第108話 後悔と涙とキス
一二月二四日に起きた魔導犯罪事件――通称『
魔導犯罪時は国民の安全のためにシェルターにいるため、メディアにはIMFから与えられた情報しかニュースに流れず、SNS上では推測の域すら達していない内容や真実を伝えないIMFを批判するコメントがスマホを開けると嫌でもお目にかかる。
だが、今回はIMF自らメディアに与えた情報がある。
国際魔導士連盟でも機密情報として扱われた特一級魔導犯罪組織『レベリス』についてだ。
数百年前から実在していた魔導犯罪組織であり、近年多発している『吸魂鬼事件』の主犯であると全世界に報道され、ニュースを見た人々は不安と恐怖を抱いた。
その時、とある人物の発言によって一瞬で消え失せた。
『全世界にいる国民よ。不安や恐怖を抱く気持ちは理解できる。だが私は、国際魔導士連盟は彼らのような存在を見過ごしはしないと信じている。国民諸君も、どうか君らを守る彼らに温かい声援を贈って欲しい』
全世界に向けて伝えたその発言者の名は、レオンハルト・ユン・アルマンディン。ギルベルト・フォン・アルマンディンの父にして、イギリス王室の現国王陛下その人だった。
イギリス国王陛下直々の言葉は本国だけでなく世界中の国民にも伝わり、IMF宛に応援メールを送るユーザーが増えていった。
しかし、その裏で『レベリス』を支持する者達も現れた。
『レベリス』をこの腐った世界を浄化してくれる救世主として神聖化し、彼らの畏怖を伝えるべく魔導士崩れや魔導犯罪者が、『レベリス』の名を利用した事件も多発。日に日に多く魔導犯罪によって、裏では『差別派』による活動も以前より活発化してきているという報告もある。
多くの人々に多大なる影響力を与えた事件から数日が経ち、あと一日で大晦日を迎えようとした頃。
東京都内にある葬儀社が保有する自社斎場で、公になっていない事件の犠牲者である一人の少女の葬儀が密やかに行われた。
斎場は白を基調とした洋花の芳しい香りと線香の匂いを放ち、近しい者しか呼んでいないにも関わらず、誰もが胸に迫りくる痛みと悲しみに抗えず涙を流したり、この世にいない少女の死を悼んでいた。
だがその静寂はすぐに破られ、パシンッと頬を叩かれる音が斎場に響き渡る。
音の発信源は供花や供物が添えられた祭壇の前にある棺桶、その前に立つ少年が赤く腫れてきた左頬を押さえ、少年を叩いた犯人である男性は憎しみと悲しみをごちゃ混ぜにした顔で少年を睨みつけていた。
精緻な刺繍がされた白い布張りの棺桶の中には世間では公にされていない犠牲者である桃瀬希美――その彼女に似せた人形が静かに横たわっている。
肝心の本人が肉も骨も血も跡形もなく燃え消えたのだ、代わりとしてこの人形が用意されたのは仕方のないこと。
少年――黒宮悠護は、自分を叩いた犯人であり希美の父親である桃瀬司を見る。彼の顔は涙目になりながらも悠護を睨みつける目は鋭い。
司は背後で椅子に座り込んで泣き崩れる妻・恵美の悲痛な声を聞きながら、ありったけの罵詈雑言を浴びせた。
「お前らのせいだ! お前とあの女が希美の気持ちを無視し続けたせいで、あの子は無念のまま死んだんだ! やりたいこともしたいこともあったはずなのにっ……全部、何もかも全部全部全部ッ! 全てお前とあいつのせいだ、この人殺し共がぁッ!!」
「………………」
司の言葉に、悠護は頬を押さえたまま押し黙った。
彼の言い分はもっともだ。もう少し間に合っていれば、希美は今も生きていたかもしれない。だが『レベリス』に関わった彼女に、今後明るい未来が訪れる可能性はかなり低いだろう。
ああしていたら、こうしていれば。そんなたらればが頭の中に浮かぶも、所詮は結果論でしかない。
目の前の司がまだ喚き散らしているが、もはや悠護の耳には届かない。
背を向けてより苛烈を増した罵声を無視し、斎場を出る。廊下の窓越しに見上げた空は目に染みるほど清々しい青だ。
「あ、そうだ……」
悠護は小さく物焼きながら葬式用として着ていたスーツのネクタイについていたタイピンを取って、魔法で一輪の花を作り出す。
作り出した花は、シオン。花言葉は『追憶』、『君を忘れない』。
太陽の光を浴びて煌々と輝くそれを、通りすがりのスタッフに手渡した。
「すみません。これ、火葬場で骨壺を入れる時に一緒に入れとくよう、父の黒宮徹一に言っておいてください」
「え? は、はぁ、分かりました……」
スタッフは困惑しながらもその花を受け取る。それを見届けた悠護はそのまま歩き出し、外に出る。
肺いっぱいに冬独特の澄んだ空気を吸って吐くのを繰り返すと、ちょうどスマホが震える。
画面には『ギル』と表示され、それを見て悠護は歩きながら電話に出た。
「もしもし」
『葬式を抜け出してきたのか?』
出て早々いきなり確信を突いてきたが、事実なので素直に答えた。
「ああ。あれ以上いたら俺が司さんにタコ殴りにされてたからな」
『……理解し難いな。桃瀬の死は、あちらにも非があるはず』
「ま、今のあの人達に何言っても火に油を注ぐだけだぜ」
今回の件で、桃瀬家は墨守家と同じ黒宮家分家一族からの除名処分を受けた。
当初は希美が『レベリス』に関わった証拠は監視カメラの映像しかなかったが、悠護を含む事件関係者達を魔導犯罪課から派遣された記憶を読み取る魔法を使う魔導士によって、その証拠が確定となった。
特に決定打になったのは、希美と戦っていた日向の記憶だ。
記憶の中での希美は自分達より変化があったらしく、あの時、日向の記憶を読み取る途中で顔色を青くした魔導士を思い出しながらそう結論づけた。
当事者達の記憶という証拠によって、桃瀬家は都内の豪邸から本家が指定した地方の家で暮らすことが決定。
司は今回の事件の責任として法務省民事局の副局長を解雇させられ、恵美は精神的負担のせいでしばらくは療養するため一時的に業界から身を引くらしい。
今までは違う暮らしが待っているだろうが、今の悠護には二人が上手くやれるよう祈ることしかできない。
徹一は今回の件をきっかけに都内に呼び寄せる分家一族を決めたらしく、その選ばれた分家は墨守の後釜として倫理委員会の委員長を務めるらしい。
父には今回も含めて多大の迷惑をかけたことを数日前に謝罪したが、「そんなことは子供のうちは気にしなくてでいい」と一蹴されたことは記憶に新しい。
車道を走る車やバイクのエンジン音や通行人の会話を聞きながら歩く悠護の足取りはしっかりしており、途中でバスに乗り込み空いた席に座る。
「それより、お前らはどんな感じだ? 大丈夫なのか?」
『問題ない。オレ達はたいした傷も負っていない。怜哉の方は裂傷だらけだが、新学期までには治るだろう。……ただ、日向は……』
「……そっか。これからあいつの見舞い行くから、終わったらまた連絡してやる」
そして、今回の事件で一番重傷を負った日向は、今も『クストス』の職員も利用している高度医療機関に現在入院中だ。
通常の怪我に加えて『
幸い聖天学園内病院が所有している未発表の最新鋭の魔導医療提供によって完治の一途を辿っているが、半日近くかかる治療と数種類の薬の服用を余儀なくされた。
面会時間は正午から午後三時までと制限されているが、今の時間なら大丈夫そうだ。
『そうか。なら、見舞い品は持っていくなよ。あいつの部屋には果物やら花が大量にあるからな』
「ああ、分かってる。缶ジュース一本にしとく」
前に病室を訪れた時にむせ返るほどの花の匂いを思い出しながら、悠護は目的のバス停に辿り着くと停車ボタンを押して降りる。
どこかの大学のような外観をした病院の正門を顔見知りになった守衛に手をあげて通過。高級ホテルのロビーめいた一階受付で通行パスを発行してもらい、それを胸ポケットにクリップで留めて、エレベーターに乗り込んだ。
数秒で一七階に到着し、滑らかに扉が開く。
長期入院患者が多いフロアだからか、ちらほらと点滴をつけたままの患者と何度も通り過ぎる。途中で自動販売機に寄って缶ジュース一本を買い、フロアの突き当りにある部屋に辿り着く。
ドアのすぐ横の壁面には鈍く輝くネームプレート。『豊崎日向 様』というその表示を見て、コンコンとノックする。
「――どうぞ」
聞き慣れた声を聞きながら、ドアをスライドさせて部屋の中に入る。
彼女のためだけに特別に用意された病室は以前より数が減った花とフルーツの匂いが漂っており、窓は燦々と日光を入れてくる。
電動リクライニングベッドの上半身部分を起き上がらせて外を眺めていた日向は、カーテンを軽く引いて顔と手に持っている缶ジュースを見せる悠護を見て、少し驚いたもののすぐに微笑んでくれた。
「――いらっしゃい、悠護」
「ああ。一昨日ぶりだな、日向」
☆★☆★☆
乳酸菌飲料の缶ジュースを受け取った日向は、窓の外の景色を見ながらごくごくと飲んでいた。
入院当初は胃だけでなく他の消化器官も傷ついていたせいで消化のいい病院食しか出されなかったが、最近病院食に固形物が増えつつある。
だが飲み物に関しては炭酸飲料は禁止されており、悠護もそのことを気にしているのか同じ乳酸菌飲料を飲んでいる。
「桃瀬さんのお葬式、どうだった?」
「ああ、途中で抜けてきた。俺がいると乱闘騒ぎになりそうだったからな」
「そっか……」
幾分か暗い悠護の表情を見て、日向はそれ以上言及してこなかった。
BGM代わりとしてつけたテレビには、お昼の料理番組が流れている。それに話題を見つけたのか、悠護が「これ美味そうだな」と言ってきた。
番組が紹介している料理は野菜と鶏肉をたっぷり使ったホワイトソース煮で、鶏肉の皮をカリカリに焼いているシーンは無意識にお腹を空かせていく。
「……ごめん、今のあたしには料理番組は拷問だよ……」
「あ、ああ、そっか。悪かった。今度あれ作ってやるから」
「うん」
だが今の日向にとってはつらい状況で、慌ててチャンネルを変えるもほとんどが似たようなものしかやっていない。
入院生活を脱しなければありつけない料理の数々に段々つらそうになってきた日向を見て、テレビ鑑賞は断念した。
「これ以上部屋にいたら気が滅入るし、外に出るか。あ、病室はもう出てもいいんだよな?」
「うん、庭とかならいけるけど……あたし、屋上の方に行きたいな」
「屋上?」
この病院の屋上はベッドのシーツや患者服を干している洗濯場もあるが、患者向けにデッキ広場として開放されている。
だが今は季節が冬ということもあって、ほとんどの患者が足を踏み入れていない。
一瞬だけ迷う素振りを見せるが、外を見つめる日向の顔を見てその躊躇も消えた。
「……分かった。でもちゃんと防寒しとけよ?」
「分かってるよ、子供じゃないんだから」
ちょっとからかってみると、日向は少しだけ頬を膨らませてベッドから降り、クローゼットへと向かう。
陽が用意してくれたのか、着ている患者服の上から分厚いベージュのコートを着て、足にはシューズをきちんと履く。毛糸のマフラーをしっかり首に巻くのを確認して、悠護は先にドアを開けておいた。
完全防寒姿の日向と悠護はつかず離れずの一定の距離を保ったまま、エレベーターに乗り込んだ。
再び数秒で最上階にまで辿り着くと、廊下は寒々しいほど人の気配がなかった。
このフロアは日向よりも長く入院している長期患者が多くおり、その大半が病室から出ることさえ難しい患者ばかりだ。
リノリウムの廊下を無言で歩き、屋上に繋がる階段を手すりに掴まって上る。
無機質な鉄製のドアを開けると、一気に冷たい風が入ってきて、日向だけでなく悠護の髪も乱した。
デッキ広場の木々はどれも葉が一枚もついておらず、根本の草花も茶色く枯れている。お世辞にも綺麗だとは言い難い。まだ一階の庭のほうが手入れされている。
そう分かっていて尚、日向がこの場所に来た理由を、悠護はちゃんと察していた。
「…………………日向――」
「ねえ、悠護」
名前を呼びかけると、目の前の少女は顔だけを悠護の方へ振り向いた。
「――あたしのしたこと、無意味だったのかな?」
後悔と悲しみが混ざりあい、今にも泣き出してしまいそうな顔を浮かべながら。
「悠護が駆けつけてくれる前、あたし無魔法で桃瀬さんの
滔々と語られるのは、日向の身に起きた実話。
悠護だけでなく、陽ですら聞くことを躊躇ったことを話す。
「
「そ、そんなことはない! もしお前の話が本当なら、希美はあれ以上最悪な目に遭わなかった! むしろお前のしたことは意味が――」
「――たとえそうだとしてもッ! あたしのせいで桃瀬さんが死んだことに変わりないッ!!」
悠護がかけようとした慰めの言葉は、悲鳴染みた正論によって閉ざされた。
「もし別の方法で救えてたら、桃瀬さんは今もここで生きていたかもしれないって! 入院している間何度も何度も思っちゃって……! でもあたしはっ、それしか選択出来なくて!! でも……でも……その選択すらも無意味になって……! 結局あたしがしたことは、桃瀬さんを死に追いやっただけだったッ!!」
琥珀色の瞳から涙を流しながら、日向は悠護の胸元に顔を寄せて肩を震わせる。
「ごめんなさい……! ごめんなさい、桃瀬さん! あたし……本当はちゃんと桃瀬さんと仲直りして、色んなこと話したかった……! 勝手な選択であなたを死に追いやったあたしを憎んでも、呪ってもいい! それくらい受けないといけない罪を、あたしは犯したんだから……ッ!!」
ごめんなさい、ごめんなさい。呪いのように何度も繰り返される。
彼女の目からな零れる涙がコートを濡らすのも構わず、悠護はただただ彼女の細い体を抱きしめる。
それしか今は出来なくても、ちゃんと伝える言葉を言ったために。
「違う。違うんだよ、日向。本当ならその罪は、俺が背負わなきゃいけないんだ。だから全部俺に背負わせろ……なんて言っても、きっとお前は納得しないだろうな」
「悠護……?」
自虐的に告げながら、悠護はそっと日向の顔を持ち上げる。
目元は赤く腫れ、頬は涙で湿っている。その顔を見つめながら、できるだけ優しく微笑む。
「ならせめて、その罪を一緒に背負わせてくれ。たとえこの先、絶望だらけの真実や出来事に遭っても、一緒に乗り越えて行こうぜ。日向」
「悠護――」
驚きで目を見開く彼女の唇に、そのまま自分の唇を重ねる。まるで誓いを交わすように。
初めて触れた彼女の唇は、ふっくらとしていて柔らかい。涙で塩辛いが、それさえも甘く感じてしまう。
何故、今彼女にキスをしたのか悠護自身にも分からなかった。だけど、こうして口を塞がないと彼女はまた自分を責める言葉を紡ぐと思った。
「……? ……、……! ~~~~~~ッッッ!!?」
ようやく事態が呑み込めたのか、顔を一気に真っ赤にさせてドンドンと胸を叩いてきた。
息継ぎのために唇を離すと、日向は震える吐息を吐き、顔を真っ赤にしたまま口をぱくぱくとさせる。
「ゆ、悠護……! 何して……!?」
「今、お前にキスしてる」
「キッ……!?」
「だめか?」
「だっ……だめ、じゃないけど……! あれ、何言ってんだろうあたし!?」
「じゃあ、いいよな?」
「え、あの、ちょっと待っ……! んんっ……!?」
パニック気味になっている日向の制止を聞かず、もう一度キスをする。
今度は深く、噛みつくようなキスを。さすがに舌同士を絡ませたりはしなかったが、それでも酔いしれてしまいそうなほど甘美だった。
「んっ……ふぅ……ふぁっ……」
妙に艶めかしい声で喘ぐ日向に、悠護は背筋をぞくぞくと震わせる。
足が震えて立っていられないのか、日向が自分の背中に腕を回してしがみついてきた。薄らと目を開けると、顔を赤くしながらも瞼を閉じてキスを受け入れる彼女の姿は、今まで見てきた姿の中で一番美しく見える。
本当なら今すぐでも離した方がいいと思ったが、本能がまだ離れたくないと叫ぶ。
それは日向も同じなのか、背中に回した腕の力を強くしている。
その腕の感触を感じながら、悠護は本能の赴くまま彼女の唇を貪った。
告白したわけでも、恋人同士になったわけでもないのに情熱的なキスを交わす自分達は、他人の目から見たらおかしいのだろう。
頭では理解していても、今だけは何も考えずにキスを交わし合っていたい。
きっと日向はこのキスが終わって、病室に戻ったらまた涙を流すだろう。
だが、それでいい。負の感情を溜め込んだってロクなことはない。たとえ何日かけてもいいから、気が済むまで泣いて欲しい。
そして、また一緒にこの世界を歩んでいこう。
理不尽も絶望も悲劇も溢れるこの世界を。
二人一緒なら、何も怖くないから。
そう思いながら、悠護は何度目になるのか分からないキスを再び交わした。
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