第157話 英雄達の〝原典〟3

「アリナ、最近どこに出かけているんだ?」

「え、えーっと……」


 冬の空気が冷たい早朝、アリナはベネディクトからの質問を聞いて思いっきり目を逸らした。

 誕生日からずっと、家族には内緒でヤハウェと『奇跡』を含む勉強しているが、普段から外に出ることはあったが、ここ最近はその頻度が多くなった。

 妹の行動について両親より把握している兄が、自分の変化を見逃すわけがない。


「夜も最近寝るのも遅いし、持ってる鞄も買った覚えもない。……一体何を隠してるんだ?」

「か、隠してないわよ?」

「嘘つけ。お前が上手く嘘をつけると思ってるのか?」


 痛いところを突かれた。

 アリナ自身も嘘をつくのは下手だというのは自覚している。でも、ヤハウェのことは兄であるベネディクトすら明かすことはできない。

 そうなるとアリナが出せる技は、ただ一つ。


「…………兄さん、ごめんなさい!!」

「あっ!?」


 ――逃走だった。

 編み上げのブーツを履いた足はヤハウェが教えてくれた『奇跡』を使うと、自分でも驚くほどのスピードが出た。

 階段を三段越えで降りると、通りすがりのメイドが目を見開いて固まるも、それすらも気にする余裕もなく屋敷の外に向かって走る。


 ベネディクトがアリナの名前を呼びながら走ってくるが、『奇跡』を使った自分の足では追いつけない。

 兄と領民の姿が見えなくなった時点で石を使い、あの森に移動した。冬ということもあって葉が全て落ちた木々は寒々しく、ほとんどの動物が冬眠していることもあって、以前より静謐な雰囲気を感じられた。


「あ、来たんだね……って、どうしたの? すごい息が切れてるよ」

「はぁ……えっと……あの、ね……はぁ……」

「ああ待って、先にお水飲んで」


 小屋の前で軒下に吊るしていた干し肉を取っていたヤハウェが、息切れしているアリナを見て急いで室内に入る。甕の中には沸かして消毒した水が入っており、柄杓ひしゃくを使って手製の木のコップに水を注ぎ入れる。

 それを渡すと、アリナは二度口付けながら飲み干した。


「ふぅ……ありがとう」

「それはいいけど……今日はどうしてそんなに急いでたの?」

「その……兄さんにあれこれ聞かれて……」

「…………」


 アリナの言葉にヤハウェは申し訳なさそうに顔を俯かせた。

 ここに〝神〟である自分がいるのは、アリナと交わした約束だ。いくら彼女の兄とはいえ、自分の存在を知られるわけにはいかない。

 これはヤハウェ自身ももちろんだが、アリナの身の安全を考えての選択だ。


 いくつもの時代を過ごしたヤハウェは、その歴史の中で〝神〟の御使いと呼ばれた者達が人々の信仰心によって拝められ、時の権力者によって無残に殺された光景を何度も見ている。

 ただでさえ彼女は『神に愛された者』なのだ、もし自分と会っていることを知ったら今まで殺された者達と同じ末路を辿ってしまう。


 心優しいアリナの兄ならば、きっとその人も根っからの善人なのだろう。

 それでも、一度植え付けられた恐怖心と持ち前の警戒心のせいで保身に走ってしまう。


「……アリナ。もしまた同じことを聞かれたら、森に住む人嫌いなおじいさんに会っていると言うんだよ。そうすればお兄さんもそれ以上は訊かないはずだよ」

「うーん……上手く騙せるかな……?」

「それは僕にも分からない。でも、君のことが好きなら、君が話せる時まで待ってくれると思うよ?」


 ――そう……僕がここを去るまで。


 言ったら悲しむ言葉を心の中で呟きながら、ヤハウェは今日の勉強をするためにアリナを小屋の中へ入れた。



(――おかしい。絶対におかしい)


 ベネディクトは領地を歩きながら考えていた。

 冬になると秋に狩った猪や鹿の肉を干したり、野菜を酢漬けにしているが、その間は春のために畑の土を耕したり、家畜の世話をする。

 この時期だと暑さで腐りやすい牛乳の保存が効くし、羊の毛で作った毛糸が一番売れやすくなる。そういったのを確認するのも、次期領主として治める者の役目だ。


 この国では王都から離れている貴族は領地を持って治めているが、その中でもエレクトゥルム男爵家領地は別格だ。

 今よりもっと昔の時代、この土地は飢饉と近隣の村との争いによって草の根が一本も生えない荒れ地だった。いくら作物を育てても全て燃やされ、家を直してもすぐに壊される。逃げようにも他の土地も同じで、誰もが生きることに絶望していた。


 そんな中、領主の家に琥珀色の髪と瞳をした女児が生まれた。

 あまりも美しい髪と瞳に誰もが魅了され、その笑みは荒んだ心を潤した。そして荒れ果てるこの土地を復活させようと努力する少女によって励まされ、生きる希望を得た民は再び立ち上がった。

 何度も同じ目に遭っても諦めず、多くの者が出した画期的なアイデアによって土地は再び息を吹き返した。


 もちろん、土地を狙う者達は何度も民や少女にも危害を加えようとした。

 だが、どういうわけか危害を加えた者達は突然の急病や事故によってこの世を去った。一体誰が吹聴したのか、『琥珀色の髪と瞳をした女児は『神に愛された者』、彼女と周りの人間に手を出した者には罰が下される』という噂が生まれた。


 噂だったそれがやがて時代が経つにつれて言い伝えとなり、今ではエレクトゥルム男爵家領地に手を出すバカはいない。

 その影響なのか、『神に愛された者』と呼ばれた女児はごく稀に生まれるようになった。アリナの前の『神に愛された者』が生まれたのは今から八〇年前で、アリナが産まれた日は領地をあげた宴が三日三晩続いたことを今でも覚えている。


(いや……アリナもいい年だし、外に興味が出てもいい。いいはず……なんだけど……)


 アリナは生まれた時から色んなことに興味を持った。

 たとえば川で泳ぐ魚だったり、庭で咲いた野花だったり。時には自ら率先して糸紡ぎをしたこともあった。その時の影響なのか、今では領地の女達から機織りを教わったりしている。

 そんな知的好奇心が旺盛である彼女が、どこかで色んなことを学んでもおかしくはない。


 だが、アリナは今まで習ったことを家族に話す子だ。

 もちろん淑女教育も入っているが、自分が覚えたことを話すが食卓での話題の一つになっていた。でもここ最近、何かを教えてもらっているのは確かだが話したことはない。

 両親も不思議に思ったが、「年頃だから」と簡単に片づけた。ベネディクト自身もそう思いたいのだが、どうしても疑念が拭えない。


「やっぱりもう一度話すべきか……」


 悩みながら屋敷に戻り、自室に向かう途中にアリナの部屋の前を通る。

 さっきまで妹のことが考えていたせいでどうしても気になり、心の中で謝りながら部屋に入る。

 大きな寝台と衣装棚、鏡台と学習机しかない部屋。寝台の隣にある棚には女の子らしくぬいぐるみや人形が、窓際にはスイセンが生けられた花瓶が飾られていた。


 ふと、学習机の方を見ると何枚かの羊皮紙が散らばっていて、羽ペンの先にはインクを拭いた跡がある。

 羊皮紙には白紙だったが、一枚だけ何かが書かれていた。

 それは『火の『奇跡』の注意』とか『使うには頭の中でイメージするのが大事!』とか意味不明なことが書かれていた。


「『奇跡』? あの子は一体何を学んでいるんだ……?」


 持ち主が不在の部屋で、ベネディクトは妹が学んでいるが自分……いや、人間では理解できない未知の知識と知りながらも、何故か目を逸らすことができなかった。



☆★☆★☆



 イングランド王国の首都・ロンドン。

 その中心部のテムズ川湖畔にあるウェストミンスター宮殿。五〇年ほど前に造られた城には、王族一家が暮らしている。

 その内側にある中庭の木の根元で第二王子サンデス・アルマンディンは、視界の端で揺れ動いたケープの裾を見て目を嫌そうに歪めた。


「おいローゼン、また街に出掛けるのか? いい加減にしないと父上だけじゃなくて兄上にも叱られるぞ」

「心配は無用だ。サンデス兄上には迷惑はかけない、夕飯前には帰ってくるからな」

「あ、おいっ!」


 ケープを翻して去っていく弟の姿を止めると、彼はそれさえ無視して宮殿の抜け道に向かって歩き出す。

 いつも勝手に外に出る弟の後ろ姿を見送ったサンデスは、誰もいなくなった中庭で呟く。


「……誰がお前のことなんか心配するかよ、化け物が。さっさと事故に遭って死んじまえ」



 イングランド王国の第三王子として生まれたローゼン・アルマンディンは、御年一〇歳でありながら大人を超える頭脳を持って生まれた。

 国王である父と第一王子のカロン・アルマンディンと同じ容姿をした彼は、知識の女神に愛されたのか類まれな聡明さを持って、国の発展に助力していた。実際に城下町に行って国民の暮らしや建物の老朽化を見て回り、誰もが想像できなかった提案を何度も議会に出した。


 今まで議会に出した提案は臣下達が唸りながら黙り込むほどの画期的なもので、身分問わず分け隔てなく国民と接する彼は、二人の兄を抜いて次期国王として選ばれるという噂まであった。

 それを第二王子で母譲りの容姿をし、カロンを慕うサンデスが快く思わないのはもちろん知っていた。ローゼン自身もカロンの方が次期国王になるのが相応しいと思っているし、本人自身も国王になるつもりは正直ない。


 自分が国を治める器としては未熟であることは理解しているし、身分だけで罪の重さを左右させるような存在には死んでもなりなくなかった。

 現国王であるゴルディア・アルマンディンは、統治者としては理想だが人間としては最悪な部類に入る男だ。貴族の血が尊いものと考え、庇護するべき国民には侮蔑の目で見下している。


 貴族の領地で民が貧困で喘ぐ声を無視し、逆に重い税を強いらせる。そうした金で私腹を肥やし、侍女として奉公に出ている貴族令嬢やメイドに手を出す男を父とは見られなかった。

 現にローゼン達の母である王妃は結婚してすぐに寵愛を失い、父が抱えている側室達と同様にたまにガラスの箱に出して愛でる人形のような、いてもいなくても問題ない存在になってしまった。


 カロンもそんな父を毛嫌いしており、国王になった時にはこれまで隠してきた父の罪を告白し、公開処刑すると自分達兄弟に明かした。

 最初は何かの冗談かと思ったが、あの時に兄の目は本気そのもので、ローゼンも別段反対はしなかった。それは父が嫌っているというよりも、全部父の自業自得だと思っていたからだ。


 父に対して家族の愛情なんてものは砂粒一つさえない。だけど、自業自得だからと言って実父を切り捨てる自分は、父よりも極悪非道で冷血な王になるのではという得体の知れない恐怖心があった。

 そんなものを抱えた自分が、王になるなどあり得ない。


(とはいったものの、このままでは私を王にしようとする臣下の企みに乗せられてしまう。一体どうすれば……)


 商人や国民の声が飛び交う街を歩いていると、建物の間の細道から言い争う声がした。

 気になって近づくと、三人の男達が一人の少年を取り囲んでいた。薄汚れたシャツとズボン姿の少年の髪は、この国ではあまり見ない見事な黒髪だ。

 たまに青みの強い髪をした者なら見るが、あそこまで黒いのは滅多にいない。書庫で見つけた本で『ジパング』という極東の島国の民が黒髪黒目をしていると記されていたが、きっとあんな感じなのだろう。


「おいおい、お前のせいで骨が折れちまっただろうが」

「慰謝料払えよ」

「はあ? 軽くぶつかっただけで折れるとか、どんだけ弱いんだよ。つか、そんな常套句は貧民街じゃありきたり過ぎるからもっと頑張って捻ろよおっさん達」

「んだとこのガキャァ!?」


 何故か被害者であるはずの少年から小悪党の態度の苦情を言われ、男達は一瞬だけたじろぐがすぐに立て直す。

 少年の胸倉を掴もうとする直前で、ローゼンが前に出た。


「やめろ!」

「ああ? なんだ、このカギ」


 フードで顔を隠してはいないが、国民には顔を知られていないローゼンを見て男達が首を傾げる。

 被害者の少年が呆然としていると、ローゼンは持っていた袋を男達の足元に向かって投げ落とす。落下の拍子で紐が緩み、袋の開け口から眩い金貨が覗いた。


「!」

「こ、これ……金貨、か……?」

「それをやる。だからそこの者を――」

「……チッ、このバカが!」


 ローゼンの言葉を遮ったのは、何故か被害者側の少年だった。

 少年は左のシャツの袖に右手を突っ込ませると、何かを取り出す。それはローゼンがよく使う食用ナイフと同じ長さをしたナイフだ。

 その手にしたナイフで男達に向かって振るうと、突然凶器を取り出したことに驚いた男達は慌てて後ずさる。少年はナイフを持ちながら袋を掴むと、何も持っていない別の片手でローゼンの腕を掴んだ。


「おい、逃げるぞ!」

「なっ!? お、おい!」


 少年と一緒に逃げる羽目になったローゼンは、人ごみの間をするすると蛇のような動きで抜ける。男達は何かを叫んでいたが、人ごみに呑まれて最後は姿さえ見えなくなった。

 しばらく一緒に走ると、ようやく足を止めたのは鍛冶師や装飾職人の工房が多くある地区だった。そこで少年は信じられんと言わんばかりに歪めた顔をローゼンに向けた。


「お前な……なんで金貨なんて渡すんだよ」

「? 何言ってるんだ、金さえ渡せば誰もそれ以上は何もしないものだろ?」

「………………………はあぁぁぁぁぁぁっ」


 ローゼンの答えに、何故か少年が深いため息を吐いた。


「あのな、金さえ渡せばいいってもんじゃねぇんだよ。ああいう小悪党はな、むしろお前みたいないいとこの坊ちゃんを攫って身代金を要求するんだ。で、金をあるだけ搾り取って用済みになった人質をどこかに売り飛ばすくらいするんだぜ?」

「なっ……」

「そうなる前に助けてやったてのに……お前、どんだけ平和なところにいたんだよ」


 少年の言葉にローゼンは衝撃を受けた。

 今まで宮殿では金のやり取りだけで物事を収めた父のやり方を見たせいで、金を渡せば丸く収まるものだと思い込んでいた。

 でも、現実は違う。むしろその先にも悲劇があるなんて誰も教えてくれなかった。


「……ま、とにかくこれに懲りたらそんな真似するなよ。そういう時は声を出して巡回中の兵士を呼べばいい、それだけであいつらは逃げるからな」


 唖然とするローゼンに助言しながら金貨が入った袋を渡して去ろうとするが、その前にその少年の腕をローゼンが掴んだ。


「な、にを……!?」

「お前、名は」

「は……?」

「名は、なんだ」


 獰猛に煌めく柘榴石色の瞳で見つめられ、少年の背筋がぞくりと粟立つ。

 年もそう変わらない初対面の少年の頼みなんて普段なら聞かないはずなのに、何故かこの時は従わなければならないと思えてしまった。

 それだけの風格を、この金髪の少年は出していた。


「…………クロウ、名字はない。そこの『三槌みつちの女神』って鍛冶屋の見習いだ」

「そうか……私はイングランド王国第三王子ローゼン・アルマンディン。クロウ、お前を私の従者にする」

「は……はぁああああっ!?」


 ローゼンが名を明かした同時に告げられた宣言に、少年――クロウは地区全体に響くほどの叫びを上げた。



 これが、後に魔導士の始祖・四大魔導士として歴史に名を遺す【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンと、【創作の魔導士】クロウ・カランブルクの出会いであった――。

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