第107話 見上げる月は今日も美しい
日向を手に入れる。
その意味を理解にする前に、悠護の体は鉄球のような重さを感じる風によって横に吹き飛ばされる。
「があっ……!?」
防御する暇もないままケーブルに叩きつけられた悠護は、肺の中に溜まっていた酸素と一緒に少量の血を吐き出す。
どさりと重い音を立てて地面に倒れるパートナーの姿に、我に返った日向が彼の方へ駆け寄ろうした。
「悠護!! ……あぐっ!?」
だがその前に、日向の目の前に現れたフォクスが彼女の胸倉を掴んで、進行の邪魔をする。
細腕からは想像できない握力が、ギリギリと音を鳴らしながら日向の頸部を圧迫していく。
「かっ……あがっ……!」
「ふふふ……長期に渡る戦闘と『
艶やかに微笑むフォクスの目は、笑っていない。絶対零度のように冷たく鋭い眼差しを受けながら、狐の魔女は忌々しそうに言った。
「……本当に、見れば見るほど気に入らないわ。その顔も、髪も、瞳もまったく一緒。ああ口調と性格は多少
どこか遠くの、この場にいない『誰か』を日向に重ねているフォクスの独り言を聞いていたが、戦闘での反動で呼吸もままならなかった日向の息がどんどん弱いものになっていく。
呼吸音でようやく気づいたのか、フォクスはつまらなそうな目を向けながら、胸倉を掴んでいた手を離すと、そのまま体勢を変えて脇に抱えた。
「……まあいいでしょう。このまま連れ帰って『調整』の手伝いをさせれば、全て解決します。のんびり最後の『錠』を探して外すのは時間の無駄ですし、手っ取り早く――」
「――日向!! 悠護!!」
このまま自分の方針を口で言いながら確認していると、分断された橋の向こうで陽達が勢いのままこちら側に向かおうとしていた。
メンバーの中で意外と足の速い樹が強化魔法で脚力を向上させ、そのまま走り幅跳びの要領で跳躍する。
だが。
「ぶっっ!!?」
「樹くん!?」
バンッ!! と不可視の壁によって顔面をぶつけ、心菜が悲鳴を上げると同時に樹の体はスーパーボールみたいに弾き飛ばされた。
数回ほど逆でんぐり返しをして仰向けで倒れた樹の姿を見て、陽が怒りを乗せた顔でフォクスを睨みつけた。
「『
「ご名答。ここから先の空間を魔法でいじって分断させたわ。私が魔法を解除しない限り、あなた達はそこから先にはいけないわ」
空間干渉魔法で厄介の部類に入る魔法を嬉々として使うフォクスは、悔しそうに歯軋りする面々の顔を見て面白そうに笑う。
その顔を見ていた日向が睨みつけていたが、ずる……ずる……と重い物が這うような音を聴いて、そちらに顔だけを向ける。
フォクスに吹き飛ばされた悠護は意識が朦朧としているのか、焦点が定まっていない目を向けながら腹這いで距離を縮めていた。
左右の腕を交互に使い、上下に震える左腕が前に出た直後、フォクスが厚みのある下駄でその手を拭見つける。
「があぁっ!?」
「悠護……!」
「悪足掻きを……。なんてみっともないのかしら」
ぐりぐりと容赦なく下駄を左右に動かしてダメージを与えてくるフォクスの目は、完全に虫けらを見下す目そのものだ。
必死に痛みに耐えながらフォクスを睨みつける悠護を見て、彼女の眉がピクリと苛立たしげに動いた。
「フォクス! 一体何をやっている!?」
今度は日向達がいる橋の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。
ややうんざりした様子で顔を向けると、そこには軽くだがボロボロの姿になった仲間がいた。
「あらあら、意外と遅かったわね。目的のものは手に入れたから、早く城に帰りましょう」
「できるわけないでしょ!? 私達の任務はもう完遂しているわ、彼女を連れて行く命令はないッ!」
優等生らしい言葉を言ったルキアを見て、フォクスは聞き分けのない子供を見る目でやれやれと肩を竦める。
「それこそ意味が解らないわ。ちょうど怪我を動けない最高の獲物があるというのに、仕留めないまま逃がすのがどれほど愚かしいか。そもそも、あなた……といか、ラルムもアヴェムも本当は早く組織を抜きたいのでしょう? 彼女を手に入ったらそれだってすぐに済む。だったら、私のすることに口出す権利はあるの?」
フォクスの正論に、ルキアだけでなくラルムもアヴェムも気まずい顔を浮かべて目を逸らす。
その顔を見て、自分の方が有利だと悟ったフォクスは日向を抱える腕の力を強くする。腹部が圧迫されて呻き声を上げる彼女を無視し、悠護の左手に乗せていた下駄をどかしながら痛みに歪んでいた彼の顔を蹴る。
踏まれた左手と蹴られた右頬に痣を作った悠護を一瞥し、毅然とした態度で仲間達向かい合う。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。これ以上時間をかけたくありません」
「そうしたいのは山々だが……、どうやら無理みたいだぞ」
「え?」
アングイスの言葉にフォクスが首を傾げた直後、その場にいる全員の体だけでなく内臓までもが重力がかけられたような感覚に襲われる。
『―――ッ!!』
今まで感じたことのない魔力、身動き一つすらままならないほどの圧迫感と威圧感。
分断された橋の真ん中、地面がなく眼下には濁った海が広がるその場所に――彼が、いた。
裾に白いレースをあしらわれた、紅いローブ。顔半分をすっぽりと被ったフードから覗く緩やか髪の色は、雪よりも美しい純白。
はぁー……と小さい白い息を吐く姿は一枚の絵画のようで、思わず目を奪われる。
だが、フォクスは冬なのに冷や汗を流しながら、真っ青な顔で呟く。
「あ……ああ……主、様……!」
特一級魔導犯罪組織『レベリス』のボス。
幹部達しか本名を知らず、命令として自分のことを『主』と呼ばせた青年は、この世界へ君臨した。
組織のボスの登場に、その場にいる全員はあまりの急展開に状況が読み込めなかった。
誰もが言葉を失う中、主はゆっくりとフォクス達がいる方へ近づく。
空中にいるにも関わらず、黒いブーツの靴音を鳴らしながらフォクスに近づく主の顔は、フードに隠れて見えない。けれど、その身に纏う魔力が彼の怒りをひしひしと伝えてくる。
「フォクス」
主が名前を呼ぶ。たったそれだけなのに、フォクスの全身の毛穴からぶわっと汗が噴き出す。
ガタガタと体が震える。歯が上手く噛み合わない。目は眼球ごと回ってるんじゃないかと思うくらい視点が定まらない。
先ほどまで場を乱し、優位に立っていた魔女は、主人の登場によってその主導権を奪われた。
「彼女を離せ。なるべく優しくだ」
「は……、はい……」
主の命令に従ったフォクスは、ゆっくりと丁寧に日向の体を地面に下す。
仰向けで寝転ばされた日向は、目の前いる主を霞む目で見つめる。
出で立ちも雰囲気も全然違うが、目を瞠るような髪の色だけは変わっていない。
「あなたは……誕生日の時に会った人……?」
「……そうだ。だが、今はそんな些事はどうでもいい」
日向の質問にあっさりと答えた主は、ゆっくりと彼女の目を手で覆う。
まるで悪夢を見て寝つけない子供に聞かせるような声で、小さく囁く。
「お前の体はもう限界だ。ゆっくり休め。いずれ時が来たら、その時は――必ず、お前の全てをもらおう」
どこか優しさが篭められた声を聞きながら、覆われた指の隙間で日向が最後に見たのは、妖艶に微笑む口元と、微かに白銀色に輝く純白の髪だった。
ゆっくりと瞼を閉じられたのを確認すると、主はその場に立つ。そのままフォクスから与えられた痛みで意識がはっきりした悠護に顔を向け、言った。
「今はお前に預ける。だが、時が来たら彼女を頂くぞ」
「ふざっ、けんなよ……! どいつも、こいつも……、日向を物みたいに扱いやがって……!」
許せない。好きな女が、こんな奴に物みたいに扱われるのが。
そんな悠護の心情を察したのか、主はしばし逡巡すると、はっきりとした口調で告げた。
「勘違いするな。私は彼女を一度も物として見ていない。お前と同じ、彼女を求めるただの男だ」
その言葉にはっとなり、悠護は目を見開きながら主を見る。
だが主はそれ以上言葉を紡がず、フォクスに近づくとそのまま彼女の横に立つ。
「帰るぞ」
「…………はい」
未だ青い顔のままのフォクスが頷くと、主の後ろをまるで判決を待つ罪人の如くついて行く。
主の目の前では虹色に輝く魔法陣が展開されており、ラルム達が両隣で立っていた。
煌々と輝く魔法陣の前で立ち止まると、主は一度だけ顔を背後へ向けた。
分断された橋の向こうで状況が半分も呑み込めていない樹と心菜、何も出来ず敵である自分達を逃すことに己に憤りを感じながらも睨みつける陽、凪のように静かな表情で澄んだ眼差しを向けるギルベルトと怜哉。
そして、再び愛する女を抱き抱える悠護と、瞼をしっかり閉じて眠りにつく日向。
多種多様な反応を見せる彼らを見つめるも、主はすぐに顔を逸らし魔法陣へと足を踏み入れ、姿を消す。
次にフォクスが足を踏み入れ、他のメンバーもそのまま魔法陣の向こうへと姿を消した。
小さな燐光となって消えていく魔法陣を見つめながら、悠護達は何もせずただその場に立ち尽くす。
長い沈黙が下り、橋の下の波の音と弱く吹く風の音しか聞こえない中、頭上でけたたましいプロペラ音が聴こえてきた。
空を飛ぶのは、緑がかかった灰色をした大型輸送ヘリコプターが二機。ドアには王冠が彫られた金盾の下を銀の剣が交差し、その周りを蔓草で囲んでいる絵が描かれている。それが『クストス』のシンボルマークであることに気づいたのは、ヘリコプターが日向と悠護がいる橋と、陽達がいる橋の上に着陸した後だった。
そこからは特に何もなく、着陸したヘリコプターに乗っていた『クストス』の職員に付き添われるようにヘリコプターの中に乗り込んだ。
案内された席に座った悠護は、魔法で応急処置を施されている日向を横目に、窓から見える景色を無言のまま見下ろす。
窓に映る自分の顔が、悲しみと後悔が入り混じった感情が浮かんでいたことは、本人以外誰も知らなかった。
二人の少女が戦い、幼馴染みの少女が死に、日向を含む自分達に多くの謎と傷跡を残したレインボーブリッジは、ヘリコプターが遠ざかるとその姿を薄い雲に紛れて隠れていった。
☆★☆★☆
白亜の城の、さらに奥深くにある地下水路。
僅かな異臭すらない、水本来の匂いがその場所にある、分厚い鉄の扉。大き目の錠が三つついており、中は上下左右が石壁で、天井には枷がついた鎖が垂れている。右手に簡素なベッド。左手には洋式便器があり、横には隠すにはお粗末な衝立が置かれている。
独房と呼ぶべきその場所に、主とフォクスは向かい合っていた。
主は変わらないが、フォクスだけは格好が違った。
両手首を枷で繋がれ、首には解読できない赤い文字が浮かび上がる黒い枷を嵌められている。彼女の両横には返しがいくつもついた細長い錐を両手に持っている魔導人形が控えている。
フォクスは未だ青い顔のまま主を見つめるが、主は表情が見えないまま言った。
「フォクス、お前は自分がしたことを理解しているのか?」
「私は、あなた様を思ってやっただけです! こんな手ぬるいまま本当に『錠』を全て外せるとお思いですか?」
「確証があるからやっているだけだ。お前が口に出していいものではない」
「ですが、前回の件で我らの存在がIMFに知られました。このままでは魂と魔力の回収も難しくなります。あなたがしていることは、我々の首を絞めているだけはないのですか?」
ジャラジャラと鎖を鳴らし抗議するフォクスを、主は無感動な目で見つめる。
「たとえそうだとしても、お前如きが口に出していいものではない。それに……あれは……」
「……?」
主の言葉に、フォクスは不審そうに眉を寄せる。
だが目の前の男はフォクスの反応を見て顔を顰め、誤魔化すように咳払いを一つした。
「とにかく、命令ではない独断行為は許されない。故に、お前には罰を与える。――やれ」
パチンッ、と主が指を鳴らす。
両側に控えていた魔導人形の無機質な目が緑色に光った直後、二体は手に持っていた錐がフォクスの体を貫いた。
それだけでは止まらず、錐をノコギリのように上下に動かし始める。
「いっ……!? ひぎッ……! ギャアアアアアッ……!!」
断末魔を上げるフォクスは萌黄色の瞳から大粒の涙を零し、口の端から涎を流す。
錐はぐちゃぐちゃと肉を掻きまわし、返しには淡紅色の肉片が小石程度の大きさだが粘着質のある血と一緒についていた。
魔導人形達が錐を引き抜くと、今度は別の場所に錐を突き刺し同じように動かすという動作を繰り返す。
「その錐は特注でな。その返しが肉を掻き、全身に痛みと不快感を与える。安心しろ、もし虫の息になってもこいつらが完全に治してくれる。……まあ、完治したらまたやるがな」
「お、お許しを……もう二度と、あなた様には逆らいません……ですからご慈悲を……!」
あまりの痛みと不快感にはさすがのフォクスも耐え切れず、右手を伸ばしながら許しを乞う。
だが主の答えは、フォクスの望み通りのものではなかった。
「ならない。お前は狐の中でもずる賢さでいえば一位に君臨する狐だ。二度と逆らえないと本心から誓えるまで、ここからは出さない。精々気をしっかり保て」
無情にもそう吐き捨てると、主はそのまま独房を出て行く。
錠前が重々しい音を立てながら鍵をかけ、主の足音が遠ざかると、フォクスは脂汗と涙で汚した顔のまま叫んだ。
「お許しを! 主様、どうか……! ギッ……、がぁっ……! ぎゃああああああああ――――――ッッッ!!!」
グチュッ!! と一際大きく肉を突き刺す音が響いたと同時に、フォクスの人生で今まで上げたことのない断末魔を上げた。
血臭と赦しを乞う断末魔に支配された地下水路から離れ、自室に戻った主は羽織っているローブをカウチに向かって投げ放つ。
そのまま天蓋ベッドに倒れ込むと、コンコンとノックしたすぐにアングイスが入ってきた。
「終わったのか?」
「ああ、フォクスはしばらく独房からは出さない。生存確認のためにお前が定期的に監視しろ」
「元よりそのつもりだ。……それで、今後はどうする? 今まで通りとはいかないだろう」
『レベリス』の存在が知られた以上、フォクスの言う通りこれまでの活動はなるべく縮小されるだろう。
そもそも世界各地で起きている『吸魂鬼事件』は、大半が魔導人形と傘下である魔導犯罪組織の人間の仕業だ。
『レベリス』はなるべく情報を他に流入しないように、別の魔導犯罪組織名を名乗っている。あくまでも構成員は主を入れた七人による少数精鋭として。
個々の能力が秀でているアングイス達は、幻覚魔法で姿を変えて他の魔導犯罪組織と接触・同盟を組み、力を貸す代わりに『
そうすることで局地的に回収作業を任せられ、たとえ相手が捕まっても偽の拠点と電話番号しか持っていない彼らは弁解することもできない。さらにいえば、魔導具自体には所有者として登録した人間が持つと解析できないほど爆発する仕組みにもなっている。
そんな完璧な隠蔽工作を施してきたが、『レベリス』が知られた以上はこの手はあまり使えないだろう。
「今まで通り何も変わらん。手くらいいくらでもある。そう怯えるな」
「そうだがな……」
不満げでまだ何か言いたそうな顔をするアングイスを見て、主は煩わしそうに口元を歪めながら、布団を頭のてっぺんまですっぽりと被った。
「もう寝る。今後については明日伝える」
「………………そうか。じゃあ僕も失礼しよう、おやすみ」
こうなったらこれ以上会話は続行不可能と悟ったアングイスは、そう言ってドアノブに手をかけて廊下に出る。
すでに寝息を立てている主の眠りの妨げにならないようにドアを閉め、なるべく静かに廊下を歩く。
ふと、半楕円形の窓から入る月光を見て、アングイスは自然と顔を上に向ける。
世界との時間とも現象とも切り離されたこの場所は、いつでも美しい星空も青空も見ることができる。
今の空は、雲一つなく星もない大きな満月が浮かんでいる。
「人も街も物も移り変わっていく中で、見上げる月の美しさだけは変わらないな……」
寂しそうに、懐かしそうにそう呟いたアングイスは月から目を逸らし、己の自室である地下へ向かうべく歩く足を速めた。
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