第158話 英雄達の〝原典〟4

「交流会?」

「うん。国内の貴族と王族が宮殿に集まってお茶をするんですって」


 ヤハウェの小屋で勉強の休憩としてお茶を飲んでいたアリナは、手製の野イチゴの砂糖漬けをつまみながら明日のことを話していた。

 交流会は毎年春に行われ、まだ社交界には出ていない令嬢と子息は一〇歳からこの会にだけは参加できる唯一のパーティーだ。


 先に出席したベネディクトの話によると、この会は良家のお家自慢などで牽制したり、まだ婚約者が決まっていない家同士を見合いさせる意味合いの方が強いらしい。

 国の末端の末端に位置する領地を治める貴族とはいえ、アリナは『神に愛された者』として生まれた男爵令嬢。彼女の恩恵を欲しがる家々は、これを機にアリナを自身の息子の婚約者にしようと目論むだろう。


「……そっか、じゃあ明日の勉強はお休みだね」

「うん……ごめんなさい」

「どうして君が謝るの? 国の決まり事じゃ仕方ないよ。それにここ数ヶ月、君はよく勉強してるから、少しくらい休んだって大丈夫さ」


 ヤハウェの言ったことは真実だ。

 アリナに『奇跡』を教えて以降、彼女は着々とその力を身に付けていた。『奇跡』に使うための呪文を言いやすいように短くし、『奇跡』の元となる『力』の制御も覚えていた。

『力』の方は目覚めた時には高熱を出して一週間くらい寝込んだが、それからはヤハウェと同等の精度で操れるようになっていた。


 これについて二人は『『力』は元から人の子の中にあった潜在能力であり、『奇跡』について知識として触れると同時に目覚めるもの』だという仮説を立てた。

 現にアリナが高熱を出したのは『奇跡』を理解し始めた頃で、元からあった『力』はその知識を得たことによって目覚めたのだ。


(まさか人の子に『奇跡』を使うための『力』を宿していたなんて……僕は人の子を作った時には何も手を施していなかったはずなのに……)


 知識を与えず、ただ動く人形のようだった人間。

 それが今は知識を得て、独自で繁殖し、さらには『奇跡』の力を宿し始めた。

 こればかりは〝神〟であるヤハウェさえ想像できなかった。


「でも、私はこうしてヤハウェと勉強する方が好きなの。交流会なんて行きたくない」

「それは嬉しいけど、わがままはダメだよ。一日だけの我慢だ、それさえ超えればまた勉強できるから」

「……うん、分かった。頑張る」


 ヤハウェがちょっと拗ねている愛し子の頭を撫でてあげると、彼女はまだ頬を膨らませながらも答えるとお茶を一気に飲み干した。

 でも急いで飲んだせいで咳き込む彼女を介抱する羽目になった。



「交流会……な」


 たった一度の偶然によって第三王子付きの召使いとしてカランブルク公爵家の養子になったクロウは、明日の行事でぱたぱたと動く使用人達を横目に主人から頼まれた本を数冊抱えながら廊下を歩いていた。

 ここに来て三ヶ月経つが、以前の自分と同じ貧民街出身だった使用人達とは仲良くなったが、奉公してきた地方貴族出身の者とは距離を置かれている。


 そもそもクロウは名字だけでなく名前なんてご立派なものは持っていない捨て子だった。

 この名前は拾われた孤児院で珍しい黒髪をしていて、おくるみに包まれていた自分を仲間だと誤認した野良烏のらがらすが集まって暖めてもらった様子を見た職員が名付けたものだ。

 孤児院では貧乏ながらも飢えることなく暮らしていたが、七歳の頃に街で偶然『三槌の女神』の働き手を探していた親方と出会い、孤児院に住みながら見習いとして働いていた。


 だけど、そんな自分が偶然助けた相手がこの国の第三王子で、助けたお礼として自分の従者として選んだ。条件付きで世継ぎに恵まれなかった公爵家の養子になって、こうして宮殿にある一室を借りて暮らせるようになった。

 貧民街の者ならば誰もが憧れる出世だろう。だけど、それ故に嫉妬が己の身に降りかかった。


「おい、お前」

(また来たのかこの暇人)


 目の前でかかった声にクロウは内心舌打ちしながら、すっかり染みついた愛想笑いを浮かべた。

 自分に声をかけたのは、第二王子サンデス・アルマンディン。母親譲りのくすんだ茶髪と薄荷色の瞳、勉学も剣術も平々凡々で三兄弟の中で一番玉座から遠いと称される哀れな王子様。


「サンデス様、ご機嫌麗しく。何かご用で?」

「用なんてあるわけないだろ。俺はお前みたいな貧民風情に気に掛けるほど暇じゃない」

(じゃあ声かけんじゃねぇよ)


 行動と言葉が完璧に矛盾している第二王子をぶん殴りたい気持ちになったが、もし手を出せばローゼンだけでなく義理とはいえ息子として見てくれるカランブルク公爵にも迷惑がかかる。

 この苛立ちは後で主人にぶつけようと思いながら、仕方なく彼の相手をすることにした。


「それは失礼しました。では何故、私のような貧民風情に声をおかけしたのですか?」

「そんなの決まってるだろ、お前を一刻も早く宮殿から追い出したいんだよ。ローゼンの奴が勝手に決めたらしいけど、俺は認めないからな。そもそも貧民風情がこの宮殿で働くこと自体、俺は反対なんだ。あんな連中がいたらせっかくの宮殿の空気が汚くなる」

「……そうですか、では私から一つ言いたいことがあります」


 静かに怒りを燃やす真紅色の瞳を向けると、サンデスの顔色が悪くなり数歩後ろに下がった。


「あなた様が履いているそのブーツは、あなたと同い年の貧民街の子供が縫っているのだとご存知ですか?」

「えっ……」

「いいえ、それだけじゃない。その上等なシャツも上着も、アクセサリーも手を何度も傷つけ火傷で爛れさせながらも丹精込めて作ったのは、あなたより上か下の子供達です。まあもちろん、大部分は大人の手によるものですが、それ以外の細やかな作業は全部子供にやらせるんですよ」


 クロウの語る話は本当だ。大の大人で何度も経験を踏んだ職人でも、年と共に視力が低下し体が上手く動かなくなる。そうなる前に見習いの子供にある程度の技術を仕込ませる。

 クロウもあの鍛冶屋での修行の結果、一人で短剣を打てるようになった。ローゼンを助けた時に使ったナイフも、クロウが試行錯誤を繰り返してあそこまでの長さと薄さを作り上げた。


 それさえすら知らないこの第二王子に言いたかった、お前が罵る貧民がどれほどの腕を持っているかを。


「なのにあなたは、そんな彼らを『貧民風情』と蔑んだ。しかも、ローゼン様に仕えるこの私の前で。……このことをローゼン様だけでなく、カロン様の耳に入れて欲しいですか?」

「なっ……!? お前っ……、俺を脅すのか……っ!?」

「脅すなんてとんでもない。ですが、人の耳というのはいつどこで聞き耳を立てているか分かりません。あまりそういうことを言うと、敬愛してる第一王子様の耳にも入ってしまいますので、ご注意してください」

「くっ……」

「では、私はこれで失礼します」


 ぺこりと軽く頭を下げて早歩きで立ち去るクロウを、サンデスが忌々しげに睨んでいるのを感じながらローゼンの自室に向かう。

 なるべく音を立てずに扉を開けて室内に入ると、クロウは不機嫌そうな顔をして持っていた本を彼が使っている執務机の上に乱暴に置いた。


「なんだ、今日は随分と機嫌が悪いな」

「お前の二番目の兄どうにかしろよ、あれじゃいつ勘当されてもおかしくないぜ」


 人前ではかしこまった口調で話すが、二人きりの時は気楽な口調になれというローゼンの最初の命令通り、他の使用人が聞いたら顔色を真っ青にする喋り方をするクロウに主人は持ってきてくれた本を手に取ってページを捲る。


「サンデス兄上のあれは手の施しようがない。バカを治す薬なんてないだろ」

「……俺が着てた古着を着せて、どっかの工房で働かせるとかどうだ?」

「はははっ、そんなもの三日もしない内に追い出されるだけだ」


 クロウらしい提案に一通り笑った後、おやつとして持ってきた数種類の果物が混ぜた砂糖漬けに手を伸ばし、その中からオレンジの砂糖漬けをつまんだ。

 砂糖漬けが均等に盛り付けられた皿を持った手をクロウに向けると、彼は無言のままサクランボの砂糖漬けを食べた。


「まあ、サンデス兄上のことは適当にあしらっとけ。問題は明日の交流会だ。お前も養子とはいえカランブルク公爵家の長男なんだ、もちろん参加してもらうぞ」

「げぇ……俺みたいな貧民街生まれなんて、誰も婿にしたがらないだろ」

「分からんぞ? もしかしたらお前が明日、一目惚れするかもしれない」

「一目惚れ、ねぇ……」


 孤児院ではすっかり見慣れているが、街に一歩出ればクロウの黒髪を不気味がる者がほとんどだった。『三槌の女神』のところでは髪色を気にしないで弟のように接してくれたが、生憎と汗臭い職場で働くと女との出会いなんて自然と遠のく。

 貴族となった今でも自分の髪を気味悪がる者もいるし、それでも近づく女達はきっと今の自分の爵位目当てだ。


 サンデスと同じくらいロクでもない連中が集まるだろう交流会で、一目惚れ?

 それこそあり得ない。


「もし俺が明日一目惚れなんてものをしたら、お前が行きたがってた食堂に連れてってやるよ」

「そうか。なら、明日そうなるように祈っておこう」


 主従関係を結び、身分に差があれど、心を許した友人として接する二人の会話は夕食の時間まで続いた。



☆★☆★☆



 交流会当日、高価な深緑色のドレスを身に包んだアリナは到着早々、退屈していた。

 会場となる場所は豪華な大広間で、白いクロスが敷かれた机には領地でも中々見ないご馳走ばかり並んでいる。誰もが豪奢なドレスや礼服を纏っている光景は、芸術家ならば涎を垂れ流すほど美しいものだろう。


 でも、アリナの目にはひどく醜く見えた。

 油と砂糖をふんだんに使った料理とお菓子は目に見えて体に悪そうだし、服装も重々しい上にあまりにも派手だ。交流会に来た者達のほとんどが酒と果汁水しか口にしていなくて、せっかくの料理が冷めていく。


 料理人だけでなくその食材を育ててくれた農家さえ侮辱している彼らの行為に、アリナも僅かに顔をしかめてしまう。

 アリナの家の食事は小麦のパンと野菜のスープがほとんどで、夜はたまにこんがり焼き色がついた豚肉が出ることはあった。どれも味は薄くも、素材そのものの味を生かした素朴な料理の方が好みだ。


 大人達がお家自慢をする横で、同い年の子供達は無邪気に笑い合っている。でも第三王子のローゼン・アルマンディンの周りには多くの女の子が取り囲んでいて、彼のお嫁さんになろうと躍起になっている。

 一緒に来てくれたベネディクトも友人達と気兼ねなく会話していて、両親も同じ様子だ。


(やっぱり、仮病使った方がよかったかも……。ヤハウェと勉強するのが一番楽しいもの)


 ヤハウェとの勉強は、花嫁修業ばかり教える家庭教師と違い、彼は『奇跡』だけでなく森や海で暮らす生き物や生息する植物、色んな職人達の技法、果てには建物の建築技術さえも教えてくれた。

 花嫁修業ももちろん大切だが、ヤハウェの勉強の方が一番楽しい。そう思えるとやはりこの交流会はとてもつまらない。


 誰もがこちらを注目しない内に大広間を出て、建物の裏側にあった薔薇園へと向かう。

 最初に来た時に窓から見えた薔薇園は庭園と呼ぶには立派なものではないが、赤や橙色、桃色や白の薔薇は美しい。

 外に出て薔薇園に来ると、優しい声がアリナの耳に入ってきた。


『おや、初めまして琥珀のお嬢さん。君は私達の声が聞こえるね?』

「ええ、聞こえるわ。パーティーが終わるまでちょっと暇なの、花冠を作ってもいい?」

『構わないよ、琥珀のお嬢さん。ここにいる私達は今度剪定されてしまうから、そうなる前に君の手で花冠になる方を選ぶよ』


 薔薇達がアリナに話しかける。

 ヤハウェから『奇跡』を教わってから、花々や動物の声が聞こえるようになった。最初はただの空耳かと思ったが、『奇跡』を学んだ影響で本来聞こえない者の声も聞こえるようになったのだと、ヤハウェは教えてくれた。

 この薔薇達の声も、その影響だと思えると納得した。


「ありがとう、棘が刺さらないように気を付けないと」

『大丈夫だよ、琥珀のお嬢さん。僕らは君を傷つけない。声を聞ける者は僕らの友達だから』


 まだ幼さ残る薔薇の声を聞いて、嬉しくなりながら優しく薔薇を手折った。

 薔薇達は「痛い」と叫ばず、ただただアリナの手で花冠になるのを楽しみにしている。薔薇達の言う通り棘は指に刺さらず、するすると花冠を作り上げていく。

 鼻歌交じりで花冠を完成するのがもう少しというところで、


「何してるんだ?」


 背後から声をかけられた。



 クロウは深いため息を吐いていた。

 交流会でローゼンの従者になったクロウに話しかける令嬢達は年に合わない化粧をして、首筋や手首から漂う香水は色んな香りが混じっているせいで、鼻が捻じ曲がりそうになった。

 令息達は貧民街上がりのクロウを汚らわしいものを見る目を向けてくる。もう色々と我慢の限界を迎えたため、こうして宮殿の裏まで逃げてきた。


 ここにある薔薇園は小さいながらも丁寧に手入れされており、嫌なことがあるとここに逃げ込んでしばらく薔薇の香りを楽しむ。

 香水と違って甘くも柔らかい芳香は、ささくれ立つ心を和らげてくれる。

 だけど、その薔薇園には先客がいた。高価そうな深緑色のドレス姿の少女が何も敷かないで芝生の上に座り、こちらに気づく様子もなく花冠を作っている。


「何してるんだ? 棘がついたままだと怪我をするぞ」

「大丈夫よ。私と薔薇は友達なの。友達が私の指を傷つけることはないよ」


 こちらに顔を振り向かずに答えた少女に、さすがのクロウも胡乱な目で見た。

 薔薇と友達なんて独りぼっちが言いそうなことなのだが、目の前の少女が指に傷一つ付けないで花冠を編む様を見ていると、何故か本当にそう思えてしまう。


「でーきたっ」


 完成した花冠を見て満足そうな顔をすると、少女は芝生から立ち上がった。

 その時、こちらに顔を向けた。琥珀色の髪と瞳をした少女は他の令嬢と違い、香水と化粧品の匂いがあまりしない。でもどこか甘い香りがして、ドレスも他と比べて華美ではないがそっちの方が清楚に見える。


 少女は手にした花冠とクロウに目を向けると、そのまま完成したそれをクロウの頭に乗せた。


「お、おい、お前何を――」

「――あなたの夜空色の髪は、白い薔薇の花冠に合う色なのね。とても綺麗だね!」


 薔薇の香りと共に微笑む少女、その笑みを見てクロウの心臓が大きく高鳴る。

 全身の血が激流のように流れ、鼓動が何度も高鳴って仕方がない。顔がものすごい熱が襲い掛かってきて固まる自分に、少女は不思議そうに首を傾げる。


「アリナー、どこだー。そろそろ帰るぞー」

「あ、兄さんの声」


 どこからか若い男の声が聴こえ、目の前の少女の名前が『アリナ』であるということは分かった。

 アリナはスカートの裾を摘まむと「すみません、ここでお暇します」と言ってぺこりと頭を下げた。軽やかな足取りで去る彼女を見送りながら立ち尽くしていると、入れ違いでローゼンがクロウの方へ駆け寄る。


「クロウ、ここにいたのか。中々戻らないから心配し…………おい、どうした。顔がまるでタコみたいに真っ赤だぞ」

「………………ローゼン」

「なんだ」

「この前行きたがってた食堂……今度連れてってやる」


 最初、この従者が何を言っているのか理解できなかった。

 でも昨日の会話を思い出して察したローゼンは、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「……そうか。楽しみにしているぞ」


 頬を紅潮させて、頭にかぶられた白薔薇の花冠に指先を触れるクロウを見て、ローゼンは密かに良き従者であり友人である彼の恋路を心の中で応援した。

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