくと、残った三人は顔を見合わせながら苦笑した。
『ともかく、このことは山吹の奴には伝えん方がいいだろう。バレたら面倒しか起きないからな』
「――こっちにはまる聞ごえなんだよね~」
聖天学園本校舎地下五階に存在するセキュリティルーム。
その部屋の主であり【
この学園には校舎や施設だけでなく、学生寮と職員寮にも監視カメラが設置されている。もちろんプライバシー保護のために通常切っているが、非常事態に備えてAIが『危険性アリ』と判断した場合のみ稼働する。
今回、ギルベルトの部屋に設置された監視カメラが機密度Aの情報を話し始めたからだ。
監視カメラに仕込ませたAIは、部屋にいる人間を中心とした半径一キロ圏内に危険性の高い物体・音に反応仕組みになっている。
堕天はその危険性の高いものとして認識され、今までの会話がこうしてセキュリティルームを通じて伝達されてしまった。
「まったく、王子はともかく妹ちゃんが堕天を知ってるなんで誤算だなー。まあ桃瀬希美の堕天を間近で見たからしょうがないか」
カタカタと音を立てながらキーボードを叩き、アルファベットと数字の羅列が消えていく様を見つめながらエンターキーを押す。
画面には『DELETE』の文字が浮かび、ギルベルトの部屋に設置されていた監視カメラの映像および音声記録は堕天の話をしていた数分の時間分のみ消去された。
「あとはこれを不自然にならないように偽造映像と音声を作れば~……ほい、できた♪」
再びキーボードを鳴らして操作すると、消去した数分の記録が復元されていく。
映像は一部そのままだが、会話の内容はさっきとは全く別物。
画面の向こうでは誰もが琢磨の変貌について頭を抱え、樹が「分かんねー!」と頭を激しく掻いて叫んでいる。
「よっし、証拠隠滅完了っと。まったくいくら僕の仕事がこの学園を守ることだからって、生徒の尻拭いまでしなきゃなんないのかなー?」
大きく一人で言ってみるが、誰もいないこの部屋では虚しさが勝る。
はぁぁぁぁっとため息を吐きながらリクライングチェアに座りながらぐるぐると回っていると、コンコンッとノックされる。
どうぞー、と気の抜けた声で答えるとドアが開かれる。
靴音を鳴らしながら入ってきた人物を見て、管理者は目をぱちくりさせると回していた椅子を足で止める。
そのままにこっと人当たりのいい笑みを浮かべた。
「おや、これは嬉しいお客さんだ。二ヶ月に顔を見たけど、相変わらず元気そうで何よりだよ」
懐かしそうに目の前の相手を見据えながら、相手の名前を言った。
「聖天学園理事長、
柔和の笑みを浮かべる女性を見て、管理者は優しい顔で微笑んだ。
☆★☆★☆
聖天学園理事長、朝比奈豊子。
第二次世界大戦後、聖天学園創立第一発案者である
魔導士としてのランクは『
それが、豊子という女性なのだ。
「お茶はあるけどお菓子がなくてねー……あ、紅茶もコーヒーもない。緑茶だけだ」
「ご安心を。今日の茶菓子は豆大福よ」
「さっすがー!」
まるでこうなることを読んでいたかのように持参した茶菓子を見せると、管理者は花を飛ばすような雰囲気で緑茶を入れ始める。
豊子の魔法はどれも人並みに使えるが、時間干渉魔法――特に未来を見る魔法に関してならば随一だ。過去に彼女の魔法によって未然に防いだ事件は少なくない。
緑茶を専用の茶器に注ぎ渡すと、同じタイミングで豆大福が盛られた黒の楕円形の皿がテーブルの上に置かれる。
すぐさま豆大福にかぶりつくと、ほんのりと塩味が効いたえんどう豆に甘さ控えめの粒あん、そしてもちもちとした生地が見事に調和している。
「ん~~、美味しい~~。これは絶品だ」
「それはよかった。相変わらずお仕事はお忙しいですか?」
「いつも通りだよ。おかげで僕は今もこうして生きている」
管理者の言葉に豊子が苦笑すると、ふとその横顔を見る。
何年立っても変わらない姿、人をはぐらかす言動、そして彼自身の雰囲気は昔のまま。
それに反し、自分は普通に年老いていく。昔より皺が増えた手を見て過去を思い出した。
豊子が管理者と出会ったのは、まだ五歳の頃だった。
父に連れていかれて紹介されたのは、自分より年上の管理者だった。ぼさぼさの黒髪も姿も今と変わらないが、当時は彼の目は光を失っていた。
目に映すものを全て無機物として見ていた彼の目は恐ろしく、出会って数分で大泣きしてしまったのは今では笑い話だ。
大泣きして自宅に帰った後、父は泣きじゃくる自分に彼のことを話してくれた。
管理者は第二次世界大戦の前線に出ていた軍事魔導士で、時間を操る魔物クロノスと契約を交わしたのは終戦直前だと言った。
クロノスと契約を交わし、強大な力を手に入れた彼はその力であらゆる敵を屠った。時には過去に負った傷を蘇らせて腐敗させたり、丈夫な両腕や両足を老人のような皮と骨しかないものに変えたり、時間を思い通りに動かす彼の存在は、戦場においてもっとも恐れられていた。
戦時中、管理者は英雄の一人だった。
だが終戦後、政府はその強大な力に怯え、彼を消すために仲間だった魔導士達を差し向けられた。
かつての仲間に命を狙われ、一つの土地に留まれない彼は日に日に衰弱していった。そんな彼を戦友である父が見捨てるはずがなく、彼が創立した聖天学園を守る『守護者』としてスカウトした。
管理者の力があれば、どんな強敵だろうと追い払い、未来の魔導士の卵達を安心して羽ばたかせることができると熱弁した父は、彼の始末を決めていた頭の固い政府連中を説き伏せ、なんとか生き永らえることができた。
だがこれまで幾度となく裏切られ続けた記憶は管理者自身を蝕み、唯一信頼できる父以外に心を許せなくなった。
あの目が人間不信によるものだと知った豊子に、父は言ったのだ。
『どうか、彼の心を癒してくれ』と。
最初は父の頼みで渋々とやっていたし、何度も邪険に扱われたが、時間が経つにつれて少しずつ距離が縮まっていたことに気づいていた。
今まで豊子の前では手に付けなかった手土産のお菓子を目の前で食べるようになって、会話もお見合いのような一方的な質問ではなく他愛のない話で盛り上がったり。少しずつ今の彼の人格が形成されていく様を見て、豊子はまるで自分のように嬉しくなった。
やがて成長して、結婚して、子供が出来ても、豊子は管理者との付き合いを続けた。
管理者が子供の名前をつけてくれるほど仲良くなり、父が理事長を辞任して理事長として就任してからは気軽に出向くことはなくなったが、こうして茶を飲む時間くらいの余裕はある。
しみじみと昔を思い出しながら豊子はお茶を一口飲む。管理者が淹れるお茶は長年の経験で培った経験のおかげで、これまで飲んできたお茶の中では一番うまい。
「いつも通りと言ったけど、今年は個性的な子が多いでしょ?」
「んー、そうだねー。無魔法の使い手に七色家、さらにイギリス王子に精霊眼持ち……現代じゃあまり見ない組み合わせだ」
「ふふっ、あなたの退屈を紛らわせてくれる子ばかりね」
長い時を生きる管理者にとって、退屈は最大の敵だ。
世界中に数多くの娯楽があれど、どれも管理者の退屈を紛らわせてはくれない。
この世界のどこかで起きている物語――簡単に言えば事件やトラブルこそが彼の退屈を脱してくれる。
「まあね~、色々と見所がある子ばかりだし、退屈はしないね」
意外と天邪鬼な彼の言葉に、豊子は小さく笑う。
平静を装っているのだろうか、顔はにやにやと今も紡がれている物語がどうなるのか楽しみで仕方がないと言わんばかりに緩んでいる。
(よかったわ、あなたが楽しそうで)
理事長としての仕事がある以上、こうして気軽にセキュリティルームには来られない。
この学園の敷地からは出られず、管理者の世界は広いようでひどく狭い。
そんな彼の退屈を殺してくれる生徒達に豊子は少なからず感謝していた。
数十年も連れ添った大事な友、大切な家族、そして今この腕の中にいる生徒達。
豊子はかけがえのないものをたくさん手に入れていた。
(ああ、私はなんて幸せなんだろう)
この幸せがずっと続きますように、とそう願いながらまた茶を飲む。
――ああ、ここで飲むお茶は昔と変わらず美味しい。
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