第61話 【七武騎士姫】

『――怜哉、罪悪感を忘れてはいけない。忘れてしまったら、お前はいつか自分を失う』


 あれは、いつだっただろうか。

 最初は怖がっていた仕事に慣れ始めて、返り血だらけで帰って来た自分に向けて放った父の言葉。

 最初は人を傷つけることに恐怖を抱いていた。だが時間が経つにつれて、『普通じゃないこと』が『普通なこと』に変わるのはそう遅くはなかった。


 手に持つ武器の重さと人を斬る感触はすっかり手に馴染み、相手の体から噴き出た血の生温かさは一種の酩酊感を味わわせる。

 血の鉄臭いを嗅ぐと「ああ、自分は生きている」と思わせ、自分より弱い相手を倒すともっと強い相手を求め始めた。


 仕事を終えて、血だらけで倒れている犯罪者を見て、処理班の恐怖と怯えに満ちた視線を受けても少しも動じなくなった。

 何より、人を斬るたびに、傷つけるたびに胸を痛ませた疼痛があまり感じなくなった。

 血だらけの手を見つめ、怜哉は無意識に嘲笑を浮かべる。


(名字に『白』が入っているのにこんな汚れ仕事してるなんて……笑えるね)


 世間一般で言った『白』は純粋や善のイメージが強いはずなのに、この世界の治安を治めているのは真反対の色と死や悪のイメージを持つはずの『黒』の名を入れた家で。 

 矛盾している事実をおかしく感じなら空に浮かぶ美しい満月を見つめていた時に、普段は執務室に篭っているはずの父が現場に現れ、あの言葉を言われたのだ。


 何故、父があんなことを言ったのか今も分からない。

 ただ、これだけは分かった。


 ――この時にはすでに、怜哉の中から『罪悪感』がなくなっていることを。



☆★☆★☆



「そぉれいっくよー! 『音波ソヌス』!」


 アリスが《パピネス》を奏でると、周囲を揺るがす音が溢れ出る。

 文字通り音波で相手の動きを鈍らせるその魔法は、目の前の逃走者の体が硬直する。その隙に怜哉は右手に柄を持ちながら走る。

 だが黒髪の男が鈍い動きで右手をかざすと、そこから火球が現れる。その火球が怜哉に向かって発射されるが、怜哉は寸でのとこで回避する。


 火球は地面に撃ち込まれ、破壊音と共に広範囲に火が周囲を焼く。

 だが男が火球は、本来ならば初級に入るはずの威力のはずだ。なのに、十棟以上の建物だけでなくアーケードの天井まで燃え広がっているのは普通ではない。


(なるほど、これが強化実験の結果の一部ってやつか)


 身体的苦痛を与えることで魔核マギアが成長し、更なる高みへ至ることができる世界中の魔法研究者達が同じ成果を出したが、IMFはこれを否定した。

 曰く、『魔導士の力は生まれた時から決まっており、無理に魔核に干渉しようものなら、魔導士自身の自我が永遠に失われる』と当時の国際魔導士連盟本部長はそう断言し、強化実験を二〇三条約で禁止にさせた。


 当初は戦力強化に繋がる提案を無にされたことで周囲からバッシングを受けたが、本来魔導士は人間であって兵器ではない。

 過去の戦争でも魔導士が戦場に出てその命を散らしたが、それは母国や故郷に残した家族を守るための強い信念によるものだ。

 戦争がないこの時代では、強化実験など己を兵器に成り下がらせるだけのモノだ。


「一つ聞いてもいい? なんで強化実験になんかに手を出したの?」

「……なんだと?」


 突然話を振って来た怜哉を訝しげに見つめながら、男は質問に答える態勢になったが警戒心を解かないままだ。

 いつの間には他の二人が消えているが、アリスや暮葉が片付けてくれると思っていたため、特に気にしないまま怜哉は言った。


「僕は別に強化実験についてはあんまり興味ないし、したい奴だけすればいいって思ってる。……けどさ、その後がどうなるかくらい君も分かるだろ? それなのに君らは分かった上で手を出した。その理由が知りたいんだ」


 正直なところ、怜哉も彼らが強化実験に参加した理由は興味がなかった。

 それでも聞きたいと思ったのは、純粋に目の前の男が遠くない未来に訪れる『自分』と重ねてしまったせいかもしれない。

 男の方は少しだけ眉を顰めたが、口元を歪ませながら言った。


「そんなん決まってんだろ? 復讐だよ、復讐。試験に落ちただけで役立たず扱いしたクソ親にも、散々俺らを追いかけ回したIMFにも、そしてゴミを見るような目を向けてくる世間にな! ……でもまあ、その復讐すらも今はどうでもいーんだよ。あの地獄から抜け出せたんだ、さっさとこんな国出て自由になって生きる……それが今の俺らの目的だ」

「自由、ね……。君らにそうなる資格があるって思ってんの?」


 ここに来る前、アリスから渡された逃走者達の個人情報を読んだ。

 世界中に存在する下級魔導士家系出身者であり、犯罪歴はさほどない。だがそのせいで将来のある若者数名が死亡、もしくは後遺症が残る致命傷を負った。

 まさに『反省の色なし』を素でやっている男を見ながらため息をつくと、怜哉は《白鷹》を構える。


「もういいや。これ以上は時間の無駄だし、さっさと僕に倒されてよ」


 そう言った怜哉を見て、男は下卑た笑みを浮かべた。



「おりゃああっ!」


 夜の静寂な空気を吹き飛ばすアリスの軽快な雄叫びと共に、《ハピネス》を鈍器のように地面叩きつける。

 ベージュを中心に嵌められたタイルが見事に粉々になっているが、アリスは予備動作なしで《ハピネス》をもう一度振り上げる。

 今度はアーケードを支える柱に直撃。本来の使用方法とはかけ離れた攻撃に、金髪の男は戸惑いながらも躱しながら逃げる。


「へっ、雑な攻撃しやがって」


 音干渉魔法は広範囲かつ遠距離攻撃を得意とする魔法だが、接近戦では無意味になる。

 男の得意とする魔法は『向上メリウス』、強化実験の影響もあってその威力はパンチ一つで三〇階建てのビルを粉砕できる。


(一瞬の隙をつけば俺が一発入れるだけで相手はKO! 楽勝だぜ!)


 最初アリスが『クストス』の人間だと知った時は驚いたが、予想より低い戦闘力に男は完全に舐めていた。

 適当な建物の陰に隠れると、遠くから「どこにいったの~?」とアリスの呑気な声が聞こえてくる。なるべく音を鳴らさず足の爪先を叩きながら心の中でカウントダウンを取ると、アリスの履いていたブーツの音がカツンカツンと鳴り響く。


 足音が徐々に大きくになり、カツンと大きく靴音が響いた。

 今だ! と心の中で声を上げながら、男は陰から出てくると大きく目を見開いたアリスの持つ《ハピネス》を裏拳で真横に弾き飛ばす。

《ハピネス》は強化実験で強くなった腕力だけで縦に何度も回るほど吹っ飛んだが、そんなものを気にも留めないまま丸腰のアリスに向かって右腕を思いっきり後ろへ引く。


「『向上メリウス』ッ!」


 男の右腕に黄色の魔力が纏わり、そのままあリスのお腹へと拳をめり込ませる。

 強化実験と強化魔法の相乗効果で数十倍の威力を得たそのパンチは、アリスの口から血とつまった息を吐き出させ、そのまま細い体は一キロまで吹っ飛んだ。

 途中で地面に何度も転がり、体が止まったのは路上に止めていた自転車にぶつかってからだ。


「がはっ!?」


 自転車が薙ぎ倒される騒々しい音と共に咳き込むアリスを見て、男はニヤニヤ笑いながら近づく。

 アリスはその場で四つん這いになりながら、口から胃酸と血の混じった唾を吐き出しながら肩で呼吸を整える。


「うあー……今のは痛かったなぁ……。ボクもちょっと油断しちゃったよー」

「ハッ、『クストス』も大したことねーんだな。まさかこんなにも弱っちぃだなんてよぉ」

「いやぁ、『クストス』というかボクが弱いってだけで、他のみんなはちゃんと強いから安心していいよ」


 よいしょっ、と言いながら立ち上がるアリスは、口の端から流れる血を軍服の袖で拭う。

 見た目が幼く見えることもあってまだ血が残っている顔は痛々しく見えるが、銀色の瞳は未だ闘志の炎を宿している。

 それが単なる虚勢だと思ったのか、男はおかしそうに笑う。


「まあお前が弱いかどうかなんてどーでもいい。お前さえ殺せば俺達は自由になれる、それだけで十分だ!」


 まだ魔力を帯びた右腕を振り上げ、今度こそ目の前の敵の息の根を止めにかかる。

 拳が魔力と共に風が纏わる感覚を感じながら、男の拳はアリスの顔面へと突き刺そうとした――はずだった。


 ガァンッ!!


 男が予想していた音が鳴り響く。分厚い金属が拳に当たった音だ、それは間違いではない。

 現に、今男が殴ったのは、

 まさかの音に男はふらふらとした足取りをしながら、後ろへ数歩下がる。そして赤く腫れて微かに血を出す右手と目の前の盾を交互に見つめると、


「………………はあ?」


 まさに『わけが分からない』と言わんばかりの間抜けな声を出した。

 対して、アリスは金の盾を持ちながら申しわけなさそうに笑う。


「えっとごめんね? 騙すような真似しちゃって。ほらボク、さっきも言う通り弱いって言っただろう? あれね、半分ウソみたいなもんなんだ」

「う、ウソ……?」

「うん。ボク、一〇年前に『マルム症候群』に罹ったんだ」


 マルム症候群。

 魔力が回復しやすい反面簡単な魔法を使うだけで通常より何倍も消費してしまう、魔導士にしか罹らない病気。

 この症候群の治療法はなく、自然治療に任せている状況だ。本来ならこの病気は一三歳に発症し、二二歳まで完治するものだ。


 だが通常より早く発症し、中々治らない魔導士がいないわけではない。

 完治の兆しを見せない魔導士は少しでも魔力の消費量を減らすために、魔力抑制具で症状を抑えている。

 それなのに魔力抑制具を一つも身につけていないアリスは、手に持っている盾を愛おしげに撫でる。


「この病気に罹ってさ、ボクはしばらく家じゃ冷遇されてたんだ。君達のように『役立たず』、『出来損ない』って毎日言われてた」


 今でも思い出す。『マルム症候群』に罹った自分に見舞いに来たはずの親戚達から、冷たい目を向けられ、悪意ある言葉を投げかけられた日を。

 いつも笑顔を向けてくれていた人達が、スイッチを押すみたいに簡単に切り替わるのだと初めて知り恐怖した。

 もちろん見舞いに来てくれた母が父と一緒に擁護してくれたおかげでその日は鎮まったが、母が留守の間を狙ってアリスが退院する日までずっと言われ続けた。


「でも退院してもみんなボクのことで色々と言ってさ……あの時ほど辛いものはなかったよ……」


 退院した後も、アリスをどうするべきか何ヶ月も話し合わされた。

 赤城家次期当主候補の座から降ろし、田舎で療養させるというあからさまな提案も出され、裏で自分を追い出す算段を企てる輩も現れた。

 もちろん、アリスも言われっぱなしのままではいなかった。


「でね、ボクは考えたんだ。どうすればボクは赤城家の人間として生き残れるかって」


 必死に頭を捻って、何度も考えて両親と話し合って、アリスは一つの結論に達した。


 ――症候群を生かした戦い方を生み出せばいい。


 そこからはもう、死に物狂いに考えた。この病気を抱えたまま、赤城家の人間として認められるかを。


「――そしてボクは、ある戦い方を生み出した。『抑制テネオ』を付与した専用魔導具を使った、ボクにしかできない戦い方をね」


 アリスの背後に六つの魔法陣が現れる。

 一瞬だけ魔法陣がぼやけたかと思いきや、そこから出たのは金と白を基調とした武器の数々。

 戦斧、ロングソード、ランス、弓、そして《ハピネス》の銘を持つユーフォニアム。暗闇の中でも光輝くそれらに、男は無意識に目を細める。

 アリスは持っていた盾を右手で持つと、左手でロングソードを手にする。すると武器達は魔法陣と共に消え、残ったのは男とアリスのみ。


「さあ、来なよ。ボクを倒し、自分の望むモノを手に入れるために」


 アリスは左手に盾、右手にロングソードを持ったまま態勢を低くすると、銀色の瞳が男の姿を捉える。

 まるで物語に出てくる騎士のような気高さと美しさを兼ね備えたアリスの姿に、男は息を呑むがすぐさま意識を取り戻す。


(なに見惚れてやがる!? 俺はこいつを倒さなきゃなんねぇ、じゃなきゃ俺達の自由はない!)


 もう誰かに認められることに興味も執着も抱いていない。望むものは自由だけだ。

 目の前の敵を睨みつけ、男は両腕と両足に魔力を纏わせる。


「『向上メリウス』!!」


 直後、地面を蹴り上げると同時に男の体は大砲のような衝撃と共に猛スピードで肉薄にする。

 最初に右拳を振り下ろすと盾によって塞がれるが、そこは想定内だ。次に繰り出した左拳を突き出した瞬間、アリスは右手に持っていたロングソードをぽいっと頭上に投げ捨てる。

 武器を投げ捨てたその手を握りしめて拳を作ると、アリスはそのまま男の左拳を下から殴り飛ばす。


「あぁあああああああああああああっ!!」


 アリスの拳は男のように魔法で強化されていない、ただの貧弱な女の拳。握られた拳の指がボキリと三回ほど嫌な音を出したが、そんなことを気にせずアリスは拳を振り上げる。

 男の左拳は腕ごと上に向くと、ちょうどロングソードがくるくると回りながらアリスの右手に収まる。


 ロクに曲がれていない指があるのに、そんなことを気にせず無理矢理柄を掴ませると、そのままロングソードの刃を男の脇腹に突き刺した。

 ザシュ、と。刃物が肉に突き刺さる生々しい音が、アーケード商店街全体に響き渡る。

 脇腹から流れる血が刃を伝って床タイルに滴り落ちる音を聞きながら、男はだらりと両腕を下す。


「は、はは……ちくしょう……、結局俺みたいなグズには、自由は許されねぇのか……」

「違うよ。自由になる権利は誰にでもある。でも君達の場合、それはちゃんと罪を償ってからだよ」


 泣きそうな顔で呟く男の声を拾ったアリスは、左手の盾を消すとそのまま男の背に腕を回すと、ポンポンと背中を優しく叩く。

 その手つきは、まるで泣いている子供をあやす母親のようだった。


「君達がこれまで犯した罪もあるけど、強化実験の被害者の立場もあるから……ちゃんと真面目に生活すれば多分五年で自由になれるよ」


 そこまでの道のりは大変だろうけどね、と一言付け加えるアリスの声を聞きながら、男はゆっくりとアーケードを見上げる。

 分厚い強化ガラスの屋根の向こうは、チカチカと星が白に近い銀色に光輝いている。


「五年、か……」


 入試に落ち、家を追い出され、魔導犯罪者になって、強化実験の被検体になり、研究所を出て、目の前にいる優しい女に倒される。

 自分でも何を言っているのか分からないくらいの人生を思い返してみたら、始まりになった日から五年数ヶ月も経っていることに気づいた。

 まさかの自分が罪人として過ごした時間と、罪を清算し自由になれるまでの時間が同じだと気づいて思わず笑ってしまう。


 五年。世界中の人間にとって短くもあれば長く感じる時間。

 だが男にとって、その時間はあの地獄にいた時よりもずっと短く感じられた。

 その事実だけが、今は救いだった。


「…………そっか、そんなに短ぇんなら……、それで、我慢、しといて、やるよ…………」


 途切れ途切れで言葉を紡ぎながら、男はぐったりとアリスに寄りかかるように倒れる。

 アリスは脇腹に刺さったままのロングソードを消すと、すぐさま血を吹き出すそこを右手で押さえる。


「『治癒サニタテム』」


 アリスは右手に纏わる銀色の魔力を傷口に向かって注ぎ込むと、傷口は逆再生した映像のように塞がっていく。

 刃で肉が抉れた場所は元の肌色の皮膚が傷一つないが、服の周りについた血はアリスが彼を刺したことを伝える。


 ゆっくりと静かな呼吸をしながら眠る男を仰向けにして地面に降ろすと、軍服の内ポケットから『封印シギルム』が付与された手錠をする。

 カチャンと音と共にきちんとロックされているのを確認し、アリスはそのまま横で寝転ぶ。


「はぁ~あ、やっと終わったぁ~。あと二人残ってるのけど、怜哉くんと暮葉くんなら大丈夫だよね」


 あっさりと自分の本来の職務を他人にぶん投げたアリスは、ガラス屋根の向こうの星を眺める。


(星は好きだ。どんなに気持ちが暗くなっても、夜空を彩る星々がそれを忘れさせてくれる)


 現に幼いアリスの心を救ってくれたのは、両親の言葉と目の前にある星だ。

 自分の瞳と同じ色と輝きを持つそれを見つめていると、ヒュンと細長い線のようなものが夜空を取った。


「……ウソ、あれってもしかして流れ星?」


 ニュースでは流星群が来るというものはなかった。つまりあの流れ星は、自然に起きたものだ。

 まさかのミラクル体験をして驚き固まるアリスだったが、やがて口元に笑みを浮かべると再び空を見上げながら両手を組む。


「――流れ星さん、どうか彼らが一日でも早く自由になれるように応援してください」


 願いというにはあまりにも丁寧で、頼みというにはあまりにも雑な言葉を紡ぐ。

 だがその頼みを承ったかのように、もう一度流れ星が落ちる。


 それを見てアリス――国防陸海空独立魔導師団『クストス』の陸軍第一部隊隊長であり、【七武騎士姫セプテム・ミレス】の二つ名を持つ魔導士は、にっこりと嬉しそうに笑った。

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