第104話 光の柱
黄金の鱗に覆われた拳が、翡翠色の槍に激しく激突する。
腕から迸る雷撃を目の前の青年は冷や汗を流しマークりながら受け止め、槍を横へ払う。
後ろへ下が下がる敵を見据えながら、ギルベルトは右手を開いたり閉じたりを繰り返す。
(ふむ……魔法を付与している気配はないが、あれが専用魔導具であるのか確定だ。それにしれも、あの槍どこかで……)
「ああもう……ただでさえ
アヴェムと名乗った青年はブツブツと何かを呟くと、両手で槍を持つと槍の杖の角をコンッと地面に突き立てる。
「『
アヴェムが突き立てた槍から矛のように鋭く尖った土が次々と出現する。
ただの土でも魔法さえあれば、どんな金属よりも高い硬度を持つ武器となる。一般で流通している銃器では太刀打ちできない土の槍を、ギルベルトは雷を放つ。
雷を司る竜を『概念』としている彼は、
すなわち、この上級魔法は彼の敵ではない。
黄金の雷が雪を降らす濃灰色の雲から降り注ぎ、土の槍はことごとく礫と化す。
さらには目の前まで迫って来た土の槍を、右手で掴み取り握り潰す始末。これにはアヴェムも顔を真っ青にする。
「いやいやいやいやなんだよそのバカ火力ッ! 卑怯過ぎだろ!?」
人の頑張り全てを鼻で笑うような魔法に、アヴェムの顔色は青を通り越して白になる。
ほぼヤケクソ状態で刺突を繰り出すも、鉄よりも硬い鱗に覆われた左腕に防がれる。そのまま横に払われると、ずるっとアヴェムの足が滑る。
「おわっ!?」
敵と交戦中に尻餅をつくというあまりにも間抜けな醜態を見せた直後、顔を隠すくらい深く被っていたフードがはらりと取れる。
フードの下に隠されていた素顔が露になると、ギルベルトのガーネット色の瞳が大きく見開かれる。
その顔と広まった視界に気づくと、「あ゛……」と顔を引きつらせる。
「何故……貴様がここにいる?」
「……それは企業秘密だよ」
バレたせいで自棄を起こしているのか、フードを被り直さないまま立ち上がる。
翡翠色の槍を持ちながら、アヴェムは彼の最大限の強がりを見せた笑みを浮かべながら言った。
「……で、俺の正体を知ってどうするの? そこんところ教えてよ、王子様?」
自分でも何故やっているのか分からない挑発を繰り出すと、ギルベルトはしばし熟考する。
やがて小さく息を吐くと、バチバチッと右腕に纏っていた雷が音を立てた。
「――このまま殺そうと考えていたが、気が変わった。貴様を捕まえて『レベリス』の情報を全て吐いてもらう。無論、オレが直々に拷問してやろう。覚悟せよ」
瞳孔が縦長の模様に変わり、頬にまで鱗が浸食する姿を見て、アヴェムは自分がした挑発にいまさら後悔しながら、口元を引きつらせた半泣き顔で呟いた。
「これが、『無理ゲー』ってやつ……?」
心菜と樹は、目の前の敵二人に苦戦していた。
ルキアは従来の魔物使いよりも上を行く技術を持っており、魔物の扱いも心菜より上手い。アングイスは今回初めて出会った敵であるのもあるが、一言でいえば『やりにくい相手』だ。
こちらが先制攻撃を仕掛けても躱し、一瞬の隙をついて攻撃を仕掛けてくる。かと思えばルキアとインフェルノを援護し、一人と一体が危なくなると退避させる時間を稼ぐ。
相手だけでなく味方の戦況をよく見た徹底した後方支援。
樹はともかく、心菜はどちらかといえば中衛寄り。
もちろんチームワーク性は他のクラスメイトより上を行っているが、それでもアングイスの方がその上を行っている。
(クソ、ちょっと油断したな。まあ逆に言ったと、幹部名乗るくらいの実力はあっても当然ってことか)
さて、どう突破するか、と心の中で戦略を立てる樹。
いくら聖天学園に実戦授業があるとはいえ、学ぶのはあくまで授業として留まる範囲だ。『レベリス』という明確な敵を知ってからは本格的な実戦を独自で学んでいるが、それでも向こうの方の戦闘歴が長い。
ちらり、と横にいる心菜を見ると、彼女も目だけをこちらに向けており、何か言いたそうな顔をしている。
そして、その言いたいことも自分と同じだと察することもできた。
「心菜、お前の考えは俺と同じか?」
「そういう樹くんは?」
「愚問だな」
心菜の質問にパシンッと音を鳴らしながら手の平に押し当てる。
その顔には怯えや恐怖はなく、自信に満ち溢れている。その顔を見て、ルキアとアングイスの警戒度を大きく跳ね上げる。
「んじゃ、作戦コード『嘘と光』でよろしくな!」
「うん!」
樹がそう言った直後、彼はそのまま地面を蹴り上げて真っ直ぐ走る。
魔力を生成する気配も魔法を発動する様子もない、単純は動き。アングイスはその行動に不信に思うも、ルキアは鼻で笑う。
「あいつ、とうとう自暴自棄になったみたいね。まあいいわ、学園祭の借りはここで返してもらうわ。――インフェルノ、あいつを殺しなさい」
ルキアは己の魔物に命令を下すと、インフェルノは主の言葉に従い剣を持つ。
学園祭で受けた傷は、彼女にとっては返さなくてはならないほど屈辱なものだった。いくら
いわば、これは雪辱戦だ。ここで樹を殺せば、ルキアが味わった屈辱は消える。
だが、アングイスはそんなルキアとは余所に、厳しい目つきでこちらに進んでくる樹を睨んでいた。
(……おかしい。いくら一六の子供でも、この状況はあまりにも無謀すぎると分かっている。ならば、勝算があるのか?)
元々戦闘向きではないアングイスは、樹や心菜の情報は主にハッキングなどで得た個人情報と実際に相手にした幹部からの話しか得ていない。
特に樹の情報は三割がルキアの私怨しかなかったが、アングイスの抱く彼の評価は以外にも高い。
現代では珍しい精霊眼を持ち、魔導具にも明るい。一見無鉄砲な行動があるように見えるが、実は周囲の状況を逐一確認している。きちんと引き際も考えており、彼がこんな風に安直な方法で仕掛けるのが不自然だとアングイスは思っている。
そんな彼の考えを知らないルキアの命令によって、インフェルノが樹の頭上に向けて剣を振り下ろそうとする。
だが樹は顔色一つ変えるところが、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべる。
すると、彼の後ろのポケットから何かを取り出したかと思うと、それを宙へと投げる。投げたものは太陽が出ていない曇り空でも映える、
それを見た直後、アングイスは叫んだ。
「ルキア! 今すぐインフェルノを下がらせろ!!」
「!?」
アングイスの叫びにルキアが反応するも、それは一足遅かった。
宙を浮く琥珀色の石が一際強く輝くと、ガラスのように呆気なく割れる。目が眩むほど眩しい光が三人を包み込み、インフェルノは霧のように消えた。
「まさか、無魔法!?」
「やられたな!」
この光の正体に気づいたルキアの驚きの声を聞きながら、アングイスは舌を打つ。
最初の無謀な進撃はフェイク、注意を樹自身に集中させることで次の動作に気づかれないため。
次の
(まったく、この年で恐ろしい男だな)
人生の四分の一も生きていない若造が、ここまでの知恵を絞って起こした作戦は賞賛に値する。
だが、無魔法が発動している間は、この範囲内にいる樹も魔法は使えない。
そう思った瞬間、ルキアの腹に樹の拳が突き刺さる。
「がは……っ!?」
「なっ!?」
ルキアの細い体は呆気なく転がり飛んでいき、アングイスが袖の下に隠していたナイフを取り出すも、前方からやって来たペリドット色の
視線の先には同色の
痛みに耐えながら光矢を素手で握り潰すと、一メートルほど飛ばされたルキアの方に近寄る。
「……おい、生きてるか?」
「げほっ……ええ、生きてるわ。でも、なんで? あいつも無魔法の効果範囲にいたはずなのに……」
「あれは強化されたモノじゃなくて、人本来の腕力による打撃だ。……まあ、ここまで吹き飛ばしたのは驚いたがな」
敵でありながら見事な作戦に賞賛するアングイスの横で、樹と心菜は顔には出さないが内心では作戦が上手く成功して安堵していた。
作戦コード『嘘と光』。これは二人だけの作戦ではなく、他のメンバーを含む全員が共有している作戦だ。
二人一組で行動するのが多い魔導士達は、通常の時でもチームを組んでいる時でも通用する作戦を考えている。
その数は人によって千差万別で、内容も似たり寄ったりだ。
だが作戦のコード名と内容を知らない敵にとっては有効で、学園でも練習として自分達で作戦を考えることもあった。
『作戦っちゅーんは、一種の知恵の競い合いや。相手の知恵と自分の知恵、そのどちらかが優れてるのかはその作戦の行方によって大きく左右する。たとえ内容を頭に入れていても、状況によっては作戦が上手くいかない場合もある。常に失敗と成功の確率を考え、予備の作戦も頭に入れておく。これさえやっとけば、まあ六割くらいは成功するで』
そう笑顔で断言した担任教師に、じゃあ残り四割は失敗するのかよ、と口には出さずに心の中でツッコんだ記憶は今も新しい。
そもそもの話、作戦コード『嘘と光』は自分の手持ちに日向の
五月に日向が初めて作った
(ま、それで成功したからいいんだけどな)
サンキュ日向、と心の中で友に感謝を伝えていると、樹達とアングイス達の間に黒い焦げがついた紅い物体が木の枝になっていた林檎の如く落ちてきた。しかも「ふげぇ!?」と悲鳴を上げて、顔面から。
毛先が外側に跳ねたくすんだ茶髪にペパーミントグリーン色の瞳をした青年――恐らくアヴェムと名乗った幹部だろう。
露わになった顔には赤く変色した火傷があり、全身もボロボロで痛々しい姿だ。
「大丈夫か、アヴェム? というか、随分とボロボロだな」
「う、うっさいなぁ! あんな化け物が相手じゃしょうがないって!!」
アングイスの言葉にアヴェムは泣きながら、頭上を指さす。
バサッバサッと羽音が聴こえてきて頭上を見上げると、背中に翼を生やしたギルベルトがストンッと軽い足音を立てて着地した。
「よっ、あれお前の仕業?」
「まあな。ネズミ並に逃げ足の速い男だ」
樹の軽い挨拶をこれまた軽い口調で答えるギルベルト。
アングイスが怪我人二人を見て、ふと瞳をレインボーブリッジの方へやる。しばし無言で数秒ほど見つめると、ルキアを脇に抱え、アヴェムを俵担ぎした。
「お前達、そろそろ時間だ。引き上げるぞ」
「あー……マジかー……助かったぁ~」
「ちょっと、離しなさいよ」
アングイスの言葉にアヴェムが心底嬉しそうに安堵の息を吐くが、ルキアは抱えられ方に文句があるのかジタバタと暴れる。
すっかり退却準備万端な三人を見て、ギルベルトは舌打ちをすると右腕に纏った雷を放つ。
「逃がすかッ!!」
放たれた雷撃は轟音と爆風をもたらし、周囲を焦げた嫌な匂いを充満させた。
灰色が混じった黒煙が晴れると、そこにはひび割れた地面と真っ黒く染まった焦げ跡、それから燃えた羊皮紙の切れ端。
その切れ端が綺麗に消えるのを見て、ギルベルトは再び舌を打つ。
「チッ、逃げたか」
「あの羊皮紙って空間転移の魔導具だよな? しかも魔法陣を手書きで書くアナログタイプの」
現代の魔導具は
共通する点は、魔力を少量注ぎ込めば反応するところだ。
「これって、ひとまず事態が収まってことでいいのかな?」
「だが、あいつらの狙いは日向だ。オレ達の隙を狙う可能性も高い。ひとまずレインボーブリッジに向かうぞ」
そう言って元の人間の姿に戻ったギルベルトが走り出すと、二人も頷き合ってその後を追った。
☆★☆★☆
一方、怜哉は今もレトゥスと刃を交じり合っていた。純粋な技と技術の勝負は、二人の戦いへの渇望を上昇し続ける。
怜哉の《白鷹》は鎌の斬撃を受け流し、槍の刺突も弾き飛ばす。一方でレトゥスの鎌槍も四方あらゆる方向からの斬撃を受け止め、防御が甘くなった隙を狙って刺突を繰り返す。
鋼の剣戟は何度も甲高い金属音を響かせ、火花を散らす。
もちろん、これだけの攻防戦を繰り返して二人が無傷のままでいるはずがない。
彼らの顔、腕、腹、足には数多くの切り傷を作り、血を流す。白い雪で覆われている地面をも汚すその血は、普通の人ならば失血死してもおかしくない。
再び互いの武器がせめぎ合い薙ぎ払われると、同時に距離を取る。肩で呼吸しなければいけないほど息を切らしても尚、二人の戦意は消えていなかった。
「アハハッ、お兄さんここまでやるなんて予想外だよ! ねぇねぇ名前は?」
「白石怜哉だよ」
「怜哉かぁ……怜哉、怜哉……うん、覚えた!」
見るからにボロボロな少年の無邪気な笑みに、さすがの怜哉も薄気味悪いと感じてしまう。
彼の攻撃は素早くも一撃一撃はそこまで重くない。だが、厄介なのはレトゥスが罪悪感も死の恐怖も抱いていないことだ。
罪悪感も死の恐怖も強者になればそれらを弱さとして切り捨て、非道かつ残忍な殺人鬼へと変貌させる。その手の相手は時には自分の身すら顧みない攻撃を仕掛けるため、とても性質が悪い。
次に何か攻撃を仕掛けるのかと息を呑んでいると、突然レトゥスの肩に白い鳩が止まった。その鳥の足首についている紙を取って開くと、途端に拗ねた顔になりそのまま紙を魔法で燃やした。
「ごめん、もっと戦いたかったけど撤退しろって先生に言われちゃった」
「へぇ、意外。君の場合、命令なんてクソ喰らえって思うタイプだと思った」
「ぼくもそうしたかったんだけど、守らないと鬼みたいに怒る人がいるからさ」
そう言って両手の人差し指を立てて、その手をこめかみに当てて鬼のポーズを取る。
年相応の反応に一瞬困惑するも、レトゥスは羊皮紙を取り出すと魔力を注ぎ込む。すると羊皮紙の表面から黒い渦が巻き起こり、そのままレトゥスの体を包み込む。
「じゃあね、怜哉。次会った時はもっと戦おうね」
ばいばーい、と手を振って渦と共に消えて行くレトゥスを見送った怜哉は、一息吐くと《白鷹》を鞘に納める。
自身に流れる血を見つめ、簡単だが治癒魔法をかけて治す。血が止まり、傷が塞がる様子を見ていると、ちょうどスマホが震えて取り出し電話に出る。
「はい?」
『あ、怜哉先輩。ちょうどよかった。俺達そろそろレインボーブリッジに行くんですけど、先輩は?』
「行くよ。ちょうど敵が撤退したから」
『……そっすか。じゃあ現地で落ち合いましょう』
樹との会話を数回で済ませると、怜哉はスマホの電源を切る。
あの様子だと向こうも撤退させられたのだろう。だが、これ以上深追いすると命の危機に晒してしまう。
この辺りが妥当だと、未だ燃える戦意の炎をなんとか消そうとした瞬間だった。
「……何、あれ……」
昼なのに薄暗い空を貫く琥珀色の光の柱がレインボーブリッジに現れた。
光の柱から感じるのは、人間が一人じゃ抱えきれないほどの膨大な魔力。少なくともあんな規格外な魔力の塊を怜哉はお目にかかったことはない。
――嫌な予感がする。
ふと、怜哉の直感が危険信号を鳴らす。それはあの光の柱の色を、あの少女と重ねたからだろう。
いつもの無表情が嘘だと思えるほどの焦燥感が走った顔を浮かべながら、怜哉はレインボーブリッジに向かう足を速めた。
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