第128話 現実は少年を強くする

 フィールドを駆け出して互いの距離が縮まると、悠護は《ノクティス》を、陽は《銀翼》をぶつけ合う。

 ガキィンッ!! と金属音が訓練場に鳴り響き、互いの得物を震わせながらせめぎ合う。

 一〇代と二〇代では身長も腕力も個人差があるにしろ不利が出るが、悠護は力を込めて《ノクティス》を持つ腕ごと前に出すとそのまま薙ぐ。


 力の反動で《銀翼》を持つ腕が上へ上がるのを見計らって、右回し蹴りを繰り出す。

 だがその攻撃を軽い身のこなしで回避。すぐさま《銀翼》を構えて突きを出すも、《ノクティス》の片割れで防ぐ。

 トントンッとステップを踏むように後退する二人は、微かに残る手の痺れを感じながら笑い合う。


「驚いたわ、結構成長しとるやないか。こりゃワイもおちおちしとられんなぁ」

「そういう先生だって、連戦のくせにまだまだ体力あり余ってんじゃないですか。やっぱり年の功ですか?」

「やめや、そんな年寄り臭い言い方! ワイはまだ二六歳や!」


 悠護のからかいにムキーッと怒る陽。

 先ほどの攻防戦を繰り広げていたとは思えないほどの空気に、意識がはっきりとしてきた琢磨は動揺を隠せない。

 いや、そもそも。今の小手調べさえ琢磨にとっては信じられないものだった。


 ランクというのは、何も魔導士一個人の経歴だけで決まるものではない。

 経歴はもちろんのこと魔力値、習得した魔法の数、学園在籍時での成績、魔導士としての社会貢献等、その他にも大小様々な項目をクリアした分だけランクが上がっていく。

 四大魔導士しか得ていない『七階位セプテム』はともかく、仮にも『五階位クィーンクェ』の陽と張り合えるほどの力を、同じ魔導士候補生である悠護は得ていないと思っていた。


 強者に対する毅然とした態度。

 目の前の壁の高さにも臆しない強い瞳。

 そして何事にも立ち向かう愚直な戦意。


 あまりも愚かで、あまりにも眩しくて、あまりにも信じられなかった。

 琢磨の記憶にある悠護は、魔導士と七色家への嫌悪感と絶望をあの真紅の瞳に宿していた姿。

 自身が魔導士として生まれた事実も、七色家の本家と生まれた意味も嫌った彼を、琢磨は心の隅で軽蔑していた。

 なのに、今の悠護にはそれが一切なくなっていた。


(なんで……どうしてあいつは、あんなにも変わったんだ……?)


 ふと、近くで自分と同じく固唾を呑んで戦いを見守る日向を一瞥する。

 他の魔導士とは違う空気を持つ、特別な魔法を使う魔導士候補生。彼女の周りには、今まで出会ってきた者達の様子が劇的とまではいかないが変化していた。

 きっと、日向には人を惹きつける何かがあるのだろう。誰もがそれに当てられ、共感し、いつの間にか人の心を掌握していった。


 陰謀と我欲、残酷なまで徹底した実力主義と才能主義第一の魔導士世界に入り込んだ異分子イレギュラー

 その強い影響力は、今目の前で広がっている光景を目にした琢磨にとって背筋が凍るほどの畏怖を抱かせる。

 今まで無魔法しかさほど重要視していなかった日向の人柄を思い知らされ、琢磨は口の中に溜まっていた唾を飲む。


 日向に視線を向けていたせいか、彼女は首を傾げながら琢磨の方を振り向く。

 あの琥珀色の瞳を向けられて、心臓がドキリと高鳴り慌てて顔を背ける。あの瞳を見てしまえば、自分の中にある『何か』が変わってしまうと恐れた。

 それを必死に誤魔化すかのように、琢磨は目の前で繰り広げる黒と銀の乱舞に集中するしか術がなかった。



 黒の剣を弾く銀の棒。元が槍で今はその刃がないのに、それでも穂先を突き付けられたような緊迫感がある。

 何度も打ち合いを繰り返し、《銀翼》の先が頬に掠って息を呑んだ悠護はすぐさま後退した。

 彼の息は肩で呼吸を繰り返すほど乱れ、額から浮かんだ汗が太い筋を作ってフィールドに落ちる。


(やっぱ魔法なしじゃキツいか……つか、あの人全然息切れてねぇんだけど。おかしくね? ほんとに同じ人間なのか??)


 目の前で立つ陽は一定の呼吸を繰り返すだけで、そこに乱れはない。

 あまりにもかけ離れた実力差に、心を挫けそうになるもなんとか気を持ち直す。


(先生はあの条件通り、魔法は使ってないけど……やっぱそう一筋縄じゃいかねぇな。どうにかして、あの人の隙を突けば――)

「余所見しててええんか? 黒宮」


 思考を巡らせていた瞬間、悠護の背後で声がした。

 思わず背筋をぞっと震わせながら闇雲に《ノクティス》を振るうと、金属がぶつかる音が響く。

 背後を見ると、《銀翼》を上段の構えで振り下ろした陽がいて、あまりの気配のなさに悪寒が走った。


「ちょっ、あんたいつの間に現れた!? ゴキブリか!」

「それはさすがにひどいで!?」


 まさかの発言に陽がショックを受けている間に、すぐさま双剣を振るう。

 衝撃で陽の体が数歩後ろに下がるのを見ながら、悠護はバクバクと鳴るうるさい心臓を服の上から押さえた。


(マジでびっくりしたー! あの人、どんだけ気配の消し方上手いんだよ!? ここまでくるともう暗殺者とかそういうレベルだろ!!)


 いくら考え事に集中していたとはいえ、悠護はきちんと陽の気配を探っていた。

 彼の気配が自分でも察知できないほどの速さで消え、一拍もしないうちに現れた。その事実は信じ難いと思っていても、現実なのだと嫌というほど思い知らされる。


 ――これが、【五星】。最強の魔導士の一角として君臨する強者。


 普段のフレンドリーかつ優しい教師としての陽とはかけ離れた、圧倒的かつ畏怖の念を抱く風格がそこにある。

 冷や汗が流れる。口の中がカラカラに乾いていく。心臓がうるさく鳴る。

 敵わない。勝てない。そんな気持ちが少なからずあるもの事実。


 だけど。今、それ以上に――。


(――戦いたい)


 興奮が、収まらなかった。

 戦いたい。勝ちたい。強くなりたい。

 そんな気持ちばかりが胸の中を支配する。


 悠護は、怜哉のような戦闘狂ではない。かといって、自分から望んで戦いに身を投じる人間でもない。

 でも、それでも。この男に勝ちたいという気持ちが強くなる。


(考えろ、考えろ、考えろ。どうすればあの人に勝てるのか)


 真正面からの攻撃――ダメだ、一発で躱される。

 背後からの奇襲――ダメだ、そう何度も通じない。

 そもそも、自分が考えた戦いなんて誰もがしたことのあるものだ。それを、あの人に通じるわけがない。


(なら――これしかないな)


 頭の中で作戦を組み立てると、おもむろに悠護は《ノクティス》の片割れを陽に向かって放り投げた。


「えっ!?」

「おい、それは!」


 悠護の行動に心菜と樹が驚きの声を上げ、日向は相も変わらず固唾を飲んで見守っている。琢磨と香音は困惑した表情を浮かべ、怜哉は静かに行く末を見据えている。

 多種多様な反応を示す観客達を横目に、陽は《銀翼》を軽く振るうと、《ノクティス》の片割れはカーンッと音と共に天井に向けて弾いた。


 悠護が舌打ちをするのを見計らって一気に距離を詰めた陽が、《銀翼》を彼の首筋に添える。

 距離が縮まり、互いの顔の輪郭がはっきりとわかる。はぁ……はぁ……と繰り返す息遣いを聞きながら、陽は訝しげな顔で悠護を見つめる。


(黒宮は自棄で無謀な真似はしないはず、一体何を考えとるんや……?)


 一年以上学校だけでなくプライベートでも長い間接してきた生徒の行動に不審を抱いていると、頬に汗を伝わせた悠護が言った。


「先生、俺なんかを気にしてていいんですか?」

「? 何を言って――」

後方注意チェックシックス


 悠護の言葉に陽がはっと息を呑んだ直後、いつの間にか垂直に立っていた彼の左手の人差し指がくいっと曲がる。

 振り返ると天井へ飛ばした《ノクティス》の片割れが宙で浮遊し、そのまま陽に目掛けて急接近する。

 黒い剣先が陽の――正確には額に向けて迫ってくる。これを躱せることも陽にとっては容易い。だがその場合、剣の狙いが悠護に向けられる。


 自分の身のために生徒を見捨てるような真似は、陽が教師になった時点で絶対にやってはいけないことだ。


(こいつっ、ワイの性格を見越してやりおったなぁ……!?)


 ここは己の力と強さを誇示し、優勝を掴み取る王星祭レクスではない。

 生徒の力量を測るための純粋な試合。生徒を傷つけるようなことは、絶対にあってはならない。

 黒い剣の距離が縮まっていく。このまま躱さなければ、陽だけでなく悠護さえ怪我を負う。


「チィッ!!」


 激しく舌打ちをした陽が持っていた《銀翼》を放り投げると、そのまま悠護の肩口の服を掴む。

 あと数センチで剣が当たるというところで、二人の姿が消えた。


 カァァァァンッ!! と《ノクティス》の片割れがフィールドの上に突き刺さる音が響く。

 直後にドサッと重たい物が落ちる音がフィールド外で聞こえてきた。

 音をした方に視線を向けると、フィールド外の床に座り込む二人がそこにいた。



☆★☆★☆



(あ、あっぶねぇぇ……もしあのままだったら、俺も先生も無事じゃなかったな……)


 正直、あの作戦は行き当たりばったりだった。

 ぶっつけ本番で繰り出したせいで、自分の身の安全なんて二どころか三の次。

 安堵の息を漏らしていると、横からぐわしぃ!! と顔を掴まれた。


「くぅぅぅぅろぉぉぉぉみぃぃぃぃやぁぁぁぁ~~? よくもあんな真似しやったなぁぁぁぁぁぁ!?」

「痛でででででででっ!? ちょ、先生これマジでシャレになんないほど痛ぇ!!」


 ギチギチギチギチィッ!! と全力でアイアンクローを仕掛ける教師の腕をバシバシと叩くも、陽は我関せず。

 しばらくして深いため息を吐くと、ようやく顔から手を離した。


「ったく……、参ったわ。ワイの性格上、生徒見捨てる真似ができひんのを読んでやったな?」

「ま……まあ、それについては本当に申しわけないと思うけど……。それしか、あんたに勝つ方法がなかった」


 これは本音だ。

 どんな正攻法も反則技も、彼の前では無に等しい。

 ならば、たとえ捨て身技でもこの最強に勝つにはどうしてもやらなければなかった。

 それ以上何も言わない悠護にため息を吐きながらも、彼の腕を掴んでそのまま立ち上がる。


「……ま、いくらあんたを救うためとはいえ、ワイはハンデ条件の『魔法使用の禁止』を破った。それは覆せない事実や」


 きょとんとしている悠護の顔を見ながら、陽は笑いながら言った。


「――おめでとさん、黒宮。この勝負はあんたの勝ちや」


 陽の、【五星】からの勝利宣言を貰った悠護が呆然としていると、張本人より早く反応した日向達がわっと歓声を上げながら悠護の元へ駆け寄る。


「悠護ー!! お前、よくやったなー!!」

「すごい、すごいよ悠護くん!」

「陽兄に勝つなんて、多分生徒の中じゃ初じゃない!?」

「卑怯も反則もあったが……これは紛れもない勝利だ。これにはオレも素直に賞賛しよう」

「おめでとう、黒宮くん」


 仲間達から賞賛の言葉をかけられる。

 自分が陽に勝ったという事実がじわじわと熱を持ちながら沸き上がり、あまりの嬉しさで「よっしゃあ!!」と言いながら両手でガッツポーズをとる。

 恐らく全校生徒の中で初めての勝者と言える悠護の姿を見ていた琢磨は、ふらふらとした足取りで立ち上がると、強く唇を噛みながら訓練場を後にした。



「クソ、クソ、クソォッ!!」


 ガスッ、ガスッと固いものを殴る音が響く。その音に混じった琢磨の悔しげな声が夕暮れの空に消えていく。

 訓練場から離れた噴水広場、その近くにある木の一本に琢磨はしきりに自身の右拳を殴りつけていた。

 殴りつけるたびに樹皮が皮膚を傷つけ、血を流し始めても琢磨の手は止まらなかった。


(悔しい――悔しい、悔しい、悔しい!!)


 自分では一歩も届かなかった相手を、悠護が勝った事実は彼の心を蝕む。

 年は一歳しか違わないのに、学んでいるのは同じはずなのに、何故あそこまで力に差がついているのか。

 理由が判らず、だけど理解したくなくてしきりに木をサンドバッグ代わりにする。

 もう一度殴ろうとした瞬間、温かいものが琢磨の右手に触れた。


「ちょっと、これ以上やったら大怪我するよ」


 琢磨の右手を掴んだのは、香音だった。

 自分を追ってきたのだろうか? だか、彼女にはそんな理由はないはずだ。


「ほっとけよ。これは俺の手だ、どうなろうと勝手だろ!」

「そうだけどさ、さすがに知り合いが自傷行為に走る姿は見たくないの。ほら、手貸して」


 貸してと言いながら無理矢理琢磨の右手を取ると、ブレザーのポケットからハンカチを取り出した。

 淡い黄色をしたそれは、右端に緑色の薔薇が刺繍されている。その刺繍に不格好な箇所がある限り、恐らく手製なのだろう。香音はそれを優しい手つきで結んだ。


「はい、これでよし。治癒魔法はあんまり使っちゃダメだから、後でちゃんと病院に行って診てもらいなさい」


 小言を言う香音になんの反応を示さない琢磨だったが、ふるふると右手が震えだした。


「なんで……なんで、あいつらは……あんなに強いんだよ……」


 普段の琢磨からは想像できない涙声を聞いて、香音は目を見開きながら彼を見た。

 琢磨は目の縁に涙を溜めており、ハンカチを巻いた右手をぎゅっと力強く握りしめる。


「一年しか歳が違うのに……なんで、あんなことができるんだよ? 失敗したら自分の命も危ないのにっ……あいつらは、死ぬのが怖くないのか!?」

「そんなわけないじゃん、きっと怖いに決まってる」


 そっと香音が再び琢磨の右手に触れる。

 温かい血が通った、生きた人間のぬくもりが布越しでも感じられた。


「誰だって死ぬのは怖い。でも……あの人達にとって、死よりも怖いものがあるんだよ。そのためなら、たとえ自分の身が危険になっても守りたいものが、あの人達にはある。

 守るためならば、どんなことだろうと頑張って立ち向かって、必死に抗う。それこそが、あの強さの秘訣なんだと思う」


 優しい声が、琢磨の鼓膜を震わせる。

 ふと目の前の香音に目をやると、普段の彼女とは違う雰囲気を纏っていて内心戸惑う。


「才能だって否定しない。自分もそれに縋ってるのは自覚してる。……でも、山吹がショックを受けてるのは、あの人達がそういうのなしで得た強さを持っていたからでしょ?」


 その言葉に、琢磨の呼吸が一瞬だけ止まった。

 実際、図星だった。琢磨は嫉妬したのだ、才能だけではなく努力も実力も持って得た強さを持つ彼らを。

 だからこそ、己の弱さを、現実を思い知らされて悔しくて堪らなかった。


「……私もあんたも、きっとまだあの強さを持つ途中なんだよ。焦っても仕方ないし、自分のペースで進むしかない」


 そっと香音の両手が右手から離れていく。

 そのまま立ち去ろうとする香音は振り返らないまま、優しい声音で言った。


「頑張ろうね、お互いに」


 たった一言、それだけ言って香音は去った。

 でも今の琢磨には言葉に表せないほどの優しさを感じ、ついに目から涙が零れ落ちる。

 つぅ……と静かに流れる涙は塩辛く、だけどどこか懐かしい味がした。

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