第62話 三人の誓い

 天川のアーケード商店街の外――正確には駅前の広場では、濃厚な霧に覆われていた。

霧の檻ネブラ・カージュ』という幻の霧を発生させて相手を惑わす魔法は、強化実験の影響で本来半径一〇メートルが範囲だったが、今では五〇メートルも範囲を広げている。

 薄紫色の幻霧の中、男は冷や汗を流しながら周囲を警戒する。


 じり、じり……とゆっくりかつ慎重に進んでいくが、右足が一歩前に出た直後、足元に小さな亀裂ができる。

 亀裂の正体は魔力弾。緑色の魔力を纏った弾丸はキラキラと輝きながら消滅していくが、男はギリッと歯を食いしばらせながら叫ぶ。


「クソったれが! 見えてんのかよ!?」


 信じたくないが、信じぜざるを得なくなってしまった。男を狙うスナイパー――緑山暮葉は、精神魔法が効かないのだと。

 精神魔法の効果の差は一人一人違う。効きにくい相手もいれば、効きやすい相手もいる。特に幻覚、催眠はそれが顕著に出てしまう。


 往来から精神魔法が効きにくい魔導士は、精神魔法を得意とする魔導士にとっては相性が悪い。

 だが精神魔法以外の魔法は人並み以下しか扱えない自分にとって、スナイパーと真正面から戦う勇気はない。

 路地裏に潜むドブネズミのようにコソコソと逃げ回るしかできない。


 いっそ自首して捕まってしまえば楽になるだろうが、それでは今までの準備が全て水の泡になる。

 それだけはなんとしても避けたい男は、小さく舌を打ちながらも幻霧の濃度を濃くしていく。


(『霧の檻ネブラ・カージュ』は霧の濃度が増すことで幻覚作用が強くなる魔法……濃度限界まであげりゃ軽く誤魔化せるはずだ)


 たとえ子供騙しだと言われようとも、男にとって重要なことはこの場を逃げ切ることだ。

 勝負の勝ち負けなど気にする余裕さえない。男は徐々に色の濃さを増す霧の中に身を委ねようとした。

 直後、後頭部から固い感触が感じたと思ったら、鈍い音が周囲に響き渡る。


「があっ……!?」


 呻き声を上げながら男は薄汚れたアスファルトの上に倒れる。ズキズキと痛む頭から冷たい血が流れてくるのを感じながら、眼球だけを後ろへ動かす。

 薄紫色から紫色へと濃さを増した幻霧の中、自分しかいないはずの場所に鮮やかな緑色の髪は目に痛いほど刺激を与える青年がそこに立っていた。


「お、お前は……っ」

「緑山暮葉だ。まあ別に言わなくてもいいか、テメェを狙った相手のことなんてよ」

「っ、ああ、そうだな……」


 ガシガシと乱暴に髪を掻く暮葉に、男は起き上がろうとするが銃口を後ろの右肩にめり込ませる。

 服越しから伝わる冷たい感触に、これ以上無駄だということを悟るも脳裏から離れない疑問を聞き出すべく男は口を開く。


「最後に聞かせろ……。なんでお前がここにいやがる? つかどうやってここに来やがった」

「簡単な話だ。今までお前を撃っていたのは俺の分身だ」

「分身……、なるほど、『自己有幻ロオカリケ』か」


 合点がいったという顔で、男は納得したようにため息をついた。

自己有幻ロオカリケ』。俗に言った『ドッペルゲンガー』と同じ自分とそっくりの姿をした分身を生み出す精神魔法。


 他の精神魔法と違い、この魔法は生み出した分身は術者が設定した時間内のみ自由に行動できる。ただしその間だけ、術者は自身の持つ魔力半分を分身に与えるため、本来の魔法の威力が低下してしまう。


「あの魔法のせいで俺の魔法の威力は昔と同じくらい弱くなったが、さすがに身体能力だけは弱くならない。魔法で拘束するより物理的に仕留めた方が早いからな」

「ハッ、お前意外と脳筋だな……本来なら囮と逃走用で使われるだけの魔法をここまで上手く活用できるなんて恐れ入ったぜ」

「褒め言葉として受け取っておくぜ」


 男の口から出る軽口に答えながら、暮葉はライフル型魔導具疾風の引き金に指をやる。

 自身の専用魔導具には『睡眠ソムヌス』がいつでも発動できるようになっている。

 つまり、この魔導具に撃たれればこの男はここでおしまいだ。


 悔しさが胸の中を支配する。あともう少しで逃げ切れて、自由になれたはずなのに。

 いつもそうだ。弱者は強者の力よって支配され、強者は力で弱者おいたぶる。正義にため、平和のためと大義名分を掲げ、自身の存在を誇示したいために力を振るう。


 ああ、なんて理不尽で冷徹なほど実力主義な世界なのだろう。何故自分はそんな世界で生まれたのだろうか?

 魔法とは無縁の、路地裏から見続けた平穏で優しい世界の人間として生まれたかった。

 普通に学校に行って、普通に友達とバカな話で笑い合って、普通に帰る家で両親と一緒に穏やかに過ごしたかった。


(…………そうか、それが俺の望みだったのか……)


 そう理解した直後、銃声が鳴り響き、男の意識はそこでブラックアウトした。



 死体のように眠った男をアリスから預かった手錠で両手首を縛ると、暮葉は深いため息をつきながらその場に座り込む。

 たまたま暮葉が精神魔法にかかりにくい体質だったからこうして勝てたが、もし相手が精神魔法以外の魔法を得意としていたら長期戦に持ち込まれていただろう。


《疾風》を横に寝かせると、暮葉はズボンのポケットから棒つきキャンディーを取り出す。

 包装紙を綺麗に破り、黄色と白のツートンカラーをしたそれを口の中に入れると、酸っぱいレモンの酸味と砂糖の甘味が舌の上で溶けていく。

 コロコロと舌の上で飴玉を転がしながら、星空を見上げる。


「……ほんと、報われねぇ世界だよな」


 自分を含む魔導士達は、生まれた時から厳しい道を進むことが決められている。

 聖天学園に入学出来れば繁栄が、入学出来なければ破滅が待っている。

 イギリスのように不合格者をサポートする制度がないこの国では、今もどこかで『魔導士崩れ』と呼ばれる者達は必死に生きている。


 だがそれも奪うのは、七色家をはじめとする国際魔導士連盟だ。

 あまりにも理不尽で、あまりにも横暴で、あまりにも矛盾していることは理解している。

 それでもこの国で平穏に暮らす者達を守らなければならない。たとえ多くの人からどれだけの恨みを買われても、守るべきもののために戦わなければならない。


「けど……その前にこのクソったれな世界を変えなくちゃいけねぇ」


 緑山家の役割は、魔法関連の知識の管理。

 まだ〝神〟という存在が地上にいた時代、古今東西のあらゆる国々には魔法に似た神秘の技が多く存在していた。

 中には魔法の力では決して使えない術や、作れない道具が数多くある。その術や道具の知識は、下手をしたら今の魔導士界のバランスを崩す『種』となってしまう。


 逆に言えば、その知識を所有する緑山家はいつでもその『種』を世界のあちこちにばら撒くことができる。

 もちろん似たような立場の家は各国に存在するが、緑山家はその中でも群を抜いている。

 詳しくは知らないが、遠い昔に西からやってきた魔法巡礼者を介抱した祖先に、これまで集めた知識を託した経緯があるという話を父から聞いた。


 その例の巡礼者はいつの間にか消えていて、名前は知らないままにいる。

 何故、巡礼者があの知識を祖先に託したのか分からない。でも、あの知識があればこの世界のあり方を変えられると幼い自分でも理解出来ていた。

 力を誇示したいだけの強者から弱者を守り、道にも力の使い方にも迷う弱者に手を差し伸べる――これまで傍観者の位置に徹した緑山家のあり方を変える、緑山暮葉という魔導士の理想だ。


 もちろん父だけでなく親類縁者達は、自分の理想を聞いたら険しい顔で猛反対するだろう。

 わざわざ序列七位にいたのも、あえて無力かつ無害というアピールをすることで家の安全を守るためだ。

 だがその安全がいつまで続くのか分からない。不特定多数の魔導士から奪われる前に、仮初同然の『安全』を確固たるものにするには、自身の抱く理想を実現してこそ叶うものだ。


「それでもやるしかねぇよな……」


 たとえ無謀だと、諦めろと言われても、暮葉は己の理想を叶える。

 その道の途中でどれだけの試練が待ち受けようとも、遠くない未来でさらなる試練を待ち受ける後輩達には負けてはいられない。


 小さくなった飴玉を噛み砕くと、綺麗に取った棒は暮葉から三メートルの位置にあるコンビニのゴミ箱に向かって投げる。

 爪楊枝より長く太く棒は綺麗な放物線を描きながら見事ゴミ箱の口に入るのを確認すると、横に置いていた《疾風》を杖代わりにしながら立ち上がる。


「……さて、あのバカ二人を迎えに行くか」



☆★☆★☆



 蛇の姿の炎を迷いない一閃で薙ぎ払う。数は三。麩でも斬っているかのような感覚でブツ切りにされたそれは、威力が弱くなって地面に落ちる前に消える。

 一度距離を縮めると、地面が真っ赤に染まりそこから火柱が上がる。寸でのところで回避し、ステップを踏みながら後退する。


「『アクア』」


 すぐさま魔法名を唱えると、建物に燃え移った火を消化する。

 魔導犯罪鎮圧後はIMFの復興部隊によって建物と内部の家具や小物全てが完全に修復するが、この天川には小規模ながらも住宅地もある。

 被害拡大を抑えるためにこうして消火活動を行っているが、怜哉はこれを作為的なものであることを知っていた。


(向こうの狙いは、僕の魔力切れか)


 魔導士自身の生命エネルギー、すなわち『精神力』を魔核マギアを通じて魔力に変換している。

 精神力は生物にとって肉体という『殻』と、命という『膜』を保つモノ。魔力と同じように時間が経てば溜まるが、魔力をずっと使いっぱなしにすれば精神力は回復しない。

 魔力切れ=死という弱点を突いた戦い方は、魔導士の間では『卑劣』と言われるほど。それを向こうは当然のように使っている。


(……哀れだね。こんな手を使ってまで復讐したいなんて)


 いや、正確にはそこまでしなければ男の心の中の憎悪が消えないのだろう。

 望んだわけではない道を歩かされ、体のあちこちをモルモットみたいに弄られ、そして自由を奪われようとしている。

 他の二人より強い憎しみの炎を持つ男にとって、どんなに汚い手を使って殺してでも自由を得たいのだ。


「……ま、その気持ちは分からなくはないか」


 怜哉だって自分の自由を制限もしくは奪われたりしたら抵抗もするし、相手が実力行使すればその倍の実力行使をするつもりだ。

 再び襲い掛かる炎の蛇を斬り捨てながら、怜哉は左手の人差し指と中指を《白鷹》の刃に当てる。

 アイスブルー色の魔力が可視化され怜哉の全身を包み込む。


「『切断アムプタティオ』」


 強化魔法の多重付与。最初にかけた魔法の上にさらに同じ魔法をかけることで、威力が増大する。

 ただし強化魔法の多重付与の限界は五つまでとされており、それを超えると魔導具の耐え切れず破壊してしまうらしい。


 悠護のように金属操作魔法で生み出した武器なら替えが効くが、《白鷹》のような専用魔導具はわざわざIMFの日本支部にまで行って直させてもらわなければならない。

 金と時間云々ではなく、ただ単純に修理のためだけにIMFに行くのが面倒な怜哉はちゃんと付与する魔法は三つまでと決めている。


切断アムプタティオ』をもう一度付与された《白鷹》の刃は青白い光を纏いながら輝く。

 怜哉にとっては見慣れてるその輝きに目を細めていたが、


「うわっ、なんだアレ。スッゲー」


 小さい、けれど怜哉の耳に聞こえた声に目を見開かせる。


「!?」


 声がした方を見ると、クリーニング店と煙草屋の建物の間に三人の少年がスマホ片手に覗き込んでいた。

 見た目からしてまだ中学生くらいだろう。だが魔導犯罪警報で天川にいた人間全員がシェルターに避難しているはずだ。


 ――ただし、魔導犯罪警報発令後に現場に来た一般人を除いて。


(最悪だ……なんでよりによってこんな時に来るのかな)


 魔導犯罪警報発令後に交通機関を使わない一般人が現場に来てしまう事例は少なくなく、そういった事態では魔導犯罪課が早急に保護する。

 しかしこの場には怜哉達以外しかおらず、保護する人間もいない。

 つまり、あそこにいる少年達は今の魔導犯罪者達にとって恰好な獲物に過ぎない。


 男が嬉しそうに口元を歪ませると、右手の五本の指に火球を出現させる。

 その火球は男が右手を少年達に向けると同時に発射される。


「――えっ?」


 迫って来る火球に呆然とする少年達を見て、怜哉は大きく舌打ちしながら火球と少年達の間に入る。

 そのまま白鷹を振るうと、五つ中三つの火球は一刀両断され、残った二つの火球は左隣の床とアーケードの柱にクレーターを作った。

 破壊された場所と怜哉の持つ《白鷹》を見て、情けない悲鳴を上げる少年達を怜哉は苛立たしげに見下ろす。


「早く逃げなよ。邪魔だし、死ぬよ?」

「は、はいぃっ!?」


 怜哉の冷たい声に恐怖が限界だったのか、少年達はさっきより情けない声で返事をするとそのまま建物の壁にかけてあったスケボーやクロスバイクに乗って走り去って行く。

 彼らの姿が豆粒までに小さくのを見計らったのか、男は愉快そうに言った。


「さっすが七色家様だなぁ。無実な人間を巻き込まないその高潔な精神には吐き気がするほど感動するぜ」

「…………うるさいなぁ」


 これまでも自身を挑発してきた相手とは数え切れないほど対峙してきたが、さすがの怜哉もここまで人の神経を逆撫でする男にこれまで苛立ちを抱いたことはない。

 全身に纏う魔力の濃度か高くなるのを感じながら、怜哉は目の前の敵を睨みつける。


「つーかお前、白石の人間なんだろ? 白石って確か、俺らを殺すための家だろ?」

「………そうだけど、それがどうしたの?」

「なのにどうしてお前は俺を殺しにこねーんだ? ……まさかとは思うけどよ、殺すのが怖いのか?」


 まさかの言葉に怜哉が目を見開かせると、男はそれを肯定と受け取ったのか噴き出しながら笑い出した。


「あっはははははっ! マジかよ!? 人殺しの家の人間のクセに殺すのが怖いのか!? そんなんで俺らを捕まえるとかバッカじゃねーの!? 人を殺す覚悟も勇気もないへなちょこの分際でよぉ! あっひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」

「………………」


 怜哉が無言でいるのおいいことに、男はペラペラと喋る。

 人を殺すことに恐怖を抱いているだろう子供に、自分の方が優位である事実を叩きつけながら嘲笑う。

 怜哉は感情が読めないいつもの目を、目の前で耳障りな笑い声を出す男に向ける。


「何を勘違いしてるの?」

「ひゃっひゃひゃひゃ…………あ?」


 きょとん、と。子供のように首を傾げる怜哉に、男は訝しげに眉を顰める。

 だが徐々に魔力の濃度を高くする青年を見て、全身の毛穴から冷や汗を流し始める。


「僕は別に人を殺すことは仕事して割り切ってるし、そもそも人を殺すのに覚悟とか勇気とかいらないよ。そんなのただの重しだ」


 覚悟と勇気は、白石家の役割を果たすためには不要とし、分不相応として扱ったモノ。

 むしろ、白石の家が必要としたのは――。


「僕らが必要としたのは、罪悪感だ」


 罪悪感。それこそ人を殺すのに不要とするはずのモノ。

 何故罪悪感が必要なモノだと言ったのか、昔は理解出来なかった。でも今ならば、それも分かる気がする。


「罪悪感があるというのは僕らが『人間』である証。だから、罪悪感がないことは僕らが『兵器』に成り下がってしまったことに他ならない」


 魔導士は、ただ命令に忠実に従い、消耗されるだけの『兵器』ではない。感情と意思を持ち、人を傷つけ殺すことに罪の意識を感じる『人間』だ。

 戦争のない現代において、魔導士はこの世界に住む普通の人間と同じ『人』であるべきなのだ。


「かつて父は言っていた。『罪悪感を忘れてはいけない。忘れてしまったら、お前はいつか自分を失う』って。あの頃はどういう意味を持っていたのか分からなかったけど、もし僕の言う通りなら理解できる」


 怜哉は腰を少しだけ低くすると、右手に持っていた《白鷹》を水平に構える。

 リィィィィン、と《白鷹》から澄んだ音が響き渡ると、刃に纏っていた魔力が色濃くなっていく。


「今の君は罪悪感をなくした未来の僕の姿だ。僕は、そんな君を最大限の哀れみをもって倒すよ」


 アイスブルー色の瞳に本気の炎を宿す怜哉を見て、男は苛立たしげに舌を打つ。

 目の前にいる気に喰わないガキは罪悪感が必要だと言ったが、男にとってその罪悪感こそ不要なモノだと思っている。

 罪悪感がないからこそ、自分達は自由を手に入れようと考えられた。周りの人間の人生なんて、自分達には関係ないことなのだと。


 だからこそ、罪悪感が必要だと断言する怜哉が殺したいほど気に入らない。

 男は両腕に炎を巻きつけると、その腕を前にかざす。


「俺を哀れみで倒すだと……? ふざけんな! 俺は、もう二度と負けねぇ!!」


 直後、両腕に巻きついた炎が発射される。

 襲い掛かる炎に怜哉はその場から一度も動かないまま、静かに目の前に迫る脅威を見据える。

 そして、炎の熱気で乾いた唇で呟く。


「――伸びろ、『伸長エクステンシオ』」


 瞬間、《白鷹》の刃が枝のように一気に伸びる。

伸長エクステンシオ』は、本来なら木々の成長を促すために使われることが多い魔法だ。

 だが怜哉はそれを自身の魔導具を伸ばすために使う。『切断アムプタティオ』を二重付与された刃は、目の前に迫る炎を切り裂き、そのまま男の胸の中心へと突き刺さる。


 青白く輝く刃が自身の体の中心に突き刺さっているのを、男は呆然とまるで夢をみているのかといわんばかりに見つめる。

 そのあとすぐに口から吐き出された血を見て、これが現実だと気づいた。


 咳き込みながら血を吐き出す男は口をパクパクと動かすが、魔法が切れて《白鷹》の刃が元の長さまでに戻ると、血飛沫をあげながら地面に倒れる。

 ピクリとも動かず地面に赤い池を広げる男を見て、怜哉は面倒臭そうな顔で生魔法をかける。


「『治癒サニタテム』」


 魔法の効果で傷口が塞がるが、地面に零れた血がタイルとタイルの間の溝を伝って広げていく。

 見慣れた光景に見ながら息を吐くと、怜哉は《白鷹》を鞘に収め、男の手首に手錠をかける。


「――おい! 怜哉くーん!」


 前方から溌剌とした聞き覚えのある声に顔を上げると、口の端に乾いた血をつけながら手を振るアリスと《疾風》を肩に担いだ暮葉がこちらに向かって歩いていた。

 彼らの背後にはIMFが手配したパトカーのサイレン音と赤いランプが視覚と聴覚を刺激し、怜哉はそれを眩しそうに見つめた。



☆★☆★☆



「――それじゃあ、無事任務達成を祝して!」

「「「乾杯!」」」


 アリスの発声と共に、手にしたグラスを合わせるとカチャン! と涼しげな音が響き渡る。

 あの後、事後処理と捕縛した魔導犯罪者を警察と魔導犯罪課に任せた三人は、新宿の繁華街の一角にある居酒屋に来ていた。


 午後五時から朝六時まで営業しているこの居酒屋は、四人掛けテーブルと小上がりの他に個室が設置されている。

 こういった場所で未成年を連れていると、個室という空間は周りの目を気にしなくてすむ。


「いやぁ、二人とも今日はありがとねー! ボクの奢りだからじゃんじゃん頼みなよ!」

「そんなん当たり前だろーが。……んじゃ、とりあえずこの揚げ出し豆腐をくれ」

「僕はシーザーサラダ」

「ほいほいっと。じゃあ他のは適当に頼んでおくね」


 テーブルの上に置かれていたタブレットでいくつか注文すると、アリスは手に持っていたビールをちまちまと飲みながら、お通しの煮物をつまむ。

 中学から酒を嗜んでいる怜哉だが、まだ飲酒可能年齢に達していないため問答無用で烏龍茶を渡された。

 逆に飲酒可能年齢になっている暮葉は、昔誤ってウイスキー・ボンボンを食べてぶっ倒れた経緯があるせいでアルコールを苦手としているため、彼も怜哉と同じ烏龍茶を頼んだ。


「にしても、強化実験をやる所がまだあるとはな……。あんなのは意味がねぇことくれぇ知ってんだろ」

「たとえ頭ではそう理解しても、それでも力を求める連中は砂糖に群がるアリみたいにいるからね。ぶっちゃけると最初から手を出さないのが正解なんだけとね」


 最初に怜哉が頼んだシーザーサラダが来ると、怜哉は手慣れた手つきで半熟卵を潰しかき混ぜる。それを小皿に取り開けると、もくもくと食べ始める。

 レタスとクルトン、それからベーコンの歯ごたえある食感と卵と酸味のあるソースを堪能していると、アリスはサラダをちびちびとつまみながら言った。


「……でもさあ、ボクには彼らの気持ちが痛いほど理解できたよ。たとえ非合法だろうか、それに手を出さなきゃ彼らには居場所がなかった。そしてボクらは、その居場所を奪った。家の役割だと、仕事だと開き直りながらさ」

「それは……」


 否定はできなかった。

 世界中には聖天学園に入学出来ず、犯罪に身を落とした魔導士は多くいる。中には今回みたいに強化実験に参加している魔導士もいる。

 自分達は役割のために、必死に生きる場所を探す彼らの道を閉ざした。それは疑いようのない真実だ。


 重苦しい空気の中、突然アリスはジョッキを口つけて一気に傾けると、中に入っていたビールを一気に飲み干す。

 見た目に反して豪快な飲みっぷりに二人が圧倒されていると、アリスはジョッキをドンッと音を立てながらテーブルの上に置く。


「だからこそっ! ボク達が変えなくちゃいけない! この理不振で冷たくてクソったれな世界を!!」


 口の周りについた泡を乱雑に拭いながら、アリスは宣言する。


「ボクら七色家は弱者を排除するためだけの組織か? いいや違う、ボクらは強者も弱者も問わず幸せに暮らせるようにするためさ! 今は色々と難しいけど、でもボク達ならやれると信じているッ!!」

「その根拠は?」

「勘!!」


 怜哉の質問に堂々と答えるアリス。

 暮葉は横でこめかみを押さえていたが、やがてクツクツを笑い出す。


「勘、か……テメェの勘が外れたことはねぇもんな」

「でしょ?」


 ニカッと笑うアリスに、暮葉は烏龍茶を一気に飲み干すと不敵な笑みを浮かべる。


「俺もお前と同じだ、俺もこのクソったれな世界を変えたい。それでたとえどんな地獄が待ってようがな」

「………………」


 暮葉の決意を聞いて、怜哉は静かに烏龍茶を飲み干す。

 そのままゆっくりとコップをテーブルの上に置き、呟く。


「……僕は、二人みたいなことはできない。できるのは露払いだけだよ」

「それで充分だよっ」

「だな。むしろテメェにはそっちの方が似合ってる」


 二人の言葉に怜哉は静かに笑う。

 歯向かってくる敵を斬り捨てることしかできない自分でも、こうして誰かの力になれると思うと不思議と心が暖かくなっていく。

 今まで感じたことのない感情に戸惑っていると、アリスはおもむろに手を突き出す。


「じゃあさ、景気づけにやろうよ?」

「別にいいぜ」

「僕も」


 突き出されたアリスの手の上から、暮葉、怜哉の手が重なる。

 大きさも細さも肌の色も違う三人の手が重なると、静かに己の願望を告げる。


「より良き未来を」

「望む世界を」

「光導く道標を」


 怜哉の言葉を最後に、皆は一斉に手をあげる。

 繁華街の一角の居酒屋で、未来を担う魔導士達の誓いは静かに結ばれた。

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