第125話 己がための戦い【後編】
琢磨は困惑していた。
今まで何もかも諦めていた濁った目をしていた香音の目が、強い輝きを宿している。その目が琢磨にとって初めて見たもので、何故彼女がここまで心を強くなった理由が分からない。
困惑する琢磨をよそに、香音はマスケット銃を構えると銃口を目の前の相手に向ける。
「ショット」
魔法名でも詠唱でもないただの英単語を言った直後、マスケット銃は引き金を引いていない状態のまま魔力弾が発射。
弾丸の形をした黄色い魔力が襲い掛かるのを見て我に返った琢磨は、慌てて右へ飛ぶ。魔力弾はフィールドに搭載された魔導具の効果で張られた糸のように薄い透明な『壁』に当たり、粉々に砕かれた。
だが壁に残っているクレーターは大きく、パキパキと音を立てながら修復されていく。
(な、なんて威力だ……こんなもの、普通に外で使ったら機関銃なんか玩具当然になる……!)
成典学園の訓練場と大闘技場のフィールドには防御魔法と物体干渉魔法の魔石を原動力にした魔導具が搭載されている。フィールドの外周と審判役は試合時に『壁』に囲まれ、観客席や審判役の身を守ってくれるのだ。
物体干渉魔法は建造物の修復にも利用されており、ほとんどの魔導士がこの魔法を使う時は『修復魔法』と愛称で呼んでいる。
『壁』は大抵の攻撃ならば傷一つつくことないのだが、一部の中級魔法や上級魔法だと『壁』の硬度が耐え切れず傷を作ることもある。
修復魔法は『壁』に傷が生じた場合のみ発動する設定になっており、香音の攻撃で傷ができた『壁』が直っていくのはその機能のおかげなのだ。
(それにあの魔導具、見た目はそのままだがどうやら合図となる言葉を発するだけで魔力弾を放つ仕組みになっているみたいだ。だが、あの銃一挺だけであの威力だとすれば、他の魔導具は一体どんな効果が……!?)
魔導具の製造・管理だけでなく、自らの手で従来の品の威力と効果を超える物を作りだす魔導具技師の頂点・黄倉家。
陰で落ちこぼれと軽蔑してきた少女の急激な成長ぶりには、さすがに琢磨の顔に焦燥を滲ませる。
それとは反対に、香音はマスケット銃の持ち手に埋め込まれた石が薄いレモン色からミモザ色に変わっているのを見て目を細める。
(……やっぱりこれ、燃費が悪いな。一発撃っただけで狙撃可能の時間が五分弱なんて、この場だと明らかに不利すぎる)
これはもう一度回路を組み立てなければと頭の隅で思いながら、マスケット銃を足元に置くと今度はフィールドに突き刺さっていた弓を手に取る。
魔力で生成された矢――
一本目の攻撃を躱すも、残りの魔矢が追尾する。
二本目を躱すも三本目は急激に加速し、魔矢は琢磨の魔装を掠める。
ほんのわずかなほつれを作るも、魔装の効果で修復されていく。だが、この『決闘』で初めて受けた傷を見て琢磨は怒りと羞恥で血が上がる感覚を味わう。
(攻撃された! 俺が、この俺が! こんな……こんな落ちこぼれに!?)
琢磨はこれまで、父のツテでランクの高い魔導士からの指導おいくつも受けてきた。
高ランクである彼らの攻撃は、いくら手加減していようとも琢磨にとっては重症もので、何度も大怪我を負ってきた。
香音も黄倉家次期当主として自分と同じ英才教育を受けていてもおかしくないが、それでも実力は自分の方が上であると自負していた。
なのに、香音に攻撃のチャンスを与えた挙句、魔装とはいて傷を作った事実は琢磨の自尊心を足蹴にされたような気分になる。
大きく舌を打った琢磨が魔装の内ポケットから、白い一枚の紙を取り出す。
その紙を見た瞬間、香音だけでなく七色家の子供達が一様に反応を示す。
「黄倉……どうやらお前は本気で叩きのめさなくてはいけないようだな」
「へえ、やっと本気になったんだ。化けの皮が剥がれたみたいで愉快な気分だよ」
「その減らず口、今すぐ黙らせてやるっ!!」
琢磨の言葉と同時に紙が山吹色の魔力に包まれていく。
魔力を帯びた紙は意思があるかのように細かく千切れていき、親指サイズの紙片へと変わる。
千切れた紙片は手のひらサイズまで拡大するとまた紙片となるのを繰り返していき、その数はおよそ百万。
琢磨の周囲を舞う紙はさながら竜巻のようで、魔力の輝きにも相まって神秘的な風景を生み出した。
「あれが『
「百万の紙片に自然魔法を付与させ、広範囲攻撃を可能とする山吹家の魔法戦法。今の当主様の魔法を見たことあるけど、琢磨もあの魔法をちゃんと物にしているみたいだね」
感心するような口調で呟く悠護と怜哉の言葉を聞いていない琢磨は、腕を使いながら紙片を操る。
琢磨の魔力を宿した紙片は火や水、風を纏いながら襲い掛かるも、香音はそれを紙一重で躱しながらナイフを手に取る。
金色の鍔に細かい模様が彫られたそれが一瞬だけ形がぼやけると、一本のナイフが十本に増え、それを琢磨に目掛けて投擲。
琢磨は紙片を使って弾き飛ばそうとするも、投擲されたナイフは紙片に当たる前に消える。
ナイフの効果に勘付いた琢磨が激しく舌を打つと、今度は紙片で自分を中心にした竜巻を作った。
紙の竜巻に当たったナイフは一本だけで、他のナイフは霧のように消えていく。それを見て香音が指を鳴らすと、ナイフは一人でに動き出し彼女の手の中へと戻った。
「へぇー、あのナイフには幻覚魔法が付与してんのか。奇襲とかにはもってこいだな」
「でも幻を作るのにも上限があるみたいだね。あれくらいなら市販の防犯魔導具でも売ってるよ」
樹の賞賛を辛辣な口調で反論する怜哉だが、その顔には微かに笑みを浮かべている。
怜哉自身も香音の成長ぶりには内心驚愕しており、天邪鬼である彼はわざとそんな口調で本心を隠すのだ。それなりに長い付き合いの悠護はすでに気づいており、肩を竦めながら苦笑していた。
本家二人が香音の姿に感嘆の息を漏らす中、琢磨の内心は全然穏やかではなかった。
(なんだよ、これ……なんであいつはこんなにも強くなってるんだ!?)
堂々とした香音の姿に、琢磨の心が憤怒でささくれ立つ。
ずっと軽蔑する存在だった。七色家には相応しくない出来損ないで、【ガラクタ姫】なんて蔑称を与えられて、そんな彼女は自分の悲願達成のための踏み台がお似合いだと思っていた。
なのに、過去の彼女の姿は消えていて、目の前にいるのは一人の魔導士だ。
(認めない。認めない認めない認めない! こいつが、この俺を超えるなんて、絶対に認めてやるものかッ!!)
ここで認めてしまえば、今までしてきた努力が全て無駄になる気がする。
香音は落ちこぼれで、自分は完璧。そう思い込まなければいけない。
だって、そうしなければ――
(自分がしてきたことは一体なんだったんだ…………?)
『――分かってるくせに』
ふと、耳元で聞き慣れた声がした。
姿を見たくても振り返ることが出来ず、ただ全身が金縛りにあったかのように動かなくなる。
『お前はただの子供だ。『駒』として捨てられることに怯え、目の前の敵の力を認めず、ただ虚勢と見栄だけで『自分は選ばれた人間』だって思い込む道を選んだ可哀そうな道化師。ははっ、ドン・キホーテさながらの滑稽な人間だなお前は!!』
『何か』がケラケラと自分を嘲笑う。
思わず「やめろ」と呟いたが、紙片の中にいる琢磨の声は誰も届かない。
香音が攻撃を何度も仕掛けるも、反撃の様子を見せない琢磨に違和感を覚えた。
『否定するなよ、それがお前の本当の姿なんだ。器が小さくて、意地っ張りで、子供みたいな男。それが『山吹琢磨』の本性なんだ。所詮、お前なんてそんな人間なんだ。お前が『駒』? いいや、違う。お前はそんなご大層な存在じゃない』
聞きたくないのに、その声は語りかけてくる。
琢磨が否定したくて堪らない真実を。決して認めてはならない本性を。
『――お前は、『駒』以下だ。分不相応な夢を持ち、野望を叶えようとする愚か者。それが、『山吹琢磨』という男の本性なんだよ!!』
「黙れ黙れ黙れぇぇぇぇ―――――ッッ!!」
琢磨の大声に反応し、紙片が白から黒に変わっていき、勢いが加速する。
フィールド内では尋常ではない風力が襲い掛かり、その余波は『壁』の外にいるはずの悠護達にも影響した。
「きゃあっ!!」
「心菜!!」
風圧の勢いに負けて壁にぶつかりなりそうになる心菜を受け止める樹だが、そのまま心菜を抱きかかえたまま壁に激突した。
軽く呻き声を上げる樹に心菜が「樹くん!」と名前を呼ぶ声を聞きながら、日向は目の前で起きている現象を見て冷や汗を流す。
(これ……桃瀬さんの時と同じ!? もしかして山吹くん、堕天しかけてる!?)
堕天。それは魔導士の絶望に反応して魔力が暴走から反転域まで到達し、術者自身を醜い化け物姿に変えると同時に強大すぎる力を得る現象。
過去にこの現象に遭った魔導士が甚大な被害を出すという記録があるが、その事実はIMFによって隠蔽されている。
堕天した魔導士は総じて自身の魔力の色と黒が混じった色になるが、今の琢磨はその兆候がある。
(これはもう『約束』どうこうの問題じゃない……!!)
今ここで止めなければ、希美の二の舞になる。
《アウローラ》を構えて、今も激しい拮抗をしあう二人の魔法の間に目掛けて引き金を引いた。
「――そこまでッ!!」
日向の声と共に銃口から魔力弾が発射される。琥珀色の魔力が両者の魔法にぶつかると弾け、全てを無と化した。魔法を無にする『
『
でも『
そんなことを頭の隅で考えながら、魔法が消えて静まり返ったフィールドで呆然と立つ二人に向けて日向は告げた。
「――この『決闘』、無効試合にします」
☆★☆★☆
一瞬、何が起きたか分からなかった。
ただ魔法が今までと違う歯ごたえを感じてそのまま振るおうとしたら、琥珀色の光が現れて真っ黒になりかけた視界を晴らした。
目の前には自分と同じ顔を浮かべる香音がいて、手の平の上に落ちて消えた光の粒を見つめていた。
「――この『決闘』、無効試合にします」
だが次に聞こえてきた言葉に我に返ると、琢磨は理解できないといわんばかりの顔で日向に詰め寄った。
「どういうことですか!? 無効って……『約束』はどうなるんですか!?」
「もちろん双方が出した『約束』も白紙だよ。審判役のあたしがそう判断したんだから」
「ふざけるなっ!!」
日向の言葉に怒りを露わにした琢磨が鋭い眼光で睨みつけるも、彼女は平然としたままだ。
その態度が余計に怒りの炎を燃え上がらせる。
「逆に聞くけど、さっきの山吹くんは完全に制御出来ていなかった。暴走一歩手前ま出来ていて、フィールドだけじゃなくてこの訓練場全体に被害が出る勢いまでいってたんだよ? 黄倉さんには悪いと思うけど、あの状況を考えるとこの判断が適切だって思った」
「でも、俺はちゃんと自分の魔力を制御できるよう教育されている! あのままでも俺はちゃんと戦えていた!」
「……樹、山吹くんが暴走した時のフィールドの『壁』の耐久値はどうなってる?」
「あー、ちょっと待ってろ。今出る」
フィールドの近くでいつの間にか制御盤を弄っている樹に声をかけると、彼は頭を掻きながら答えた。
「どれどれ……うわっ、さっきのせいで耐久値が一〇パーセント以下まで減少してやがる。あのままだったら『壁』が修復不可能になってヤバいことになっていたな」
「なっ……」
樹の言葉を聞いて絶句する琢磨の横で、日向はため息を吐きながら言った。
「……これで分かったでしょ。君は全然魔力を制御出来ていなかった。それでも制御出来ていたと言ったんなら、この『決闘』は山吹くんの反則負けになるよ」
「そ……そんな判定認められるかっ!!」
琢磨が戸惑いを隠しきれない怒りの声を上げる。山吹色の瞳がこれでもかといわんばかりに鋭く睨みつける。
「そもそも本当に無効試合にするものだったのか!? 本当は黒宮に頼まれて俺を勝たせないようにしてたんだろ!? 本家連中が俺を本家入りするのが反対だから、本家と関わりのあるお前が審判役になった! そうすればこの判断にも辻褄がある!」
琢磨の言葉に香音が戸惑いと疑惑が混ざった視線を向けられ、日向はもう一度深くため息を吐いた。
「……まあ、悠護からそういう話を持ち掛けられたのは本当だよ」
「っ! ほ、ほらやっぱり――」
「でも、この判断はあたし自身が出したもの。そこには本家の思惑は一切ない。これだけは嘘偽りない本心だよ」
糾弾しようとする琢磨の言葉を遮って伝えた日向の目は、真剣そのものだ。
これを見て彼女が何一つ嘘をついていないと嫌でも理解するも、琢磨の心がそれを認めることができない。
だがその前に香音がため息を吐きながら言った。
「……琢磨、私もあのままなら多分自分の身も危なかった。ちょっと腑に落ちないけど、あの判断は間違ってなかったよ」
「――黙れっ!!」
その大声に香音が言葉を失うと、琢磨は崩壊したダムのように叫んだ。
「なんだよ、なんなんだよ!! どいつもこいつも俺の邪魔ばっかりしやがって!! 本家入りを目指すのがそんなに悪いことなのか!? 分不相応だと、諦めろと言った連中が正しいのか!? ふざけるなよ!! 俺は今までたくさん努力してきた、嫌なことも全部文句一つ言わないでやってのけた!
なのに……なのに、誰も認めてくれない! 誰も見てくれない! 分家だからって見限られて、『駒』のくせにって陰で嘲笑われた! それを変えたいと思うのはダメなのか!? 一生このままでいるのが正解なのか!? なら、なら俺は、一体なんのためにここまでやってきたんだよ!? なんで努力をした奴が報われないんだよ!? そんなの……そんなのおかしいじゃないかッ!!」
慟哭ともいえるその叫びは、これまで琢磨が抱えてきた傷だ。
自分が受け続けた傷は自分のもの。誰も共感することはできない代物。
「……そうだね、おかしいね。でも、それがあたし達の生きる世界なんだよ」
日向の切ない声音に、琢磨は俯いていた顔を上げる。
目の前にいる日向は悲しみを堪えた表情を浮かべていて、それを見て思わず目を見開いた。
「努力しても報われない。最初から持っている人が上手くいく。それがこの世界の理不尽さ。君もその理不尽に抗おうとしているのは分かるけど、こればかりはどうしようもないことなんだよ。どんなに大切に持っていても、指の間から色んなものが零れ落ちる。それを拾うことは、誰にもできない」
日向だって、救いたい者がいた。それも世界の理不尽によって無慈悲に奪われた。
無魔法なんて大それた代物を持っているくせに、全部を救える力がなかった。
それがどれほど悔しかったか。きっと琢磨は共感できないだろう。それは彼の傷を共感できない自分も同じだ。
本当なら使いたくなかったが、このままでは話がつかない。
そう思った日向は姿勢を正しながら言った。
「山吹くん。君がどうしても『決闘』の再戦を望むなら、一つ条件を出す。もしこれをクリア出来れば『決闘』の再戦を許可します」
「本当か!?」
日向の言葉に希望を見出して顔を綻ばせる琢磨を見て、罪悪感で胸が痛んだ。
「うん……でも、その条件なんだけど……」
そう言いながら日向は視線を背後にいる陽に向ける。
対して陽はその視線を受けて小さく笑うと、自身のズボンのポケットから長い白の鉢巻を取り出した。
「陽兄から制限時間内に鉢巻を奪う、これが条件だよ」
その内容を聞いて、樹や心菜だけでなく怜哉もギルベルトも「うわぁ……」と声を出しながらあからさまに顔を引きつらせた。
最強の魔導士の一角である【五星】から鉢巻を奪う。そんなの誰もやりたがらない無理ゲーだ。
絶句する琢磨の前で「あ、でも山吹くんは攻撃ありでもいいってハンデがあるから! 陽兄は逃げる以外は魔法使わないって制限あるから!」と補足しているが、本人の耳に届いているのか不安だ。
「えっと……どうする? やめたいなら今でも――」
「…………いいや、やる。ハンデありでもこの際構わない」
だがちゃんと補足を聞いていた上で了承したあたり、どうやら内容は理解しているようで安堵した。
「そういわけなんだけど……黄倉さんもいいかな?」
「……まあ、それでこいつが納得するならいいけど」
香音の方も別段反論はなく、琢磨の再戦チャンスをなんとかもぎ取った。
だが彼の顔に微かの不安を浮かべているのを見て、日向は改めてこの条件を出されて挑まなければならない彼に激しく同情した。
(せめて手加減くらいはしてよね陽兄……)
心の中で願ったことが兄に届くようにと思いながら、今日はそのままお開きとなった。
ちなみに、ここのフィールドの魔導具の修理のために時間外労働時間に駆り出された魔導具学コースの教師ヴェルフィス・グロッゼルがその理由を知るや否や、「あんの問題児どもめぇえええええええッ!!」と叫んだことは日向達が知る由もない。
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