第60話 疼痛の名

 天川あまがわ

 聖天学園の一個前の駅であるその町は、下町情緒溢れる街並みと雰囲気で故郷を離れて寮で暮らす聖天学園生にとっては憩いの場として重宝されている。

 街並みの空気や一昔前の建築物は自然と人々の心を癒し、アーケード商店街ではパンや揚げ物の香ばしい匂いが漂い、育ち盛りの学生の空腹を満たしてくれる。


 午後一七時五八分。本来なら様々な店の人達の呼び込みで活気あふれる商店街は人っ子一人おらず、普段とは違う静けさに不気味を感じてしまう。

 今の天川は魔導犯罪発生を知らせる魔導犯罪警報で、町に暮らす人々はシェルターに避難している。


 アーケードの天井に留まるカラスの鳴き声が空しく響く中、幽鬼のような風貌をした男三人が商店街の道を歩く。

 髪の色は黒髪、茶髪、金髪と別々だが、病人のように白い肌と平均を下回る痩せこけた体、そしてアオザイに似た白い衣装を身に纏っているのは共通している。

 先頭に立つ黒髪の男は眼窩が落ちくぼみ、瞳孔は血管が見えるほど開いているその目をギョロリと左右に動かす。


 人の気配が全然しないことに苛立たしげに舌打ちをすると、右手から炎を生み出す。

 その炎が灯る右手を横に振ると、炎は近くのクリーニング屋のシャッターを突き破る。

 轟音と共に燃え広がる店内を一瞥しながら、男は再び大きく舌打ちをする。


(どうやら俺達のことは向こうにバレているようだな……)


 そもそもあの地獄の研究所から逃げ出した被検体自分達を、IMFが放っておくわけがない。

 魔導犯罪課には時間干渉魔法使いを使ってターゲットの行動を予測し、鎮圧するという撃退法を取っているという話がある。

 その話が事実なら、この町に人がいないことの説明がつく。


(やっと……やっと自由になったんだ……。俺達が役立たずじゃないことを証明しなければ、また俺達はもう二度と……)


 それだけはなんとしても避けなければ、という強い意志が黒髪の男の目に光を宿した。



☆★☆★☆



 男達は、聖天学園の入試を突破できずに魔導士崩れとなった者達だった。

 あちこちで小規模な犯罪行為を続け、その数ヶ月後に魔導犯罪課に捕縛された。本来なら魔導士刑務所『カルケレム』に入所されるはずだったが、当時男達を捕まえた魔導犯罪課職員と研究所所長の裏取引によって、あの地獄へと連れてこられた。


 強化実験の話は風の噂で聞いていたし、もちろん最初は受けることを断り、さっさと『カルケレム』に入れて欲しいと頼んだほどだった。

 その考えを覆したのは、所長からの一言だった。


『――では君達は、このまま無能のまま一生を過ごすか?』


 直後、男達の脳裏にこれまでの過去がよみがえった。

 入試に落ちた自分達を蔑む親、ボロボロの恰好を見て冷たい目を向ける通行人、テレビに映る魔導士候補生、そして同類を倒し周囲から賞賛を浴びる魔導士。これまで男達が憎み、羨んできた者達の姿が浮かんでくる。


『もし君達がこのまま協力してくれるのなら、望む力を与えてあげようじゃないか』


 男達の心情を察したのか、目の前の悪魔は甘い言葉で誘惑する。

 受け入れたら二度と光の世界に戻れないと分かっていても、今を変える力が欲しかった。


 ――誰にもバカにされたくない。誰にも『役立たず』と『無能』と言われたくない。


 心の中でずっと叫び続けていた声が、頭の中でガンガンと響く。

 血を吐くほど叫ぶ声に耳を傾けた結果、やがて男達は悪魔の手を取った。たとえ可能性が低くても、再び魔導士として返り咲けるならと必死だった。

 その時に見せた悪魔の笑顔は、まるで新しい玩具を貰った子供のように純粋で、醜い欲で酷く歪ませていたのを今でも忘れない。


 これまでの研究・調査の結果、魔導士には力のリミッターを外す『鍵』が存在する。魔力の暴走はその『鍵』が外す真っ最中に起きたものであると推測されている。

 だが魔力の暴走はともかく『鍵』を外すことは簡単ではない。なら、どうすればいいのか?

 簡単だ。、『


 それからは、誇張することさえもできないほどの地獄の日々だった。


 ――頑丈の枷がついた椅子に座らされ、何本ものコードがついたヘルメットを着けられたかと思うと、そこから感電死ギリギリまでの電流を流された。


 ――枷がついた診察台に寝かされ、麻酔が半分も効いていない状態で腹を掻っ捌かれ、耐え難い苦痛を少しでも逃れようと、無意味に腕と足を動かし、喉が潰れるほど叫んだ。


 ――食事は全て毒を盛られ、嘔吐物や口の中に残っているものを無理矢理取り出されて、体的変化を随一観察された、その後も毒の副作用で激痛に苦しめられた。


 ――細長い水槽に入れられ、溺死ギリギリまで水を満たされた。息苦しさに早く出して欲しいと懇願するように水槽を叩くも、研究員達はこちらに一切目を向けず、パソコンの画面ばかりに集中していた。

 

 自分達と同じ境遇の人間は何人もいたが、どれもが心が壊れ廃人になるか、実験に耐え切れず自ら死を選ぶかのどちらかの終わりに至った。

 それでも男達は、その地獄で何年も耐えた。


 耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐え抜いてきた。

 全ては生きるために。そして、魔導士として返り咲くために。


 なのに――現実は違った。

 どんなに非人道的実験を繰り返しても、自身が得意としている魔法だけしか強化されなかった。

 これが普通の研究所なら充分な成果だが、この地獄の研究員が望んだのは無魔法を除く全ての魔法を強化した魔導士――完全強化魔導士オールラウンダーの誕生だ。


 一つの魔法しか強化できなかった自分達は、研究所にとって『価値ある被検体』から『無価値な被検体』へと降格させられた。

 それからの研究員達の態度は、あっという間に一変した。


『結局、役立たずは役立たずのままか』

『無駄な時間を過ごしたな』

『大した使い道もない、文字通りの『能無し』だな』


 期待と探求心を宿した瞳は、失望と侮蔑を宿した瞳に。

 心を支えていた優しい言葉は、心を傷つける冷たい言葉に。

 一瞬にして自分達の足場が崩れ、再び存在理由を失った。そこからはまた別の地獄が始まった。

 六畳しかない部屋に、ずっと閉じ込められた。食事は部屋に設置してある自動配膳機能で運ばれ、トイレやお風呂以外は部屋の外に出してもらえなかった。


 あの苦痛だらけの実験から逃れたと思えれば、どれだけ楽だったのだろうか。

 テレビもスマホもパソコンもゲーム機もない、ただ真っ白なベッドしかない真っ白な部屋に何もせずいるのは別の苦痛だった。

 それと同時に部屋という『空間』が伝えてくる。お前達は用済みになったのだ、と。


 声なき声に恐怖で体を震わせ、天井の隅にある監視カメラに向かって叫んだ。


『なぁ……俺達にもう一度チャンスをくれよ、いくらでも感電死させても腹掻っ捌いても毒盛っても溺れさせてもいいからさ……。……聞いてんだろ? お前らが魔導士にしてやるって言ったから、俺達はここまで……っ』


 マイク付きの監視カメラは何も言わない。それが男の怒りを増幅させた。


『ちくしょう……ちくしょうちくしょうちくしょうッ!! 散々利用して用済みって分かりゃそのまま放置かよ! どれだけの人間を死体にすりゃ気がすむんだクソったれどもッ!! 俺がこうしている間にも、テメェらは毒盛られてねぇ温かいコーヒー飲んでメシ食いながら笑ってんだろ!? でもな……これだけは覚えとけよ! 喰わる側だってなぁ、喰う側の喉元に喰らいつくことくらいできるんだってなぁ!!』


 怒りと憎しみを込めたその言葉が現実になったのは、それから三日後だった。

 突然爆発音が聞こえたと思ったら、火災報知設備によって自動的に部屋の自動扉が開いた。外に出ると周囲は黒煙と炎に包まれ、遠くから詠唱を唱える声や悲鳴が聞こえた。

「IMFが」「何故ここに」「データは守れ、被検体は処分しろ」そんな声が聞こえたと思ったら、後ろで銃声が連続で鳴り響く。


 男達より後ろにいた被検体達が、背中を真っ赤にして事切れていた。黒光りする機関銃を手に、研究員が「クソッ、せっかく集めたのに」と苛立たしげに呟いていた。

 もし以前の自分……少なくとも三日前の自分だったら、ここで殺されてもよかった。

 だが、今は違う。自分達に銃口を向ける研究員を、男は得意とし強化された炎魔法でけ炭化するまで焼き殺した。


 熱いと叫びながら死に絶える研究員の姿を最後まで見ないまま、男は同じ日に地獄に来た『仲間』に訊いた。


『ここから逃げて生きるか、このまま死ぬか。好きな方を選べ。生きるなら縦に、死ぬなら横に頷いてくれ』


 悪魔にかど分かされた時とは違う、はっきりとした問いかけ。

 二人は数秒だけ迷う素振りを見せたが、やがて男の顔を見て首を縦に頷いた。

 そこからは必死だった。機関銃を持った研究員と魔導具を持った魔導士との交戦に巻き添えを喰らわないように隠れながら進み、体のあちこちに火傷を負いながらも数年振りの外へ目指した。


 外に出て、研究所が山奥にあったことを初めて知ったが、それを気にする余裕もなく町へと駆け出した。

 辿り着いた町に着いた途端、ビルの大型ディスプレイに研究所から抜け出した自分達が指名手配されているというニュースを目撃し、互いに顔を見合わせながら男達はある決心をした。


 ――この国を出よう。


 日本にいては犯罪者である自分達はいつか『カルケレム』に入所させられる。最初はそれでもよかったが、実験体の日々を過ごした影響なのか分からないがそれだけはなんとしても避けたかった。

 たとえ短い間でも、これまで地獄で過ごしてきた時間を取り戻したかった。昔のツテを頼りに、三人でも最低限の生活ができるくらいの金と密航への片道切符を手に入れたのだ。



 そして今日、この天川で密航専門家と落ち合う予定であった。

 この天川はここから南に数百キロ先まで向かえば今は廃棄された港がある。古ぼけた貨物倉庫しかないあの場所は、夜の薄気味悪さと相まって誰も近づかない。

 密航にはうってつけの最高の待ち合わせ場所で、本当ならこのまま誰にも気づかれないまま去るはずだった。


(……どいつもこいつも、何故俺達の邪魔をする。俺達が自由に生きるのはそんなに許されないのか?)


 確かに罪を犯してきた自分達が犯罪者として裁かるのは世の理。

 だがそんな世を作ったのは、魔導士崩れと呼ばれた者達を放置した国際魔導士連盟だ。ならば本来、自分達は被害者側の立場にいるべきなのだ。

 恨みこそすれ、一歩的に悪として扱われていいわけではない。


 魔導士崩れとして犯罪者扱いされたこと、実験体に成り下がった地獄の日々を思い出すと無意識に魔力が強まる気配を感じる。

 どうやら『憎しみ』という『鍵』によって己の器が強化されているのだろう、と頭の片隅で推測を立てた直後、闇夜を裂く銃声と共に黒髪の男の足元が小さく窪んだ。


 その場で立ち止まり、警戒態勢を取る三人。街灯で青白く照らされているアーケードの先で、二つの人影がどこからと現れる。

 片や、ピンクに近い赤髪を太い三つ編みにした女性。夜でもまだ蒸し暑いのに、濃紺の軍服をかっちりと着ており、自身の身長より倍ある金色に輝くフォークロアを抱えている。

 もう片や、銀色の髪をしたどこか気だるげな雰囲気を醸し出す青年。実験の影響で痩せこけた自分達より『幽霊』という言葉が似合うが、左手に持つ日本刀のせいで警戒心が強まる。


 自分達より十以上離れている若者が二人。だが何度か対峙した魔導犯罪課の職員と同じ場慣れした気配を感じる。

 警戒する横で、金髪の男が二人を睨みつけながら「な、何者だお前ら!?」と声を荒げながら指を指す。


「ボク? ボクは国家防衛陸海空独立魔導師団『クストス』陸軍第一部隊隊長やってる赤城アリスって言ったんだよ。で、こっちの幽霊くんは白石怜哉くん! あと君達を撃ったスナイパーの名前は緑山暮葉くんだよ♪」

『おいコラ勝手にバラすんじゃねぇクソったれのアホ女ッ!!』

「うるさい……」


 あっさりと素性をバラしたアリスに、インカム越しから数キロ先にあるマンションの屋上にいた暮葉が怒鳴る。

 その怒鳴り声に怜哉は煩わしく顔を顰める。元々音声がクリアに聞こえる代物だけあって、さっきの怒声も鼓膜が破れるのではないかとヒヤヒヤするほどの音量だ。

「アハハ、ゴメン♪」とテヘペロしながら謝るアリスの前で、男達は顔を険しくさせる。


「赤城……白石……緑山……。七色家の人間が三人も揃って出るとはな……、お前達の目的は俺達の捕縛か?」

「んー? そうだねー。元々はボクの仕事なんだけど、ここを派手に破壊しないのを条件とするとこの二人の手が必要だったからねー」

「……ああ、確かにアリスの攻撃って派手だもんね」


 過去に赤城家が所有する訓練場で戦った際に、手加減していたとはいえ半径一キロの周囲を台風が過ぎたような荒れ果てた土地にした。

 かつて自身も通っていた天川にはそれなりに愛着があるのだろう、ここをなるべく破壊しない方法として怜哉と暮葉に協力を仰いだのだろう。

 怜哉が一人で納得する横で、茶髪の男が顔を真っ赤にして叫んだ。


「ふざけるな!! そんな甘っちょろい考えで僕達を捕まえる気なのか!?」

「そうだよ」


 先ほどとは打って変わってはっきりとした口調で答えたアリスに、男は息を呑む。

 銀灰色の瞳を一切彼らから逸らさないまま、アリスのフォークロア型専用魔導具《ハピネス》を抱える腕の力を微かに強く込める。


「ボクの家『赤城』の役割はこの国の防衛だ。日本という土地で暮らす者達が、平和で安全な暮らしを送らせるためにね。もちろん君達のことは資料を読んで、どういった経緯で追われる身になったのは知った。……でもね、罪はちゃんと償わなくちゃいけないんだよ」


 事実、彼らの起こした犯罪の中には、死者は出なかったが後遺症で一生車椅子生活になった者もいれば、腕か足のどちらかを片方失った者もいる。

 どんな事情があるにせよ、罪を償わないまま密航で国を出るのはただの逃げだ。 


「そんなに国を出たかったら、ちゃんと罪を償ってからにしないといけない。そうしないと君達は一生本当の意味で自由になれない! だからボクは君達と捕縛する! この国を守る者として、ボクは君達の前に立ち塞がろうッ!!」


 夜のしじまを切り裂く宣言に、男達はその気迫に圧倒されたのか体を少しだけ後ろに反らす。

 赤城家次期当主に相応しい風格を持ったアリスを横目に見ながら、怜哉は手に持つ《白鷹》に視線を向ける。


 鞘に収まったままの《白鷹》。だがこの刀には何百何千と数え切れないほどの人間の血を吸っている。

 たとえ無意識で発した言葉であろうと、怜哉の心がズキリと疼いた。


(…………ああ、この痛みは……)


 随分久しぶりに感じる痛みに、フッと小さく嘲笑を浮かべる。

 怜哉は知っている。この疼痛を。まだ強者を求める戦闘狂になる前の、家の役割に恐怖を抱いていた頃の自分が毎日のように感じていた。


 この疼痛の名が、『罪悪感』というとうの昔に失ったはずのモノであることを――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る