第105話 目覚める力

 時間は少し遡る。

《銀翼》を振るう陽は、目の前に襲い掛かかるおぞましい異形を薙ぎ払っていた。

 全身がヘドロのように溶けた人型、上半身が狼で下半身が馬の異形、さらには落ち武者や血まみれの軍服を着た幽霊もいる。

 言葉らしい言葉を発せず、呻き声ばかり上げる一体を《銀翼》で心臓に向けて刺突。ぶちゅり、と嫌な音を立てて突き刺さり、叫び声を上げて消える。


「あらあら頑張るわねぇ。でも、これならどうかしら?」


 フォクスがくすくす笑いながら扇子を扇ぐと、近くにいた異形達の体が溶け、スライムのように合わさる。

 グチャグチャと音を立てながら体を混ぜ合わせる。少しずつ輪郭を持ち始めたそれは、神話に出てくるミノタウロスに変わった。

 手には巨大な戦斧を持ち、陽の姿を視界にと会えると雄叫びを上げ、戦斧を振るう。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

「チィッ!」


 ミノタウロスの戦斧を躱すと、戦斧はコンクリートの地面に大きな亀裂を作る。

 王星祭レクス選手時代にはミノタウロスを『概念』にした魔導士と戦ったことはあるが、やはりというべきか。本物オリジナルの威力は桁が違う。

 魔法陣から魔力弾を連続発射させるも、ミノタウロスは戦斧を振るって叩き切る。


 魔力弾を撃ち止めると、ミノタウロスは巨体からありえないほどのスピードで接近。すぐさま空間転移で回避する。猪突猛進してきたミノタウロスは陽の背後にあったビルにぶつかり、激しい破壊音を鳴らしながら室内をあたかもなく滅茶苦茶にする。

 窓枠がひしゃげ、窓ガラスが砂状になるほど粉砕され、調度品は見る影もないくらい破壊されている。


 室内の埃で鼻と目をやられたのか、呻き声を上げながら周囲を見渡す怪物を、陽は感心した顔で見つめる。


「……はぁ~、やっぱモノホンは迫力があるなぁ。――ま、これでしまいやけど」


 パチンッ、と指を鳴らす。直後、ミノタウロスのいる室内が赤紫色の光に包まれる。

 室内は魔法陣が前方後方左右上下と周囲を囲み、そこから赤紫色の槍が現れ、ミノタウロスの全身を貫いた。


 上級空間干渉魔法『串刺し空槍スケウェレドゥ・ハスタム』。空間の一部を利用して作り上げた槍を用いた攻撃魔法。空間を材料として使っているため、防御不能とされている。

 しかし、空間干渉魔法使いでもこの魔法を操れる者は数えるほどしかいない。ただでさえ物理法則干渉魔法の中では上位に入る難易度を誇る空間干渉魔法を上級まで操れる魔導士など、それこそ『セクス』のクラスをもらっている魔導士が二桁を超えたらいいくらいだ。


「ヴオオオオオッ!? ヴオオオオオオッ!!」


 ミノタウロスは全身に刺さった槍を抜こうとしても、空間を歪めているため宙を掻き、触れることができない。

 触れられない槍による攻撃でミノタウロスは体からどろりとした黒い血を流し、やがて全身を痙攣させて力尽きる。

 活動不可能領域まで達したミノタウロスは、全身を泥と化して消滅していった。その様子を援護しないまま見ていたフォクスはぱちぱちと賞賛の握手を叩く。


「素晴らしいわね、豊崎陽。その力、本当にのようだったわよ」

「御託はええ。それより、一番目障りなお前をここで殺せばそれでええ」

「相変わらず私達に対する敵意と憎悪ねぇ。見ているこっちが感心しちゃうくらい」


 全身から魔力を溢れ出させる陽を見て、フォクスは小さく笑っていたが、ふと視線をレインボーブリッジの方へやる。


「でも……そんな躊躇はないみたいよ?」

「は……?」


 直後、レインボーブリッジの方で琥珀色の光の柱が出現する。

 太陽、月、星……天の光を凝縮させたようなその光を見て、陽は目を見開く。


「まさか……あれは……!? アカン、アカンで日向! 使!!」


 顔に焦燥感を浮かばせた陽は、先ほどまで注意していたフォクスの存在ごと無視し、レインボーブリッジの方に走る。

 その後ろ姿を見ていたフォクスは、扇子を扇ぎながら肩を竦める。


「あらあら、やっぱり妹の方が第一優先なのね。そこも変わりないのはいいことだけど……さて、どうしましょうか」


 一応、主の命令である彼らの戦力については知ることはできた。

 だが、『駒』である希美を置いてそのまま帰ることはできない。本来なら他の人間の手を使って処分させるが、今の希美は『レベリス』の手がかりになる情報を触る程度だが持っている。

 ならば、やることは一つだ。


「私直々に幕を降ろさないとといけないわね。あの子のフィナーレを」



 ――こいつ、強い。


 ラルムという青年と刃を幾度か交えた悠護が抱いた感想は、簡潔だが確信のあるものだった。

 身の丈と同じくらいある赤い大剣は重力干渉魔法を付与しており、一度振るうたびにその攻撃が重くなる。

 いくら《ノクティス》が『切断アムプタティオ』と『硬化インドゥリティオ』を付与していると思えるほど丈夫な業物でも、重力を味方にしたこの剣戟はかなり厄介だ。


「シッ!」

「くっ!?」


 一息をつきながら薙がれた一撃を防ぐも、ビキリと筋肉が悲鳴を上げる。

 触れているたびに重くなるそれをなんとか持ち上げて薙ぎ払うも、今度は不規則に振るう。

 上段から中段、中段から下段、下段から上段とあらゆる角度で迫ってくる剣戟に、悠護はただひたすら受け止めることしかできない。


「ちぃっ!?」


 大きく舌を打ち、《ノクティス》を薙いで剣戟を逃れると、すぐにズボンの右ポケットから数個のネジを宙に投げる。

 ネジは魔法の恩恵を受けて、投擲剣に姿を変える。ラルムはそれを弾き飛ばしている内に、悠護は幻覚魔法をかけてその場を離。

 最後の投擲剣を弾いて遠ざかる足音を聞きながら、ラルムはため息を吐く。


「……逃げたか」


 敵を逃してしまったことに自分に向けて心の中で舌打ちするも、あの行動は苦肉の策として言えば最適だったろう。

 真紅色の粒子となって消える投擲剣を見つめながら、ラルムは大剣を肩に担ぎながら一息吐く。


「……あの時のあいつも、きっと同じように答えたんだろうな……」


 脳裏に浮かぶのは、自分と対峙する少年の姿。

 自分が最後まで聞くことができなかった問いの答えを訊けて、心なしか胸の中にある重しが消えたような気がした。



☆★☆★☆



「はぁっ……はぁっ……!」


 幻覚魔法の効果時間ギリギリまで逃げた先は、とあるビルの中にあるファミレスだ。

 金属干渉魔法で鍵を作って入った店内は誰もおらず、食べ残しの料理や飲み物がそれぞれのテーブルの上に置かれている。

 微かに感じる料理の匂いを嗅ぎながら、悠護は己の手にある《ノクティス》を見る。


《ノクティス》は変わらず黒い刀身を輝かせており、刃こぼれ一つもない。

 自分でさえ何故生み出せたのかさえ分からない魔の業物。けれどこれまで作った武器の中では最高位に入るそれは、悠護にとってかけがえのない相棒だ。

 だけど、この相棒ですら立ち向かうことが難しい敵が現れた。


(あのラルムって奴の剣……《ノクティス》と同じだろうな。しかもあそこまで上手く重力干渉魔法も合わさってるんじゃ、俺が真似しても負ける)


 七色家にはそれぞれ第二次世界大戦時に編み出した戦術がある。黒宮家の戦術は金属干渉魔法で作り出した武器や防具を臨機応変に上手く使う、普通の戦術だった。

 そもそも現代においてほとんどの武器が金属を使っており、魔法で無力化することも形勢逆転することも可能だ。だが、その武器を上手く使え使えなければ話にならない。

 そのため、黒宮家に生まれた人間は幼少期から武器に関するモノ全てを学ばされる。


 悠護もどの武器がどういった方法で使うのか、防具がどのタイミングで使うべきか、それこそ耳がタコになるまで聞かされ、学ばされた。

 当時はこんな勉強やめたいと思っていたが、今ならばその知識も無駄ではなかったとひしひしと感じる。


「でも……まだ足りない……」


 武器の威力だけじゃなく、知識も経験も何もかも足りない。

 少なくとも、ラルムと刃を交えたからこそ、そう思えるのだ。

 自分とは比べられないほどの修羅場をくぐり抜けてきただろうあの強者の前では、今の悠護では絶対に勝てない。


(どうすればいい? どうすれば、俺は強くなれる――?)


 心の中で自問自答すると、目の前でコツリと小さな靴音が聴こえた。

 思わず顔を上げると、目の前には白い燐光で包まれた少年がいた。黒い上着を肩にかけただけの騎士服に似た衣装を着ているが、悠護にはその衣装がどこか懐かしく感じる。

 身に覚えのある顔をしたその少年は、澄んだ瞳で悠護を見つめる。


『強くなりたいのか?』


 静謐な雪を思わせる、静かな問いかけ。

 まるで俗世を離れ、一人山に篭り、この世の悟りを得た賢者のような声。

 地平線だけでなく、世界の全てを見通しているような瞳。

 自分とは正反対なそれを見聞きした悠護は、自然と顔を下に俯かせながら答える。


「ああ……俺は、強くなりたい……」

『なんのために?』


 悠護の答えに、少年は再び問いかける。


『人は、いつだって強さを求める。時に権力のため、時に武力のため、時に怨みを晴らすため……お前は、一体なんのために強さを求める?』


 虚偽は許されないといわんばかりの威圧感に、無意識に唾を呑む。

 今すぐ逃げ出してしまいと思ってしまうが、それでもこの問いには答えなければならないと思った。

 ぎゅっと《ノクティス》を握る両手を握りしめ、今度は顔を上げて答えた。


「――大切な友、そして惚れた女を守るためだ」


 その答えに少年が目を見開くと、ふるりと口元を震わせる。

 そして、


『ふっ……ふふっ……あっははははははははははは!!』


 笑った。目の縁に涙を浮かべ、とびっきりの笑顔で。

 答えたこっちでさえ呆然としてしまうほどの呵々大笑をした少年は、細い指先で涙を拭いながら悠護にむけて微笑む。


『そうか……お前も俺と同じ答えか。うん、やっぱりそうだと思った』

「やっぱり……?」

『いや、気にするな。これはお前が知らなくてもいい些細なことなのだから』


 どこか悲しそうに微笑む少年を見て、悠護はこれ以上何も問いかけることは出来なかった。

 すると少年はゆっくりと《ノクティス》に触れる。するりと刀身を撫でる手つきと優しい目で見つめるその姿は、まるで長い時を経て出会えた友との再会を果たした旅人のようなものだった。


『《ノクティス》のこの姿は、いわゆる基本形態みたいなものだ。本来なら多種多様な武器に可変することができるんだけど……長い間眠っていたせいでずっとこの状態のままだったんだ』

「基本形態……?」


 悠護でさえ知らない事実に息を呑んでいると、少年はくすりと笑いながら言った。


『そもそも、これは元が金属でできた双剣だ。なら、金属干渉魔法を使う君なら姿の一つや二つくたい変えられるはずだろ?』

「あ……」


 苦笑する少年に指摘され、悠護の目から鱗が落ちた。

 そうだ、《ノクティス》も金属干渉魔法で生み出した物ならば、形を変えることも可能だった。完全にこの《ノクティス》と言った名の武器が一対の双剣が完全であることに考えが固定されていた。


『でも、お前の答えを訊いてようやく目が覚めたようだ』


 直後、《ノクティス》から真紅色の光が溢れ出す。その色はピジョンブラッドと呼ばれる最高級のルビーを思わせるほど美しく、その輝きは神々しくも気高い。

 光の濁流に呑まれそうになる悠護に、少年は先ほどとは違う年相応の笑みを浮かべながら告げる。


『――さあ、お前が最善だと思える未来を掴み取ってみせろ! 黒宮悠護!!』



 人気がなく、ゴーストタウンと化したオフィス街。

 ゴミがあちこちに散乱し、乗り捨てられた車やバイク、自転車がある道路を歩くラルムは、ビルの二階にあるファミレスから膨大な魔力を感じ大剣を構えると、分厚いシャッターを破って悠護が飛び出してくる。

 彼の手には一対の双剣はなく、代わりに黒い金属で作られた巨大なブーメランを持っていた。


 悠護がそのブーメランを振るうと、ブーメランは風を纏ってラルムに向かって直進する。それを躱すもブーメランは再びラルムの方へ戻って行き、ブーメランの先端が彼の肩を軽く掠った。

 肩から出た血飛沫を出し、先端に僅かな血をつけたブーメランは悠護の手に戻った。


「お前……まさか、『可変の技』を……!?」

「ああ、さっきまでの剣の打ち合いはもうなしだ。今度はこっちの番だ。耐えてみせやがれぇ!!」


 ブーメランが大槌に変わり、ラルムの頭上めがけて振り下ろされる。

 大槌が下りた地面は地割れを起こし、コンクリートの破片が宙に舞う。破城槌の特性を存分に生かした大槌を力任せに振り回し、ラルムの右横にあったポストを粉砕する。


「くっそ、デタラメな戦い方しやがってッ!!」


 ラルムが大声で叫ぶと、彼は大剣を中断に構え突進する。

 心臓狙いの一突きを狙ったその攻撃に、悠護は一歩も動かない。剣の先が心臓に届こうとした直後、ガキィンッ!! と甲高い音が聴こえた。


「何……!?」


 悠護の左胸には、黒い鎧が胴体にだけ覆われていた。ラルムの剣は鎧によって弾かれ、手から剣が離れる。

 ふと左に影ができたかと思い目だけ上にやると、ちょうど悠護が黒い籠手に覆われた右腕を振り下ろそうとしていた。


「歯ぁ食いしばれよ!!」


 直後、ラルムの左頬に重い一撃が突き刺さった。

 腕に付与された強化魔法によって、普段とは違う膂力を受けたラルムの体は木の枝のように吹き飛んだ。

 ラルムが地面を転がり止まる音を聴きながら、悠護は荒く息を吐きながらその場に両膝をつき、鎧に絡みついた剣を適当の方に放った。


「はぁっ……はぁっ……、ふっ、ぐぅっ……ッ!」


 普段とは違う魔力の消耗を感じていると、身につけていた籠手と鎧がどろりと溶ける。

 そのままするするとスライムのように悠護の右手首にいくと、綺麗な円を作り、黒い金属のブレスレットに変わる。

 中心には赤い幾何学模様が入ったキューブがあり、曇り空で薄暗いここでも鈍く輝いていた。


「いつもなら粒子になって消えんのに……、まさかこれも可変の効果なのか……?」


 魔導士達が当たり前に使っている魔法には、世界中にある科学分野と同じようにブラックボックスがある。

 悠護自身も噂程度しか聞いたことがないが、ある魔法が変異を起こして上級魔法に匹敵する威力を持つなど様々な事例があり、魔法について詳しい研究者達が日夜調べているらしい。

 もちろんブラックボックスの意味では無魔法がダントツなのだが。


「そうだ……、早く日向の元に行かなきゃ……」


 震える足でなんとか立ち上がろうと瞬間、悠護の背後で眩い光が生まれた。

 振り返るとレインボーブリッジの方で琥珀色の光の柱が天を貫く勢いでそびえ立っており、悠護の意識があの光の輝きへ向けられる。

 息を呑むほどの神々しさを前に、悠護の足は自然とあの光の柱に向かって走り出した。


 その様子を遠目で見ていたラルムは、仰向けのまま顔だけを光の柱を見つめる。


「まさかあの魔法を使うとはな……、またあれを目にするのはもっと先だと思ってたのによ……」


 日向の中にあった『錠』が全て外れているが、本物の『最後の錠』は外れていない。

 今の状態で使うと自分自身もタダじゃすまないのは、向こうも重々承知なのだろう。


「……ま、生きていればそれでいい。あいつが生きている限り、俺達は目的を果たすためにあいつを狙い続ける」


 まるで誰かに語りかけるかのように呟くラルムは、先ほどより輝きを増した光の柱に目を移す。


「魔導士の楔から解き放つ解放の光か……、確かにそう言ってもおかしくないくらい綺麗だな」

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