第59話 舞い込んだ頼み
八月二一日、一一時一八分。聖天学園第二訓練場では、甲高い金属音と爆発音が朝八時からずっと鳴りっぱなしだ。
他の訓練場で魔法実技を終えた生徒や、受験や宿題がひと段落した生徒は三時間以上も鳴る第二訓練場のただならぬ雰囲気につられて中に入ったが、フィールドで繰り広げられる戦いに皆が固唾を呑んで見守る。
フィールドの上では二人の男が互いの得物を手に、遠くもなく近くもない絶妙な距離を保ったまま睨み合っている。
片や、七色家の一つ『白石家』次期当主・
彼の手には
もう片や、世界最強の魔導士の一角として【五星】の名を与えられ、この聖天学園の教師・豊崎陽。本来は槍だが今はただの棒である
今も荒い息を吐き、汗を流し続ける怜哉に対し、陽は汗一つかかず、涼しい顔のままだ。
それだけでも嫌というほど思い知らされる。互いの実力の差に。
圧倒的な魔法力。圧倒的な戦闘力。そして、圧倒的な経験数。
いくら二人の年がそこまで離れていないからといって、経験では陽が遥に勝っている。
王星祭では世界中から腕すぐりの魔導士が集まり、覇を競い合う。中にはルール違反ギリギリの行為をする選手もおり、それこそ命の危機に陥った経験もある。
今まで自身より弱い相手ばかりしてきた怜哉にとって、『最強』の名を冠する相手と真正面から戦う経験は当然ながらない。
圧倒的不利な状況でも、怜哉の口角は頬まで避けているのではないかと思わざるを得ないほど上がっていた。
(これが【五星】の実力……。ああ、愉しくなってきた)
毎日毎日強者との戦いを渇望し続けている怜哉にとって、目の前にいる『最強』はまさに理想の強者だ。
もちろん合宿で自分を負かした悠護も怜哉の中の強者の枠組みに入っているが、陽はその枠組みに入れることすらできないほどだ。
一瞬でも気を抜いたら、待つのは敗北だけだ。
いつもは片手で持っていた《白鷹》の柄を両手で握り直す。それを見て陽の眦がピクリと動く。
直後、怜哉は一直線で陽に向かって駆け出す。できる限り足音を殺した、音のない疾走。
「『
魔法名を唱えると、怜哉の周囲が砂嵐で囲まれる。威力はそこそこだが、それでも観客席にいた生徒達は飛んでくる砂粒が目に入ったり、頬や腕に当たったりと被害が及んでいる。
陽は飛んでくる砂粒には目もくれず、《銀翼》を右から横に振り払う。一瞬で砂嵐を一刀両断し、砂嵐を消す。晴れた視界の先には怜哉の姿はない。
瞬間、陽の数メートル上空から怜哉の姿が現れる。
(『
この戦法はかつて、怜哉が一三歳の時にとある魔導士崩れ集団を壊滅させるために使ったものだ。
あの時は両方の魔法を常時発動させたため魔力の消耗も激しかったが、『
脳内で戦法の改善を考えながら、《白鷹》を天の構えで取ると柄に力を込める。
(――貰ったッ!)
確実に仕留められる位置まで降下した直後、怜哉は《白鷹》を振り下ろす。
だが陽の姿は、《白鷹》が振り下ろされたのとまったく同じタイミングで消えた。
「――え?」
思わず出た間抜けな声。その時、
「『
「……勉強になりましたよ、先生」
頭上で言われる改善点を聞かされて苦笑を浮かべた直後、怜哉の体はフィールドに叩きつけられる。
それが、陽との三本勝負に全敗した事実を伝えた。
☆★☆★☆
「――で、そんな無様な恰好になって
「別にいいでしょ……病院よりここが一番落ち着くんだからさぁ……」
聖天学園生徒会室。来客用のソファーの上に寝転ぶ怜哉を見て、同じ七色家の一つ『緑山家』次期当主であり聖天学園生徒会長の緑山暮葉は、ため息を吐きながらも書類の書く手を止めない。
三年生である暮葉は、二学期修了と同時に生徒会長を退任する。だがこの学校には生徒会選挙はなく、自動的に副生徒会長が生徒会長に就任するシステムになっている。
次期生徒会長である
残るのは暮葉が退任するまでの間の仕事のみだけで、そのために夏休みの課題は全て短期で終わらせている。
書類を書く手を止めないまま、暮葉はソファーで寝転ぶ怜哉を盗み見る。
今の怜哉は半袖シャツの裾をズボンに入れず外に出しており、水色のネクタイはいつもより緩く結ばれている。さらに頬にはガーゼが貼られ、腕には包帯が巻かれているせいで彼の白い肌より嫌でも目立っている。
七色家の中でも一、二位を争う実力を持つ怜哉がここまでコテンパンにやられるのを見ると、【五星】の実力がどれほどのものなのか思い知らされる。
(こりゃ俺やアリスが
ただでさえ実用性が厳しい空間干渉魔法をあそこまで使いこなせる相手と同じ土俵に立つことすら難しいのに、その相手に勝とうなんて無理ゲーに決まっている。
それが分かっていても、強者に挑まずにいられないのが『白石怜哉』なのだ。
どれだけ無謀で、実力差があろうとも強者を渇望し続ける。まさに戦闘狂の鑑。現に今、怜哉のアイスブルーの瞳からは闘志が消えていない。
再びため息を吐きながら、朝より大分減った書類の山から一枚取る。
その拍子で机の上から一枚の紙が床に落ちる。ちょうど怜哉のいる位置に落ち、怜哉は気だるい様子のまま床の紙を拾う。
そこに書かれている文字を見て、怜哉は眉を微かに顰める。
「『特別転入届』……?」
聖天学園では諸事情で入学出来なかった生徒のために、一般高校と同じで転入試験がある。試験に合格するとこの届けが送られ、手続きを済ませると聖天学園の敷居に足を踏み入れることができる。
この書類があるということは、恐らく二学期に新しい生徒が来ると言ったことだろう。だが問題は、そこに書かれている転入生の名前だ。
厳しい顔をする怜哉はちらりと暮葉の方を見る。暮葉も可愛らしい童顔を般若の如く歪めており、緑色の髪を乱雑に掻いていた。
「悪いが白石、それ以上は言うな。俺だってまさかそんな大物が転入するなんて思わなかったんだよ」
「……まあそうだよね。そもそも普通にありえないもんね……
イギリス。
魔導士達の始祖・四大魔導士が生まれた国であり、世界一位の魔導大国。他の国とは違い、六歳から一五歳までの魔導士の子供を一箇所に集めて魔導士専用の修練院に通わせている。
だがその修練院は無認可校扱いで、正式な教育機関ではない。そのため教育の質は聖天学園より数段劣っており、本格的な魔法の腕を身につけるためにイギリスからわざわざ日本にやってくる生徒が多い。
だが、イギリス王室は例外だ。
高確率で魔導士として生まれる彼らは、帝王学として本格的に魔法を学ぶ。そのため彼らが聖天学園に入学するということはあまりないが、だからといって前例がないわけではない。
過去に数回、イギリス王室の人間が聖天学園に入学し、日本のみならず他の諸外国との交友関係を築き上げるだけでなく、聖天学園に多額の寄付金を出したこともある。
その真意が多くの神秘を潜む国を守るための政治的策略だろうが、魔導士の始まりの地であり、魔導士育成に尽力してくれているイギリスに対し日本はもちろん他国は無闇に手出しできない状態になっている。
そんな取り扱いが難しい国の王子が転入する話は、聖天学園にとって新しい問題を持ち込まれたある種の迷惑だ。
だが、不可解なことが一つだけあった。
「でもおかしいよね、なんでこのタイミングで転入なんだろうね」
「それな……」
怜哉の言葉に、暮葉はこめかみを押さえながらため息をついた。
いくらイギリス王室が聖天学園の入学するのか否かを選べるからといって、わざわざ二学期から転入する理由を他の教師や生徒は分からないだろう。
だがこの二人には、イギリスの王子が転入する理由が一つだけ心当たりあった。
豊崎日向。自分達の後輩で、世界唯一の無魔法使い。
魔法に関するものを無効化し、最悪魔導士の命ともいえる
その『無魔法』という存在しているのかさえ怪しまれた魔法を使える彼女は、どの国も注目しているし、現に元魔導犯罪集団『獅子団』と『裁きの狗』が彼女の身柄を狙っていた。
国際魔導士連盟本部があるイギリスがその情報を掴んでいないのは考えられず、イギリス王室にも伝わっているはずだ。
もしその王子が日向を危険人物として見ているのなら、国の権力を使って彼女を自国で一生監視下に置くよう仕向けるかもしれない。
そうなってしまえば、いくら七色家でも手出しすることが難しくなる。
「……ほんと、大変な星で生まれたよねあの子」
「そうかもな。……けど、向こうの思惑がどうであれ、そんなことさせないようにするのも
「そうだね」
七色家は、日本を守護する魔導士一族。すなわち日本という国とそこに住み国民を守らなければならない。その国民の中には、全ての魔導士の中でイレギュラーな存在である後輩も入っている。
個人的な事情を抜きにしても、その役目を全うしなくてはならない。
緊迫した雰囲気の中、生徒会室のドアの外からドタドタドタドタッ! と物凄くうるさい足音が聞こえたと思った直後、バァンッ!! と大きな音と共にドアが開かれる。
その時にミシッとヒビが入る音が聞こえたがきっと気のせいではないだろう。
「やっほー! 二人ともいるかーい!?」
傍迷惑な騒音と共にドアを開けた人物は、怜哉と暮葉と同じ七色家の一つ『赤城家』次期当主の赤城アリス。
ピンクに近い赤髪を太い三つ編みにした彼女は、胸元にレースがあしらわれたラベンダー色のノースリーブの上に半袖の黒いウサミミパーカーを羽織っている。下は機動性重視なのか黒のショートパンツで、白い足を覆うオーバーニーソックスは白とラベンダー色のボーダー柄。靴は黒革のショートブーツと、活発かつ年相応の装いをしている。
左肩にはド派手なピンクのトートバッグをひっかけている。
「アリスてめぇ! 学校のドアぶっ壊そうとすんじゃねぇよクソったれ!!」
「ていうかなんでいるの?」
「何言ってんのさ二人ともー。ボクはここのOGなんだよ? 卒業生がここに来てもおかしくないじゃないか!」
暮葉の怒声を無視し、アリスはあっけらかんと答える。
確かにアリスは自分達より早く聖天学園を卒業している。卒業生である彼女が校内に入ってもなんら問題はないが、何故わざわざここに来たのか理由が分からない。
「はあ……、で? なんの用だよ」
彼女が他人の説教に耳を傾けないのはいつものことだと割り切りながら、暮葉は肩肘をつけながら訊く。
アリスは一瞬きょとんとするが、すぐに思い出したのかポンッと右拳を左手の平に置いた。
「おー、そうだったそうだった! あのねあのね、君達二人にボクの仕事を手伝って欲しいんだよ!」
「「……………………はあ?」」
突然の誘いに、二人はまったく同じタイミングで素っ頓狂な声を出した。
「……それで、仕事を手伝えたぁどういうことだ?」
「嫌だなぁ、そんな怖い顔しないでよ。別に赤城家としての仕事じゃなくてボク個人の仕事なんだから別にいいでしょ?」
あの後、生徒会室にあるキッチンから紅茶とお茶請け用のフルーツがたっぷり入ったロールケーキを出した暮葉は、目の前のソファーに座って両手を使って宥めるアリスを睨む。
その横で怜哉はロールケーキをもぐもぐと食べる。本音を言えば和菓子が好きなのだが、甘さ控えめの生クリームとフルーツの酸味と甘みが見事にマッチしたそれは怜哉好みの味だったため、文句は言わなかった。
紅茶も紅茶を取り扱う会社の令嬢であり暮葉のパートナーである金枝奈緒が持ってきているものであって、香りも味も満足するものだ。
自分の怒り顔を見ても顔色一つ変えないアリスに、暮葉はため息を吐きながら紅茶を飲む。
彼女の言う通り、家絡みではない個人の仕事ならば他家である暮葉や怜哉に頼んでも大した支障はない。
確かに問題はないのだが、わざわざ夏休みに面倒臭そうな気配のする頼みをするのは悪意しか感じない。
しかし本人には悪意はなく、純粋に頼みに来ているため始末に負えない。
暮葉は自身の精神安定剤のような役割を果たしている紅茶の中身を半分にまで減らすほど飲むと、カチャンと音を立てながらカップをソーサーの上に置いた。
「……まあいい。それよりアリス、お前が今なんの仕事やってんのか聞かせてもらうか」
「うん。ちょっとこれを読んでよ」
そう言ってアリスはトートバッグから左端をクリップで止めた紙束を渡す。
現代では電子で書類や手紙を送るのが主流だが、ハッキングなどで貴重な書類が盗まれるというニュースは後を絶たない。
そういった事態を防ぐために、機密性の高い書類は全て紙による手渡しにするよう、どの企業でも通達されている。
つまり、アリスが持って来た紙束は機密性の高いものであると言っているものだ。
暮葉は嫌な予感がビシバシと伝える紙束を眉間にシワを寄せながら受け取ると、ペラリと慎重に捲った。
紙に書かれた内容を見た瞬間、暮葉だけでなく横目で見ていた怜哉も顔を顰めた。
『強化実験対象魔導士の捕縛』
その文字を見た二人の反応に、アリスも困った顔をする。
恐らく彼女もこの書類を読んだ時、きっと自分達と同じ反応をしたのだと火を見るよりも明らかだ。
強化実験とは、文字通り魔導士を強化する実験だ。
強化魔法は身体能力もしくは武器・魔法の威力を上昇させるが、それは魔法を使っている間だけ。
つまり強化実験は、魔導士を
もちろん魔導士による人体実験は二〇三条約で禁止されているが、それでも裏で強化実験を行う魔法研究所は少なくない。
強化実験で部位欠損した魔導士や自我を失った魔導士、中にはわざと魔力を暴走させて自滅した魔導士もいる。
まさに、『人生を壊す実験』の代名詞と言っても過言ではない。
「強化実験対象魔導士が三人も脱走か……。紫原はどうしてんだよ」
「そっちは強化実験を行った魔法研究所のぶっ壊して今は後処理中。その時にはこの魔導士達は逃げ出したらしいよ」
七色家の一つ『紫原家』の役割は、魔法研究所の管理。もちろん非合法な実験を行った研究所を壊滅させるのも役割の一つだ。
その家が後処理に追われているとなると、国の防衛を役割とする赤城家にその仕事が回るのは当然だ。
「それに行動予測によると、今日の一八時に聖天学園の一個前の駅である『
「クソったれ、なんでよりによって天川なんだよ……」
聖天学園の一個前の駅にある天川は、学園設立の際の都市開発によってできた町だ。
駅前にあるアーケード商店街は、古き良き下町の外観とアットホームな雰囲気が聖天学園生に大人気で、放課後になるとそこに立ち寄って買い食いや買い物をする生徒もいる。
たびたび聖天学園絡みの事件で商店街の一部は破壊してしまっても、そこに暮らす住民は「ちゃんと直してくれるから気にしてない」となんとも大らかな対応をしてくれている。
暮葉も怜哉、それに卒業生であるアリスも天川はよく立ち寄るため、あそこが脱走中の魔導士達によって破壊されるのは気持ち的に嫌だ。
国や国民を守るのも大事だが、自分達の憩いの場である町を守るのも大事なことだ。
であれば、二人が出す答えは一つしかない。
「……そういうことなら手伝ってやる」
「僕もいいよ。ちょうどいい肩慣らしを探してたからさ」
「っ……ありがとう二人ともっ!」
「抱き着くなっ!!」
二人の返事に感極まったアリスがテーブルを軽々と飛び越えて、暮葉と怜哉に抱き着く。
突然抱き着いてきたアリスに向かって暮葉が耳が痛くなるほどの怒声を上げる横で、怜哉は薄らと口元に笑みを浮かべる。
彼のアイスブルーの瞳には、まだ見ぬ相手への戦意が宿っていた。
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