第205話 恋人達の逢瀬

 学習棟に寄った日向は誰もいないことを確認し、窓近くにあるタッチパネル式リコモンを操作すると頭上から白いロールカーテンが降りてくる。

 遮光性が優れているおかげで水色の窓から入ってきた日差しがなくなり、部屋は薄暗くなる。

 暗くなった室内を見渡した日向は、窓際に一番近い椅子に座った。


「――『装置接続コンネクティオン』」


 詠唱と共に琥珀色の魔力が全身から溢れ出す。

 まるで嵐のように魔力が湧き上がり、粒子として現れた魔力は徐々に金色へと色を変え、蛇のように長くも幅の広い紙がいくつも現れる。

 紙には古い文字で綴られているにも関わらず、日向はそれを読むことができた。


蒼球記憶装置アカシックレコード』。

 この世界が紡いできた歴史・文明の『理の情報』、そして全ての生き物達の『魂の情報』が記された『地球』という名の巨大魔導具。

 かつてアリナがこの魔導具に干渉し無魔法を作りだし、カロンを短命へと書き換えた。


 前世の記憶を取り戻したしばらくした頃、日向は『蒼球記憶装置アカシックレコード』に干渉できるようになっていた。最初は驚いたものの、無魔法とカロンのために使ってからそれまで、『蒼球記憶装置アカシックレコード』には一切触れていなかった。

 その後すぐに死んでしまったため、長い年月を経て、日向と『蒼球記憶装置アカシックレコード』とのリンクが変質し、特定の詠唱を唱えれば一部が現れるようになったと推測した。


 もちろんこのことは陽だけでなくジークすらも話しておらず、紙も片端が虚空に繋がっているがその先に何があるのか当の本人さえ知らない。

 一〇を超える長い紙の一つを選び、日向が探していた文章に目を通す。

 書かれているのは繁華街自爆事件でこの世を去った者達の名。すでに司法解剖が済まされ、遺体は遺族に渡っていることもご丁寧に記されている。


「……ごめんなさい……あなた達を死なせてしまって、ごめんなさい……」


 本当なら直接赴き、遺族からの罵声も暴力を受けながら頭を下げたい気持ちになる。

蒼球記憶装置アカシックレコード』の力は魔法と同じで万能だが全能ではない。不老不死に状態に変えることはでるが、死者を蘇らせることは不可能だ。

 死んだ者達がこの世界で生きた証を確認し、『蒼球記憶装置アカシックレコード』との接続を遮断する。


「……っ……」


 瞬間、目の前が揺れて体が傾く。

蒼球記憶装置アカシックレコード』の接続だけでも四割以上も魔力を消費する。念のため椅子に座っておいてよかったと思う。

 自然と右手首の《スペラレ》が視界に入り、そっと触れる。


《スペラレ》を握り、魔法を殺人のための道具として使い、同じ国の民を敵と定めた。

 アリナ・エレクトゥルムは英雄ではない。多くの歴史家が自分を英雄と呼んでも、彼女の生まれ変わりである自分は一生認めない。

 それでもこの罪深き行いの果てに正しい道が繋がると信じた。


「なのに……どうしてうまくいかないんだろう……」


 自分の理想を描くたびに、現実は残酷にも理想とかけ離れる。

 もちろん世界が思った通りに動いてくれるとは考えてないし、その理不尽さを何度も味わった。

 現実に打ちのめされても理想を抱き続けるのは……きっと、あの頃に自分が望む未来を作れなかったからだ。


 自分の死後、世界が目まぐるしく変わっていったのを書物や授業でたくさん知った。

 一時期魔導士から人権が剥奪され、兵器として扱われた時代もあると知った時はショックを受けたし、当時が戦時中だったこともあって心の平穏を守るために苦渋の選択を迫られたと理解していても、改めて自分達がしてきたことは本当に正しいのかと悩んでしまう。


 立て続けに嫌な出来事が重なり、心身共に疲弊し始めた時だった。

 神妙な面立ちをした悠護がノックもせずに部屋に入ってきた。


「悠護? どうしたの?」

「…………」


 日向が呼びかけても反応しない悠護に不審に思うも、彼は無言で手首を掴んで立ち上がらせる。

 そのまま仮眠室として使われている部屋まで連れてこられた直後、悠護は日向をベッドの上に押し倒した。


「っ……悠護、一体何を……」

「…………」


 困惑する日向の声に反応しない悠護は、そのままぎゅっと抱きしめる。

 ほどよい重さとぬくもりを感じながらも恐る恐る抱きしめ返すと、真紅色の双眸が至近距離まで迫る。


「大丈夫か?」

「何、が……?」

「全部だ。少し休め、このままじゃ疲弊するぞ」


 全てを見通すように告げる悠護の言葉に、緊張で強張っていた体がほぐれていく。

 するりと腕を首に回し、唇を重ねると驚いた悠護の体が軽く震える。しかしすぐに舌を入れて絡めだし、濃厚なキスを交わす。

 甘い吐息が零れ、さらに首に擦り寄って悠護の耳元で呟く。


「こっちの方が、早いと思う…………」

「はぁ~~……お前って奴はほんっとに……」


 いつも以上に甘えてくる恋人の姿に、悠護はネクタイを乱暴に緩ませ、獰猛さを滲ませた笑みを浮かべる。


「――手加減できなくなっても怒るなよ?」


 再び顔を近づけた悠護は、日向の唇を噛みつくように重ねた。



 仮眠室に設置されている冷暖房が自動的に起動する。

 低い音を聴いて目を覚めた悠護は、ふと隣で眠っている日向を見る。寒そうに身を震わせる彼女に布団をかけ直し、床に脱ぎ散らかった服をもう一度着直す。

 ふと日向の目元が薄っすらと隈ができていて、指先が労わるようにそっと触れる。


 ここ最近、『新主派』に与した生徒達が日向だけでなく自分達にさえ敵意を向けてくるようになっていた。

 最近は寮内でも教師が巡回し、午前と午後に分けて危険物検査をしているも、密輸業者びっくりの頻度で危険物が発見されている。

『新主派』が自分達を敵としてみてきたことも問題だが、それ以前に今の状況も日向にとってはかなりのストレスになっている。


(今の『新主派』は、昔の『レベリス』と似ている。日向もそれに気づいて心労が溜まっても不思議じゃない)


 同じ国の民同士を傷つけあわせ、日本を滅茶苦茶にしている状況はかつてのイングランド王国と似ている。

『新主派』のトップがカロンと一緒に扇動していると考えると、はらわたが煮えくり返る気分になる。


(『新主派』を倒せば情勢は元に戻るかもしれない。けど……それで全部解決すんのか?)


 たとえ『新主派』を倒し、派閥が壊滅しても残党がいる限り同じことの繰り返しになる。

 魔導士がいる『新主派』によってもたらされた被害は毎日ニュースで上げており、被害者の中には関係のない魔導士にすら『新主派』と同じ憎しみを向ける者がいる状況だ。

『新主派』については解決するが、被害や魔導士への反感の問題はしばらく続く可能性が高い。


 これを機に魔導士の差別活動も活発化し、新しい悲劇を生み出すだろう。

 一般社会に生きる元魔導士にも被害が及ぶうえにIMFも強硬手段による鎮圧も辞さないという悪循環が生まれる。

 七色家だけでなく日本政府もかからなければならない問題だと考えた時だ。


「……悠護……?」


 日向が布団で体を隠しながらもそもそと起き上がる。

 布団がかかっていない肩が寒々しく見えて、そっと自分のブレザーをかけた。


「悪い、起こしたか?」

「ううん……ちょっと前に起きたけど、うとうとしてた……」

「着替えられるか? 少し無理させたし、帰りはおぶってやる」

「うん……ありがとう……」


 着替えが終わるまで仮眠室を出た悠護は、タッチパネル式リコモンを操作し、閉じ切ったままのロールカーテンを上げると、空は橙色と赤で染まっている。

 現在休校になっているせいで時間感覚がおかしくなっていたが、今日も午後の危険物検査がある。


 きっと、色々と察しているルームメイト達がうまくごまかしているはずだ。

 帰宅した直後の問い詰められるだろうと思いながら、日向が着替え終わるまで夕焼けの空を眺めていた。



☆★☆★☆



 ギルベルトは自室で深いため息を吐いていた。

 イギリスから持ってきたノートパソコンには『新主派』についての記事がほとんど埋め尽くしており、『新主派』のしの字さえ見たくない気持ちが起こる。

 本国でも『新主派』の活動による暴動が起きており、『伝統派』からは十数名の負傷者が出たと報告があった。


 イギリスの血統主義・選民主義の魔導士家系は日本の倍おり、割合すると五割弱だ。

 昔はほとんどが血統主義・選民主義の魔導士家系が多かったが、現代では民主主義の魔導士家系が徐々に力を付け始めたこともあり、今の割合はまだマシなほうだった。

 しかし、『新主派』の影響もあり、民主主義の魔導士家系に対する被害が相次いでいる。


 王室とIMF本部でも『新主派』の鎮圧は行っているも、狂信者と化した国民の妨害がひどく上手くいっていないらしい。

 最近では『新主派』の〝宣言〟を機に、イギリスでも魔導士優位の国家に作り変えようという声も上がっている。


「全く、面倒なことをしてくれたものだな」


 ただでさえ今の情勢が不安定だというのに、その隙を突いての暴動は害意でしかない。

 それ以前に、この状況が『落陽の血戦』に似ているせいもあり、ギルベルトの心身も疲弊し始めている。

 もう一度深いため息を吐くと、画面の右端でビデオ通話アプリが起動し、発信者名が『Luna』と表示されていた。

 まるでタイミングを計ったかのように着信に無言になるも、すぐに通話ボタンをクリックした。


『こんばんは、ギル。気分はどうかしら?』

「少しイライラしているが問題ない」


 イギリスではまだお昼前ということもあり、画面の向こう側はここと比べて明るい。

 ルナの恰好も簡素なドレス姿で、髪も緩く結んでいるという完全にオフモードだ。少し凝った髪型や堅苦しいドレスの時は爵位持ちの魔導士家系からのお茶会やサロンに誘われる時であると知っている。


 婚約者の無防備な姿を見ることができて、ギルベルトの苛立ちも少し和らぐ。

 自分の顔色に気づいたのか、ルナがくすくすと笑う。


『どうやら少しは楽になったようですね』

「ああ、そちらは平気か?」

『会議でも『新主派』に肩入れする魔導士家系がいるって話をよく聞くわね。お茶会でも同じことをいうもいるし勧誘もしてくるけど、丁重にお断りしているわ』

「そうか。……まったく、今まで何もしなかった連中が動くと本当に面倒だな」


 ギルベルトが知る範囲では『新主派』の活動は今より消極的だった。

 そもそも四大魔導士に代わる〝主〟などいないし、『新主派』が求めたそれ〝主〟は世界で最強の一角と認められた魔導士ですら物足りないほどの絶大な力を持つ存在だ。

 もはや人智を超えた存在を探すなど、昔ならばともかく現代では無理な話だった。


 しかし『新主派』は〝主〟である新生四大魔導士を見つけ、活動を広範囲に広げ活発化させた。

 新生四大魔導士などとふざけた名を使うだけでなく、魔導士が生きる場所を奪うような真似をする連中は許せない。

 無意識に険しい顔をしていたせいなのか、ルナがコツコツと画面を小突いた。


『眉間にシワが寄っているわよ。気持ちは分かるけど落ち着きなさい』

「……ああ、悪かった。そちらも大変だというのに」

『私はまだ楽してもらっている方よ。それに……あなたの未来の妻として、これくらいの障害を乗り越えなければいけないわ』


 あっさりと『未来の妻』と呼ぶルナに、ギルベルトは嬉しさを滲ませた笑みを浮かべる。

 留学の件で色々と苦労させたというのに、帰国の時に軽いお仕置き(もちろん本人の度合いだが)を受けただけで清算してくれた。

 そう考えると、将来ローゼンだった自分のように物理的に尻を蹴飛ばされる未来が待っていると思ってしまう。


「……ルナ、必ず『新主派』を倒し、イギリスだけでなく世界を今よりもっと素敵なものにさせてみせる」

『ええ、当然です。あなたはそこで止まっていい人ではないのですから』


 全幅の信頼を寄せるルナの言葉に笑みを浮かべながら、チャットで『I love you』と打つ。

 それを見たルナの頬が薔薇色に染まるのを見て、さらに笑みを深くした。



『樹……あんた大丈夫なの?』

「大丈夫だって。心配するなっておふくろ」


 自室のベランダで母からの電話に答える樹はやや気まずい表情を浮かべている。

 今巷を騒がしている『新主派』を倒す作戦という本来なら一学生である樹が参加するものではないし、『新主派』の活動によって『一一〇事件』のようなことを起きて巻き込まれる可能性だってある。

 母は自分が父と同じ目に遭うのではないかと危惧しているのだ。


「……おふくろさ、今だから言うけど俺が聖天学園に行くこと、本当は反対だったろ?」

『! ……樹、あなた気づいて……』

「おふくろって嫌な時とか我慢する時って、かなり無表情になるんだぜ? 知らなかったのか?」


 よく感情を顔に出している母は、嫌な時や我慢する時は嘘のように無表情になる。

 父を亡くしてからはそういった顔は見たことなかったが、聖天学園を受けると決めた日に久しぶりにあの表情を見た。

 母の驚き加減を見る限り、どうやら上手く隠していたと思っていたようだ。


『…………そうよ。私はあなたを聖天学園に行かせたくなかった。魔導士の中にはあなたにひどいことをする人だっているし、現に今だって……』

「……そうだな。一般家庭組だからって嫌なこと言われたり、嫌がらせもされたよ。でも、俺には俺を理解してくれるダチに会えた」


 一般家庭から来た自分を見る目はひどく冷たかった。

 入学当初はこんな学校に来るんじゃなかったと思ったこともあったけど、それでも頼りになる友達に会えたことは喜ばしいことだ。


「だからさ、俺は大丈夫。ちゃんと卒業して魔導具技師になって、そんで自分の幸せを掴んでやるよ」


 息子への心強いメッセージを聞いて、母は震えた吐息を漏らす。

 ずびっと鼻を啜る音がするも、すぐに明るい声が聞こえてきた。


『……そう。なら、しっかりやりなさいね』

「おう」


 たったそれだけのエールを受けて、樹は電話を切る。

 ふっと笑みを零しながら横を振り返ると、衝立に隠れるように覗いている心菜の姿を見つけた。


「聞いてたのか?」

「うん、ごめんね」

「いいって。それより日向はまだ帰ってきてねぇの?」

「うん……大丈夫かな?」

「ヘーキだって。どうせ悠護とイチャついてるし」


 一〇割も当たっている予想を言いながら、樹は心菜の額に口付けを落とす。

 突然キスされて心菜がわたわたするのを見て笑いながら、今度は額をくっつかせる。


「作戦、頑張ろうな」

「……うん。私達の未来のために、ね」


 互いの言葉を聞いて笑い合いながら、二人の唇は自然と重なり合った。

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