第206話 紫原霧彦
作戦決行まで残り二日となり、怜哉は学園外でのレストランにいた。
休校中の学園から出ることは許されないのだが、IMFにいる父の呼び出しで特別に外出していた。
街を歩くたびに『新主派』の文字が視界に入り、通行人達は狂信者になった連中と目を合わせないように逸らしている。
途中、怜哉に声をかけようとした狂信者がいたが、軽く出した殺気に反応し尻尾を巻いて逃げた。
どうせあと二日で消える連中など興味すらない。しかし、こう何度も絡まれるとイライラしてしまう。
ちょうど個人営業している趣あるレストランを見つけ、ドアベルを鳴らしながら店内に入る。メニューを見てみると、少し高値だがどれも美味しそうだ。
「仔牛のステーキにリンゴサラダ、それとカリフラワーのスープにデザートはクレームブリュレで。食後の飲み物はコーヒー」
「は、はい」
お冷を置きに来た女性店員が上擦った声でメニューを取り、キッチンに行った。
メニューに載っている写真の料理はそこそこボリュームがあるし、これを一人で食べると思うと少し驚くだろう。
お冷を呑みながらぼうっと外を眺めていると、カランカランッとドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー。空いてるお席へどうぞー」
「ああいや、知り合いがいるんでそこに座ります」
聞き覚えのある声に顔を上げると、目の前の椅子が引かれてそのまま座る。
相席してきた人――陽は分厚いコートを椅子にかけながらメニューを開く。
「なんでここに座るの?」
「別にええやろ。一緒にメシにしようや。あ、お姉さん。ワイはグリルチキンサンドとコーヒーで」
「かしこまりました」
メニューを取りに行った女性店員が一度厨房に戻り、陽の分のお冷を用意する。
グラスの中で氷がカランと涼しげな音を立て、ちびちびとお冷を飲む陽を横目に窓の外の風景を見ながら料理ができあがるのを待つ。
「お待たせいたしました」
注文した時間はずれていたにも関わらず、料理は一緒に出てきた。
特製ソースをかけた仔牛のステーキ、いちょう切りされたリンゴがゴロゴロ入ったサラダ、乳白色のカリフラワーのスープには彩りを考えてパセリが振りかけられている。デザートは食後のコーヒーと一緒に提供されるようだ。
陽のグリルチキンサンドも耳付きの食パン二枚をこんがりと焼き、その間に千切りレタス、輪切りトマト、そして分厚く切られたチキンが挟まれていて、魔導士の胃袋を考えても腹五分目くらいは満たされるだろう。
コーヒーもほどよい香りが漂ってきて、それだけでコーヒー豆も焙煎も店主のこだわりがあると察せられる。
「ほんじゃ、食うか」
「そうだね」
いただきます、と一緒に言って食事を始める。
普通に食事をしていても外からは『新主派』を褒め称える声が聞こえ、せっかくの食事も台無しになる。
三口でサンドイッチを食べ終えた陽が、コーヒーの香りを嗅ぎながら悲しい表情を浮かべた。
「……昔にそっくりやな」
「それって今世の昔? 前世の昔?」
「前世の方や。今のこの光景は、『落陽の血戦』が起こる前の王国の風景と似とる」
魔導士歴の中で最大の抗争として深い爪痕を残したその名に、怜哉の食事の手が止まる。
いくら前世での出来事とはいえ、その記憶を持っている陽にとっては後悔と惜別の想いがあるのだろう。
『落陽の血戦』を体験したことのない怜哉には共感できない。
「……そんなにひどい抗争だったの? 『落陽の血戦』は」
「ああ……せやな。同じ国で生まれた者が殺し合い、どちらも極限まで疲弊しとった。無関係な民の死体を何度も見て、早く終わって欲しいと誰もが願ったもんや。ワイもその一人やった」
「…………」
「もっとも、あんな終わり方は望んでなかったけどな」
『落陽の血戦』の終結は歴史書ではアリナとジークの死によって幕を閉じた。
しかし裏ではアリナは無魔法を完成させてすぐ真の黒幕であるカロンを殺し、ジークの
生き残ったジークは『レベリス』の長として現代まで生き残り、生まれ変わりとして甦ったカロンを殺すことを生き甲斐にしていた。
互いを思い合っていたからこそ起きたすれ違い。
数百年も続く愛憎と呪いの連鎖。
その終焉が、今世でようやく果たされようとしている。
(皮肉なものだね)
彼女らはもう二度と会いたくもない相手との因縁が続き、再び失われる覚悟をしなければならない。
人の悪意の手というのは、自分が想像していたよりもずっと恐ろしいのだと痛感させられる。
「そういえば、ベネディクト・エレクトゥルムは『落陽の血戦』後、魔法を世界中に広めるために巡礼の旅に出たって書かれてるけど、どんな感じだったの?」
「あー、普通に大変やったわ。色んな連中から化け物扱いされたし、山賊や獣に何度も襲われた。メシもロクにありつけへん日もあったし、魔法を使うて飢えを凌いだことは一度や二度やない」
【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルムは消息不明になって以降、詳しい内容が一切書かれていない。
四大魔導士の中で一番謎多い人物と呼ばれ、今も歴史家が彼の歩んだ人生と旅路を探していると聞いたことがある。
その本人の生まれ変わりからの思い出話は、恐らく金銭に変えられないほど貴重なはずだ。
「色んな国で文化や言語を学んで、現地で弟子をたくさん作った。……それでも、みんなのことも、家族のことも、一度も忘れたことはなかった」
「……その後、どうしたの?」
「その後は長い旅を経て、日本に辿り着き……緑山家の子にワイがこれまで集めた知識全てを託して、そのまま山奥の小屋に住んで天寿を全うしたで」
「……え?」
今、聞き捨てならない単語が聞こえた気がして、カリフラワーのスープを飲んでいたスプーンを落とした。
緑山? 緑山って、まさか……!?
「ねぇ……念のため聞くけど、その緑山って……七色家の緑山?」
「せやで。知らんかったのか?」
「いや、えっと……そういえば緑山のご先祖様、魔法巡礼者から知識を託されたって話だって聞いたけど……。その魔法巡礼者が……ベネディクト・エレクトゥルムだったの?」
「その通りや。ちなみに、その時のワイは『
別にいらない情報も聞かされたが、問題なのは歴史家が知れば泡を吹くだろうベネディクト・エレクトゥルムの人生の一端を見つけたことだ。
さすがの怜哉もこの展開は予想外だった。
「どうして緑山を最後にしたの?」
「単純にワイの寿命が近づいてきたっちゅーのも理由やけど……一番の理由が、緑山の誠意に感服したからやな」
「誠意……?」
そうやで、と言いながら陽は頷く。
全ての料理を食べ終えた怜哉の皿は女性店員によって下げられ、小さな耐熱皿に入れられたクレームブリュレとコーヒーが出される。
カルメラが固まるまで焼かれ、スプーンに力を入れるとパキッと小気味いい音を立てて、トロリとしたカスタードが現れる。
「どの弟子もいい子やったけど、やっぱり悪事に利用しようと目論んでいた子もおった。もちろん全員が全員やない、それでもワイの手で処断した子も少なくなかった」
「…………」
魔法を悪事のために使うのは、もはや人間の性のようなものだ。
それでもベネディクトが魔法を悪事のために使う者が許せなく、可愛がっていた弟子さえも自分で殺さないといけなくなった。
指導者としての責任というのは、いつの世でも重たいものだと痛感させられる。
「当時の緑山は学がなくて、炭焼きを家業にしていた。ワイが知り合ったのは、帰り道で野犬に襲われとったのを助けたんや。そんで礼として家に住まわせてくれて、代わりにワイは字や計算、魔法を教えたんや」
「まあ見返りとしてはかなりよかったんじゃない? 出来はどうだったの?」
「全っ然やった。字は汚いし、計算も足し算と引き算しかできなくて、魔法も失敗ばかりやった。……それでも、一生懸命やる姿とか嬉しそうな顔をしているのを見るのは好きやった」
懐かしそうに思い出を語る彼の目はどこか遠く、それでいて寂寥を感じさせる声をしていた。
それでも、今は誰もこの思い出話を止めることはできなかった。
「居心地がよくて長い間世話になってもうて……お礼としてワイがこれまで集めてきた魔法の知識を詰め込んだ書物を全部緑山に託した。ただ魔法を学んで、大事に後世にまで伝えたいって言ってくれた彼らの想いが嬉しくて……あの日、ワイの命よりも重く大切なものを手放した。今でもその約束をきちんと守ってくれて嬉しかったわ」
「……そっか。それで、そのことは緑山に話すの?」
「いや、話さんで」
「なんで?」
「今のワイは『豊崎陽』であって、『ベネディクト・エレクトゥルム』やない。前世のワイはすでに死んだんや。生まれ変わりやろうが、そのあたりはきちんと線引きせなアカン」
今世の自分と前世の自分の線引き。
何かの生まれ変わりとしての記憶を持っていない怜哉には理解できないけれど、きっと陽は自分自身で今世を生きるために必要なけじめをつけたのだろう。
他人の問題に口を挟む権利はない以上、怜哉に彼を説得する言葉はない。
食事を済ませ、会計をしようとするも陽が怜哉の分まで支払っていた。
長話に付き合ってもらったお礼として受け取れと言われ、有無を言わせないまま陽は雑踏に紛れるように消えていった。
残された怜哉は学園に戻ることにし、駅がある帰路を歩く。
今でも『新主派』の連中が講習演説をして、懲りずに乱闘騒ぎを起こしては警察に捕縛されている。
今は混沌に満ちた非日常が当たり前のように起きているが、本当ならば起きてはならない事態だ。
「そのためにも、僕達が終わらせないとね」
小さな呟きと共に、決意を漏らしながら怜哉は再び帰路を歩いた。
☆★☆★☆
レストランで怜哉と別れた陽は、わしゃわしゃと頭を掻きながら深いため息を吐いた。
(なんで白石にあの話してまったんやろうな~……)
よくよく思い返しても、日向達には話しにくい内容はほとんど怜哉に話している。
それは多分、変に同情や上辺だけの共感をせず、ただ聞き手として聞いてくれるおかげで居心地がよかったのだ。
本人もなんやかんや聞いてくれることもあって、つい長話もしてしまう。
(いつもいつもワイの話ばっか聞いてもらっとるな……今度またメシでも奢るか)
幸い、
次は美味しい料亭の懐石料理を奢ろうか、と考えていると目の前で女性の悲鳴が上がる。
女性の腕の中には頬を赤く腫らした男の子が泣いており、その近くには娘が怯えた様子で女性にしがみついている。
目の前で三人を見下ろす男達は、袖の『新主派』のワッペンが縫われていた。
「やめてください!なんてことするんですかっ!」
「このガキが『新主派』をバカにしたから制裁しただけだ。それともアンタも『新主派』をバカにすんの? もしそうなったら、異教徒として連行されるけどー?」
「別にいいんじゃね? どーせ異教徒の一人や二人減っても困らないっしょ。つーわけで、お前ら全員異教徒として連行しましょーか!」
「いいねぇ! 異教徒を捕縛したら、人数分だけ報奨金もらえるしな!」
ぎゃはははっ! と聞くに堪えない笑い声をあげ、女性と子供の腕を掴もうとする男達。
直後、彼らの首が
「あ……な……っ!?」
「ああ、スマンな。つい落としてもうたわ」
赤紫色の魔力を可視化させた陽が、男達を冷ややかに見下ろす。
空間干渉魔法によって首と胴体との空間を切断し、一見首が落ちたように見えるも、本体はちゃんと繋がったままだ。
しかし、空間干渉魔法による影響は精神魔法に近い催眠効果を発揮し、彼らは生きているのに首が取れてしまった状態になっている。ぐらぐらと頭を左右に動かす様はホラーで、血がない分まだマシだ。
「テ、テメ、まさか魔導士か!?」
「ご名答や。ワイは聖天学園の教師しとるんや」
「聖天学園の……!?」
「あんさんらのせいでウチは結構迷惑しとってな……なんとか外出許可もらってきたっちゅーのに、こうして嫌なモン見せおって……」
冷ややかな目から伝わる殺気に、男達が情けない悲鳴を上げる。
本気の魔導士の殺気を浴びて震えている。恐らく『新主派』の力を求めて上辺だけで信者になった魔導士崩れだろう。
ただ『新主派』の威光を借りて、好き勝手に暴れているだけの輩に負けることなどない。
「――あんたら、覚悟しぃや」
陽の死刑判決が下された直後、絹を引き裂く野郎共の絶叫が街中に轟いた。
日本総合魔法研究所。
東京都内にある魔法研究所の一つであり、日本一の魔法研究所と名高い施設だ。
七色家・紫原家が運営・管理をしており、ここの所長を含む上役は代々紫原家かその分家が任されており、前当主である紫原八雲が引退したことを機にその息子の紫原霧彦が所長に就いた。
紫原家の当主と所長の仕事をそつなくこなし、研究員達からの信頼も厚く、しかも高身長でハンサムという文句のつけようがない。
愛妻家としても有名で、去年の三月に妻との間には双子の男女を儲けており、来月は一歳の誕生日を迎える。
仕事でも私生活でも順風満帆で、魔導士にとっての幸せを体現したような男だ。
「ふぅ……」
所長室で一息を吐いた霧彦は、デスクに置かれている数枚の大きな紙を一瞥し考え込む。
アリスから七色家次期当主と聖天学園の有志のみで『新主派』打倒作戦を決行することは伝えられており、霧彦にもそのバックアップを頼まれた。
本来ならば紫原家当主となった霧彦がするべき仕事ではないのだが、アリスが自分に助力を求めたのは最適解だ。
紫原家が得意とする魔法は精神魔法。
催眠や人格構築にも優れているが、霧彦が一番優れているのは精神感傷による五感共有だ。
文字にすると地味な魔法だが、霧彦の魔法はその精度が違う。
霧彦の五感共有は、己の魔力を付与したアクセサリーなどを持たせるだけで人間の五感を支配できる。
しかも支配している間、互いの五感が鋭敏になり、魔法による気配遮断も見破れるほどだ。だが、この魔法を友好的に使うには舞台となる場所の地形を完全に把握しなければならない。
もちろん長い付き合いであるアリスは知っており、『クストス』で捕縛した準幹部級の信者達の記憶を読み、精緻に描かれた『新主派』のアジトの見取り図をご丁寧に渡してきたのだ。
本当ならばアリスの頼みなど断ればいいが、『新主派』のせいで紫原家が管理する研究所にも影響を及ぼしている。
紫原家は日本中にある魔法研究所の運営・管理もしているが、研究資料や実験結果のデータは毎年ある総会で渡されるまで各地の研究所に管理される。
『新主派』はそのデータを狙って何度も暴動・侵入を繰り返し、ついには警備員との魔法の撃ち合いにまで発展した。
国を混乱に貶めるだけでなく、研究所のデータさえも独占しようとする『新主派』には、さすがの霧彦も我慢できなかった。
「悪い芽は早く潰さないといけないな」
研究所のデータには国外に流出してはいけない類のものもあり、このままでは研究成果を他国に奪われる。
それを防ぐことを考えると、所長として紫原家当主としても協力せざるを得ない。
「やれやれ……アリスは本当に私をやる気にさせるのが上手い」
昔からの付き合いがある分、彼女は自分のやる気を刺激するツボを熟知している。
特に自分の逃げ場を徹底に潰し、協力させるように仕向けるところなど相変わらずだ。
「……仕方ない。私も協力しますか」
霧彦は紙コップ式自販機で買ったコーヒーを飲みながら、家の人間にアクセサリーを用意するよう手配した。
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