第292話 明かされた真実

「か……かあ、さん……?」


 ジークは目を疑った。

 目の前にいる女性は、あの日盗賊の慰み者になる前に自ら喉元を切って自害した母。

 声を震わせて、近づこうとするも、母はジークの目の前で


 いや、違う。

 すり抜けたのはジークの方だ。

 現に草をさくさくと踏む母の足音はするのに、ジークからはその音すら聞こえない。


(つまりこれは……私が生まれる前の記憶か? まさか、『神話創造装置ミュトロギア』の影響か?)


 ジークはイアンと共に、『神話創造装置ミュトロギア』の製作に携わり、試運転として何人かの人間を使って運命を書き換えたことがある。

 もしかすると、カロンが『神話創造装置ミュトロギア』を利用しているがために、その影響がジークにも及んでいるかもしれない。


(だが……何故この記憶なんだ? 母さんの見た目を考えると、私が生まれる前のはずだ)


 そう思いながらも、母はずんずんと森の中を進んでいく。

 ジークのかつての故郷では、村周辺の森は子供達の遊び場であり、大人達の狩り場でもあった。容姿のせいで普段外に出なかったこともあり、あまり森で遊んだ記憶はないが、それでも母に連れられて何度か森に訪れたことはあった。

 しかし、いくら行き慣れた場所とはいえ、身重の彼女が出歩くには危険すぎる。


 たとえ記憶の中であろうと、母のことが心配になり、ジークは彼女の後を追う。

 母の動きは妊婦とは思えないほどキリキリとしたもので、分厚い木の根を階段変わりにし、足を引っかけそうな場所は慎重に進む。

 その後ろ姿を見て、よくよく思い返せば、他の家の妊婦もよく森に行っていた気がする。恐らく慣れ親しんだ森は、村人達にとってはなんの障害にもならないのだろう。


 ぷちぷちと木苺やコケモモを採取していく母の後ろ姿は、幼い頃ジークが見た姿そのものだ。

 実を傷つけないよう丁寧に取り、籠に入れていきながらもたまに零れ落ちた髪を耳にかける手つきは、ジークの記憶通りの仕草だ。

 十分な量が取れ、母が森を出ようと踵を返した時だ。


 ヒュン、と風切り音と共に、母の背中に一本の矢が刺さった。

 小さく呻き声を上げて倒れる母の姿に、ジークはひゅっと息を呑む。


「――母さん!!」


 背中から血を流す母を抱き起そうとするも、今のジークは幽霊と同義。

 すかすかと手がすり抜けるのを見て、悔しさのあまり唇を噛みしめる。

 その時、森林の向こうで野太い男の声が二つ聞こえてきた。


『おい、今のは鹿じゃない! 女だ! 恐らく、向こうの村の人間だ!』

『しまった! 早くずらかるぞ! このことが領主の耳に入ったら、俺達ぁしまいだ!』


 慌てて逃げて行く男達の姿を見て、聞いた会話の中から彼らが無法者だと察した。

 領主が所有する土地では、許可を貰った者しか狩りも採取ができない。しかし稀に村で暮らせない外れ者は立ち入り禁止の森を隠れ蓑として暮らし、森で狩った獣を村に密かに持ち込んで穀物や酒と交換していた。

 ジークが住んでいた村は辺境だったが、やたら名前の長い領主が所有する土地だったため、村人全員は狩りと採取の許可をきちんと貰っている。


 しかし、ああいった輩がいるため、子供が森で遊ぶ時は大人同伴が絶対だった。

 そして不運にも、よりにもよって母がその輩の放った矢で射られてしまった。


「母さん! 母さん! くそっ……!」


 魔法を使いたくても、ここは記憶の世界。

 魔力が精製される感覚も、発動する気配もなく、ただ横たわる母から流れる血が徐々に多くなるだけ。

 このままでは、母は死んでしまう。少し先の未来で自分という子供が生まれていると理解していても、そう思い込んでしまうほど今のジークには余裕がなかった。


 その時、小さく草を踏む音が聞こえてきた。

 長年の経験で感覚が鋭くなっていたジークは、常人では空耳と疑うほど小さなその音に反応し、勢いよく振り返る。

 直後、ジークは呼吸を忘れた。


 茂みの向こうから現れたのは、少年と青年の間にいるような男。

 膝裏まで伸びた銀色の髪と瞳は人のものとは思えないほど美しく、雪のように白い肢体に纏うのは民族衣装を思わせる黒い服。

 首から下げている煌びやかな石の首飾りが、歩く度に揺れてカランと涼しげな音を奏でる。


 森の静謐な空気に溶けるような、泡沫のように儚げな雰囲気を持つ男は、荒い息を吐く母の元に近付く。

 そのまま跪くと、そっと髪を軽くかきあげる。

 男の手に触れたことで、茫然としていた母の意識が戻り、自分を見下ろす存在を見て小さく呟く。


『…………かみ……さ、ま…………?』

『僕を君達の常識で定義するなら、そうなるね』


 神様。

 その単語で、ジークは目を見開いて改めて男を見る。

 人とは思えないほど整った顔立ちや、周囲に漂う神秘的な空気は、確かに人のものではない。


(それに、アリナに聞いた〝神〟の姿と一致する箇所がある……。まさか、本当にこの男が〝神〟なのか……!?)


 動揺して固まるジークの存在を知らぬまま、男――〝神〟ヤハウェと母は会話を続ける。


『お願い、します…………お腹に、子供がいるのです………私のことは、いいから……子供……子供だけは…………!』

『………………そうだね。君も、君の子供もまだ天の国に向かうには早すぎる。いいよ、助けてあげる』


 母の懇願を聞き入れたヤハウェは、そっと母の肩に触れる。

 瞬間、ヤハウェの全身が輝き出す。全ての光を収束したような、金にも銀にも見える。

 その光が母の体に溶け込んでいくと、矢がひとりでに動き出し、そのまま背中から抜け落ちる。流れた血は巻き戻したかのように体内に戻っていき、そして命を奪おうとした傷が塞がっていく。


『これでいい。しばらく意識を失うけど、すぐに目を覚ます』

『ありがとう、ございます……神様……』

『別に。自分の命より子供の命を優先した君の褒美だと思えばいい』


 素っ気なく言ったヤハウェは、母のことを見向きもせず踵を返して、霧のように消えていく。

 母はその様子を薄目で見ているだけで、ふっと糸が切れたように気を失った。

 その時だ、ジークの目にを見たのは。


 先ほど、ヤハウェが母に与えた『奇跡』の光。

 それがゆっくりと母の体の中に入っていき、やがて腹部――正確にはまだ胎内にいたジークの中へ入っていく。

 その輝きの流れを見た直後、ジークは乾いた笑いを上げる。


「は……ははは……そうか、そういうことか……っ」


 そこで記憶の世界が終わる。

 糸のようにぶつりと切れ、暗闇に放り置かれたジークは、かつてローゼンと交わした推測を思い出していた。


 魔導士には、『世代』が存在する。

 魔法がまだ『奇跡』と呼ばれていた時代は長く、この時からすでに魔導士の前身が存在していた。

 この話をアリナはヤハウェから聞いたと言っており、そこでローゼンはこれらを世代分けすることにした。


 〝神〟から直接『奇跡』――もとい魔法を授けられた魔導士を、『第一世代』。

 〝神〟から魔法を教わり、徐々に肉体を改造させた魔導士を、『第二世代』。

『第二世代』から魔法を教わり、同じように肉体を改造させた魔導士を、『第三世代』。

『第三世代』から生まれ、生まれながら魔法を使えるようになった魔導士を、『第四世代』。

 そして、血筋や能力関係なく『第四世代』と同じ性質を持った魔導士を、『第五世代』。


 アリナは『第二世代』、クロウ達は『第三世代』、そして現代の魔導士はこの『第五世代』に該当する。

 現代で残っている古い『世代』は『第三世代』のティレーネとフィリエ、それとサンデスだけ。

 だからこそ、ローゼンはすでに魔法を使えていたジークは『第一世代』の人間ではないかと推測を立てた。


 ジーク自身もその可能性はありえると思っていたが、自分の覚えている記憶の中では直接〝神〟から魔法を授けた出来事はない。

 それ以降、自分の魔導士としてのルーツを探していたのだが、まさかここに来てそれが見つかるとは思っていなかった。


(あの日、瀕死の母を救うべく、〝神〟は力を使った。その力の一部がまだ胎内にいた私の体にも流れ、魔法を授かった)


 恐らくこの容姿も、胎児であるジークが魔法という強大な力に耐えられる肉体に改造された時に変化したのだろう。

 そう考えると、全ての辻褄が合う。

 最初から使える魔法も、人並外れた魔力も、この姿も。


 自分が抱えていた長年の謎が、思いも知らぬ形で明かされた。

 まるでドラマみたいな展開だと苦笑しかけた直後、ふと気づく。


(いや…………ちょっと待て。『第一世代』は〝神〟から魔法を授かったが、それはほんの一部だけ。私のように力そのものを与えられたわけではない)


『第一世代』が使った魔法は、まだ九系統魔法などの分類はなく、ただ一つの効果を持った魔法をだけ。

 ジークのように、全ての魔法を授かったわけではない。


(……つまり、私は正確には『第一世代』ではない。いや、むしろ―――)


 ――この中で、誰よりも〝神〟に近い魔導士なのでは?


 そこまで思考を巡らせたジークは、無言のまま立ち上がる。

 そのままゆっくりと振り返り、笑みを浮かべる。


「――ありがとう。どうやら私には、まだやるべきことがあるようだ」


 清々しく、晴れやかに。

 それでも強い覚悟の眼差しを持ちながら、ジークは走った。


 目指すは、現実。

 前世から続く仇敵と仲間達の元へ。



☆★☆★☆



 時は少し遡り。

 結論から言うと、悠護達は危機的状況に陥っていた。


神話創造装置ミュトロギア』の恩恵を得たカロンの攻撃は、すべてこちらの動きを呼んだ攻撃ばかりだ。

 悠護が間合いを詰めた瞬間、土魔法でいくつもの槍を足元から出し、樹が遠距離で魔法を放つ前に先に氷弾ひょうだんを飛ばし、怜哉の斬撃が届く前に盾で防がれる。

《五星》である陽ですら、手も足も出ないほど追い込まれていた。


 息を荒く吐きながら、睨みつけることしかできない悠護達に、カロンはくすりと酷薄な笑みを浮かべる。


「……なんとも清々しい光景だな。ここまでお前達を蹂躙するのは、こんなにも痛快な気分になるんだな」

「クソ、がぁ……!」


 口から血を流す悠護がさらに睨みつけるも、カロンは涼しい顔をするだけ。

 すると、カロンは右手を上げて軽く振る。なにかの魔法の発動かと身構えるが、周囲にディスプレイのような四角いホログラムが生まれる。

 そこに映し出されているのは、『供儀の御柱』を受けて疲労困憊している世界中の人々。安全な場所に避難しようと、重たい荷物を持って歩いていた。


「ふむ……『供儀の御柱』が途中で停まったとはいえ、その影響力はまだ残っているようだな。恐らく、IMFだけでなく他の魔導士の魔力も完全には回復していないだろう」

「…………おい、お前まさか………………」


 悠護達がカロンの意味深な言葉に首を傾げる中、陽だけはなにかに気付いたように声を震わす。

 それを聞いて、カロンは右手をフィンガースナップの形を取った。


「――?」


 その言葉の真意を察した直後、カロンの指が鳴る。

 直後、人々の頭上に巨大な物体が落ちる。


 それは、黄金の体をしていた。

 それは、鋭い刃をした両腕を持っていた。

 それは、蜘蛛と同じ六本の足を持っていた。

 それは、無機質な青い石の目で恐怖に怯える人々を見下ろしていた。


 その物体の名前など、ひと目見れば分かる。

 黄金でできた、魔導殺戮人形だ。


「『マギア・ゴーレム』……これがその人形の名前だ。ただ殺すためだけに作り上げた、私の最高傑作だ」

「ふざ……ふざけ、ふざけんなよ……! 今のこの状況であんなのを出されたら……!」


『供儀の御柱』の影響で、ほとんどの魔導士が使い物にならない。

 そんな時にあんなものを導入されてしまったら、一体どれだけの人間が犠牲になるというのか。


「私の新世界に、脆弱な人間など必要ない。新たな人類など後で好きなだけ作ればいい。――命令だ、『マギア・ゴーレム』。今すぐ蹂躙を開始しろ」


 カロンが再び指を鳴らす。

 その音に反応して、『マギア・ゴーレム』が動き出し、その猛威を振り始める。

 黄金で出来た鋭い刃は、人の体を簡単に斬り裂き、魔法で防御するもそのまま吹き飛ばされ、そのまま高い場所から落とされてコンクリートの赤い染みとなる。


 魔導殺戮人形によって起こされるは、阿鼻叫喚が撒き散らされた地獄絵図。

 涙を流し逃げ、悲鳴を上げながら救いを求める声が、四方に出現したホログラムから流れる。

 画面が赤く染まり、絶命する無辜の民の姿が、前世の古傷を思い出させる。


 崩壊した街並み。

 逃げ纏う民の悲鳴と涙。

 そして――血で濡れた己の両手が。


「カロン、貴様ああああああっ!!」


 怒りのまま叫んだ悠護が、《ノクティス》を持って走り出す。

 その姿に、カロンは再び笑みを見せた。

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