第124話 己がための戦い【前編】

 翌日。第三訓練場のフィールドの上で戦闘用魔装を着用した香音と琢磨が、専用魔導具を手に向かい合っていた。

 魔装は魔導具の服バージョンで、服の裏地には身体強化、防御力向上、自然治癒など効果がある魔法陣が縫われている。

『決闘』では危険な戦法を取る生徒もいるため、『決闘』時には必ず着用するよう義務付けられているのだ。


 女子は白、男子は黒を基調としたそれを身にまとう二人は普段とは違う雰囲気を醸し出している。

 そのフィールドの端の中央には審判役である日向が立ち、場外――より正確にいえば観客席の下にある壁には悠護達が一列に並んでいた。

 自身の専用魔導具おいじっている香音を横目に、制服姿で右手に自動拳銃型専用魔導具《アウローラ》を持った日向を見る。いつでも魔法が使える姿勢に琢磨は心の中でなるほどと納得する。


(豊崎日向の無魔法……実際目にしたことはないが、審判役としては最適だろう。それに彼女の無魔法はIMFが隠匿しているのか映像記録がない。ある意味ではいい機会だったな)


 まだ一度も目にしたことのない魔法への好奇心を押さえながら、琢磨は目の前の香音を見る。

 手には彼女の《レギナ》を持っており。自分の左手首には《ウニコルン》をつけている。

 準備は万端。いつでも戦える態勢は整っている。


(今日この『決闘』で勝てば、俺の野望が近づく。遂に叶うんだ、長年抱き続けてきた悲願が……!)


 絶好のチャンスが巡ってきた自身の運に歓喜を抱きながら、微かに震える左手をぐっと握りしめる。対して香音も《レギナ》を握りしめながらも琢磨のことを見ていた。

 日向は陽の方をチラッと一瞥すると、彼は小さく頷くのを見て目線を二人に戻す。


「それじゃあ、『決闘』のルールを説明するね。ルールはこのフィールドから出るか、右胸にあるバッヂを破壊したら勝ち。もし危険な事態が起きたらその場で止めに入って、そのままこの『決闘』を無効にする。それでいいね?」

「ああ」

「はい」


 自分の問いかけに頷く二人を見ながら、日向はもう一度深呼吸して『約束』について話し出す。


「次に『約束』の内容確認です。山吹琢磨が勝者の場合、『敗者の黄倉香音は次回の七色会議で山吹家の本家入りと黄倉家の本家除名を進言する』」


 琢磨の出した『約束』の内容は、IMF日本支部だけでなく他の魔導士家系が聞けば強烈なバッシングを受けること間違いなしだ。周囲が聞けば分不相応と言っただろうが、『決闘』『約束』として出た以上絶対に叶わないといけない。

 琢磨も『約束』が魔導士界においてどれだけ重要視されているのか理解しているからこそ、この内容を出したのだ。


「黄倉香音が勝者の場合、『敗者の山吹琢磨は本家入りを諦める』……でいいの?」

「うん」


 思わず日向が確認を取ると、香音は平然とした顔で頷いた。

 あの琢磨に本家入りを諦めさせるのは、父親の言葉でも変えなかったため至難の業といっても過言ではない。

 香音も『約束』の重要性を利用してこの内容にしたと考えるのは自然だろう。


「あの二人、本気みたいだね」

「ああ。『約束』の内容なんざその場しのぎで考えちゃいけぇねモンだ。二人の内容を聞く限りじゃ『決闘』するのが決まってからすでに考えてただろうよ」

「だろうな。――まあ、それも審判役の判断一つで取り消しになるだろうがな」


 ギルベルトの言葉に、悠護達はフィールドに立つ日向に視線を向ける。

 審判役として立っている日向は、睨み合う後輩二人を見ながら昨夜のことを思い出していた。



「ええー!? あたしが明日の山吹くんと黄倉さんの『決闘』の審判役を!?」

「ああ、日向以上の適役はいないんだ」


 自主トレからの帰りに悠護からのメッセージで実習棟に来いと言われた日向は、そこで二人が『決闘』をする経緯になった騒動を聞いて思わず頭を抱えた。

 心菜が作り置きしてくれているクッキーをつまみながら、悠護は日向が淹れてくれた紅茶を一口飲むと苦笑を浮かべる。


「……まあ、さっきの話を聞く限りじゃ『決闘』でもしなきゃ止まらないのは正論だね。でも、あの二人の場合だと大怪我じゃすまないと思うんだけど……」

「そこなんだよ日向。いくら戦闘用に特化した魔装でも耐久性の限度があるし、あいつらはすでに中級魔法までなら習得している。でだ、これは陽先生と怜哉とも話して決めたんだが……日向、明日の『決闘』、適当なところで無魔法を使って中断させてくれ」

「えっ!?」


 パートナーからのまさかの申し出に、日向は驚きを隠せなかった。

 まだ魔導士歴一年の日向でも、『決闘』と『約束』が魔導士界でどれだけ重要なのか知っている。

 だが悠護が言ったことは、互いのプライドと意地と魂をかけた神聖の戦いを土足で踏みにじることと同義だ。


「でもそんなことしたらマズいんじゃ……」

「普通ならな。でも今回の『決闘』はただの子供の喧嘩の延長戦みたいなもんだ。香音はともかく、琢磨はこのチャンスを機に本家入りのことを『約束』にするはずだ。……でも、いくら『約束』を使っても山吹家が本家入りする確率は極めて低いんだ」

「なんで?」

「親父に頼んで山吹家のこれまでの実績とか見たんだけどよ……正直、本家入りするにはどれも弱いものばかりだ。たとえ琢磨が勝っても今のままじゃ本家入りなんて、それこそ広大な砂漠から米粒サイズの砂金を見つけて、それでピラミッドを作れって言われたくらい途方もないんだ。なら、ここでその夢を諦めさせないといけない。そうじゃなきゃ、あいつはきっと前には進めないんだ」


 かつて魔導士嫌いになってから心を閉ざしていた経験者悠護の言葉は、どんなものよりも重くのしかかる。

 それに悠護の言ったことも事実である以上、彼の提案通りにしなければ一生解決しないのだろう。


「それに、こんな提案しなくても琢磨のことだから十中八九過剰攻撃してくるはずだ。そのタイミングで中断させて後は適当に理由言えば丸く収まるはずだ」

「うーん……それならなんとかなると思うけど……、肝心の山吹くんがそこで止めてくれるかが問題だよね……」


 琢磨とはほんの僅かな時間とはいえ、彼の性格はかなり問題がある。

 たとえ今の提案が通じたとしても、もう一度『決闘』をすると言い出す可能性が高い。懸念する日向を見て、悠護は何故か苦笑いを浮かべた。


「あー……その辺は安心しろ。ちゃんと対策はある。結構エグいけどな……」

「……聞きたくないけど一応聞くね。どんな内容なの?」

「ああ、それは――」


 軽く口元を引きつらせながらかけた問いに答えた悠護の言葉に、日向はその内容のエグさ聞いて完全に口元を引きつらせた。



 昨夜の出来事を回想として頭の中で思い出した日向は、誰にも気づかれないように遠い目をする。


(それにしても……あの対策の話はほんとにエグいなぁ……。今回ばかりは山吹くんに同情するよ……)


 日向自身も琢磨相手なら納得すると踏んでいるが、それにしてはあまりにも容赦のない対策内容だと思わず後輩に同情してしまう。

 ふと視線を感じると陽が口を動かしで『早くしろ』と声のない言葉を発しているのを見て、フィールドにいる二人もいつ始めるのかといわんばかりの視線を向けていることに気づく。


 それを見て慌てて我に返ると、一度咳払いをして《アウローラ》を持っていない左手を天井に向けて垂直にした。


「それでは『決闘』――開始ッ!!」


 日向の掛け声と共に左手が降ろされるタイミングで、琢磨が地面を蹴り上げた。



☆★☆★☆



(黄倉の得意とする魔法は魔導具を利用した戦法だが、あいつは得意の防御魔法を使った戦い方をしてくる。なら、なるべく早く懐に入って叩き込めば決着する!)


 合図とともに駆け出した琢磨は、接近する自分に反応して《レギナ》を構えた香音を見ながら勝利までも過程を脳内で描く。

 まず最初に、強化魔法で体を強化した状態で香音に急接近する。反応に遅れた隙を逃さず《レギナ》を手元から話し、風魔法で場外へ吹き飛ばす。

 必要な労力も動作も最小限で済ませる、実にスまあトな戦法だと内心で自画自賛する。


 七色家分家にも本家のように代々から伝えられている戦法があり、山吹家の場合は強化魔法と自然魔法を組み合わせた戦法だ。

 体能力を強化魔法で向上させ、自然魔法で相手を翻弄させて打ち負かす。実にシンプルなやり方だが、勝負において小細工なしの真剣勝負を好む琢磨にとってはこれ以上最適な戦法はない。

 完全発動は得意な魔法だけならば使えこなせるため、合図の同時に身体強化の魔法をかけていた。香音との距離はおよそ二メートル、魔法を打つならばこの範囲が最適だ。


(とった!)


 自身の勝利を確信し、口角を吊り上げながら魔法を発動とした直後、


「――『障壁』展開」


 香音の合図と同時に、琢磨を中心とした半径1メートルが長方形の壁に包まれた。

 淡い黄色の壁は照明の光で輝き、まるでイエロークリスタルの中にいるような錯覚になる。


「何!?」


 驚きの声を上げながらふと視線を足元に向けると、自分の両足の間にルービックキューブを親指サイズにしたような物が転がっており、そこから感じられる魔力と光を見て舌打ちした。


「魔導具か……っ!」

「そうだよ。魔石を耐久度ギリギリまで削って作り上げた、超小型防御魔法機能搭載魔導具。試作品だけどちゃんと機能してるようでよかったよ」


 以前の彼女なら使わないはずの黄倉家の戦法に、琢磨は焦燥を滲ませた顔で壁を殴りつけるも、壁は鈍い音を立てるだけで一向に壊れない。

 ならば本体を壊せばいいブーツの踵で魔導具を踏みつけるも、こっちも頑丈な作りをしているせいでどんなに力を入れようが中々歪まない。


「無理だよ。壁は中級魔法までなら壊れないように設計されているし、部品は硬度を上げるために魔法で何度も練り上げて作った特別性。いくら君でも壊すのは無理だよ」

「……まさかお前が家の戦法を使うなんて驚いたな。しかも試作品を使うなんて、【ガラクタ姫】が入学数日でここまで自信がつくなんて驚きだ」


 今の自分の力では壊せない壁に苛立たしく感じながらも、我を失わないように香音に向けて暴言を吐く。

 彼の言葉に香音が指先をピクリと動かす反応を見せるが、マゼンタ色の瞳を琢磨に向けた。

 その瞳からは過去への罪悪感や劣等感はなく、その中にある強い意思の光を琢磨は見つけた。


「別に他のみんなみたいにご大層な自信は今もないし、正直家の未来とか興味ない」


 でも、と一旦区切り、言葉を続ける。


「あんたに負けるのだけは絶対にイヤだ。それだけがあれば、他のことはどうでもいい」


 周囲がなんて言おうが、自分がなんて呼ばれようが、そんなのはただのうるさいスズメの鳴き声のようなもの。気にするだけ無駄で、自分がやりたいことを、進みたい道を歩けばいい。

 それが、黄倉香音という魔導士が出した結論なのだ。


(……まあ、そう思えたのは先輩のおかげなんだけどね)


 香音の言葉に息を呑む琢磨の姿を視線の端に置いた香音は、その視線をこの戦いを見ている樹の方へ向ける。

 ここ数日で見慣れた姿を視界に入れながら、香音はほんの数時間前のことを思い出していた。



『決闘』が始まる数時間前、香音はトイレからの帰りに偶然廊下の窓の間の柱にもたれかかる樹が彼女に向けてよっと手を上げた。


「今日が『決闘』だって聞いてたから心配で見に来たけど、その調子じゃ大丈夫そうだな」

「別に。いつも通りだよ。いい加減山吹の敵愾心にはうんざりしているし、むしろ絶好調だよ」

「ははっ、そうかよ」


 香音の言葉に軽く笑う樹。他の一年からも意外と人気がある先輩の笑顔を見て、香音の口元も小さく綻ぶ。

 この先輩からは人の心を和ませる成分でも放出されているのか、彼の笑顔を見るたびに張り詰めた弦のような緊張が緩んでしまう。

 でも今日は、その緊張がいつもより強く張り詰めているのを香音は本能で分かっていた。


 琢磨と『決闘』するのは問題ない。むしろ今まで散々好き勝手に言ってきたのだから、これを機に己の実力で叩きのめすいい機会だ。

 だが、そんなのはただの建前で自分には琢磨のようにはっきりとした野望はない。

 本当に自分がどうしたいのか、何をすればいいのか分からない今のままでは、香音は琢磨に負けてしまうだろう。


 香音の心の中に生まれ始めた不安を無意識に読み取ったのか、樹は香音の頭を優しく撫でた。


「そんな顔すんなよ。『決闘』なんてただの喧嘩の続きみたいなもんだろ?」

「それはそうだけど……でも私、あいつみたいに目的とか持って『決闘』しない。ただムカつく奴だから潰すだけ、そんなんじゃ勝つなんてできないよ……」

「んー、よく分かんねぇけど……勝つのに理由とか目的とか必要か?」


 樹の発言に香音が「えっ?」と漏らすと、樹は自分の頭を撫でていた手を放すとそのまま右手を見つめる。


「俺が今まで戦った奴はいろんな目的とか理由のために戦う道を選んでいたんだ。でも俺は、そんなもののためじゃなくてただ純粋に大切な友を守るために戦ってたんだ」

「守るため……それ、理由じゃないの?」

「いいや、違う。それは理由じゃなくて、俺にとっては当然のことなんだよ」


 誰かを守るということは、そんな簡単なことではない。誰もが我が身を可愛がり、時によっては家族だろうが友だろうが捨てて生き延びようとすることもある。

 だからこそ、樹の『友を守る』ことが当然であると断言するのは、他の者が聞けば異常だと思えた。


「俺にとって戦いの勝ち負けは、純粋な勝負じゃない。勝負に勝っても負けても、友が生きていてくれたら、俺にとっては勝ち。自分がしたいこと、進みたい道を歩くこと、それさえ出来れば勝ちなんだって俺は思う」

「自分のしたいこと、進みたい道を歩ければ勝ち……」


 樹の言葉に香音は心を打たれたような顔をしながら呟く。

 戦いは全て勝つか負けるかのどれかだけ。そう教わっていたけれど、そんなのは周囲が決めたルールだ。

 自分のしたいことを出来れば、たとえ負けても自分にとっては勝ちも同然。

 それならば、樹の言う通り勝つのに理由も目的もいらないのだ。


「……そっか、それなら別になくてもいいんだ……」

「ん? なんか言ったか?」


 小さくつぶやく香音の言葉に反応した樹が首を傾げるのを見て、香音は小さく笑いながら首を振った。


「ううん、なんでもない」


 そう言った彼女の顔が心なしかすっきりした顔をしているのを見て、樹はそれ以上詮索せずに「そっか」と笑いながら言った。



(あの時、あの話を聞いたから私はこの戦いに挑めることができた)


 家のこととか、自分のこととか、そんなのは今の香音にとっては勝つために必要なものではない。

 ただ純粋に、この生意気な奴の顔に一発入れたいだけ。

 今まで彼によって散々辛酸を嘗められたのだ。ここで過去の屈辱を清算したい。

 それさえあれば、十分だ。


 ばっ! と香音の魔装の裾が僅かに宙を浮く。それを合図に香音を中心とした半径一メートルの範囲から数々の魔導具がフィールドに現れる。

 サーベル、マスケット銃、槍、斧、ハンマー……数々の武器型魔導具の他に左手の指の間に挟んである色んな形をした超小型魔導具。そして、自慢のメイス型専用魔導具《レギナ》を持ちながら、香音は目の前の敵を睨みつけた。


「さて――今日は本気だして行くから覚悟しなよ、琢磨?」


 かつて【ガラクタ姫】と呼ばれた少女の姿は、すでに遠い過去として霧となって消えた。

 今目の前にいるのは、数多くの魔導具を用いて相手を潰すために戦いに挑む一人の魔導士。

 それは、黄倉香音が本当の意味で『過去の自分』という名の殻を破った瞬間だった。

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