第217話 世界の分岐点
翌日、悠護を通じた徹一からの連絡は、キッチンで皿拭きをしていた日向は危うくお気に入りの茶碗を落としかけた。
「…………それ、
『
「い……いやいやいや何その急展開!? さすがのあたしもびっくりだよ!?」
突然の申し出に日向は布巾を持った手でブンブンと左右に振った。
会議に出る理由など、昨日白熱して文字でびっしり埋め尽くされた数枚のルーズリーフもとい互助組織提案書のことだ。
あの時は準魔導士が迫害される場面を見てしまい、余計に互助組織の創立を早めたい気持ちに駆られた結果、あんな大作を生み出してしまった。
もちろんそれについて悔いはない。むしろこれからの魔導士界において必要な内容を全て書けたと思っている。
だけど、それが何故自分を会議に出席させる理由になるというのだ!?
『親父の話だと、将来的に互助組織のトップとして日向を据えたいんだよ。お前だって組織を作るって言ってたんだら、それくらいやるだろ?』
「いや、やるけど! もちろんできることがあるならやると思ってたけど!」
『それに、無魔法や陽先生の肩書きもあるし、いずれは俺の妻として隣を歩くことになるんだ。それくらいの地位は持っておかないとな』
さり気なく『妻』と呼んだ悠護に、日向は目の前がくらりとした。
結婚はもちろんする気はあるし、いずれ夫婦関係を築く。だけど、今の状態での妻発言はやや刺激が強かった。
「え、選ばれた理由はなんとなく分かったよ。でも……仮にあたしが出席して、会議にいるお偉いさん達を説得できるかな?」
『…………お前、前世の時に寄ってきた色ボケ貴族連中を正論で叩きのめしてるクセに何言ってんだよ』
呆れたように言われた悠護の言葉に、日向はふと前世を思い出す。
四大魔導士として活動をし始めた頃、最初魔法を眉唾物だと信じ切り、うら若くうつくしいアリナ狙いで近寄ってきた貴族達はいた。
罵倒に近い言葉を投げかけられたり、現代ではドン引きもののセクハラ発言をされても、すでに培っていた会話術でなんとか乗り切った。
だけど、アリナの言い返しがかなり強烈だったのか、撃退された件の貴族達は疲弊した様子でずごずごと引き下がったのを覚えている。
あの時に苦笑を浮かべていたジークが、「お嬢様はもう少し遠回しな会話術を身に付ける心がけてくださいね」と注意されたことがあった。
今思えば、酒が入ったせいで零れた冗談を真に受けて叩きのめした行為だった。
「
『安心しろ。俺も次期日本支部長としての研修を名目に参加するし、何があった時はフォローしてやる。……だから、一緒に行こうぜ』
「はぁ……ほんと、そういうところは卑怯だよ」
正直、緊張どころか明日の会議で失敗しないか不安でいっぱいだ。
前世はともかく今世では一魔導士候補生でしかない自分には、面の皮が厚い重役達を説得できるような会話術は持っていない。
それでも、悠護の頼りがいのある一言のせいでやる気が溢れてくる。
「分かったよ。行くよ、明日の会議」
『……そうか。じゃあ、すぐで悪いんだけどこれからメールで送った場所に来てくれよ。そこで会議用のワンピースとか靴一式を買うからよ』
「は? ワンピース? というか、買うって!?」
『んじゃ、また後でな!』
「ちょ、悠護!?」
日向の疑問に答えることなく通話が切られてしまい、それからすぐメールが送られる。
メールに書かれている指定場所は銀座にあるファッションビル、しかも高級ブランドを取り扱っているブディックの店舗がいくつもあるビルだ。
「あんまりお金を使わせたくないんだけどなぁ……」
黒宮家関係の場での衣装は、全て黒宮家が元々所有していたもので朱美や懇意にしているメイド数名が厳選してくれたものだ。
日向自身も自分のお小遣いで服や靴を買ったりしているが、それでも一般家庭のお財布に優しいショップで購入したものばかりだ。
恋人が自分のために服を買ってくれるというのは嬉しいが、それでも決して安くない服を買わせてしまうことに少し抵抗がある。
「できるだけ安いものを選ぼう」
なるべく悠護のお財布の負担にならない程度の安い服を選ぶよう心がけながら、日向は出かける身支度を始めた。
☆★☆★☆
目的地であるファッションビルに着くと、悠護だけでなく朱美までビルの入り口付近で待っていたのを見て目を見開いた。
「朱美さん、どうしてここにっ?」
「悠護くんに頼まれたのよ。『どうせ金額のことを気にして安いのを選ぶと思うから、いい服があったら遠慮なく選んで欲しい』って」
(よ、読まれてたっ!!)
さすが前世でも今世でも恋人になってくれた人。日向の思考などお見通しだ。
肝心の本人は『やっぱりな』と言わんばかりに肩を竦めていて、朱美に手を引っ張られながら彼女お勧めのブディックに入る。
入ったのはブランドにはあまり興味がない日向でも知っている有名ブランドを取り扱うブディックだ。服とランジェリーを一緒に取り扱っており、採寸や色診断をすれば自分のサイズぴったりかつ似合う色の服を用意してくたりと女性に優しいサービスをしている。
問答無用で採寸室に放り込まれた日向は、メジャーを持った店員によって今のサイズを細やかに測られた。
いつの間にか成長していたのか、ランジェリーも少し合わなくなっていることに気づき、この前古くなったものを三着処分しているため、測り直したランジェリーを新しく三着購入することにした。
色診断で濃色も淡色も合うと言われた日向は、店員と朱美が選考した服を二〇着以上試着することになった。
くたくたになりながらも値段が気になり、AR技術を用いた仮想タグ読み込みアプリで服を一着調べてみると、スマホの画面に表示された金額にひゅっと息を呑んだ。
(い、一着で五万越えって……!?)
有名ブランドということもあり、やはり素材として使っている生地も違う。
ずらりと高価な服がハンガーに二〇着以上かけられており、できるだけ安い物を選ぼうとする日向に朱美が厳しい声で止めた。
「日向ちゃん、安いからって選んではダメよ。服というのはね、自分という『商品』を見せるのに大事な『ラッピング』であり『紹介状』よ。特に魔導士至上主義者達は服が安物だと分かるとネチネチ嫌味を言ってくる人達ばかり。だからこそ、自分にとっても相手にとっても見劣りしない、いい印象を与えるためにも大事な服を選ぶの。もちろん、この中から無理に選ばなくてもいいわ。あなた自身が一目惚れして気に入った服も、それこそ魔導具に匹敵するパワーを持ってるのだから」
「パワー……」
母を早くに亡くし、ショップで一緒に服を選び合う
だけど、朱美に言われて服に対する見方が変わったのは事実。
三パターン以上選ぶよう言われた日向は、気を取り直して店員と朱美のアドバイスを受けながら服を選んでいく。
一パターン目は、チェリーピンクのリボンブラウスにミルキーホワイトのロングパンツ。
二パターン目は、ヒヤシンスブルーのアンサンブルに、スリット部分に白いレースが接がれたロングスカート。
そして三パターン目は、日向が一目惚れしたフリル袖のランプブラッグのワンピース。デコルテと腕がレースになっていて、大人っぽくも少女らしさのあるデザインをしている。
満足した服を無事選び終えたかと思うと、今度は服に合う靴を選ぶ羽目になった。
朱美と店員が協議し、日向の意見を交えて選んだ靴をえんえんと試し履きされた。
その結果、日向の肌に合うベージュの靴と艶のある黒い靴を選んだ。あまり高い靴を履きなれていない日向のために、ヒールは低めにした。
終わったタイミングを見計らって悠護が現れると、朱美が財布からブラックカードを取り出して支払いを済ませた。
スカートとパンツの裾直しを店側に頼むと、今度は化粧品店に連れて行かれる。
あまり見ない化粧品の数々に目を奪われていると、店員が笑顔で接客する。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか」
「この子のためにメイク一式を購入するのと、あと一〇分でできる初級メイクを教えてちょうだい」
朱美の申し出に日向はぎょっとするも、家にはスキンケア用の化粧品しかないため、正直メイク用の化粧品の購入は助かる。
(それに、昔と今じゃメイクの仕方も変わってるしね)
前世と比べて現代の化粧品の数は多い。前世でメイクの仕方を学んだが、すでに化石当然の知識だ。
これを機に学び直すのもいいだろう。
「肌がとてもお綺麗ですので、眉を整え、ファンデーション、アイライン、口紅の四点でいかがでしょうか。チークもアイシャドウもありますが、元がいいので必要ないかと」
店員のお勧めの仕方を学び、実際に自分の手でメイクしていく。
クリーム状の化粧下地を顔全体に塗った後、ファンデーションは軽めにパフにつけ、産毛に沿うように塗る。細く整えてもらった眉をアイブロウで少し描き足し、眉毛はビューラーで癖をしっかりつけて上げる。
アイライナーで目頭から目の形に沿って目尻までラインを引き、目尻の先を三~五ミリまで引き伸ばして、引き上げ気味に引く。下瞼のラインを目尻の三分の一までラインを入れて、上の目尻のラインと繋げる。
そして最後に口紅は濃すぎず薄すぎない淡いピンク色を選び、桜色の唇をほんのり色づかせる。完成したメイクを見て、朱美と店員は絶賛する。
「素敵ね! しかもとても手際がよかったわ。日向ちゃん、もしかしてメイクの経験あるの?」
「い、いえ。店員さんの教え方が上手かったからですよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しい限りです」
教え方ももちろんだが、実際には前世での知識を少しばかり使っただけだ。
それでも自分も納得できる出来栄えに満足しているのも事実だ。
「見て悠護くん、あなたの可愛い恋人さんがとっても可愛くなったわ。他の誰かに取られるんじゃないかしら?」
「安心してくれ
「あら、いっちょ前なこと言っちゃって」
義理の息子からのまさかの返しに、朱美がくすくす笑う横で日向の頬に朱が差したのを店員は見逃さず、微笑ましい笑みを浮べていた。
購入した商品は今日中まで家に届くよう手配してくれたおかげで、夕方にはすでに荷物が届いていた。
以前朱美が譲ってくれたコートと一目惚れしたワンピースを着て出席することを決めた日向は、机の上にある書類を見る。
この書類は『新主打倒事件』で単独行動していたジークが、魔導士至上主義の連中の個人情報やスポンサーであった者達との関係をこと細やかに記されている資料を入手し、もしものために使うよう言われたものだ。
まさかこんなに早く使う時がくるなど、思いもよらなかった。
(資料に書かれている相手は、全員IMF日本支部に関係あるもしくはそこの重役ばかり……しかも、悠護の言ってた会議に出る人が少なからずいる)
メールで渡された出席者リストを確認した時、ジークからの資料にも記されている人物名に頭を抱える。
資料にはスポンサーのようにはいかないが『新主派』への援助を不定期に行い、彼らの活動をやりやすくするよう支援していた。
しかも『新主派』以外にもいくつもの魔導犯罪に関与しており、これが世間にバレてしまったらバッシング間違いなしの裏情報もしっかり記されていた。
(ジークはこれを『脅迫材料として使え』って言ってたけど……それであたしの身が危なくなるんじゃない?)
こういった情報を持って無事でいられた人間などいない。
いくら日向に陽や黒宮家の後ろ盾があるからといって、口封じに始末しようと考える輩などアリのように存在する。
……だが、これを使って会議を進めるのも一手だという事実は揺るがない。
(そうなると……この内容を頭に叩き込まないとなぁ)
正直に言ってかなり膨大の量だ。
一日で覚えられる自信はないけれど、それでも頭に叩き込まなければならない。
「……よし」
ヘアゴムで髪をポニーテールにした日向は、資料を手に読み始める。
正直、内容は知りたくない情報ばかりで、一行読むだけでも億劫だ。それでも、あの少年のように謂れのない暴力で苦しめられ、魔導士というだけで偉いと考える彼らの鼻柱を叩き折りたい気持ちはある。
事情を知っている陽が、助言と豊崎家定番夜食である生姜入りの卵とじうどんを作ってくれたおかげもあり、なんとか自分用の会議資料を用意できた。
深夜を回る前にベッドに入り、朝六時半に起床する。
しっかりと身支度を整え、兄特製の朝食を食べた後、昨日教わった通りにメイクをする。
そして、あのワンピースを着て、髪はパールがついたリボンの髪飾りをつけてハーフアップにする。最後にファー付きの白いコートを着て、黒い靴を履く。
IMFまでの道のりは、自動運転機能がある自動車に乗って陽と一緒に向かう。
今回、陽は日向の見送りも有事の際の護衛として付き添ってくれるらしく、万が一のためにIMF内にある食堂で待機してもらっている。
コートを預けさせてもらい、先に着いていたフォーマル姿の悠護に案内される。
支部長室の下にある会議室。防音性が優れていて、ドアの両側を職員が警備するという完全なセキュリティーが敷かれている。室内にはスーツや和服姿の男女が椅子に座っており、年齢がバラバラだが誰もがこのIMFの中で高い権力を持つ面々であることを知っている。
徹一と怜哉の父親であり治安保障委員会委員長である白石雪政がおり、次期当主である怜哉も参加している。
会議室に入ってきた日向に、全員が多種多様な目を向ける。
疑惑、畏れ、蔑み、興味……針の筵のように向けられる視線を前に、日向は前世の時のように背筋を伸ばし、堂々とした振る舞いのままお辞儀をする。
「皆様、お初にお目にかかります。すでに知っている方もいらっしゃいますが、私の名は豊崎日向と申します。この度、このような会議に私のような若輩者が参加すること自体烏滸がましいと思いますが、どうぞお手柔らかにお願いします」
その毅然とした姿を目にした周囲が『黒宮家の権力を使って来ただけのわがまま娘』と思っていた日向の認識を一瞬で塗り替えられた。
今の日向の姿は、この場で誰よりも修羅場を潜った猛者であり、油断も隙もない要注意人物になったに違いない。
だけど、彼女の前世を知る悠護と怜哉だけは、【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの面影のある姿を見て笑みを浮べていた。
一変した視線を受けながらも、日向は淑女然とした笑みを浮べながら空いていた席にする。
それが、今後の未来を左右する世界の分岐点たる会議の始まりであった。
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