第106話 舞台のフィナーレは失恋と絶望を添えて

 狐の魔女によって作り上げ、幕を上げた舞台は、戦乙女の愛憎劇。

 己が愛する男を奪おうとする女を戦乙女が殺し、愛する男を手に入れるだけの、どこにでもあるありふれた物語。

 だが、どんなに下準備を拵えても、必ずハプニングというのはつきものだ。


 戦乙女が殺す女は、自分自身でさえ知らない力を手に入れた。

 己が信じた〝恋〟が男を奪われたくないという気持ちが生まれた醜く穢れた欲からくるものだと気づいてしまった戦乙女は、絶望によって心を砕かれ、天から堕ちた。


 狐の魔女でさえ予測しえなかったハプニングは、悲劇を前提として作られた物語の結末をハッピーエンドへと導こうとする。

 だが、舞台の終盤目前まで観客席にいた狐の魔女は、妖艶かつ残忍に微笑みながらこう言うのだ。


 ――ハッピーエンドなんて迎えさせるものですか、と。



☆★☆★☆



「死ねっ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇぇッ!!」


 大和撫子如く美しかった姿から絶望に穢され醜い姿に変わった希美は、狂ったように同じ言葉を何度も吐き出し、氷槍を何度も振り下ろす。

 清廉された武術ではない、ただがむしゃらに振るうだけの連撃。

 目の前で襲い掛かる斬撃を耐えながら、日向はなんとか反撃を繰り出そうとタイミングを見計らっていた。


(一撃がさっきより重い……! 槍の力の暴走? いや、それにしては異常過ぎる……!!)


 襲い掛かる連撃をなんとか剣で往なすが、その度に日向の全身が激しい痛みを走らせる。

 自分の目線で見える範囲では、剣を持つ手の甲には琥珀色に輝く回路模様が浮かびあがっている。

 鏡がないから分からないが、恐らく全身がその模様で七割方埋め尽くされているだろう。


 そもそもの話、日向はこの剣の力を完全に使いこなせていない。

 手に持つだけでも膨大な魔力を消費し、魔核マギアによる魔力生産が追い付かない。


 魔核マギアでも足りない魔力を生産のために、己の器官を魔核マギアと誤認させて補わせる荒業――魔導士達はこれを、『疑似魔核プセウド・マギア』と呼んでいる。

 人間には運動器系、循環器系、神経系、臓器系、免疫系、感覚器系と五種類の器官がある。

 中でも魔力の影響力が強い血管系は魔核マギアの代用品としても重宝されているが、それでも魔力が足りない場合は他の器官を利用しなければならない。


 だが『疑似魔核プセウド・マギア』は使用後、人体への影響を及ぼす痛みを全身に走らせ、最悪場合どこかの器官が使えなくなるほど駄目になる場合もある。

 日向の場合、比較的人体に実害が少ない運動器系、循環器系、神経系を魔核マギアの代用品として使っている。


(『疑似魔核プセウド・マギア』を使う場合、人体への影響が少ない器官はその三つだけ。他は魔導医療でも長期治療が必要になるほど消耗度がひどいから、なるべくそこだけを使えって言われたけど……これ、結構キツいな……)


 事実、日向の体は身が裂けそうなほどの痛みが今も走っている。

 その痛みはいつ血管が切れるか分からないほどで、これ以上は日向の体ももたない。


「『氷結雨グラキアンス・プルヴィアム』!!」


 希美の詠唱に呼応して、日向の頭上に万を超える拳大の氷が降り注ぐ。

 薄水色に輝く氷を剣で弾き飛ばすも、剣の防御を通り抜けた氷達は日向の肌に赤い線を残していく。

 氷は肌だけでなく衣服にも掠り、誕生日でもらったコートとマフラーが見るも無残な姿に変貌しようとしていた。


 悪意・敵意のある人間が近づくと黒く変色するブローチ型魔導具は、魔法による攻撃の余波で壊れたのかヒビが入り、石みたいに白が混じった灰色に変わっている。

 せっかく大切な人達からの贈り物が台無しになったことに悔しさを滲ませながらも、窪み落ちた眼窩から見える黒く淀んだ桃色の瞳は今も憎悪の炎を燃やし続ける。


「早く、早く死んでよ!! あなたさえ死ねば全部解決するんだから! みっともなく抗ってんじゃないわよッ!!」


 希美の怒声と共に、コンクリートの地面から氷柱が現れる。

 幸いにも先は尖ってない丸みを帯びたものだったが、槍の連撃よりも軽いが重い一撃が日向の腹部に突き刺さる。


「ぐっ……、があ……ッ!?」


 腹部が圧迫されて一気に吐き切れていなかった酸素と、赤い血が混じった唾が一緒に口から吐き出される。

 氷柱が砕け両膝が地面に付きそうになるも、さらに希美の渾身の蹴りが入った。

 今度は血だけを口から吐き出した日向の体は、ボールのように転がっていく。


 地面に転がった拍子に剣を手から離すも、幸いなことに剣は周りながらスライドして日向の手元近くまで戻って来た。

 『疑似魔核プセウド・マギア』の反動と魔法と物理の合わせ攻撃で痛みを通り越して痺れを感じつつも、手を震わせながら剣を手に取り立ち上がる。


(これ以上続けたらあたしの体が限界を迎える……、次で終わらせなきゃいけないのは分かってるけど……ッ!!)


 どれだけ頭を捻らせて考えても、今の希美を止める手段が日向にはない。

 これまで授業や特訓で学んだ魔法や無魔法を使っても、確実に止められる方法が浮かばない。

 焦りで日向の視界がぐるぐると回る。火花を散らしながら《ブリュンヒルデ》を引きずって近づいて来る希美の姿は、まさに悪鬼そのもの。


 血走った目を向け、憎悪と愉悦と狂気に染まった歪んだ笑みを浮かべる希美の青白い肌を蹂躙している管はドクドクと動きが目視できるほど脈を打つ。まるで彼女の感情に応えているかのような様に、日向はひどい嫌悪感に襲われる。

 吐き気に耐えながら震える手で剣をなんとか握りしめた直後、日向の視界にあるものが目に入った。


 徐々に距離を詰めてくる希美。その彼女の左胸に、黒く淀んだ桃色の宝玉があった。

 淀んでいなければ美しいものだっただろうそれは、以前七月の事件で見たものと同じだった。


(あの宝玉……右藤さんの左胸にあったのと同じもの……? でも、なんであれから魔力が感じて…………まさか…………)


 宝玉から感じる魔力に、日向は自然と目を見開いていく。

 魔核マギアは絶対に見えない不可視の存在で、その場所は心臓付近にあるとされている。

 日向の目に映る宝玉は、その魔核マギアがあると思われる心臓付近。

 そして、宝玉は右藤の事件で見たことがあり、この手で消したことがある。

 つまり、導き出される答えは――。


(――あの宝玉が、魔核マギアなの……? 右藤さんの中にあった宝玉がもし本当に魔核マギアならば、あたしは……!)


 魔導士にとっては命当然のモノ。破壊されることも目視することも不可能とされた神秘の塊。

 それを、かつて日向は無意識に消してしまった。絶対に許すことのできない相手を裁くために。


(でも……、もし、もしもそれができるのなら……)


 希美を止められるかもしれない。

 たとえその代償が、魔導士としての生の終わりだったとしても。


 いつの間にか小刻みに震える手を見て、ぎゅっと強く握りしめる。

 本音を言えば、本当はこんな真似はしたくない。魔導士として生まれた者にとって、魔導士でいなくなるということは死と同じだ。

 無用となって家族からも冷遇され、その存在ごと社会的に消されるかもしれない。


 けれど、希美のようにあそこまで手遅れになった者を放置できるわけがいかない。

 力を入れてもまた震え出した剣を、今度は両手でしっかりと握りしめる。

 唇を強く噛み、微かに口の中に流れた鉄の味を味わいながら、お腹の底から絞り出したような顔で呟く。


「……ごめん、桃瀬さん。ごめんなさい」


 それは、決して本人の耳には届かない謝罪。自己満足で告げた赦しを乞う言葉。

 剣を垂直に構え、己の情けなさに憤り悔しげな表情を浮かべる日向の両目からは、真っ赤な血の涙を流していた。



 徐々に距離を縮め仕留めようとした希美は、日向の周囲に集まる魔力に反応し足を止める。

 先ほどの日向の姿は、肌が見える手や顔が琥珀色に輝く回路模様が浮かび上がっており、目からは赤い血の涙を流している。

 だが、それ以上に燐光のように集まってくる魔力が希美の背筋を凍らせていく。


(……何、あの魔力の量!? あんなの、普通じゃ制御できないわよ!?)


 何をしようとしているのか分からない。けれど、彼女の周りに集まる魔力は今まで希美が感じたことのないほどの量だ。

《ブリュンヒルデ》を構え、希美は一気に距離を詰める。


(これ以上、あのままにするのはマズい! 早く、早く仕留めないと……!!)


 今の自分ならば、日向を殺すことは容易だ。そのためだけに修行を積んできたのだ。

 希美の魔力に反応して随分と変色してしまった氷槍を日向の心臓に目がけて貫こうとするが、ブワァッ!! と魔力の気配が混じった突風が吹き、体は呆気なく吹き飛ばされた。


「きゃあっ!?」


 悲鳴を上げて倒れた希美は、思わず瞑った瞼の裏が明るくなるのを感じて開くと、目に入ってきた光景に言葉を失う。

 神々しい琥珀色に輝く光の柱が、存在していた。

 金色、橙色、蜂蜜色……角度によって色を変える燐光が、まるでダンスするかのようにその場で漂っている。光の柱は天をも貫く勢いでそびえ立ち、その中央に立つ日向はいつもとは違う存在に思えた。


「天から授かりし神秘よ」


 詠唱が始まる。

 今まで希美が学んできたどの魔法のものではない詠唱が。

 そのうたを聞くだけで、背筋だけでなく全身が凍りつく。


「我が力の光を阻むこと能わず。我が力を以て、彼の者の神秘の輝きを永遠に無に帰す」


 剣を持っていた手が頭上に掲げられる。

 今すぐ止めなければいけないと本能が告げているのに、この輝きの前では身動きすらできない。

 さながらその輝きは、まるで――


(まるで、神からの赦しを得た者に与えられる救済の光――)


 そう思った直後、日向の魔法が発動する。


「『00エラド』――!」


 光の一撃が、振り下ろされる。

 幸せを運び、愛を伝えるものである琥珀と同じ色をした光は、薄暗い街を太陽の如く照らし出す。

 閃光ひかりは暴虐のまま疾駆し、堕ちた少女に襲い掛かる。


 光の奔流にただただ押し流される少女は、自分の体の中で何かが砕ける音を聴いた。

 手に持っていた氷槍は、最初に見た美しい色の光の泡となって弾ける。

 全てを無に帰する光は、少女の中にあった魔の宝玉を壊し、その身を犯していた呪いも消し去りながら静かに途絶えていった。



☆★☆★☆



 光の柱の輝きが一層強くなったかと思うと、たった数分で消えていく。

 痛む体に鞭打って強化魔法をかけ、全力疾走でレインボーブリッジまでやってきた悠護は、分断された橋を飛び越えた。

 飛び越えた先には希美が仰向けで倒れるのを見て駆け寄るが、ボロボロだが深手を負っていない様子を見て安堵するも、目の前の景色に言葉を失う。


 一目で重傷だと分かる無残な姿になった日向の両手には鋼色の剣が握られていたが、剣は光の泡となって消えていく。

 刃先から徐々に輪郭を失い、泡となっていく剣はついに日向の手の中からもその痕跡を消した。


「ぐっ……げほっ、うえっ……!?」


 直後、日向の口から吐き出してはならない血が地面に滴らせ、体はぐらりと前に傾き、受け身も取らないままそのまま倒れた。


「――日向ッ!!」


 急いで彼女の元へ駆け寄り抱き起すと、小さくも咳き込みながら痛みを我慢している顔で微笑んだ。


「…………あ……悠護……」

「喋るな! 今すぐ病院に連れて行ってやる! もう大丈――!?」


 大丈夫だ、と言葉を続けることはできなかった。

 いつの間にか意識を取り戻した希美が、悠護の目の前でバタフライナイフを振り下ろそうとしていた。

 ナイフの先は、日向の心臓がある左胸。気づいた直後、右腕にあったブレスレットが籠手に変わる。


 高い金属音を鳴らしてぶつかり、籠手で覆われた右腕を薙ぐと希美の手からナイフが離れた。

 瞬時にナイフを魔法で一輪の花の姿に変えさせ、粒子化させる。

 それを横目で見ながら、悠護は激しい怒りを宿した目で希美を睨みつける。


「希美! お前……!!」

「ゆうちゃんがいけないのよ!! 私のことも、私の気持ちも、私の想いを全部無視した! 私はあなたのために手を尽くしたのに、好きになってもらえるように努力したのに、あなたは私のことを全然見てくれなかった!!」


 悲鳴交じりの叫びを聞いて、悠護の顔が怒りから困惑に変わる。

 理由は単純だ。いつも甘い蕩けた笑みを浮かべるだけ希美の顔が、悲しみと行き場のない怒りで苦悩する顔に変わっていた。

 いつもとは違う様子に、さすがの彼も言葉を失った。


「ずっとずっと好きだった! どんなにいい男がいても、私の目にはずっとゆうちゃんしか写ってなかった!

 なのに、どうして!? どうしてあなたは別の女に夢中になるの!? どうして私のことを悪者としか見てくれないの!?

 好きだから……大切だから……その人のために何かをしたいって思うことはいけないことなの!?」

「桃瀬、さん……」


 ヒューヒューとか細い呼吸を繰り返していた日向は、泣き叫ぶ希美を見て眉を寄せる。

 元の桃色の瞳からボロボロと涙を流しながら、希美は叫び続ける。


「ねぇ、教えてよ。どうしたらゆうちゃんは私のことを見てくれるの? どうしたら私のことを好きになってくれるの? 私はこんなにもゆうちゃんのことが大好きなのに!

 どうしてゆうちゃんは私のことを好きなってくれないのッ!? 分からない、分からない分からない分からない! 私はっ、ゆうちゃんの考えてることがもう全然分からないのよぉぉぉぉぉぉ!!」


 ついに地面に座り込み、泣きじゃくる幼馴染みを見て、悠護は唇を噛みながら顔を俯かせる。


「………………ごめん。ごめんな、希美……」


 静かに、声を震わせながら告げられた謝罪に、希美は涙を流しながら顔を上げる。

 同じように顔を上げた悠護は、泣きそうな顔を我慢しながら言った。


「俺も……最初はお前のことを理解しようとした。でも、時間が経つにつれてお前のことが分からなくなった。どうしてこんなひどい真似ができるのか、どうしてこんな俺のことを好きになったのか……何度も考えても答えがでなくて……、とうとう考えるのも疲れてお前のことを無視した」


 ぎゅっと日向を抱きかかえる腕が強くなる。

 彼の顔を下から見上げている日向には、悠護が必死に己の行いを悔やんでいるように見えた。


「もちろん、お前をそこまで追い込んだのは俺の責任だ。謝罪だって土下座だってお前が望むなら何回だってしてやる。……でも、お前はこいつを傷つけた。それだけは、どうしても許せない」


 そこで言葉を区切った悠護は、悲しげに微笑みながら告げる。

 完全な決別の言葉を。


「――だから、もうお前の想いに応えることは二度とない。本当にごめんな、希美」


 その言葉を聞いて、希美は目を見開いて感情をそぎ落とした顔になるも、悠護と同じ顔になりながら小さく笑う。


「は……はは……そっか。それじゃあ……、仕方ないね……」


 再び涙を流す自分の顔をこれ以上見ていられないのか、顔を逸らした悠護を見て、希美は空を見上げる。

 分厚い灰色の雲で覆われた空を見つめながら、希美は呟く。


「これが失恋か……、もっと早く諦めていればこんな風にならなかったのかな……?」


 たとえこれが結果論でしかないとしても、今の希美の心の中には悠護への恋心も、日向への憎悪と嫉妬も消え失せ、あるのは激しい後悔。

 けれど、自分は生きている。

 たとえ自分の中にあった力が跡形もなく消えていても、これまで自分が犯してきてきた罪を償わなければならない。

 それが希美のけじめだ。


 己の中でやるべきことを見つけ出した直後、希美の体がふわりと浮いた。


「――えっ?」

「「!?」」


 素っ頓狂な声が希美の口から漏れるが、突然宙を浮く希美を見て二人は驚いて目を瞠る。

 互いに状況が読み込めない中、カランと下駄の音が聴こえてきた。


「……まったく、ここまでお膳立てしてあげたのに失敗するなんて。やはり分家ではその程度ってことかしら?」


 宙に浮いているのに下駄を鳴らしながら近づいて来るのは、美しい着物ドレスを身に纏った金髪の女性。

 初めて見る人物に日向は首を傾げるが、悠護は敵意を露わにしながらその女性を睨みつけていた。

 中でも女性の登場に驚いたのは、宙を浮く希美の方だ。


「フォクス!? あなた、これは一体なんの真似よ!?」

「なんの真似? もちろん、不出来な『駒』の処分よ」


 くすくすと妖艶に残虐に微笑む女性――フォクスの言葉に、希美の顔が恐怖で歪む。


「処分、ですって……?」

「ええ、そうよ。いくら軽く指先に触れる程度のものとはいえ、あなたは私達『レベリス』のことを知っている。情報化社会の現代では、たった砂粒一つ程度の情報でも命取り。……なら、情報を握る相手を消すのは常套手段でしょう?」


 バッと扇子が開いた直後、希美の背後に赤黒い球体が現れる。

 マグマのように燃え盛り、骨一つも残さないほどの熱量を肌で感じ、目だけを後ろにやっていた希美は恐怖で引き攣った顔をさらに引き攣らせる。


「な、何あれっ!?」

「『模造太陽イミタチオ・ソル』。本物の太陽と同じ物体を生み出す魔法よ。……まあ、人が触れたら分子レベルで分解されるけれど……、叶わぬ〝恋〟を辿った女の末路としては、とても素晴らしい小道具でしょう?」


 悪気なく、純粋に断言する狐の魔女。

 今になって自分がどれほど恐ろしい者の手を借りてしまったのか、痛いほど理解してしまう。

 けれど、後悔してももう遅い。今この時、希美の死はあの魔女の手によって確定された。


「いや……いやよ……!!」


 こんな風に死ぬなんていやだ。

 やっと自分は過ちに気づいたのに。やっとやり直そうと決めたのに。

 こんなところで死ぬのなんて、絶対にいやだ。


「誰か……誰か、助けて!!!」


 その叫びを聞いて、二人が動くのは当然の行為だった。

 一人は、長年叶わぬ〝恋〟を向け続けた少年。

 もう一人は、己の中の〝愛〟を持った大っ嫌いだった少女。


 二人の手が希美に向かって伸ばされる。自分にとって命綱となる手が。

 唯一自由が利く左手を伸ばす。あと数センチで、その二つの手が触れる。

 けれど、魔女はそんな慈悲を与えてはくれない。


 グン、と左手が腕ごと後ろへ回される。

 唯一の救いであった手も封じられ、希美は迫りくる死を回避することはできないと悟った。

 再び訪れた絶望に、すでに砕かれていた希美の心は砂となって消えていき、目から滂沱の涙を流す。


「なんで……なんでよぉ……、なんでこんな目に遭うのよぉ……!! ただ愛されたかっただけなのに……! ただ好きになってもらおうと頑張っただけなのにぃ!!」


 美しい顔が涙でぐちゃぐちゃになるほど泣き叫ぶ希美を、二人はただ見ることしかできない。

 堪えきれず笑みを浮かべる口元を扇子で隠した魔女は、愉しそうに見守る。


「やだぁ……やだよぉ……!! 死にたくないよぉおぉおおお!!」


 抗うことも救いを求めることも許されない希美の体が、偽物の太陽に近づく。

 背後でも感じる膨大な熱量が、彼女の死を絶対とものとする。


「いやぁああぁあああああああっ!!」


 その叫びを最後に、希美の体は偽物の太陽に飲み込まれる。

 ジュッ、と呆気ないほど軽い音を立てながら、希美の体は分子レベルで消えていく。

 目の前で起きたあまりにも理不尽な死を垣間見て、日向は表情をそぎ落とした顔のまま地面に座り込む。


「クソったれが……!!」


 隣にいた悠護は血が流れるほど強く拳を握りしめながら、幼馴染みを殺した魔女を睨みつけるも、フォクスは扇子を閉じて希美を殺した魔法を消す。

 正反対の反応を見せる二人を見て、フォクスは妖艶かつ邪悪な笑みを浮かべながら言った。


「さて、『駒』の処分が終わったことですし……。我らの目的のために、今この場で豊崎日向を手に入れましょうか」

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